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猿の惑星

 山本おさむさんのコミック漫画「赤狩り」に魅了され、ダルトン・トランボに関する本やハリウッドの「赤狩り」に関する本などを読んでいます。

 コミック漫画「赤狩り」のオープニングは「猿の惑星」から始まります。

 「猿の惑星」(1968年)、「エデンの東」(1954年)、「ローマの休日」(1953年)

 「一見何の脈絡もないように見えるこの3本の映画には、実は目に見えない共通の水脈が隠されている。」

 「それは1940~50年代にアメリカに起った『赤狩り』である。」

 「この三作品には『赤狩り』にまつわる物語が水脈のように流れている。」

 漫画「赤狩り」は、このような内容で始まり、現在、「ローマの休日」の撮影秘話が連載されています。

 「ローマの休日」の脚本家は、アメリカ共産党員であったダルトン・トランボであったことは、私がこれまでに読んだ本全てに書いてあります。

 先日、「ローマの休日」をDVDで見ましたが、クレジットにダルトン・トランボの文字が記されています。

 しかし、現在の私の知識で、「赤狩り」と「猿の惑星」は結びつきません。「エデンの東」もです。

 しかしながら、漫画「赤狩り」を楽しむためにも、「猿の惑星」を見ておこうと思い、DVDで視聴しました。

 ケネディ宇宙センターから打ち上げられた飛行船は、4人の宇宙飛行士を乗せて宇宙旅行を続けています。

 人工冬眠装置で飛行士たちは寝ていましたが、船はある惑星に不時着。気が付けば一人は冬眠装置の故障で、ミイラ化していました。3人は、宇宙船から脱出。

 3人は移動を重ね、緑のある人間住むの村に辿り着く、しかし、そこは猿が支配している地域でした。

 飛行士の内、一人は殺され、一人は捕らえられます。

 飛行士のテイラーは気が付くと手術台へ。

 その後、テイラーは、逃亡を重ね、有名なラストシーンに至ります。

 海岸に胸から上の変わり果てた「自由の女神像」を目の当たりにしたテイラーは、慟哭します。

 私は、「ローマの休日」よりも「猿の惑星」に政治的メッセージを感じました。

 トランプ大統領が、新核戦略「核態勢見直し」を公表しました。

 核戦力を全面的に強化し、使用対象を敵対国からの米国や同盟国に対する通常兵器による攻撃にも広げるというものです。

 また、CO2の排出を制限しきれないなかで、地球温暖化による影響が深刻化しています。

 テイラーの慟哭は、人類の慟哭です。

 「赤狩り」と「猿の惑星」との水脈の謎は謎としつつ、私にとって、とても興味深い作品でした。

 「猿の惑星」には、オリジナル・シリーズ、今にネーション、リブート・シリーズと合計9作品がラインナップされています。

 残りの8作品を引き続き楽しみたいと思います。

 「猿の惑星」及びシリーズの感想をお聞かせください。

赤ひげ

 黒澤明DVDコレクション③は「赤ひげ」です。

 「用心棒」「七人の侍」もよかったですが、「赤ひげ」は、これまでの中で、私にとって心に残る作品でした

 「赤ひげ」は、小石川養生所に見習いとして赴任した保本登の成長を描いた物語です。

 極貧の患者に真正面から向き合う所長の新出去定(赤ひげ)。その姿を見て登は心を入れ替えていきます。

 前半部分で、赤ひげが医者の役割についてこのように述べるシーンがあります。

 「現在、われわれに出来ることは、貧困と無知に対するたたかいだ」「これまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか、人間を貧困と無知のままにして置いてはならなぬ、と云う法令が一度でも出たことがあるか」「貧困と無知さえなんとかできれば、病気の大半は起らずにすむんだ、いや、病気のかげには、何時も人間のおそろしい不幸がかくれている」

 この言葉は、現代にも当てはまると思います。

 一つ違うのは、今日、「人間を貧困と無知のままにして置いてはならぬ、と云う法令」が憲法に書かれてあるということです。

 憲法25条「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」

 憲法26条「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべての国民は、法律の定めるところにより、その保障する子女に普通教育を享けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」

 近年、政府は、社会保障や公教育の国の責任を放棄する方向に動いていると感じます。

 その結果、日本の貧困は拡大しています。

 具体例が、志位和夫委員長が指摘した貧困ラインの低下です。

 所得順に全国民を並べたときに、真ん中にくる人の額(中央値)の2分の1が「貧困ライン」です。

 1999年157万だったものが、2014年133万となっています。

 国民の所得が減っている。つまり貧困が進化していることは明瞭です。

 にも関わらず、安倍首相は、相対的貧困率の低下だけ見て、「貧困は悪化していない」とし、新年度予算で生活保護制度の生活扶助を5%切り下げようとしています。

 今日の政治状況に対して赤ひげは再び「政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか」と叱責するでしょう。

