今日も山崎雅弘著「沈黙の子どもたち 軍はなぜ市民を大量殺害したか」から引用したいと思います。
今日は、第7章「広島・長崎 日本-歴史上ただ二つの核攻撃による市民の大量死」から引用します。
このテーマにしたのは、NHKのETV特集で、「忘れられた『ひろしま』~8万8千人が演じた『あの日』~」を観たからです。
映画「ひろしま」は、今日深夜NHKのETVで放映されます。
1951年に出版された長田新編「原爆の子」を原作として、関川秀雄監督がメガホンを握り、当時トップ女優だった月丘夢路さんが主演します。
出演した子どもたちの中には、実際に被爆した広島の子どもたちも多数いました。
映画のラストで原爆ドームまで人々が行進するシーンがありますが、この行進を含めてこの映画には8万8千人の人々が出演しています。
この映画は、1953年に完成しますが、配給会社が「反米色が強い」ことを理由に上映されませんでした。
細々と自主上映が行われてきましたが、最近になって、インターネット上で、注目され評価されるようになり、アメリカの会社でデジタル処理され、現在、世界各地で上映されています。
世界を代表する映画監督であるオリバー・ストーン氏は、ETV特集で「なぜ核兵器を使ってはいけないのか。その答えがこの映画だ」と述べました。
核兵器禁止条約の成立に尽力したカナダ在住の被爆者・サーロ節子氏は、「核兵器の問題を抑止論ではなく、人間の角度から考える上で、この映画は最良の教材であり、貴い宝だ」と述べました。
さて、話を「沈黙の子どもたち」に戻します。
アメリカ国内での核兵器についてどのように意識なのかについて山崎さんは次のように書いています。
「戦後、アメリカ政府は広島と長崎に対する核兵器の使用について、米軍の日本本土上陸を回避して数十万あるいは百万人のアメリカ兵を救うためだったという説明を繰り返す一方、核兵器開発への反対運動が内外で高まることを恐れ、広島と長崎で市民が受けた重度の火傷などの映像記録を長い間封印した。」
原爆を投下した戦闘機がアメリカ国内で展示されてることについて山崎さんは次のように書いています。
「アメリカでは原爆を投下したB29が、今なお『戦争を勝利に導いた英雄』として顕彰されており、アメリカ軍が保有する世界最強の核戦力の正当性を脅かすような、核兵器の『非人道性』という側面は、実質的に無視されているのである。」
「沈黙の子どもたちは」は、原爆で市民が大量殺害される様子をリアルに描き出しますが、ここでは割愛します。
ETV特集でオリバー・ストーン監督が述べているように、アメリカでは、「なぜ、核兵器を使用してはいけないのか」について政府中枢が理解しない理解しようとしない姿勢が顕著です。
オリバーストーン監督が述べているように、その答えが、映画「ひろしま」であり、広島の市民が原爆でどのように損害を被ったかについてリアルに伝え続けることだと思います。
映画「ひろしま」をアメリカを含めた世界に広げる。そして、山崎雅弘さんの「沈黙の子どもたち」など広島の市民の実情を描いた書籍をアメリカを中心に世界に広げる努力がこれからも必要だと思います。
そして、ETV特集に登場したサーロ節子さんらと世界の人々の努力で実現した「核兵器禁止条約」を被爆国日本の政府が署名して世界に広げ、条約発効を一日も早く実現することが大切だと感じました。
まずは、今日深夜放映される映画「ひろしま」を私自身じっくり鑑賞したいと思います。
そして、この映画を通じて多くの人々と一緒に語り合いたいと思います。
ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
今日も、山崎雅弘さんが書かれた「沈黙の子どもたち 軍はなぜ市民を大量殺害したか」から引用したいと思います。
今日は、「リディツェ」に関してです。
映画「ピータールー」を観て、歴史をテーマにした映画が観たくなり、レンタルDVD店で「ナチス第三の男」を観ました。
その直後に、山崎さんの本の「リディツェ」の章を読み、映画を観た直後だったので、「リディツェ」の事件発生の背景を詳しく知ることができました。
同じ時代の同じ事件を扱った映画と本に同時に出会う経験は稀有ですが、意味深いものを感じました。
