先程、小松総務部理事から私に「中国四国防衛局から、米軍普天間基地所属のMV-22オスプレイが、3月6日から岩国基地に飛来する予定であるとの連絡があった」との報告が届きました。
連絡があったのは、本日の午後4時過ぎで、内容は、①3月6日(水)から8日(金)の間、3機のMV-22が沖縄から岩国飛行場に飛来し、低空飛行訓練等を実施する。②低空飛行訓練等を実施する場所は未定であるが、飛行高度については、日中は500フィート以上、夜間は1000フィート以上を飛行する。③詳細については、情報が入り次第、追ってお知らせする。
この情報に対して山本知事は、「県民の不安が解消できるよう、引き続いて情報収集に努めるとともに、運用に関する日米合同委員会合意をしっかり遵守していただきたいと考える」とのコメントを発表したようです。
欠陥機・オスプレイの事故が相次ぐ中、岩国基地に強行陸揚げされ、沖縄の普天間基地に配備が強行されました。
オスプレイの陸揚げに対して二井知事は強く抗議しました。
その後、オスプレイは、岩国市や下関市上空を飛行するなど、日米合同委員会合意違反を疑わせる飛行を繰り返しました。
沖縄県内でもオスプレイの日米合同委員会合意違反を疑わせる飛行は相次ぎました。
ついには、オスプレイ配備計画の撤回を求める建白書がオール沖縄の意思として確認され政府に提出されるに至りました。
ついに岩国基地を前進基地としたオスプレイの訓練が始まるという通知があった訳ですが、山本知事は、オスプレイの岩国基地での訓練をしないよう求める要請を日本政府とアメリカに行うべきです。
山口県は、沖縄県と連帯して、オスプレイの配備撤回を日本政府とアメリカに求める時です。
安倍首相は、沖縄県や山口県そして低空飛行訓練が実施されようとする関係都道府県の意思を尊重し、オスプレイの配備見直しを検討すべき時です。
オスプレイが来週から岩国基地に飛来し、低空飛行訓練などを行うとの情報に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
山田洋次DVDマガジンの近刊「遥かなる山の呼び声」は1980年の作品です。
私が、16歳の時の作品。私が、映画を本格的に観るようになったのは、20代以降ですから、この作品は映画館では観ていません。テレビで何度も上映されたのでしょうが、見逃していました。
初めて、この作品と対面し、涙涙でした。
吉部小学校が、私が5年の時に100周年を迎えました。その時に文集が作成され、テーマは「将来の私」でした。
「将来の私」をテーマに、私は、「酪農家になりたい」と書いた記憶があります。
「家族」は、長崎から出てきてこれから酪農家になろうとする物語でしたが、「遥かなる山の呼び声」は、まさに、酪農家の日常を描いた作品でした。
数日前に、高田郁著「あい」を読み終えましたが、主人公の関夫婦は晩年、北海道の開拓に従事します。
もう一度人生があるのなら、北海道で酪農をしたくなった今日この頃です。
子どもが4人いるので、一人くらいは、私の夢を実現してくれるかも知れません。
この映画は、高倉健が、49歳の時のものです。
ちょうど私の今の年代。夏に牧草を刈るシーンで、上半身裸の健さんが写ります。
引き締まった健さんに憧れます。
もう一つ、吉岡秀隆さん演じる武志がよかったですね。
吉岡さん10歳の作品。自然な演技が冴えわたっています。
この映画は名作「シェーン」がモチーフになっているそうです。
「シェーン」も観てみたいですね。
次回のDVDは、「学校」。1993年の作品です。この作品は映画館で観ました。
今から楽しみです。
今朝の新聞各紙の報道をみると、上関原発の公有水面埋立免許延長に関し、県による4度目の補足説明の求めに対して、中国電力の回答が25日に届いた模様です。
新聞報道によると、残る標準処理期間は25日を入れて二日間とあります。
先程、私が土木建築部に確認したところ、今日までに、5度目の補足説明は求ていないということです。
ということは、明日以降は、県が定めた公有水面埋立免許延長に関する標準処理期間である32日を越える状況になりそうです。
私は、今日、「許認可等事務の標準処理期間に関する規程」を所管する県学事文書課の担当者に、標準処理期間について説明を受けました。
担当者の説明では、標準処理期間とは、あくまでも標準的な処理期間だということでした。
私は、処理期間が伸びることもあり得ると解しました。
その上で、この規程9条には、「標準処理期間を越える場合の措置」があることが分かりました。
規程9条は「処理機関の長は、許認可等事務の処理について、当該標準処理期間を7日以上超えることが予想されるときは、あらかじめ遅延の理由及び予定処理期日を書面又は口頭により申請者に示すものとする」と定めています。
今後、港湾課は、1週間以内に、延長を認めるかどうかの判断が求められます。
一週間以上期間を伸ばす場合は、港湾課が中電に、その理由と予定処理期間を通知することになります。
