2015年にJパワー45%、大阪ガス45%、宇部興産10%の出資比率で、山口宇部パワー株式会社が設立されました。
山口宇部パワーは、600MW2基の石炭火力発電所を設置し、1号機を2023年、2号機を2025年に運転開始する計画で、行政手続きを進めています。
山口宇部パワーは、2015年3月に、計画段階環境配慮書を、同年11月に環境影響評価方法書を提出しています。
山口宇部パワーの環境影響評価方法書に対して、村岡県知事は、2016年4月、「知事意見」を出しました。
知事意見は冒頭でこう指摘しています。
「本事業は、周辺地域(宇部市、山陽小野田市)に8カ所の既設火力発電所が立地する中で、総出力120万KW(60万KW×2基)の石炭火力発電所を新設するものであり、施設の供用に伴い大量の二酸化炭素、温排水等が新たに排出され、また、工事の実施が長期間に及ぶことから、周辺環境への影響が懸念される。」
今後、山口宇部パワーは、環境影響評価準備書を提出することになります。
これに対して、再度、知事意見が行われる見通しです。
12月30日のしんぶん赤旗日刊紙は、千葉県での石炭火力発電所計画について次のように報じました。
「中国電力とJFEスチールは27日、千葉市で計画していた石炭火力発電所の計画を中止すると発表しました。『建設費の増加などにより、十分な事業性が見込めないと判断した』と説明しています。今後は、天然ガス火力発電所への変更で事業性を確保できるか検討するとしています。」
日本共産党の野本千葉市議団長は、次のように語っています。
「建設中止は、広範な市民運動と、議会で一貫して中止を求めてきた党県議団と党市議団および市議会一部会派の論戦が実を結んだものです。地球温暖化に逆行する石炭火力に反対する世論とともに、大気汚染を心配する地元の声も多くあり、市議団として中止を求め街頭宣伝やビラ配布にも取り組んできました。」
宇部市に石炭火力発電所は必要でしょうか。
「地球温暖化防止に逆行する石炭火力は本当に必要か?」の世論を強めて行きましょう。
宇部市に計画されている石炭火力発電所に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
昨日、夕方、家族で映画に行きました。
妻は洋画を、私と長女は、前田哲監督の映画「こんな夜更けにバナナかよ」を観ました。
筋ジストロフィーを患い、自立生活を送る鹿野靖明さんを演じるのは、大泉洋さん。
大泉さんは、映画のパンフレットで、映画のタイトルにもなている、筋ジストロフィーの患者さんが真夜中にバナナをたべることについてこう語っています。
「鹿野さんは、『普通に生きたかっただけ』なんですね。彼が目指したのは、障害があっても普通の人と同じようなことができる世の中。だって『真夜中にバナナを食べる』ってことも、健常者にとってはわがままではない。食べたくなった時に食べればいいわけですから。そこで『動けないんっだから我慢しなさい』と言うのは健常者の理論なんです。一見わがままに聞こえるけど、わがまま言うしかない。そうしないと世の中は変わっていかないというのが、鹿野さんの考えだったんです。」
大泉さんは、この映画に参加して感じたことについて次のように語っています。
「この映画に参加して思ったのは、障害のある方たちが一つひとつ訴えてきたことで、健常者にとっても『住みよい社会』が実現しているということです。」
監督の前田哲さんは、映画のパンフレットでこう語っています。
「一人でも多くの人この映画を観てほしい。マイノリティの人たちと自分たちについて考えてほしい。映画を観た後、ふっと何かを考えたり口にする、そんな人が一人でも増えてほしい。『職場や家庭で1本の映画が話題になる、それだけで社会を変える出発点になる』と言ったのはビワー・ワイルダーですが、この言葉を僕は信じ続けたいと思っています。」
監督は、この映画で「子どもから年配の方までに届くエンタテイメント」を目指したと書いていますが、大いにそのことにこの映画は成功したと感じました。