映画「ナチス第三の男」の主人公は、ラインハルト・ハイドリヒSS大将。
彼について山崎さんは次のように書いています。
「ナチス・ドイツの主要幹部の一人として、あるいはヒムラーに次ぐSSのナンバー2として冷酷に権威を振るい、ナチスの人種政策で理想とされる『アーリア人的』な外見の特徴を備えていたことから『金髪の野獣』との異名を取ったハイドリヒだが、年齢はこの時まだ38歳だった。」
映画もこの本でもハイドリヒ暗殺事件が詳細に描かれています。
山崎さんは、本の中で、次のようにハイドリヒ暗殺事件とその後のリディツェでの事件を概括しています。
「主権国家の地位を失ったとはいえ、チェコは第二次世界大戦の最中も、枢軸国のドイツと連合国のイギリスが激しく火花を散らす『戦場』であり続けた。ロンドンに樹立されたチェコスロバキアの亡命政府は、イギリスの助けを得て国内の反独レジスタンスを支援する一方、国外に逃れた自国軍人を義勇兵としてイギリス軍に提供し、ヨーロッパの戦争で連合国を勝たせるための政治的謀略にも関与していた。その結果として引き起こされたのが、1942年5月27日にプラハで起きたラインハルト・ハイドリヒSS大将の暗殺事件と、その報復として各地で実行された市民の大量殺害だった。その中でも、プラハ郊外のリディツェ村で同年6月10日に始まった一連の出来事は、第二次世界大戦におけるナチスの蛮行の一つとして特筆されている。」
山崎さんは、リディツェ村で大量殺戮が行われた理由を次のように書いています。
「ハイドリヒ殺害の捜索中に発見されたいくつかの手紙にその地名が出ていたというだけで、具体的にリディツェ村がハイドリヒ暗殺の実行犯と繋がる証拠は何もなかった。」
山崎さんは、リディツェ村での殺戮の様子を次のように書いています。
「6月10日の午前中に、リディツェ村の成人男子は一人残らず、SSの射撃隊によって殺害された。多くの射撃隊員は、大量虐殺の精神的ストレスから逃れるために酒をがぶ飲みして泥酔状態にあった。男性が次々と射殺されている間に、村の女性と子供はドイツ側が用意したトラックの荷台に載せられ、リディツェから5キロほど西にあるクラドノと言う村へと連れて行かれたあと、ドイツ国内の強制収容所に送られた。」
現在、リディツェ村があった場所に、記念公園が設置され、公園内に「戦争で犠牲となった子どもの記念碑」が設置されています。
山崎さんは、本書の「あとがき」で、執筆中「大勢の子どもが理不尽に殺されるという陰鬱な主題が、巨大な鉛の塊のように私の心を圧迫した」と述べた上で、次のように書いています。
「それでも、執筆を途中で放棄しようと思わなかったのは、リディツェで見た子供たちの像が、頭からずっと離れなかったからである。私が同地を訪問した時はちょうど雨上がりで、雲の間から青空が見えていたが、台座に並ぶ子どもたちのほほには涙のような水の筋が見えた。沈黙の中で、何かを訴えているとしか思えなかった。」
この本の表紙は、「戦争で犠牲となった子どもたちの記念碑」の写真です。この本の表題が「沈黙する子どもたち」となったのも、山崎さんの「リディツェ」での想いがあったからだと思います。
私も、この本を読んでいて、「陰鬱な主題が、巨大な鉛の塊のように私の心を圧迫」します。
しかし、「この本を読み進めて」と表紙の「沈黙の子どもたち」に訴えられているように感じます。
そして「軍はなぜ市民を大量殺害したか」考え、二度とこのように悲劇を起こさないためにはどうしたらいいのか考え続けたいと思います。
是非、リディツェの記念公園で「戦争で犠牲となった子どもの記念碑」を訪ねたいと思います。私の細やかな夢の一つとなりました。
私にとっての盆休み最後となる明日もこの本から引用したいと思います。
内容については、こうご期待です。明日もお付き合いください。
山崎雅弘著「沈黙の子どもたち 軍はなぜ市民を大量殺害したか」はこの夏、私にとって忘れられない一冊となりました。
映画「ナチス第三の男」も是非、DVDでご覧下さい。
皆さんにとってこの夏、お勧めの映画や小説についてお教え下さい。
映画鑑賞で福岡市を訪れた際、本屋で山崎雅弘著「沈黙の子どもたち 軍はなぜ市民を大量殺害したか」を購入しました。
