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詩人・山田かんの次男・山田貴己さんが「報道特集」に登場

 8月9日の朝日新聞の天声人語を紹介します。「長崎を訪ねた。射るような日差しをあびて、『非戦』の碑が立つ社屋を訪ねた。受付で要件を告げると、6階の編集局の一室へと案内された。段ボール箱が三つ、机上に置かれている。噴き出した汗をぬぐってから、その一つを開けた▼米軍の原爆投下から80年となる今年、長崎新聞、中国新聞と本紙は、合同で被爆者アンケートを行った。3564人の声が集まった。長崎に行ったのは、その回答の一部を、実際に手にとって読みたいと思ったからだった(中略)自らも被爆2世である山田貴己(よしき)・編集局長は言う。『80年たっても、恐れを引きずっている。何と長く影響を与える兵器なのか』▼気付くと、長居をしていた。礼を言い、外に出る。『非戦』の字が、来たときよりも大きく見えた。海からの風が、静かに、吹いていた。」
 この記事に出てくる長崎新聞の山田貴己編集局長は、大学の同期で、サークルも一緒でした。
 8月9日のTBS「報道特集」は、長崎原爆を特集し、山田編集局長が、登場しました。「報道特集」では、詩人の山田かんを取り上げました。山田編集局長の父が山田かんです。
 長崎新聞に、2003年8月4日に掲載された山田貴己記者(当時)の「父山田かんの軌跡」という記事は、次のように書いています。
 永井隆博士は、書著「長崎の鐘」で「神の摂理によって爆弾がこの地点にもち来らされた」「世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屍(ほむ)られ燃やさるべき潔き羔(こひつじ)として選ばれた」と記していると山田記者が紹介。
 山田かんは、この永井隆博士の言説について、72年、雑誌に掲載された「聖者・招かざる代弁者」の中で、こう書いていると山田記者が紹介。
 「『原爆』の内質として反人類的な原理をおおい隠すべき加担にほかならなく、民衆の癒しがたい怨恨(えんこん)をそらし慰撫(いぶ)する、アメリカの政治的発想を補強し支えるデマゴギー(事実に反する扇動的な宣伝)」
 「差別され被爆したカトリック信者は永井の言葉に救われたかもしれない。だが『原爆は神の摂理』という永井の言説は、長崎原爆に神や祈りのイメージを付加し被爆者を沈黙させ、原爆による大量虐殺の本質、使ったアメリカの罪悪を覆い隠す役割を果たした」
 この辺りの山田かんさんの評論が、「報道特集」の中で取り上げられました。
 湯崎広島県知事は、平和式典で、「もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られ核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末があり得る安全保障に、どんな意味があるのでしょう。抑止力とは、武力の均衡のみをさすものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。抑止力の維持に年間14兆円超が投入される言われていますが、その十分の1でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。」と発言しました。
 被爆80年。核抑止が破られ、再び核戦争が起こる世界を回避していくために、被爆者の子ども世代の私たちが、次世代に、核兵器廃絶の必要性を語り継いでいかなければならないと痛感しました。  山田貴己さんのニックネームは、さかなやです。さかなや、ともに「非戦」の大切さを、伝えていきましょう。 

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