この映画の介助指導をした淺野目祥子さんが、映画のパンフレットで「現在は、鹿野さんくらいの障害のある方が一人暮らしをしたいと思った時、もっと社会的な支援を活用することができます。」「鹿野さんのような方がいたおかげで、今の状況があることを知ってもらえると嬉しいです。」と語っています。
本当にそのような社会であってほしいと思います。
今日、社会的な支援制度は確立しましたが、軽度者を外したり、制度の保険料や利用料が高すぎるという問題がどんどんと大きくなってきています。
誰もが、どこでも、安心して介護や介助が受けられる社会を実現していくことが、鹿野さんの遺志だと感じました。
私は、後3か月後の県議選をたたかう候補者の一人として、この映画を糧にしたいと感じました。
映画「こんな夜更けにバナナかよ」一人でも多くの方に劇場で見てほしいと思います。
原作本や映画の感想をお聞かせ下さい。
明けましておめでとうございます。
今年のよろしくお願いいたします。
今年も恒例の荒滝山登山に妻と一緒に参加し、初日の出を拝むことができました。
今年は、とても温かい元旦の朝でした。しかし、全体に曇っています。
初日の出は拝めないかと思っていましたら、例年にない素晴らしい初日でした。
例年にない素晴らしい2019年の初日の出
下山してからは、荒滝自治会恒例の猪汁と猪肉の焼肉などの振る舞いに参加しました。
荒滝自治会提供の恒例の猪の肉入り汁
猪肉が毎年美味しくなっているように思います。加工の方法が進歩しているのでしょう。
「今年は勝負の年ですね。」と多くの方から声をかけていただきました。
皆さんの期待に沿えるよう力を尽くしたいと思います。
今年1年、本ブログも私同様にご愛顧の程、よろしくお願いいたします。
非暴力の人物伝③環境破壊とたたかった人びと「田中正造・ワンガリ・マータイ」を読み終えました。
今年最後のブログでは、「ワンガリ・マータイ」を取り上げたいと思います。
ワンガリは、ケニアの中央高原地帯の小さな村に生まれます。
ワンガリが生まれた村には、直径20メートルほどのイチジクの大木がありました。
その様子が次のように書かれてあります。
「イチジクの大木から水をくみ、森の恵みでくらしていました。その源水は、ケニア山から流れ出した地下水と、イチジクの根のまわりの土壌にたくわえられた水が合流してわき出たもので、大地にゆたかな養分をもたらしていたのです。」
ワンガリは、紆余曲折を経て、アメリカ中西部の「マウント・セント・スコラティカ大学」で生物学などを学びました。
その後、ワンガリは、ナイロビ大学で教鞭を取ります。
ワンガリは、農村部の環境が大きく様変わりしていることに気づきます。
ワンガリが故郷を再び訪ねた時の様子について次のように書かれてあります。
「自然のままだった豊かな森が、木材産業向けの外来種の植林地に変わっていたのです。表面の土が流れ込んだ川は濁っていました。ワンガリが子どものころには、木々や草でおおわれていた大地に、いまでは茶やコーヒーの木ばかりが植えられています。独立後のケニアはお金を中心とした経済に変わりました。それまで農家は、自分たちが食べるための作物を主に栽培していましたが、お金を稼ぐために、輸出用の茶やコーヒーなどの換金作物ばかり植えるようになっていたのです。」
ワンガリは、人種差別や女性差別と闘いながら、何度も投獄されながらも、諦めず、粘り強く、山に木を植える「グリーンベルト運動」を進めます。
その事が評価されて2004年、彼女は、アフリカ人女性初のノーベル平和賞を受賞します。
人物伝の最後に、彼女の次の言葉が記されています。
「わたしたちは木の苗と同じ。太陽と、よい土と豊かな雨があれば、わたしたちの未来の根っこは地中深くに根づき、希望の大樹は空高く伸びるでしょう。」
私も農村部で生まれ育ちました。
父の子どもの頃の話を聞いて、私の子どもの頃の自然との違いを感じました。
また、私の子どもの頃の自然と今の自然の違いも感じます。
私の実家の周りでは、圃場整備が完了して風景が変わりました。
その圃場整備された田のいくつか耕作放棄地となっています。
人々が自然と共存できる社会の維持・拡充のためには、大きなコストがかかるでしょう。
しかし、ケニアの例は、対岸の火事ではなく、日本で今起こっている問題だと痛感します。