映画を観る前に少し時間があったので、映画館近くの書店で気になる本をチェックして、映画館で「ピータールー」を鑑賞して、「沈黙の子どもたち」を購入することにしました。
「ピータールー」は、参政権を求める市民集会を鎮圧するために、銃で武装した軍隊が、参加者を虐殺した事件を取り扱ったものです。
山崎さんの「沈黙の子どもたち」は、第二次世界大戦中に起こった大量虐殺事件を追った本です。
無辜の市民が大量に虐殺される事件を追った作品という共通性がこの二つにあり、帰りの電車で「沈黙の子どもたち」を一気に読み進めました。
山崎さんは大量虐殺が起きた街に赴き、その事件が起こった背景を活写しています。
「はじめに」で、山﨑さんは、自らの書籍の背景について次のように語っています。
「こうした悲劇の繰り返しにピリオドを打つことは、可能なのか。人類が幾多の疫病を根絶してきたように、戦争や紛争による市民の犠牲者をなくすことはできるのか。その問いに答えるには、ひとつひとつの事例ごとにその原因と構造を読み解いた上で、全ての事例に共通する力学や動機を浮かび上がらせる必要がある。」
山崎さんは、大量虐殺を進めた軍隊に共通する価値観についてこう書いています。
「戦争中に市民の大量殺害が各地で繰り返されたのは、戦争を遂行する軍またはそれに準じる組織が『目的を達成する上で必要』だと考える行動がそこに存在したためであり、市民の大量殺害も軍の視点から見た『合理性』の枠内に存在していたのである。」
そして山崎さんは、この書籍の意義についてこう書いています。
「日本の軍(またはそれに準じる組織)が将来、戦争や紛争の当事国として、第二次世界大戦時に旧日本軍が行ったのと同じ行動を繰り返さないために、日本の市民は当時の事例から何を学ぶ必要があるのか。手頃な『悪者』を特定して糾弾するのではなく、特定の問題行動を引き起こした『合理性』や、その根底にある価値判断の優先順位、つまり『何を価値あるものと見なし、何をそれより下に置くのか』という思考の土台部分まで掘り進めなければ、我々が過去から学ぶべき本当の根源には、おそらくたどり着けない。」
今日は、第二章「上海・南京」から引用したいと思います。
山崎さんは、上海や南京での大量殺害について「1937年の8月から12月にかけて、日本軍が上海から南京へと進撃する過程で行った中国人市民の大規模な殺害は、言葉の通じない外国の市民を『敵の協力者・間諜・便衣兵』と疑い怖れる疑心暗鬼、上海戦での予想外の人的損害で生じた中国人への報復心、上海戦の終了後に帰国できるとの期待が裏切られた失望と自暴自棄、進撃速度を維持するための掠奪と憲兵の訴追を免れるための証拠隠滅、急遽決定した『司令官の南京入場式』に備えた南京場内の安全確保など、さまざまな理由によって行われた。そして、本書でそのごく一部を紹介したように、軍の上級司令部と各部隊の指揮官が下した命令や通達も、市民の殺害行為を是認あるいは推奨する効果を生んでいた。」と述べています。
その上で、南京での虐殺を殺害者の数字ばかりに焦点があてられることについて次のように述べています。
「日本軍が南京で行った大規模な虐殺については、日本では被害者の数字に大きな焦点が当てられていう場合が多く見られるが、本章で述べたように、その発生は諸々の原因が積み重なった末に生じた『必然』ともいえるもので、被害者数の推測に大きな比重を置くことは、発生原因となる構造や出来事の全体像の理解を妨げる効果をもたらす。」(偕行社の)「『南京戦史』に記された日本軍人に殺害された中国人市民の人数(1万5760人)も、廃棄された公文書や、いまだ公表されていない兵士の日記、そして記録に残らない形で闇に葬られた事例を含まないもので、あくまで『氷山の一角』でしかない。」
日中友好の関係を構築し、東アジアの平和を築くために、上海・南京での日本軍による中国人市民の大規模殺害の事案の検証はこれからも引き続き行うべき重要なテーマだと感じました。
山崎雅弘さんの著作は「日本会議 戦前回帰の情念」を読んで以来です。
事実を見つめる冷静な論旨がこの本で遺憾なく発揮されています。
ゆっくり休養が取れるこの盆休みに山﨑雅弘さんの「沈黙の子どもたち」に出会え感動を味わっています。
