スティーヴン・キング著「11/22/63」を読んでいます。
文庫版上の裏表紙にある文章を引用します。
「11/22/63-1963年11月22日。ケネディ暗殺の日。過去にさかのぼり、暗殺を阻止してほしい。それが死期の迫る友人の頼みだった。彼の店の億に隠された『穴』は、1958年に通じるタイムトンネルだったというのだ・・・」
奇想天外の想定に、グイグイと引き込まれる作品です。
この作品は、アメリカでは、ロサンジェルス・タイムスズ文学賞ミステリー/スリラー部門、国際スリラー作家協会賞長編小説部門、オーガスト・ダーレス賞(英国幻想文学賞ホラー長編部門)、ローカス賞SF長編部門の最終候補などの文学賞を受賞しました。
日本では、「このミステリーがすごい!2014年版」海外編第一位、「週刊文春ミステリーベスト10」の2013年海外部門第一位、翻訳ミステリー大賞などを受賞しています。
更に、本作は、テレビドラマ化され、製作総指揮は、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の監督で有名なJ・J・エイブラムが務めています。
いま、日本でも放映されているようです。
小説の中で「おれたちは、ヴェトナムで約6万人ものアメリカ軍兵士をうしなった。ヴェトナム人となれば、南北ひっくるめて数百万人もが死んだんだぞ。もしケネディがダラスで死ななかったら、戦争の犠牲者はここまで膨れあがらなかっただろうかね?」という下りがあります。
歴史にIFはありませんが、このことが、本書のテーマの一つになっています。
アメリカを代表するスティーヴン・キングさんの作品を読むのは初めてですが、秋の夜長、じっくり読み進めていこうと思います。
また、スティーヴン・キングの映像化作品も観てみたいと思います。
スティーヴン・キングファンの皆さん、お勧め作品をお教え下さい。
小学校6年生の娘は、先日、「宇部空襲」の話を杉山ユキ子さんから聞いたようです。
娘あてに杉山さんから手紙が届きました。
「この前は、私の宇部空襲の話しをきいてくれてありがとうございました。
日本は戦争で勝って領地を広げそこに日本人を行かせ働けるようにすることが目標でした。だから政府は男子20才になると皆一度は兵士にさせるのです。兵士になれない男子はだめな人といわれました。その時病気の人もいました。
国と国の問題を戦争で解決することは人の命をそまつにする国でだめな国です。藤本さんたちの力で二度と日本が戦争をしないようにしっかり勉強してください。」
杉山さんは、宇部市の空襲を記録する会編「宇部大空襲」に体験談を寄せておられます。
杉山ユキ子さんは、終戦当時、恩田に住み神原小学校に勤務されていました。
杉山さんは、7月1日の空襲で、自宅を焼失する被害を受けました。
杉山さんは、「先祖から受け継ぎ、営々と築いたこの財産をなぜ焼かれなければならないのでしょう。これが戦争というものでした。戦争で自分の家が焼けるなんて。戦争は軍隊のものではなかったのです。戦争は軍事工場だけが焼かれるものではなかったのです。そして戦争は遠い中国の地で戦われるものでもありませんでした。父や兄を軍隊で亡くし、そのうえ家まで焼かれ、焼死した人もまた数多くいるのです。私はこの時ほど戦争を憎たらしく、恐ろしいものだと思ったことはありませんでした。」と「宇部大空襲」に書いておられます。
「宇部大空襲」によると、宇部市は終戦の年、8回空襲を受け、2万5千人以上が罹災し、二百数十名の方が亡くなりました。
「国と国の問題を戦争で解決することは人の命をそまつにする国でだめな国です。」
この杉山さんのメッセージを戦後70年を越えた今日、しっかり子どもたちに引き継ぎたいと思います。
保護者である私たちが、子どもたちと一緒に平和について考えていく努力を続けていくことが大切だと感じました。
杉山さん、お手紙ありがとうございました。メッセージをしっかり引き継いでいきたいと思います。
皆さんの平和への想いをお教え下さい。
