6月9日に、憲法学者の木村草太さんを迎えて宇部市で学習会を行います。
チケットを好評発売中ですので、必要な方はご連絡下さい。
当日会場で販売する書籍が我が家に届きはじめました。
最初に届いた本が沖縄タイムス社から2016年に出版された「木村草太の憲法の新手」です。
昨日までに読了しました。
先日もブログで取り上げましたが、辺野古新基地建設問題に関する高裁・最高裁判決を憲法に照らしてどう見るかという指摘は、山口県に計画されているイージス・アショア問題や米軍岩国基地問題を考える上で大変参考になりました。
今日は、2016年7月26日におきた「相模原殺傷事件」についての木村さんの文章を引用します。
木村さんは、「事件の背景には、優生学的な思想がある。この悲劇を二度と繰り返さないために、こうした思想にどう向き合っていくかが問われなければならない。」と指摘した上で、次のように書いています。
「優生学を克服するためには、『そんな発想は不合理だ』と非難するのではなく、その合理性をさらに突き詰めた時の結論と向き合うしかない。障がい者を排除すれば、障がい者の支援に充てていた資源を、他の国家的な目標を実現するために使えるだろう。しかし、それを一度許せば、次は、『生産性が低い者』や『自立の気概が弱い者』が排除の対象になる。また、どんな人でも、社会全体と緊張関係のある価値や事情を持っているものだ。たばこを吸う人、政府を批判する人なども、社会の足手まといとみなされるだろう。国家の足手まといだからと、誰か一人でも切り捨てを認めたならば、その切り捨ては際限なく拡大し、あらゆる人の生が危機にさらされてしまう。だからこそ、『個人の尊重』という価値を、他のあらゆる国家的価値に優先させる必要がある。ドイツではナチスへの反省から、憲法(ボン基本法)の冒頭に、『人間の尊厳』が規定されるに至った。日本国憲法も、人権条項の中核として、第13条に『個人の尊厳』がうたわれている。今回の事件は、私たちの社会が、『個人の尊重』という価値を根付かせることに失敗しているかもしれないことを示唆している。頭では『個人の尊重』が大切だと思っていても、余裕のない実践の場では、ついつい効率性にとらわれて、足手まといになる人を邪険に扱ってしまうこともあるだろう。しかしだからといって、『個人の尊重』という理念を失ってはならない。現実に合わせて理念を捨てるのではなく、理念を現実にしていかなければならない。個人の尊重のために、あらゆる努力を尽くさなければならない。」
日本共産党第6回中央委員会総会で、志位委員長は、こう述べました。
「安倍政権は、口先では『女性の活躍』と言いながら、差別の実態には目をふさぎ、ジェンダー平等に背を向け続けています。政権内部から、公然と女性を差別し、セクハラ加害者を擁護する発言が繰り返されています。『生産性がない』などLGBTの人たちへの公然たる差別発言を行った議員を擁護し、発言を容認しています。ヘイトスピーチを野放しにする政治姿勢も露骨です。これらの根底には、侵略戦争と植民地支配の美化、男尊女卑、個人の尊厳の否定、個人の国家への従属という時代逆行の思想があることを厳しく指摘しなければなりません。差別や分断をなくし、誰もが尊厳をもって自分らしく生きられる社会をつくるうえでも、安倍政権を退場させることは急務となっていることを強調したいのであります。」
「生産性」で一部の国民が排除されない社会、憲法が保障する「個人の尊厳」が守られる社会を作るために、政治が今、変わらなければなりません。
皆さん、改めて、「相模原殺傷事件」を皆さんはどうお考えですか。
ご意見をお聞かせ下さい。
この土曜日に、時田宇部市議の担当地域での統一地方選のご苦労さん会が開かれました。
会場一杯の参加者で行われたご苦労さん会
私が行った挨拶の要旨は以下の通りです。
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市議選おつかれさん会にお集まりの皆さん県議会議員の藤本かずのりです。この4年間の頑張りで、県議の議席奪還と4名の市議の全員当選を実現することが出来ました。私は、後半戦の選対本部の責任者として心から皆さんに感謝したいと思います。