「日本の未来の根っこを地中深く根づかせる」ために、今できることしなければならない事があると感じました。
私たちは、未来のために、もう一度、身近な山々に関心を示し、行動を起こしていくときだと感じました。
「ワンガリ・マータイ」さんからも引き続き、多くの事を学びたいと思いました。
「非暴力の人物伝」の第1巻から3巻まで読んできましたが、素晴らしい企画だと感服します。
次回の第4巻は、「人種差別にたちむかった人びと」がテーマで、取り上げられる人物は、キング牧師とネルソン・マンデラさんです。
次回もとても楽しみです。
第4巻の刊行は、来春になると思います。感想は本ブログに掲載したいと思います。
さて、2018年も今日で終わりです。
今年1年、本ブログをご愛顧していただきまことにありがとうございました。
今年は、まさに、ほぼ毎日、ブログを続けてこれました。
これも、皆さんのお陰だと感謝しています。
2019年は、勝負の年です。
再び山口県議会で皆さんの声を届けることが出来るよう、力を尽くしたいと思います。
来年も本ブログへのご支援をお願い申し上げます。
非暴力の人物伝③が手元に届き、環境破壊とたたかった人々「田中正造」「ワンガリ・マータイ」を読んでいます。
今日は、田中正造の感想を書きたいと思います。
田中正造さんの名前は知っていました。足尾銅山鉱毒事件の闘士であったことなども知っていました。
しかし、地元の農民の方々がこれほど、時の権力者から苦しめられていたとは、知りませんでした。
「富国強兵」「殖産興業」の政策の中、銅山の操業は続けられ、農地は荒はて、村人ばかりが犠牲を受けます。
特に、谷中村の人々の苦しみは筆舌に尽くしがたいものです。
政府は、足尾銅山の鉱毒調査委員会の報告を受け、「渡良瀬川のもっとも下流の谷中村を遊水地にする」と発表しました。
正造は、次の理由で反対します。
「だれもが知る通り、雨は川となり、また山から流れ出て、里を通り海に行く、もし、とちゅうの低いところがあれば、たまった満ちて、また海に行く。けれど渡良瀬河には、とちゅうに低いところはないから、水は早く海にむかおうとする。これを止めているのは、川の分岐点にある関宿の石堤なのだ。」「洪水をふせぐためではなく、鉱毒水をためるために谷中村をつぶそうというのだ。谷中村に水をためても洪水はなくならない!」
正造は谷中村に移り住んで村人と生死をともにします。
政府は、土地収用法を適用し、谷中村の人たちの土地を収用します。
政府は、次々と谷中村の人々の家を壊していきます。
それでも、洪水は起きました。正造が言った通り、谷中村を貯水池にしても洪水はふせげなかったのです。
正造の考え方が次のように紹介してあります。
「人間は、まず思いあがりを捨てなければならない。人間は、自然の流れにそむかず、生き物をそこなわず、そして孤立しないで、自然と共生することが大事なのだ。ひおりよがりの考えや態度をすてて、すべての生き物や自然の中にある命をみとめて尊重し、それらと調和して生きるように心がければ、はじめて自分の命も大事にできるようになる」
正造の考え方は、今日の時代にも生かされるべきだと思います。
堤未果さんの「日本が売られる」は、最新の世界と日本の実態が赤裸々に語られています。
堤さんの本は、「自国民の生活の基礎を解体し、外国に売り払うこと」世界がリアルに描かれています。
堤さんは、「かつて経済学者たちが眉をひそめて問題視した『資本主義の社会的費用』は、今は取るに足らないことになった。」と指摘しています。
今日の資本主義が、自然との共生を投げ捨て「今だけ金だけ自分だけ」で突き進んいるのではなかと堤さんの本を読んで気づかされました。
資本主義が1800年代後半から1900年代前半の正造が生きた時代に似てきているのではないかと危惧します。
このような時代だからこそ、自然と共存する社会を唱える正造の思想が必要です。
そのことは正造が指摘をするように、「はじめて自分の命も大切にできる」ことに繋がります。
不破哲三さんは「マルクスと友だちになろう」の中で、地球温暖化の問題を取り上げ、「資本主義は、自分が21世紀に生き残る資格があるかどうかを試される最大の危機に直面している」と指摘しています。
