救急車両が通過できる県道拡幅を早く

 宇部市小野如意寺では、24日火災が発生し、宇部小野田消防本部の車両が民家近くまで行けなかったことが分かりました。

 数年前も、救急車両が民家近くに行けなかったことがありました。

 私は、このような状況を受けて、この集落を通る県道小野木田線の今年度の改修計画について昨日、宇部県土木建築事務所の担当者から説明を受けました。

 まず、今年度の改修計画です。

 現在、改良している箇所について、道路改良を完了する工事が今年度行われます。

 また、未改良部分についてです。

 一昨日、県土木建築部職員により、救急車両(高さ2メートル50センチ)の通行を妨害する樹木の伐採が行われました。

 私は、当該県道の未改良部分の早期完了を宇部県土木建築事務所の担当者に要望しました。

 引き続き、宇部市北部及び県民の皆さんの切実な要望を藤本にお寄せください。 

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 必要なことを記入していただくと、私にメールが届きます。

 

菅首相の「やぎさん答弁」

今日も、赤木和重神戸大学准教授の「子育てのノロイをほぐしましょう。発達障害の子どもに学ぶ」から引用したいと思います。
 赤木さんは、この本で上西充子さんの「呪いの言葉の解きかた」という本を次のように引用しています。
 「上西充子さんの『呪いの言葉の解きかた』という本に、労働場面での典型的な『呪いの言葉』として『嫌なら辞めればいい』があげられています。長時間労働やパワハラ、セクハラ、残業代不払いなどについて声をあげた場合、上司や経営者から、この『嫌なら辞めればいい』という言葉が出されます。たしかに、この言葉、強力ですよね。この言葉を突きつけられると、『そんなに嫌なら辞めたほうがいい。なのに辞めないでいるのは自分なんだから、我慢しないと』と考えそうになります。しかし、本来は、辞める/辞めないの問題ではなく、長時間労働やパワハラを強いてくる経営者側に問題があるはずです。『嫌なら辞めればいい』という、一見するともっともな言葉にからめとられないようにするには、『この言葉や考えはノロイだ』と自覚することが必要です。つまり、知らず知らず自分の自由をせばめる悪意のある言葉や考えだと気づくことです。」
 7月12日「全国商工新聞」の「視点」欄に赤木さんが引用した上西充子さんの「菅首相の『やぎさん答弁』」と題するコラムが掲載されました。
上西さんは、立憲民主党の山井議員が、「コロナ感染のステージ4、ステージ3でもオリンピックは開催するのか」の質問に、菅首相が「開催にあたっては、関係者が安心して参加できる大会にする」などの答弁を繰り返した問題についてこう解説しています。