日本共産党第6回中央委員会総会では、統一地方選の前進面と後退面をリアルにとらえることが必要と指摘してあります。宇部市議選では、全員当選できたことは本当に喜ぶべきですが、投票数を大幅に減らしたという面をリアルに見る必要があると思います。
あと二か月後に迫った参議院選挙は、現有議席維持は容易ならざる情勢ですが、「ウソと忖度の安倍政治」を許さない市民との共闘を広げて、仁比参議院議員を必ず国会に戻していきましょう。
私は、当選祝いにある方から、カナダのジャーナリスト・ナオミ・クラインさんの「これがすべてを変える 資本主義VS気候変動」という本をプレゼントされました。宇部港に石炭を世界から集めるための港に巨額が投じられる、石炭火力発電所が建設されようとしている情勢を打ち破る理論が書かれています。彼女の本に「NOでは足りない トランプ・ショックに対処する方法」という本があります。この本の中に「断固とした『ノー』には、大胆で前向きな『イエス』を伴わなければならない」とあります。その意味で、私は、日本共産党6回中央委員会総会で提起された緊急政策「暮らしに希望-3つの提案」は大歓迎です。
先日、スーパーで、小学校時代PTAを一緒にしていたお父さんにお会いしました。二年前、高校同窓会の後にカラオケボックスに行った時に、そのお父さんが働いておられ、お話した記憶がお互いありました。先日お会いした時にその方は、「あの時は、ダブルワークでしたが、今はトリプルワークです」とくたくたでした。「8時間働けばふつうに暮らせる社会を」「「暮らしを支える社会保障を」「お金の心配なく学び、子育てができる社会を」は全ての国民の願いです。
この参議院選挙で、安倍政治を許さないとの断固とした「ノー」と大胆で前向きな「イエス」=「暮らしに希望」を訴えて、必ず勝利しようではありませんか。
・・・
格差と貧困が拡大している今の政治に満足している有権者の方は少ないと思います。
多くの有権者の皆さんに希望ある「イエス」を伝えることが重要だと思います。
参議院選挙に向けて「政治は変えられる」ことを多くの有権者の皆さんに伝えていきたいと思います。
引き続き、皆さんの要望を藤本にお寄せ下さい。
昨日、中国新聞は、地上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」配備について次のように報じました。
「防衛省は地上配備型迎撃システム『イージス・アショア』配備の候補地である秋田、山口両県に対し、地質などに問題はなく、配備に適しているとの調査結果を伝達する方針を固めた。同省幹部が今月中にも両県を訪問し、結果を説明する。地元の理解を得た上で、最終決定する方針だ。複数の関係者が17日、明らかにした。」
中国新聞は、陸上イージスに反対する声を次のように報じました。
「『最初から適地という結論は想像ついた。結論ありきの意味のない調査だ』。配備計画に反対する市民でつくる『住民の会』の森上雅昭代表は憤る。国は配備に伴う周囲の水源への影響もないとするが『影響は長期間調べないと分からない。今回の調査だけで不安は解消されない』と批判した。同じく配備反対の阿武町の『町民の会』の吉岡勝会長も『配備ありきで驚きはない』と指摘する。すでに入会者は町内の有権者の過半数に達しており『反対の民意は高まっている』と訴える。花田町長は『国が適地と判断しても私は不適と訴える。配備には住民理解が大前提のはずだ』と強調します。」
防衛省の幹部は、「適地」の概念に、「住民理解」が含まれると発言しています。
水質・地質などの調査だけで「適地」としてミサイル基地の配備を強行することは許されません。
沖縄タイムズに連載された木村草太さんのコラムをまとめた「木村草太の憲法の新手」を読んでいます。
木村さんは、この本の中で、繰り返し、住民の反対の中で、日米地位協定を錦の御旗に辺野古新基地建設が進められる問題点を憲法学者の視点で指摘しています。
その中の一つを紹介します。