 憲法25条と26条を政治に生かすことが今もとめられており、その憲法を変えることをもってのほかだと「赤ひげ」を観て感じました。

 登は、長崎で医学の勉強をして、幕府の医師になることを目指していました。

 しかし、赤ひげの生き方を通して医師とは何かを考え続けた結果、映画のラストで、「養生所に残る」道を選びます。

 3時間という、今日では二巻分の映画ですが、観終わったあと、爽快感が全身を満たしてくれる作品でした。

 私は大学でセツルメント活動をしていました。「貧困問題」と格闘する大学生活でした。

 その経験が私のその後の生き方を決めました。

 私が歩んできた人生を振り返りながら、「赤ひげ」は、大いに励まされる作品でした。

 これからもこの道を生きていこうと新たな気持ちにさせてくれる作品でした。

 次回は、「椿三十郎」です。引き続き、黒澤作品から様々なことを学んでいきたいと思います。

 皆さんの好きな黒澤作品をお教え下さい。

ルース氷河

 すっかり星野道夫さんに魅せられて、星野さんの「旅をする木」を読んでいます。

 先週のNHKラジオ「すっぴん」の高橋源一郎さんの「源ちゃんの現代国語」のコーナーで「旅をする木」が取り上げられました。

 高橋さんが自ら朗読したのが「ルース氷河」の章です。

 原文を読んで改めてこの文章を意味を感じることが出来ました。

 「ルース氷河」は、学生時代の仲間と共に、小学生から高校生までの11人の子どもをつれてルース氷河にやって来た時の話しです。

 ルース氷河は、アラスカ山脈何面に延びる「ルース氷河源流」のことです。

 星野さんは、夜のルース氷河を次のように紹介しています。

 「最後まで残照を浴びていたマッキンレー山も、今は黒いシルエットとなり、ぐるりと取り巻く高山の連なりの中に沈んでいる。自然が作りあげた、雪と氷と壮大な円形劇場・・・月光が岩壁から垂れ下がる氷を青く浮かび上がらせて、プラネタリウムのような星空は、ここからそのまま飛び発ってゆけるような近さで迫っている。」

 「進学校に通うT」「ガキ大将のK」様々なタイプの小中学生がルース氷河で夜空を見上げます。

 この情景を見ながら、星野さんは、こう書いています。

 「ルース氷河は、岩、氷、雪、星だけの、無機質な高山の世界である。あらゆる情報の海の中で暮らす日本の子どもたちにとって、それは全く逆の世界。しかし何もないかわりに、そこにはシーンとした宇宙の気配があった。氷河の上ですごす夜の静けさ、風の冷たさ、星の輝き・・・情報が少ないということはある力を秘めている。それは人間の何かを想像する機会を与えてくれるからだ。」

 我が家でもふと見ると、子どもたちも妻もスマホの画面を見ている時間が子どもの成長とともに長くなってきたように思います。

 私の子どもの頃は、テレビを囲んではいたが、もう少し家族同士が話をしていたように思います。

 この文章が書かれたのは1993年の頃、今から25年前です。

 この頃よりも、日本の今は「情報の海の中」の激しさを増しています。

 だからこそ「情報が少ない」場所に身を置く時間を増やし、「何かを想像する機会」を増やす必要があるように感じます。

 その事は、未来を担う子どもたちもそうであるし、私たち大人も同じだと思います。

  星野さんは、この文章をこう結びます。

 「子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつしか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。」

 私は、荒滝山の麓で生まれ、秋吉台の近くで育ちました。

 今でも荒滝山の山影を見ると心が穏やかになります。

 また、大学生の頃、帰省する度に、秋吉台の草原の中から石灰岩がちらほら見える風景を眺めていました。

 今でも、秋吉台を通る度に、10代後半から20代の頃の自分の気持ちを思い起こします。

 誰にも心の風景があるのだと思います。

 「宇宙の気配」を感じる体験はいくつになっても必要だとこの文章を読んで星野さんに教えられました。

 ほぼ日手帳に、星野道夫さんの写真を表紙にしたものがあることを知りました。

 今日、手元に届き、今日からこの手帳とともに毎日を過ごします。

 写真は、「グリズリーの親子」です。

 アラスカの緑豊かな草原に、グリズリー(ハイイログマ)の親子が同じ方向を向いて立っています。

 口に草をくわえた子熊が、親熊の背中に、両前脚をちょこんとのせています。

 星野さんの写真から「宇宙の気配」を少しづつ感じていきたいと思います。

 皆さんの「心の風景」は何処ですか。お教え下さい。

 