資本主義が自然と共生できるかどうかが問われる瞬間を私たちは目の当たりにしているのだと思います。
こんな時代だからこそ、田中正造の思想を更に知りたいと思いました。
田中正造に対する皆さんの想いをお教え下さい。
堤未果さんの「日本が売られる」を読んでいます。
堤さんは、まえがきでこう書いています。
「多国籍企業群は民間商品だけでなく公共財産にも触手を伸ばし、土地や水道、空港に鉄道、森林や学校、病院、刑務所、福祉施設に老人ホームなどオークションにかけられ、最高値で落札した企業の手に落ちるようになった。企業は税金を使いながら利益を吸い上げ、トラブルがあったら、責任は自治体に負わさせ速やかに国外に撤退する。水源の枯渇や土壌汚染、ハゲ山や住民の健康被害や教育難民、技術の流出や労働者の賃金低下など、本来企業が支払うべき〈社会的コスト〉の請求書は、納税者に押しつけられるのだ。」
堤さんは、その上で、日本がそうなっていると次のように書いています。
「日本が、実は今猛スピードで内部から崩されていることに、いったいどれほどの人が気づいているだろうか。次々に売られてゆく大切なものは、絶え間なく届けられる派手なニュースにかき消され、流れてゆく日常に埋もれて、見えなくなってしまっている。」
堤さんは、日本が売られる第一に、「水が売られる」を取り上げています。
水道が民営化された結果、料金の高騰が起こったと堤さんは次のように書いています。
「民営化後の水道料金は、ボリビアが2年で35%、南アフリカが4年で140%、オーストラリアが4年で200%、フランスは24年で265%、イギリスは25年で300%上昇している。高騰した水道料金が払えずに、南アフリカでは1000万人が、イギリスでは数百万人が水道を止められ、フィリピンでは水企業群によって、水道代が払えない人に市民が水を分けることも禁じられた。」
世界37カ国235都市が、一度民営化した水道事業を、再び公営に戻していることを紹介し、堤さんはこう書いています。
「主な理由は、①水道料金の高騰、②財政の透明性欠如、③公営が民間企業を監視する難しさ、④劣悪な運営、⑤過度な人員削減によるサービス低下、などだ。」
「そんな中、世界の流れと逆行し、今になって水道民営化を高らかに叫び出した国」が日本だと堤さんは松山市の例から次のように指摘します。
「民営化推進派はこの契約をいつものフレーズで礼賛した。〈公共サービスを民間企業に任せることで、無駄がなくなり水道料金は下がり、サービスの質は上がるだろう〉だがここに、見落としてはならない事実が一つある。複数の電力会社が一つの送電網を共有して電気を流す電力と違い、1本の水道管がつなぐ水道は、1地域につき1社独占になる。つまり水道おいうインフラには利用者を引きつけるためにサービスの質や価格の安さで勝負しなければと民間企業に思わせるための〈競争〉が存在しないのだ。」
堤さんは、今国会に提出された水道民営化を含む「水道法改正案」についてこう書いています。
「水道民営化を含む『水道法改正案』は、委員会で9時間、本会議ではわずか2日の審議を経て、衆議院本会議で可決された。だが大半の国民は、この重大な法律に全く気づかなかった。本来なら新聞の一面にデカデカと乗り、テレビで大きく取り上げられるはずのこのニュースが、紙面のどこにもなかったからだ。日本のマスコミは足並みを揃えたように、オウム真理教の浅原彰晃と幹部7人死刑執行の話題を一斉に流し、日本人のライフラインである水道が売られることへの危険について、取り上げることはなかった。」
改めて、先の臨時国会で強行された法案一つ一つを再度検証する必要性をこの本を読んで痛感しました。
「水道法改正案」などは、国民に知られたくないので、強行したとしか思えません。
改めて、水が売られていいのか、水道の民営化について考えたいと思います。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
年末年始、堤さんの「日本が売られる」からしっかり学びたいと思います。