16日、山口県PTA研修大会柳井大会がサンビームやないで行われました。
午前中は、開会行事やアトラクションとして地元の伝統芸能を子どもたちが披露しました。
大畠小中学校の皆さんによる剣舞「立志の詩」
私は、総務委員長として活動報告を行いました。
午後からは、地元の柳井市出身の藤川和彦さんの講演会が行われました。
藤川さんは、旧大畠町出身。
小学校の時に、秋吉台で天体観測を体験し、宇宙に関心を抱くようになります。
夢はNASAに入ることとなりました。
夢を実現するために柳井高校から東京大学工学部へ入学。
大学2年生になり、サークル活動を始めようと、ボクシング部へ。その時、部員の皆さんがロードワークに出ており、入部出来ず、ジャズダンス部のドアを開けます。
すぐに入部が決まります。作品をみんなで創り上げ、感動を伝えることが出来るクリエイィブな活動に、強く心を打たれる藤川さんです。
大学を1年間留年しダンスに打ち込み、劇団四季への入団を勝ち取ります。
入団してから歌や脚本や演出の勉強もされた藤川さん。
紆余曲折がありましたが、ついにライオンキングのティモン役を勝ち取ります。
「ミュージカル南十字星」は脚本を一から作成する経験をしました。
ライオンキングの舞台の時、遺影を持って観劇されている方の前を演技中移動したことがありました。
その時、一人一人のお客さんが様々な人生を背負って、この一回の舞台を楽しみに来られていることを実感した藤川さん。
益々、全力投球で一回、一回の舞台で演じるきることにしたと藤川さんは話されます。
この経験を後輩の劇団員にも話すと藤川さん。
後半の講演は、発声の練習を行うワークショップでした。
日本語の発音は、母音をしっかり出すことが大切だと藤川さん。
更に、「明日は雨だけど」の「は雨」の部分は、母音がつながる「連母音」二つ目の母音を強調するなどすると聞き取りやすい発音が出来ることを指導した藤川さんでした。
その他、「学校」「行って」など子音がつながる「連子音」は、最初の子音をワンテンポ発音しないようにサイレントにすると発音がはっきりすることも話されました。
また、「学校」や「みよう」など発音するときに伸ばす「長音」をしっかり意識して伸ばして発音するとはっきり聞き取れるとも話されました。
私も話をする仕事なので、大変参考になりました。
大前提として、口を大きく開けて話すことが重要だとも話されました。
山口県出身の藤川さんが次々に夢をつかんでこられた人生は学ぶことが多くありました。
真剣に物事に取り組んでこられた藤川さんの真摯な姿勢が講演からダイレクトに伝わってきました。
今回の山口県PTA連合会の講演会も大変勉強になりました。
主管された柳井市小中学校PTA連合会の皆さんありがとうございました。
PTA活動は、保護者自身が大いに学べる場だと今回の行事に参加して再認識しました。
これからますます、口を大きく開けて話をしたいと思いました。
藤川和彦さんこれからもご活躍を祈念しています。ありがとうございました。
日本共産党の志位和夫委員長は、16日、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を最大争点とする新潟県知事選で、野党と市民の統一候補としてたたかった米山隆一氏が勝利した結果を受け、党本部で記者会見を行う、次のように述べました。
◇
1、米山隆一さん勝利という素晴らしい選択をされた新潟県民のみなさんに、心からの敬意と感謝を申し上げたいと思います。
1、米山隆一さんの勝利は、何よりもまず、「柏崎刈羽原発の再稼働を認めない」という県民の明瞭な審判を示すものです。私は、政府と東京電力に対して、この県民の審判を重く受け止めることを強く求めたいと思います。
1、米山隆一さんの勝利は、野党と市民が本気で力をあわせるならば、1プラス1が3にも4にもなり、政府・与党の激しい攻撃をはねかえし、勝利することができることを示しました。