 

 

「明治150年」を考える

今年は明治元年(1868年)から150年に当たります。
安倍首相は官邸主導で「明治150年」関連施策を推進しています。
14日毎日新聞「記者の目」での東京学芸部栗原記者の「『明治150年』を考える」は読みごたえがある記事でした。
栗原記者は頭で、「他の時代と同じく、明治には国民にとっていいこともあったし、良くないこともあった。しかも、後者はいまだに当事者たちを苦しめている。その反省と問題解決を後回しにしたまま、「150年」を祝うことに、私は反対する。」と明確に指摘しています。
問題解決を後回しにした例として栗原記者は、沖縄戦の被害者を挙げて次のように書いています。
「補償されない人たちが2012年、国に賠償を求めて那覇地裁に提訴した。しかし、16年に敗訴。福岡高裁那覇支部の控訴審でも昨年敗訴した。高い壁になったのが『国家無答責の法理』だ。国や公共団体の賠償責任を定めた法律(国家賠償法。47年施行)がなかったことから、国が戦争行為による被害の損害賠償責任を負わない、とする論理だ。明治憲法の論理が21世紀になってなお、何も罪もない戦争被害者を苦しめていることを、国のリーダーたちはどれほど知っているのか。」
安倍首相は1月22日の施政方針演説で山川健次郎の例を挙げました。戊辰戦争で会津反の白虎隊士として政府軍と戦った山川がその後、東京帝国大の総長になります。安倍首相は「明治市エフは、国の未来のため、彼の能力を生かし、活躍のチャンスを開きました」と述べました。
栗原記者は、このエピソードの暗部を次のように指摘します。
「安倍首相が紹介した元白虎隊士・山川のエピソードだけ聞くと、明治政府の柔軟かつ寛容な姿勢のみが前面に出てくる。しかしそこでは触れられなかったが、敗戦後の会津藩士とその家族約1万7000人余は、青森県下北半島に移転させられた。23万石、実情は40万石と言われた石高は3万石にまで削られた。事実上の流刑で寛容とは言い難い。これも明治の一面であり、忘れていい歴史ではない。」
11日のしんぶん赤旗日刊紙の主張で「明治150年」が取り上げられています。これを引用します。
安倍首相は、施政方針演説で「明治という新しい時代が育てたあまたの人材が、技術優位の欧米諸国が迫る『国難』とも呼びべき危機の中で、我が国が急速に近代化を遂げる原動力となりました。」と力説しました。
日本歴史学協会は、今年の「建国記念の日」に関し次のような声明を出しました。
「薩摩・長州出身者に代表される『維新』の当事者たちを実際以上に高く評価して『明治の精神』なるものを標榜し、日本の近代を特定の立場から一方的に明るい歴史として考えていこうとする政府の方針には強い違和感がある」
しんぶん赤旗「主張」は次のように書いています。
「『明治150年」の前半が侵略戦争と植民地支配という負の歴史をもっていたことはまぎれもない事実です。そうした歴史に目をふさぎ、戦前と戦後の違いを無視して『明治精神』『日本の強み』を一面的に強調するのは、時代錯誤の歴史観というほかありません。」
明治150年の暗部の歴史も振り返り、未来の糧にしなければなりません。
明治150年を振り返るなら、平和と民主主義を創造していくことこそが教訓とすべきことではないでしょう。
「明治150年」。皆さんはどうお考えですか。

元全日本仏教会会長 河野太通さんの発言

 12日付 しんぶん赤旗日刊紙の「許すな安倍9条改憲」特集のインタビューに臨済宗妙心寺派龍門寺住職・元全日本仏教会会長の河野太通さんが登場しました。

 河野さんは「安倍政権はいま、自衛隊をアメリカ軍とともに海外で武力行使ができるようにしようとしています。戦中、戦後の日本の歴史を知っている者として、古き体制に近づいていることに危惧しています。こうした動きは極めて危険であり反対です。再び自ら戦争をする国にしてはなりません。時代を逆戻りさせてはなりません。」と語っています。

 河野さんのインタビューの中で、注目したのは次の部分です。

 「仏教は、命を大切にすることから出発している宗教です。「命を大切に」「人を殺すな」と教えています。戦時中には、仏教の教えに反して、政府の政策に迎合し、自ら戦地に向かったということがありました。それだけではなく、檀家や信徒から寄付をつのり、戦闘機を軍部に献納した歴史があります。そうしたことは、誤りだったとして、各宗派が2001年前後に『戦争協力ざんげ表明』を行い戦争責任への反省と平和への決意を表明しました。再び過ちを繰り返してはいけません。」