「憲法第8章が地方自治を保障しているにもかかわらず、地位協定を根拠に地方の自治権を制限することは、憲法違反ではないのか。日米地位協定は条約の一つであり、外国との約束にすぎない。国内法上の効果を発生させるためには、条約とは別に、憲法92条の『地方公共団体の運営』に関する事項として、法律を定める必要があろう。また、特定の自治体に不公平な自治権制約の負担が生じないように、どの場所でどのように制限されているのかを詳細に規定するため、『辺野古基地設置法』のような個別の法律を制定すべきだ。そして、これまで議論してきたように、特定自治体の自治権を制限する法律は、憲法95条に基づく住民投票がなければ成立しない。占領時から存在する米軍基地については、独立・復帰の経過措置として、法律が整備されなかったことを正当化する余地もあろう。しかし、今回のような新基地建設については、十分な法的根拠が要求される。国と沖縄の協議の中では、今回の基地建設に十分な法的根拠があるのか、という点も一から見直す必要があるだろう。」
秋田・山口へのミサイル基地配備にあたって防衛省は、「住民へ丁寧に説明する。十分な理解を得る努力をする。」と繰り返しました。
しかし、最後は、「防衛は国の専管事項だから」を錦の御旗として、ミサイル配備を強行しようとしています。
山口でも秋田でも住民の反対があるのに、どのような法的根拠を持って強行できるのか、防衛省は、住民に説明すべきです。
「憲法第8章が地方自治を保障しているにもかかわらず、地方の自治権を制限することは、憲法違反ではないのか。」
木村さんの辺野古での指摘をミサイル基地にあてはめて、防衛省は十分な法的根拠を示すべきです。
住民の理解が不十分な中でのミサイル基地建設は行うべきではありません。
山口・秋田にミサイル基地の建設計画が進められています。
防衛省は、近く山口と秋田を適地だとする結果を地元に伝えるとの報道が行われました。
皆さんはこの問題をどうお考えですか。
中島晃さんの「仏教と歴史に関する19の断想」の中に、「『樺戸集治監』のことなど-吉村昭『赤い人』を読んで」という小論があります。
この小論は、明治政府が北海道開拓事業推進のために囚人たちが送り込まれ強制労働が行われた問題が取り上げられています。
北海道開拓推進のために囚人が最初に収監されたのが、樺戸集治監。中島さんは、「722名の囚人の内、10名の死亡者が出ていた」と書いています。
次に、採炭事業を行う目的で、空知集治監が建設され、「赤い人」で吉村昭さんは、「炭山への出役によって241人が病死または衰弱死し、7名の物が射殺、斬殺された。」と書いています。
三番目の集治監は釧路集治監です。囚人は、硫黄山で硫黄を取ることを強制されます。
中島さんは、「六カ月間に300余名の外役囚のうち145名が罹病し、42名が死亡した。」と書いています。
釧路集治監の分監として網走分監が設置されます。網走分監は道路を作ることが主な任務です。
中島さんは「栄養失調症による死者が156名、消火器疾患による死者2名、脱走により殺害された者3名、重労働に耐えかねて縊死した者1名とされている。」と書いています。
その上で中島さんは、「はじめて北海道開拓使の暗部について教えられ、衝撃を受けた。それは、集治監の問題につきるわけではない。その前史として、アイヌの人々に対する和人の収奪があり、集治監の囚人の苦役に続いて、大規模の農場での小作人たちの苦難や、太平洋戦争の際の、中国・朝鮮から強制的に連行されてきた人々の炭鉱などでの苛酷な労役等々が、幾層にも積み重なっていることを見る必要がある。」と書いています。
「アイヌの人々に対する和人の収奪」に関して、千葉大学文学部教授の中川裕さんは、「アイヌ文化で読み解く『ゴールデンカムイ』」の中で、「15世紀から18世紀末にかけての幾多の戦いの果てに、和人側がアイヌ側を完全に武力制圧し、経済的な支配下に置いたことで、明治時代にアイヌが日本という国に組み込まれる基盤がつくり上げられたのです。」と書いています。
「大規模の農場での小作人たちの苦難」に関しては、小林多喜二の「不在地主」の中で赤裸々に描かれています。
中国・朝鮮から強制的に連行された人々の炭鉱などでの苛酷な労役」に関しては、森村誠一さんの「笹の墓標」の中で赤裸々に描かれています。
