議員日誌

三好達治作詞 合唱曲「鷗」

 私が、西宇部小学校PTA会長だった頃から西宇部小学校PTA(OB含む)で結成されている「グリーンエコーズ」に参加してかれこれ5~6年になります。

 年末に毎年開催される「宇部市PTAコーラス交歓会」への出場に向けて、毎年、秋から練習を始めます。

 今年は、盆過ぎから練習に入りました。3曲練習しているんですが、「鷗」という合奏曲は私の心を掴みました。

 歌詞は、三好達治が終戦直後の1946年に書いたものです。2003年に木下牧子さんが曲をつけました。

 インターネットで調べると、亀岡弘志さんという方が書かれた文章を以下引用したいと思います。

 私が心を掴まれた三好達治の歌詞は「ついに自由は彼らのものだ」という歌詞です。

 亀岡さんは、三好達治のこの詩への思いを次のように書いています。

 「戦争中は誰もがそうであったように、彼も不本意にも戦争を賛美し戦意高揚の詩を書いていました。また、戦場に出陣する学徒へ餞の講演をしたりしていました。戦場に赴く高校生(旧制)を前にして、『なぜ、君たちのような若者が戦場に行かなければならないのか』と号泣して声がつまり、しばらくの間話せなかったこともあったそうです。戦争が終わり、彼は多くの戦死した若者の魂を、自由に乱舞するカモメの姿に重ねて詩を作りました。カモメは、学徒出陣前の学生たちの白い制服からのイメージだったのです。『彼ら』とは、実は戦争で命を落とした学生たちの魂を指しています。『ついに自由は彼らのものだ』とは、戦争が終わり戦死者の魂が自由に躍動しているさまを、カモメの姿に託して表現しました。そう考えると『ついに』の意味がよくわかります。戦争中の若者には自由なんてありませんでした。死んでしまってからついに掴んだ自由です。9回も繰り返されるこのフレーズには、深い鎮魂の意味が込められています。紺碧の海、そして、抜けるような青空の間を自由に群舞する白い鴎、そこに映える夕焼け、朝焼けの赤に学徒出陣で亡くなった学生の魂が漂っています。」

 作曲した木下牧子さんは、自らのブログにこの曲についてこう書いているそうです。

 「繰り返し表現されている『ついに自由は彼らのものだ』という言葉に、強い祈りを感じる。彼らは戦争で肉体を失ったけれどその魂は今、自由に飛び回っている・・・そんなイメージが湧いてくる。」

 戦争によって10代で早逝した学生たちへの思いが三好達治の詩から読み取れます。

 二度と戦争を起こしてならない三好達治らの思いが結晶となって具現化されたのが憲法9条だと思います。

 三好達治が生きていたら、9条をなくすなと言うでしょう。

 三好達治の思いを胸に、恒久平和を願い、心を込めて「鷗」を歌いたいと思います。

 合唱曲「鷗」について、皆さんの思いをお教え下さい。

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1件のコメント

  1. 偶然、山口さんの議員日記「三好達治作詞 合唱曲『鷗』」を拝読しました。そこで気になったのは、三好達治の評価です。山口さんは三好達治が「不本意にも戦争を賛美し戦意高揚の詩を書いていました」と、亀田弘志さんの文章を紹介しています。でも、私は三好達治が嬉々として戦争賛美の詩を書いたり、講演をしたりして、若者を戦場に送る国策に協力した人物だと思っています。そして、その反省は三好にはなかったと考えています。共産党議員として影響のある議員さんだけに気になりました。 福井県で国賠同盟の活動をしているものです。

    by 村井慶三 — 2021年5月24日 16:25 PM

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