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美しい村 飯舘村 今も戻らず 原発事故は人災 帰りたくても帰れない

 8日付、しんぶん赤旗日韓7市は、福島県飯舘村に関する次のレポートが掲載されました。
 「東京電力福島第一原発事故により6年に及ぶ全村避難を余儀なくされた福島県飯舘村。「日本の美しい村』にも選ばれた阿武隈山地にある自然豊かな村です。事故から15年を迎える同村を訪れました。原発からおよそ40キロ離れている飯館村。震災直後は、原発のある沿岸地域の住民を受け入れる避難先となっていました。しかし、県内各地で空間放射線量が上昇。村でも毎時44・7マイクロシーベルトを測定し、水道水からは基準値を超える放射性ヨウ素が検出されました。当初は、多くの住民が原発から距離のある村には影響がないと考えていました。しかし、水素爆発後、北西の風にのって降り注いだ雨や雪が村の大地を放射性物質で汚染しました。国は2011年4月11日、原発から20キロ圏外でも年間積算放射線量が2ミリシーベルトを超える区域を新たに計画避難区域に設定すると発表。飯館の村民は1カ月を目途に避難しなければならなくなりました。『私たちは、生まれ育ってきたこの地で死ぬまで生きていたかっただけなのに』と話すのは小林美恵子さん(70)。17年に避難指示が解除されてから帰村し義母の介護にあたっています。『原発事故は人災です。村に帰りたくても帰れない人がいっぱいいます』震災前、原発に対する危機感は村内ではほとんど持たれていなかったという小林さん。事故から15年たついま、政府が原発再稼働や新増設を推進していることに『怒りよりも悲しい』と話します。『村は復興の途上です。高齢化が進み、生きるのも大変な人がいる現実に目を向けてほしい。そこに手を差しのべなければ復興ってなんなのだろうと思います』飯館の避難指示が一部を除いて解除された17年3月31日から約9年。被災後、村の環境は大きく変わりました。現在の村内居住者は1507人(26年2月1日現在)。震災直前の人口6509人(11年2月末時点)から4分の1に減少しました。人口に対する65歳以上の割合は倍以上の6割超になりました。村の基幹産業である水稲収穫量は、509トン(25年度)で震災前の14・1%です。237軒いた畜産農家も12軒になりました。村役場の農業担当者は、『原発事故によって、一気に50年分の高齢化や人口減が進んでしまった』と語り、長期化した避難生活が背景にあると説明します。一度は、絶望的な想いを抱きながらもこの地で懸命に営農を再開した畜産農家の山田豊さん(43)。22年4月に自宅を再建し、帰村しました。『村に戻ってから1年がたったころ、朝ご飯を食べているときによくやく目の前の景色が震災前と同じように見えた』と振り返ります。高校を卒業後、すぐに就農。父とともに和牛の繁殖を中心に葉たばこ、ブロッコリー生産などの複合的農業を行っていました。原発事故後は『もう人の食べる物を作ることができない土地になってしまったと思った』という山田さん。それでも諦められない思いがありました。避難中は、京都市の精肉店に就職。肉の目利きや切る技術、販売方法などを約5年間の修業で学びました。23年7月に村内に精肉店を開業し、村の畜産物の新たな可能性を発信しています。山田さんは、放射線量を自身で測定し、安全性を管理することで『安心して暮らせるようになった』と話しています。今後の課題は、どう収益化を図っていくかです。『普通の農家と同じことで悩めるようになったのがうれしい』と顔をほころばせます。日本共産党の佐藤八郎・飯館村村議はいいます。『飯館が美しい村に認められたのは村民同市の助け合いや思いやりの精神があったからです。共存共栄する姿の美しさでした。これを破壊したのが原発事故です。村内はいまだ約16%しか除染されていません。国や東電は、元通りに回復する責任があります』」
青木理さんの本にも飯舘村に関し「美しい村」と表現されています。
 それには理由があります。青木さんはこう書いています。
 「北は北海道から南は熊本までに点在する7つの町村が『日本で最も美しい村』連合プロジェクトをスタートさせたのは2005年である。非営利の民間組織として立ち上挙げられたその目的と意義は、同連合のホームページなどには次のように謳いあげられている<当時は、いわゆる平成の大合併の時期で、市町村合併が促進され、小さくても素晴らしい地域資源や美しい村を厳選し紹介する『フランスの最も美しい村』運動に範をとり、失ったら二度と取り戻せない日本の農山漁村の景観・文化を守りつつ、最も美しい村として自立を目指す運動をはじめました>」
 飯舘村は、この運動に2010年に参加します。
 赤旗の記事にある、小林さんの言葉にある「原発事故は人災です。村に帰りたくても帰れない人がいっぱいいます」
 美しい村 飯舘村に帰りたくても帰れなくした原発事故を私たちは忘れてはならないと思います。
 原発回帰の政府の姿勢に、小林さんは「怒りよりも悲しい」と語った思いを忘れてはならないと思います。
 同時に、飯舘村で畜産を再開させた山田さんらの努力に敬意を表したいと思います。
 更に、飯舘村の除染が16%しかできていない、国や東電の責任を国民の一人として今後とも追及していく必要性を感じました。
 山口県の美しい村にふさわしい「鳩子の海」をこれからも守り続けていくために、原発事故から15年の節目に、飯舘村から学び、原子力施設のない山口県を守り続けていく決意を新たにしたいと思います。
 原発事故の被災地から更に学んでいきたいと思います。
 皆さんのご意見をお聞かせください。

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