 「同じ答弁を棒読みする場面は国会で多くみられ、『壊れたレコード』と表現される。この答弁も、そう評することはできる。しかし、私は、このやりとりの不気味さをもっと的確に比喩で表現したいと思った。県をまたぐ移動は控えよ、人流を押さえることが大事、と政府は繰り返してきた。開会式を待たずに感染が再拡大するという試算もある。感染力の高い変異株の流入の危険もある。なのになぜ、政府は現実に向き合おうとしないのか。なぜ閉栓と、不誠実な態度を取り続けるのか。NHKの中継も入っている中で、このような答弁姿勢が政権支持率をさらに下げるとは考えないのだろうか。もしかして菅首相は、山井議員が何を問うているのか、理解できていないのだろうか。いや、まさか。しかし、では、なぜ。そんな戸惑いと不安の中で見る者を陥らせる答弁だった。そこで、童謡『やぎさんゆうびん』で、しろやぎさんから届いた手紙を読まずに食べてしまったくろやぎさんようだ、と例えてみれば、『なぜ食べちゃうの?』という戸惑いと不安をうまく表現できるのではないかと考えた。(中略)『くろやぎさんたら読まずに食べた』。内閣総理大臣として重要な意思決定を行う者がこういう答弁姿勢であるのは深刻だ。有能な部下に判断を任せているのであれば害は少ないのかもしれないが、菅首相はこだわりのある政策については異論に耳を貸さない人であるようだ。6月25日に朝日新聞が報じたところによれば、何人もの閣僚らが、この1カ月ほどの間に首相に五輪中止の決断を迫ったという。しかし菅首相は中止どころか有観客での開催に固執し続けている。何のために。国民の命と健康よりも、自らの政権浮揚の方が重要なのか。」
 上西さんは、安倍首相の答弁を「ご飯論法」と名付けた方です。菅首相の答弁を「やぎさん答弁」とは流石、上西さんだと感じました。
 昨日の新規感染者数は、東京で3177人、全国で9576人と過去最多を更新しました。
 上西さんが指摘する「開会式を待たずに感染が再拡大するという試算もある。感染力の高い変異株の流入の危険もある。」が、現実のものとなったことが、五輪開催中の昨日、私たちの目の前で明らかになりました。
 上西さんが指摘する「国民の命と健康よりも、自らの政権浮揚の方が重要な」菅内閣は、次の総選挙で、政権の座から降りてもらう結果をつくろうではありませんか。
 国民の命と健康が問われるコロナ第五波の山場となった今日、「五輪中止」を検討する時に来ていることは明らかだと思います。
 上西さんは、このコラムで最後にこう書いています。
 「7月30日には映画『パンケーキを毒見する』も公開される。私もこの映画の中で菅首相の国会答弁を開設している。ぜひご覧いただきたい。」
 映画ファンとして「パンケーキを毒見する」は、一日も早く観たい映画です。是非、実現したいと思います。
 コロナ第五波最中の今、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