明日は、この本の中から第5章の「リディツェ」を引用したいと思います。
お盆休みは、大好きな映画を観て過ごしています。
マイク・リー監督の映画「ピータールー マンチェスターの悲劇」を観ました。
1819年8月16日、マンチェスターの聖ピーターズ広場で市民への選挙権を求める抗議集会が行われ、約6万人が集まりました。
この民衆の中へ、義勇軍と銃で武装した軍隊が突入しました。
これが、「ピータールーの虐殺」であり、この史実を克明に描いた作品が「ピータールー マンチェスターの悲劇」です。
この事件の背景には、摂政王太子の馬車に芋が投げつけられたことを受け、時の政府が、1679年に制定された人身保護法を一時停止したことがあります。
この時代を象徴した人物が、ジョセフ青年です。1815年のウォータールーの戦いで生き残ったジョセフは、軍服のままマンチェスターに帰ってきます。母親の腕の中で泣き崩れるジョセフ青年の姿が印象的です。
ジョセフは、何日も何日も仕事を探すが、全くみつかりません。
そして、ジョセフは洗いざらしの軍服を着て参加します。
真新しい軍服を着た兵士にジョセフは刺されて倒れます。
もう一人の主役たちが、マンチェスター・オブザーバー紙です。
真実を書こうと、聖ピーターズ広場の集会を取材し、記事を書くことを話し合います。
映画で描かれていたのはここまでですが、パンフレットのその後の物語がこう書かれてありました。
「政府はこの新聞に関連した人々を繰り返し起訴した。そのため継続が困難になり、1821年に出版停止。最後の号にはマンチェスター・ガーディアン紙(のちのガーディアン紙)を読むことを読者に勧める社説が掲載された。」
今のガーディアン紙の前身がマンチェスター・オブザーバー紙だったのです。
この映画に、織物機を何台も据えた巨大な繊維工場が出てきます。
この日、聖ピーターズ広場に集まった人たちの多くが繊維工場で働く労働者だったと映画のパンフレットに新井潤美東京大学文学部教授が書いています。
新井教授は、現代イギリスと通じるところがあると次のように書いています。
「上流階級や中産階級を中心とした支配階級は、『大衆』を『無知で、マスコミに簡単に操られる存在』と軽視しながらも、脅威ともみなしている。教育、生活レベル、衣食住のすべてにわたって、階級意識と格差はなくなることがない。マイノリティに対する無知と偏見も未だになくなっていない。それどころか、多文化国家として自らを認めたイギリスは、一方ではますますノスタルジックな『古き良きイギリス』を追求していき、その一つの結果である『ブレグジット』をめぐって、国の権力者は何一つ適切な対応をとっていない。イギリスで今何が起きているかを歴史的にとらえるためにも『ピタタールー』は広く知られるべきだとリーは主張するのである。」
マイク・リー監督は、映画のパンフレットで、次のように語っています。
「私の住むイギリスではブレグジットがあったり、(アメリカではドナルド・)トランプが大統領になったり、世界各地で極右が台頭したり、香港では民衆が抑圧されたり、世界中の正気の沙汰ではないことが起こっています。この映画は民主主義についての映画なのです。民主主義について、権力を持っている人、いない人についての疑問を、この映画を通じて考えてもらえばと願っています。」
日本でも格差と貧困が拡大しています。今こそ、民主主義が花開く時代が求められています。
民主主義の前進のために力を尽くそうと決意を新たにしました。
その事を考えていく上でも、約200年前にイギリスのマンチェスターで起きた史実を基に創られた映画「ピータールー マンチェスターの悲劇」は、日本でも多くの皆さんに観ていただきたい映画です。
皆さんのご覧になった映画の感想をお聞かせ下さい。
7月18日、日本弁護士連合会は、「同性の当事者による婚姻に関する意見書」を国に提出しました。
意見書の結論は、「同性婚を認めないことは、憲法13条、憲法14条に反する重大な人権侵害でると評価せざるを得ないこと、及び憲法24条は同性婚を法律で認めることを禁止する趣旨とは考えられないことに照らせば、我が国は、速やかに同性婚を認め、これに関連する法令の改正をすべきであ」るというものです。
