山口県赤旗まつりの会場で山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」の主人公・恩地元さんのモデルである小倉寛太郎さんの「自然に生きて」という本を買い、一気に読みました。
小倉さんは、まさに、「沈まぬ太陽」恩地のモデルです。東大法学部を卒業後、労働組合の委員長となり、カラチ・テヘラン・ナイロビと海外勤務が続きます。
帰国後、御巣鷹山事故の後、本社会長室部長を務めます。本には山崎豊子さんからの取材の様子が克明に書かれてあります。
取材は、全部で千数百時間位、8年にわたったとあります。
山崎さんに出版社は、「小説にすると、会社に憎まれ、自民党ににらまれて、運輸省に恨まれる」「やめましょう。」と言ったそうです。
山崎さんは、「わたしはこれをどうしても書きたい。日本の人たちが横車に屈し、泣き寝入りしたために戦争が起こった。その戦争でわたしは学徒動員で軍需工場に徴用されて、空襲で友だちを何人もなくしている。わたしはこの日本がそういうことを繰り返さないために、正論を正論として通る世の中にするために、わたしはこの小説をどうしても書きます」と言い、筆をすすめたのだとこの本にありました。
小倉さんは、「余裕とユーモアと、ふてぶてしさ」が大切と説きます。
「圧迫と弾圧のなかで、圧迫されているもの、弾圧されているものが、いつも悲壮な顔をしていたら、これは、ほかの人もついて行きようがなくなります」と小倉さんの言葉には説得力があります。
小倉さんの話は、地球に及ぶます。小倉さんは、「自然保護」という言葉にも疑問を投げます。
「保護というのは、力のまさっているものが力の劣っているものに対してとる態度」だと指摘します。
同様に「地球に優しく」の「優しく」の言葉も強者の理論だと小倉さん。
小倉さんは、「地球が人間だけのものではないことを理解して、これ以上自然破壊をしないこと」を最後に協調されました。
私は、瞬時に「小倉さんのお話が聞きたい」と思いました。しかし、その願いが叶わないことが分かりました。
小倉さんは、2002年10月に逝去されていました。しかし、この本は、私の人生を励ます1冊になりました。小倉さんありがとうございました。
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