宇部市今富、下船原橋南側改善、北側を要望

 宇部市万倉今富地内の県道小野田美東線下船原橋と前後の県道との段差があり、車が通過する際に、音や振動がするとの声が私に届きました。

 数年前に一度、改良工事が行われたのですが、十分な改善が図られませんでした。

 この程、県道の下船原橋の南側の段差を解消する工事が行われました。

 県道小野田美東線下船原橋南側の段差解消の工事が行われました。北側の段差解消を要望しました。

 近隣の住民から、「南側からの車の音や振動は改善された。北側の段差解消の工事もお願いしたい。」との要望をお聞きしました。

 昨日、県宇部土木建築事務所の担当者に伝えたところ、「下船原橋の北側の段差解消について、対応を検討したい。」と前向きの回答をいただきました。

 可能な限り早く、下船原橋北側の段差解消工事の実施を要望したいと思います。

 次に、厚東駅からこもれびの里に行く道路と県道小野田美東線との交差点への信号機が設置されることについてです。

 信号機設置に向けて、先日から工事がスタートしました。

 信号機の設置が完了したら、本ブログでも報告したいと思います。

 宇部市北部は、私の故郷です。今後とも北部地域の皆さんのお声を関係機関に届けていきたいと思います。

 宇部市北部及び皆さんの周りの県行政への要望を藤本にお寄せ下さい。

「津久井やまゆり園」事件から5年、赤木先生と考える

 障害者施設「津久井やまゆり園」(神奈川県相模原市)で入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負った事件から26日で5年経過します。
 私は、大学で福祉を学び、ゼミでは、障害者福祉を専攻した者として、「障害者は不幸をつくることしかできない」と残虐な犯行を正当化した元施設職員の許しがたい主張を忘れることが出来ません。
 この5年、「津久井やまゆり園」に関連した本や記事は気を付けて読むようにしてきました。
 先日、山口県障がい児の教育を進める会総会・学習会に参加し、発達心理学が専門の赤木和重神戸大学准教授のお話をお聞きしました。
 会場で販売されていた赤木和重著「子育てのノロイをほぐしましょう」を連休中読みました。
 この本は「WEB日本評論」に赤木さんが連載された文章を一冊にしたものです。
 この中に、「津久井やまゆり園」の事件のことが取り上げられています。
 赤木さんは、この章で、雨宮処凛編「この国の不寛容の果てにー相模原事件と私たちの時代」を取り上げ、この中に出てくる北海道にある統合失調症の人たちが働き暮らす「べてるの家」の向谷地生良さんの文章を引用しています。
 向谷地さんは、相模原事件の被告について次のように語っています。
 「被告が話していることは、ほとんどがパーツのように、すでに誰かが言っていることのつなぎあわせだと思うんですね。障害者が無用な存在だとか、そういうロジックはすべて彼のオリジナルじゃなくて、すでに過去から現在まで流布している言説が彼の中にどんどん蓄積されている。」
 この言葉を引用した後で赤木さんは、被告についてこう書いています。
 「彼自身が、しゃべれていないのです。だからこそ、彼は、『しゃべれない障害者は殺す』と『しゃべれない』ことに異常なまでにこだわっていたように思います。『自分は寂しかった』と彼が一言つぶやけば、こんな凄惨でつらい事件は起こらなかったのかなぁ、と思います。」
 赤木さんは、被告の発想は「『できるのがよい』というノロイが純化したものといえます。『話すことができるのがよい』というのは、逆にいえば『話せないのはダメ』ということです。そして、その『ダメ』を究極まで突き詰めれば、『生きていてもしょうがない』という発想につながります。もちろん、加害者の発想は極めて特殊です。しかし、同時に、私たちの心のなかにある『できるのがよい』という常識ともいえる価値観と地続きであることも事実です。そういう意味で、私は、彼にゾッとしただけでなく、自分や自分の生きる社会にゾッとしたのかもしれません。『できるのがよい』とは違うモノサシをもって、子どもを見つめられるかどうかが問われています。しかし、この価値観は、空気のように当たり前に漂っていて、そのノロイをほぐすのは簡単ではありません。『できるーできない』以外のモノサシや『できるーできない』の間にある子どもの気持ちを丁寧に見つめるモノサシをもてるかが、厳しく突きつけられています。」
 相模原事件を通して、私たちの生きる社会が「できるのがよい」の価値観にどっぷり漬かっていることを伝えていると語る赤木さんの文章に納得しました。
 「生産性」で人間の価値を決める風潮は厚く私たちの生きる社会にまん延しています。
 そのノロイをほぐそうとする赤木さんの理論をこれからも学んでいこうと思います。