日弁連の意見書は、意見書に至る経過や同性婚の現状を述べた上で、当連合会の意見として、4つの点を挙げています。
第一は、同性婚と憲法13条です。
この点での結論として意見書はこう書いています。
「異性同士の結合に自己決定権としての婚姻の自由が認められている根拠はそれが人格的生存に深く関わる価値を有するところにある。同性同士の結合も異性同士の結合と同様に人格的生存に深く関わる価値を有する。したがって、同性同士の結合にも、自己決定権としての婚姻の自由が保障されるべきことは明らかである。」
第二は、同性婚と憲法14条です。
「法制度上、同性婚を認めないことは、憲法14条の定める平等原則に反するものである。」
第三は、憲法24条における同性婚の許容性です。
「憲法24条は、同性婚を法律で認めることを禁止しておらず、その基本的な趣旨に照らせばむしろ許容しているものと考えるべきである。」
第四は、家族法上の制度としての「同性パートナーシップ制度」です。
意見書は、自治体においてパートナーであることを登録することや宣誓をしたことの証明書を発行する「パートナー宣誓等」の制度について「同性に性的指向が向く者の存在を認め人々の理解を促進した点に画期的意義があり、自治体の取組みの広がりは、国レベルで家族法上の制度として本意見書の結論を実現することを社会が望んでいることを示すものである」と述べています。
その上で、意見書は、家族法上の制度としての同性パートナーシップ制度につて次のように結論づけています。
「同性パートナーシップ制度は、各国で社会的歴史的に積極的な役割を果たしてきた点については評価できるが、人格的価値の平等の観点からは不十分であることは否めず、同性愛者に対する差別や偏見を助長するおそれを孕んでいる点に留意せざるを得ない。したがって、国家の制度として、婚姻制度とは別の同性パートナーシップ制度を導入したとしても、憲法14条の平等原則違反が解消されるものではないと評さざるを得ない。」
全国13組の同性カップルが2月、同性婚が認められないことは違憲だとする国家賠償訴訟をおこしました。世論も同性婚の実現「賛成」が78%と圧倒的多数です(1月公表の電通調査)。
同性婚や選択的夫婦別姓など「ジェンダー平等」の課題が争点となった参議院選で、改憲勢力が3分の2を割り込んだことは、誰もが尊厳をもって生きられる社会への受容が足掛かりです。多様な家族の在り方を認める制度をつくる機運をいまこそ高める時です。
多様な家族の在り方を認める制度をつくる上で、日弁連の意見書は重要な意義を持つものだと思います。
また、自治体のパートナー宣誓等制度をつくることは重要だと思います。
都道府県段階では、茨城県が7月1日から「パートナーシップ宣誓制度」を始めています。
山口県としても「パートナーシップ宣誓制度」を創設することは重要な県政の課題だと考えます。
この点から必要な発言を県議会で行っていきたいと思っています。
「ジェンダー平等」の社会を実現するために、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
一昨日に続き、日本共産党理論政治誌「前衛」9月号の日本共産党政策委員会の山根隆志さんの「トランプ政権の核・宇宙戦略と日米同盟」から山口県に関わる問題についての指摘された部分を紹介したいと思います。
一昨日は、山陽小野田市に建設されようとしている自衛隊の宇宙レーダー基地について紹介しました。
今日は、萩市と秋田市に計画されているイージス・アショアについてです。
山根さんは、トランプ大統領が、今年2月にINF(中距離核戦力)条約を廃棄声明した問題点を次の項目で指摘しています。
①INF条約破棄と核軍拡競争②INF条約破棄の日本への影響③MDR(ミサイル防衛見直し)のもとで米宇宙戦略に組み込まれる自衛隊を中心に、核・宇宙分野で進んでいる日米軍事同盟の危険な実態
③については、山口県には、山陽小野田市に自衛隊宇宙レーダー基地建設という形で影響が表れています。
②に関連して、山根さんは、イージス・アショアの問題を次のように論じています。