この勝利は、新潟にとどまらず、日本全国での野党と市民の共闘の新たな発展を促し、日本の政治の前途に大きな希望をもたらす文字通りの歴史的勝利となります。
1、日本共産党は、他の野党、市民とともに、米山新知事を支え、米山新県政を発展させるために、全力をつくす決意です。
・・・
米山知事の誕生は、上関原発建設計画にも大きな影響を与えるものです。
山口県で、上関原発を建てさせない県政を実現させましょう。
私もそのために力を尽くす決意です。
米山新知事誕生に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
昨日、日本共産党宇部市議団市政報告会が行われ、私は、上関原発の問題について発言しました。
市議会の様子を報告する時田宇部市議
発言の要旨は以下の通りです。
・・・
議会報告会にご参加の皆さん今日は、前県議の藤本です。
今日は、県政の問題、上関原発をめぐる問題を報告します。
第一は、8月3日、村岡知事が、中国電力が申請していた上関原発のための埋立免許延長を、許可する判断を下した問題です。
資料1は、上関原発を巡る経緯を中国新聞がまとめた記事です。2008年10月、二井知事が、上関原発のための埋立を許可しました。その後、2011年3月に、福島原発事故が発生し、中国電力の工事が中断します。中国電力は、県に12年10月に埋立延長申請を行います。県は、山本知事・村岡知事二代に渡って、約3年半に7回の補足説明を中国電力に求めます。13年3月の5回目からは、「国のエネルギー政策で、重要電源開発地点に指定された上関原発の位置づけが何ら変わることなく存続し、今後も変わる見込みもないと挙証・説明されたい」との補足説明を求めます。
それから3年後、中国電力が示したものが資料2です。今年6月に中国電力が「上関原発は、平成17年(2005年)2月に重要電源開発地点指定を受けている。この指定は、引き続き有効であり、解除されることはないと考えてよいのか」との照会に、国が「上関原発に係る重要電源開発地点指定を解除することは考えていない」という回答しました。
この資料を根拠に村岡知事は許可したのです。
資料の3は、12年6月議会の二井知事の答弁です。二井知事は「仮に新たなエネルギー政策に、上関原発計画が位置づけられたとしても、私は、このたびの福島第一原発の事故にかんがみ、引き続き、土地利用計画は確定しないものと考えています。したがいまして、少なくとも、それまでは、公有水面埋立法上の要件である『正当な事由』がなく、延長の許可はできないところであります」と答えました。
上関原発が国の重要電源開発地点に指定されたのは、2005年。この事を根拠にするなら、なぜ、3年以上も可否判断の先延ばしのか。まさに、許可するための引き延ばしだったことは明らかです。
上関原発が重要電源開発地点だというのは、あくまでも事故前の古い規制基準によるものです。中国電力は、事故後の新しい規制基準で基づいて、新たな申請を国に行わなければなりません。公有水面埋立という点でも新しい規制基準に基づく原子炉設置許可申請に基づく新しい公有水面埋立の土地利用計画を、県に提出しなければならないことは明らかです。
現在県に提出されている埋立申請は効力のないものであり延長申請は許可できないとした二井知事の見解は、今でも正しいものだと私は考えます。中国電力が、古い規制基準に基づく「重要電源地点」であるという論拠を持ってきて、公有水面埋立免許延長を許可した村岡知事の判断は間違いであると私は考えます。
県が、「重要電源開発地点」を理由に許可を出すことは、中国電力が再延長申請した時には、県は必ず許可を出しますようという論拠を中電に与えてしまったという点でも大問題だと思います。
資料4は、村岡知事が許可を出した日に、中国電力に出した要請です。「発電所本体の着工時期の見通しがつくまでは、埋立工事を施工しないこと」というものです。本体工事の着工の見通しがつかないと村岡知事が判断する申請なら村岡知事は不許可にすべきだったと思います。