この本に殿平善彦さんの「『笹の墓標』によせて」という小論が掲載されています。
殿平さんは、「日本各地に今も過去の戦争で強制連行された朝鮮人・中国人犠牲者の遺骨が残されている。北海道だけでも、札幌市にある本願寺別院に101体の遺骨、美唄市に6体、室蘭市の寺院に3体、赤平市の寺院に1体、根室市の寺院に1体、猿払村、朱鞠内にも・・・」と書いています。
北海道開拓の「幾層にも積み重なった」暗部を知らなけれならないと痛感しました。
そして、私が住む宇部市にも長生炭鉱水没事故や米騒動や宇部空襲など様々な歴史の暗部があります。
自分が住む地域の歴史を知ることの大切さもこの文章を読んで実感しました。
皆さんの住む地域ではどのような歴史がありますか。
この間、宇部市内の道路に関わる要望をいくつかお聞きし、関係機関に届けました。
一つ目は、県管理国道490号線の善和交差点付近での要望です。
国道490号線の拡幅工事が、善和交差点から南側で進められています。
善和交差点の南側の上り車線で、住民の方から「以前書かれた矢印の白線が表出してきて紛らわしい。白線を消してほしい」との要望が寄せられました。
上り車線の中央分離帯側に下りを指す矢印が
私は、県土木建築部に先日、要望を伝えました。担当者は、「現地を調査し、必要な対応を行いたい。」と答えました。
二つ目は、市道松橋線に関する西宇部北地域での要望です。
西宇部北に住んでおられる聴覚障害をお持ちの方から、市道松橋線の側溝に蓋をしてほしいという要望が私のところに寄せられました。
市道松橋線側溝に溝蓋をとの要望が出される
本日、浅田宇部市議とともに、宇部市役所道路整備課に要望を伝えました。市の担当者は、「自治会からの要望として受け付け、適切に対応したい」と答えました。
引き続き、皆さんの身近な要望をお聞かせ下さい。
テレビ朝日開局60周年記念ドラマスペシャル「白い巨塔」が22日から5夜連続で始まります。
主人公の財前五郎役は、岡田准一さん、メガホンを取ったのは鶴橋康夫監督です。
鶴橋監督が、19日付のしんぶん赤旗日曜版でインタビューに答えています。
鶴橋さんは、この作品のテーマを次のように語ります。
「レームダック(死に体)になった退官寸前の医学部教授と、その後釜を狙う准教授の跡目争いです。仁義なきたたかいで現ナマが飛び交い、カルテの改ざんをする医局員まで出てくる。山崎さんの洞察力は今に置き換えても違和感がない」
この作品は大学病院を描いたものですが、今の政治状況も同質ではないでしょうか。権力を守るために「ウソと忖度」を行う政治状況は、今と共通しています。この辺りが本作品の見どころのようです。
原作である、山崎豊子さんの「白い巨塔」を再読しています。
権力に溺れた財前と患者を救うことだけが生きがいの里見。二人の対比がこの作品の陰影を深くしています。
鶴橋さんは、この点を次のように語っています。
「彼らは何を考えながら生きていたのか。里見はオンリーワンをめざし、財前はベストワンをめざした。その財前が最後にすがったのが里見との友情。人間は一人で生きられない。無私になれ、ということでしょうか。」
山崎豊子さんの「白い巨塔」の一巻で、里見に対して財前がこう諭す場面があります。
「大学の医学部内ではたとえ、教授の診断が間違っていても、それに批判を加えたり、訂正することは禁句にされているじゃないか、たまたま、教授より助教授の方が優れていることが、公に知らされることすら、ここではいけないのだ。」
財前に対して里見が諭す場面もあります。
「君は、せっかく優れた実力をもちながら、学問以外の事に興味を持ち過ぎるよ」
学問以外の事に興味を持ち過ぎた財前は、学問一筋の里見にすがります。
「人間は一人では生きられない。無私になれ」。この事を22日からのドラマで学びたいと思います。
原作を読み返しながら、22日からのドラマを楽しみにしています。
山崎豊子さんの原作は、社会の本質を鋭く描く力が今もあります。
これからも山崎豊子作品から学んでいきたいと思います。
「白い巨塔」は、繰り返し映像化されてきました。皆さんは、いつの「白い巨塔」が印象に残っていますか。
皆さんの「白い巨塔」の思い出についてお話下さい。