「ロシアは米国のイージス・アショアをINF条約違反と批判してきた。日本はINF条約の締約国ではないが、ロシアは安倍政権が導入をすすめているイージス・アショアについてもINF条約に関連させて批判してきた。ラブロフ外相は2月、『INF条約とクリール(千島)諸島の問題は明確に関連している』と主張、日本のイージス・アショアがINF条約に違反し、平和条約交渉を進める日ロ間の安全保障上に障害になっていると強調した。INF条約が廃棄されれば、米国がイージス・アショアを攻撃用に転用するうえで法的な規制はなくなる。そのため、ロシアなどがイージス・アショアに対抗する動きを強める可能性もうまれてくる。もともと、安倍政権が中期防衛力整備計画にもなかったイージス・アショアをトランプ政権の要求で導入したのは、このシステムが、グアムやハワイなど『米国を防衛する』ためのものだからである。トランプ大統領が1月に公表した『ミサイル防衛の見直し(MDR)』は、日本のイージス・アショアについて、『日本が多層防衛に加わることで、(ほかの)移動式ミサイル防衛システムを極めて柔軟に配備することができる』とのべ、日米の一体的な運用を強調している。さらに、米国の戦略国際問題研究所(CSIS、安倍政権とも関係の深いシンクタンク)が2018年5月に発表した論文『太平洋の盾 巨大な(イージス駆逐艦)としての日本」は、日本列島を米国防衛の巨大な盾=巨大なイージス駆逐艦とみなして、日本へのイージス・アショア配備の目的・意義を詳述し、日本のイージス・アショアによってハワイやグアムが防衛できるとのべている。北朝鮮北部からハワイに向かうミサイルはおおむね秋田の上空を通過し、グアムに向かうものは山口の上空を通る。防衛省は秋田、山口を選んだ理由について、『日本全域を守れるから』としか説明していないが、射程が2500キロメートルもある迎撃ミサイルはどこにおいても日本全域が防衛圏に入る。秋田と山口に配備する理由にはならない。岩屋防衛相は、『あくまで、わが国を守るための、わが国の全空域を守るための装備だ』という一方で、『ミサイル防衛に関して、同盟国である米国と通常から様々な情報交換を行っていることは事実で、仮に有事と言われるような状況、あるいは存立危機事態のような状況が生じた場合には、当然、よりしっかりと情報交換していかなければならない』と米国と一体で対応することを強調し、ハワイに向かうミサイルを『迎撃できる』と言明している(6月18日の記者会見)もともと米国を守る『太平洋の盾』としての日本のイージス・アショアは、INF条約破棄後、巡航ミサイルを発射できるようにすることも可能になる。そのような事態になれば、日本は米ロなどの対立に巻き込まれる危険性もある。この危険性は、米軍が計画している『HDR(米本土防衛レーダー)』とよばれる最新型高性能レーダーが日本に配備されるようになれば、いっそう大きくなる。」
山口県にイージス・アショアの配備計画が取りざたされて約2年。この問題を私なりにウオッチしてきましたが、トランプ大統領がINF条約を破棄した後の日米同盟との関係で、イージス・アショアを位置付けた論説は、この山根さんの論文が私自身初めてでした。
ロシアが、日本のイージス・アショアをINF条約違反と捉えているということは、ロシアは、日本のイージス・アショアに核巡航ミサイルが搭載される可能性があると見てるということです。
私は、日本共産党の宮本徹議員の国会質問を通じて、イージス・アショアは迎撃ミサイルだけではなく巡航ミサイルを装填できる可能性があることは知ってはいましたが、トランプ大統領のINF条約破棄後の日米同盟関係の中で、イージス・アショアに「核巡航ミサイル」が装填される可能性が生まれていることをこの山根さんの論文で知ることが出来ました。
アメリカのシンクタンクが、「日本のイージス・アショアによってハワイ・グアムが防衛できる」と指摘していることも重要です。
トランプ政権の核戦略の中で日本のイージス・アショアの役割を位置付けて考える重要性を山根さんの論文から学ぶことができました。
益々、イージス・アショアを日本に配備することは許されないとの決意を新たにしました。
イージス・アショアに関する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。