要請より許可が法的に重いことは明らかです。中国電力は、許可を受けた訳ですから、要請に従わないからと言って罰せられることはありません。
その上で、この申請は、県民運動の成果という側面があると思います。この要請文を生かして、安易な埋立工事をさせないよう中国電力を監視しましょう。そして、再来年の知事選挙では、鹿児島県や新潟県のように原発建設に慎重な知事候補を擁立し、選挙に勝利し、新しい知事に、埋立免許の延長を不許可にしてもらいましょう。
二つ目は、9月県議会可決された「原子力政策に関する意見書」についてです。資料5の通りですが、長々とした文章ですが、「原子力政策の推進」との一文があり、原発の再稼働と上関原発の推進を求める意見書であることは明白です。
この意見書に、自民党の各会派、公明党、新生クラブ、無所属クラブの議員が賛成しました。宇部市選挙区では、二木・岡村・篠崎・小泉の4議員が賛成しました。
私は、次期県議選挙で、必ず議席を回復させ、上関原発を建てさせない、原発に頼らない山口県を作っていくために力を尽くす決意です。
・・・
資料は、私の手元にあります。必要な方は請求して下さい。
今日が、新潟県知事選挙の投票日です。
米山知事が誕生すれば、地方から「脱原発」の流れが加速することは明らかです。
将来にわたって半世紀以上、環境や子どもたちの健康に不安を与える上関原発は、山口県に作るべきではありません。
「上関原発を建てさせない」と言う、皆さんの願いに応えて、こえからも力を尽くす決意です。
元萩市教育長の陽信孝さんの「八重子のハミング」を読んでいます。
陽先生には、12月6日に、西宇部小学校PTAの家庭教育学級の講師として「家族のあり方」と題する講演をいただく予定です。
更に、「八重子のハミング」が原作となり、山口県出身の映画監督・佐々部清さんによる映画「八重子のハミング」が完成し、10月29日より県内での上映が始まります。
「四度のガン手術から生還した夫がアルツハイマー病の妻を介護する」物語です。
文庫の解説で落合惠子さんが、本文から次の箇所を引用しています。
「一生懸命、自分なりに努力して着せてやっているのに、洗ってやっているのになぜ叩くんだ、なぜ引っ掻くんだ。今トイレに連れていったのにどうして漏らすんだと、怒鳴り、叩き、引きずり回したくなることもしばしばである。人間とは弱いものだとしみじみ思う。(略)妻の介護をしてきたことで私が強く心に感じるのは、『優しさ』と『怒り』の限界についてである。人間、怒りには限界があっても、優しさには限界がないということだ。優しさは、後から後から湧き出てくる泉のごときもので、人間が持つ肉体のすべてから醸し出されるものではないだろうか。・・・」
お母さんを介護した落合恵子さんは、この文章の引用した後、こう綴ります。
「この一節を、時々読み返す。そうなのだ。優しさ、愛情と言い換えることも可能なのだが、愛情は、より具体的な形でそれを使えば使うほど、より深く、より多く、からだのどこか深いところから湧き出てくるようなものだ、と母の介護を通して私も実感する。だから、愛情をケチってはいけない、とも。」
八重子さんは、2002年年末に永眠されました。
文庫版の最終章で、陽さんは、「妻は、自分が病気になったことで、私の命を救ってくれたのだと思う。かあさん、命をくれてありがとう。やさしさをありがとう。また逢いに行くよ。」と書いています。
アルツハイマーの問題を生々しく描いたドキュメンタリーとして秀逸な作品でした。
同時に、この作品は、「現在の千恵子抄」とも評される通り、妻への愛情にあふれた優しさに満ちた作品でした。
私たち夫婦も両方が50歳を越えました。この本を読みながら、妻への感謝の気持ちが湧き出てきました。
今月末の映画の上映と、12月、西宇部小学校での、陽先生のお話しを楽しみにしています。
「八重子のハミング」や介護に対する皆さんの想いをお教え下さい。