今後は、規程9条の措置を港湾課がどう対応するかが焦点になるものと思われます。
その上で、いくつかの意見を述べます。
標準処理期間は、今回の場合32日ですが、期間にカウントしない日数を入れると、トータルの審査期間は4ヶ月を越えています。やり取りの内容は、真っ黒で分かりませんが、更に、それを延長する理由について港湾課は、中電にだけでなく県民に伝えるべきです。
今回も、そもそもの話をしなければなりません。県のこの問題でのスタンスはあまりにも明確です。
国のエネルギー政策が不透明な中、土地利用計画は不透明なので、延長は不許可とするのが県の基本スタンスです。
県がいくら審査を伸ばしてみても、国のエネルギー政策が不透明である状況に当面変化はないものと思われます。
ならば、この問題に隘路はなく、不許可の道しかないのです。
いよいよ今日から議会が開会し、来週から質問戦です。私は、6日の10時に登壇する予定です。
もちろんこの問題も取り上げます。
一人でも多くの傍聴をお待ちすると同時に、この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
23日、安倍首相とオバマ大統領は、ワシントンで日米首脳会議を行いました。
この中で、安倍首相は、TPP交渉参加に大きく踏み出す意向を示しました。
日本共産党の志位委員長は、安倍首相の意向表明について「TPPについて、安倍首相は『聖域なき関税撤廃が前提でないことが明確になった』としている。しかし、発表されたTPPに関する『日米共同声明』では、『全ての物品が交渉の対象とされる』とし、すでにTPP交渉参加国で合意されている『(TPPの輪郭《アウトライン》)において示された包括的で高い水準の協定を達成していくことになることを確認する』としている。この『アウトライン』は、『関税並びに物品・サービスの貿易及び投資に対するその他の障壁を撤廃する』―すなわち関税と非関税障壁の撤廃が原則であることを明記したものである。『アウトラインの達成を確認する』としながら『聖域なき関税撤廃が前提でないことが明確になった』などというのは、国民を欺くものにほかならない。」と談話で語っています。
この事態を受けて、本日、午後、私と吉田県書記局長が、緊急に、農業や医療団体に志位委員長の談話を伝えながら役員の方々と対話を行いました。
県森林組合の垣村専務理事は「森林組合としては、中山間地域がこれ以上疲弊することがないように、TPP参加が行われないように運動を続けている。今後も他の農業団体と連携しながら運動を継続していく」と話しました。
県森林組合連合会の垣村専務と懇談する私(右手前)
県医師会の吉野事務局次長は「国民皆保険を守る必要があるというスタンスを今後と堅持して運動を続けていく」と話しました。
吉野県医師会事務局次長と懇談する私(左奥)
その他、県歯科医師会やJA山口中央会にも志位委員長の談話を届けました。
TPP参加は、日本の経済主権を投げ捨て、食と農をはじめ日本の産業と国民生活のあらゆる分野に深刻な打撃を与えるものです。
TPP問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
昨年から、私の郷里、宇部市吉部で旧船木鉄道の線路敷に桜を植える「吉部千本桜桃源郷計画」が進められています。
昨年の桜の植樹の手伝いに参加しましたが、今年は昨日行われ、参加しました。
参加者が協力して、旧鉄道敷に桜を植樹していきました
夢ゆめクラブ吉部の郷の会員の方々の指導の元、地元の方々や宇部市役所の職員の方など、30名以上が参加し、1時間程度で、準備された桜を植えることが出来ました。
昨年は、吉部小学校から旧船木鉄道敷トンネル跡まででしたが、今年は、吉部ふれあいセンター裏から、吉部八幡宮参道東側までの区間で植樹が行われました。
吉部八幡宮参道東側に植樹された桜です
3種類の桜の苗が植えられ、3年で花をつけるようになるそうです。
旧鉄道敷の桜が満開になり、我が故郷が賑わうようになることを夢見ながら、参加者の方々は、作業を行いました。
故郷の活性化に少しは協力できて嬉しい一日でした。
本日、宇部市内で第2回ちびっこフットサル大会が行われました。
私は、西宇部小学校5・6年生チームの監督として参加しました。
私が、先日の打ち合わせ会議の場で、一番くじを引いたので、西宇部チームが選手宣誓を行い大会が始まりました。
我が西宇部チームは、今日のために結成され、練習も今日のみでしたが、なんと予選2位で決勝リーグに出場する快挙をあげることが出来ました。
恩田小チームに勝利した西宇部小チーム(白い服)
私も最初は、マネージャー気分でしたが、試合を経るごとに監督気分を味わいました。
西宇部チームは殆どが5年生なので、「来年も出場しよう」と話しています。
子どもたちに楽しい一日をプレゼントされた気持ちでした。
高校時代はサッカー部でしたので、自分もフットサルをやってみたくなりました。