 私は、浄土真宗本願寺派の門徒として山口教区の役員を務めています。

 龍谷大学の元学長で、先日亡くなられた信楽峻麿さんは、自らの著作の中で繰り返し、戦争に協力した東西本願寺教団の戦時共学を批判しています。

 信楽さんの著作「親鸞はどこにいるのか」の第二章「東西本願寺教団の戦時共学」に詳しく書かれてあります。

 私が関わっている西本願寺教団に関わる部分だけ引用したいと思います。

 本願寺派では明治19(1886)年1月に制定した「宗制」で次のように規定しました。

 「一宗の教旨は仏号を聞信して大悲を念報する之を真諦といい、人道を履行し王法を遵守する之を俗諦という。これすなわち他力の安心に住し報恩の経営をみなすものなれば、之を二諦相資の妙旨とす。」

 信楽さんはこの「宗制」を「明確なる天皇中心の国家体制への隷属を意味する真宗教義の改変です。」と書いています。

 1939(昭和14)年には、本願寺では、本願寺派教務部の梅原真隆氏が「興亜精神と仏教」を刊行し、「日本の戦争は、それが天皇陛下の御名によって進めらるるから正しい。すなわち聖なる戦いである。」と書きました。

 1945(昭和20)年には、西本願寺の大谷光照法主は、「皇国護持の消息」を発して「念仏の大行は千苦に耐へ万難に克つ。国難何んぞ破砕し得ざることあらむや。遺弟今こそ金剛の信力を発揮し念仏の声高らかに各々その聖戦に挺身し、あくまで驕敵撃滅に突破すべきなり。」と門信徒に檄をとばしました。

 信楽さんは、このような動きをこう書いています。

 「真宗の根本聖典である『無量寿経』には、「兵戈無用』と教説されて、軍備をもってはならない、戦争をしてはならないと、厳しく教えております。にもかかわらず、東西本願寺教団は、このアジア・太平洋戦争に全面的に賛成し、教団を挙げて率先協力したわけで、まさしく仏法を裏切るという、重大な罪科を犯したわけであります。」

 真宗に関わる私たちは、「仏法を裏切るという、重大な罪科を犯した」戦時教学の間違いを決して忘れてはならないと思います。

 仏教に関わる私たちは、河野太通さんが指摘した「再び過ちを繰り返してなりません。」の言葉を決してわすれてはならないと思います。

 そして、「人を殺すな」と教える仏教に関わる私たちが、日本を戦争する国にしようとする安倍9条改憲にNOの声を挙げていくときだと思います。

 仏教に関わる私たちは3000万署名の成功のために力を尽くす時だと思います。

 3000万署名に協力したいという皆さん、私にご一報ください。

高橋優全国ライブツアー

 昨日、山口市民会館大ホールで行われた高橋優全国ライブツアーに妻と一緒に参加しました。

高橋優コンサート

 コンサート終了後映し出されたメッセージ

 昨年の周南市でのコンサートに続き、2年連続の参加です。

 やっぱりライブはいいですね。高橋優の熱が直接伝わってきて、更に更にファンになってしまいました。

 高橋優の詩に力があります。

 最新曲の「ルポルタージュ」。

 「抗いながら 抗いながら 潰されそうな重圧に耐えながら 

  秋が過ぎて 冬が過ぎて ここで諦めてたまるかと

  踏みとどまり 踏み出し続けて 大切な人の笑顔に会える日まで

  君がいるこの世界は素晴らしい」

  「抗いながら」がいいですね。

  「羅針盤」もいいです。

  「神に選ばれた正真正銘の才能なんかなくてもいい

   君が選び抜いた今日が一番美しい

   人と違くても 逆にめちゃ同じでも それを指さされても

   誰も 君の憧れを 消せやしないのさ」

  「君が選び抜いた今日が一番美しい」がいいですね。

  昨日のコンサートの最後に歌われたのが「リーマンズロック」。

 「大した事ないさ 何もかも順風満帆だ これくらいがどうしたと大きく声を張れ

  大した事ないさ 何もかも順風満帆だ これくらいどうしたと大きく生きていけ

  さあ胸を張れ 生きてゆけ」

 「何もかも順風満帆だ」がいいですね。

 これからも高橋優さんの詩から元気をもらいながら生きていきたいと思います。

 高橋優さん昨日はありがとうございました。

 ともに胸を張って大きく生きていきましょう。応援していきます。