県議会報告「かえる通信No76」2021年8月1日

 県議会報告「かえる通信No76」(2021年8月1日)を発行しました。

 下の「かえるNo76」をクリックするとPDFのニュースを観ることができます。

かえるNo76

映画「ペトルーニャに祝福を」

 久しぶりに映画を観ました。西京シネクラブの7月例会で上映された北マケドニアを舞台にした、テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督の「ペトルーニャに祝福を」です。
 映画のパンフレットからストーリーを引用します。
 「大学で学んだ知識を生かす仕事に就くことができず、鬱々としながら実家で暮らしている32歳のペトルーニャ、知人のツテで仕事の面接の口を探してきた母親は、ペトルーニャに言う『きれいな恰好をしていって、本当の年齢ではなく、25歳というのよ』。友人からマシなワンピースを借りたペトルーニャが指定された場所に行くと、そこは多くの女性がミシンを踏む縫製工場だった。面接担当の男性責任者はスマホをいじりながらペトルーニャに年齢を聞くと『42歳に見える』と一言。そして『デスクワークの経験はないが、大学で学んだ知識がある』と語るペトルーニャに近づくと、そのスカートに手をかけ、からかった末に言う。『縫製はできず、就職経験もない。事務をしたことがない。見た目もそそらない。』最悪の面接の帰り道。パトルーニャは、キリストの洗礼を祝う『新現祭』の群衆に遭遇する。司祭が川に十字架を投げ込み、それを最初に見つけた男は、1年幸福に過ごせると信じられている祭りだ。多くの男たちが半裸の姿で川に向かう、その人波に飲まれ川沿いまで来たペトルーニャは、投げ込まれると同時に自分の前に流れてきた十字架を見て、思わず川に飛び込み、それを手に取った。」
 映画のパンフレットで作家の東直子さんは、「ペトルーニャの苦悩は、遠い異国のことではない」と語り日本の例を次のように述べています。
 「数年前、相撲の土俵の上で儀式中に倒れた男性を救命救助するために上がった女性に対して、主催者側によって降りるように指示が出されたことがあった。人命が関わっているというのに習慣を重んじたことに強い批判の声が上がった。女性が土俵に上がれないのは、土俵は神聖な場所で、女性が上がると汚れるから、という理由を聞いたことがある。難しい問題を孕んでいるとは思うが、その価値観を継承し続けているとしたら、女性差別の意識を継承し続けていることにもなるのではないだろうか。」
 映画のパンフレットで日本女子大学大学院生の是恒香琳さんは、日本の女性の現状をこう書いています。
 「今も日本では、女子学生が就職活動をすると、まず、化粧の指導がされる。パンツスーツではなく、スカートが好ましいと言われ、ヒールのあるパンプスを推奨される。いったい、面接官に何を評価してもらわねばならないというのだろか。友人は、ペトルーニャのように就職相談でセクハラを受けた。女性が働くことは、性的に扱われることが込みになっているのだ。それは空気のように、自然なことと見なされている。」
 内閣府が「コロナ下の女性への影響と課題に関する研究会報告書」を4月末にまとめました。
 報告書に、2020年、非正規労働者数は、男性が前年より26万人減ったのに対し、女性はその倍近い50万人減ったとあります。
 報告書に、2020年、自殺者数は前年と比べ、男性は23人減ったのに、女性は935人増えているとあります。
 コロナ禍が、日本で第二第三のペルトーニャを増やしている状況です。
 核兵器禁止条約の前文にこのような文章があります。
 「平等かつ完全で効率的な女性と男性双方の参加は、持続性ある平和と安全の促進・達成の重要な要素であり、各軍縮における女性の効果的な参加の支持と強化に取り組みことを再確認する」
 条約成立に向け、主導的な役割を担ったサーロー節子さんは自著「光に向かって這っていけ 核なき世界を求めて」で次のように書いています。
 「男性ばかりの顔ぶれの会議はそれ自体が問題視され、会議の結論の信頼性すら問われかねないのが現実だ。」
 映画のパンフレットでバルカン現代研究者の山崎信一さんは、映画のラストシーンについて次のように語っています。
 「本作は、こうしたさまざまな社会問題を鋭く扱いながら、まったく悲劇的ではない、むしろ最後に十字架を手放したペトルーニャの清々しい表情は、観る者にカタルシスを与える。」
 ペトルーニャは、「私には十字架はいらいが、あなた達には必要でしょう」と手放します。
 十字架は、社会の慣習の象徴として描かれているのでしょう。
 私は、この映画を東京オリンピックのただ中で診ました。
 「女性はわきまえろ」という趣旨の発言をして辞任した森氏を名誉会長にしようとする動きがあるとの報道があります。
 日本には、まだまだ女性を差別する慣習が残っています。
 それを変えるためには、サーロー節子さんが述べたように、国会や県議会を始め、各種会議に女性の参加を増やすことが重要だと感じます。
 ペトルーニャの清々しい表情に、私は、この映画から希望を感じ取ることが出来ました。
 やはり映画はいいですね。会場で、聴覚の障がいをかかえた映画監督である今村彩子さんの映画が、萩ツインシネマで秋にかけて上映されることを知りました。この夏から秋に萩ツインシネマで今村作品に触れたいと思いました。
 皆さんが観られた映画の感想をお聞かせ下さい。

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