東京工業大学教授の中島岳志さんと上智大学教授の島薗進さんの共著「愛国と信仰の構造-全体主義はよみがえるのか」を読んでいます。
この中に、「近代日本150年 繰り返される75年サイクル」という表を興味深く見ました。
明治維新から150年になります。
明治維新から75年で太平洋戦争が勃発します。
それまでには、25年ごとの節目があったのではないかとあります。
第一期は、1868年の明治維新から約25年の間。
富国強兵が進められた時代です。
第二期は、日清戦争が勃発した1894年からの25年の間。
大戦景気といわれる経済状況が起ります。
第三期は、1918年からの25年の間。
この間に経済恐慌が起り、全体主義が巻き起こり太平洋戦争へと突入していきます。
敗戦からの75年はどうでしょう。
第一期は、1945年からの25年の時代です。
この間に、戦後復興と高度経済成長を実現します。
第二期は、1970年からの25年の時代です。
この間に、バブル景気などを経験します。
第三期は、1995年から25年の時代です。
この間に、バブル崩壊の影響が起ります。
1997年には、日本会議が設立されます。
そして、2015年に違憲の安保法案が採決されます。
明治維新から150年の年は、2018年。
敗戦から75年の年は、東京オリンピックが行われる2020年です。
違憲の安保法案が採決された2015年からこの数年を戦前にしてはならないとこの表を見て痛感しました。
戦前の全体主義を彷彿させるような日本会議の動きも活発です。
しかし、安保法制に反対している国内の運動の高まりもかつてないものがあります。
まさに、今年の参議院選挙は、日本において戦後を続けるのか、戦前にするのか、大きな山場を迎えます。
この本から、愛国心と信仰心が暴走し、全体主義がまかり通った明治維新からの75年をしっかり学びたいと思います。
歴史を繰り返すことがないようにしっかり戦前の「愛国と信仰」の歴史を学びたいと思います。
島薗進先生は、「戦争法案に反対する学者の会」や「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人のお一人です。
宗教人の周辺を歩いている一人として島薗進先生の他の著作も読んでみようと思います。
5野党党首が国政選挙協力で合意しました。
その事を今朝のしんぶん赤旗は以下のように報じました。
・・・
日本国憲法に真っ向から背く戦争法の強行成立から5カ月となった19日、日本共産党の志位和夫委員長、民主党の岡田克也代表、維新の党の松野頼久代表、社民党の吉田忠智党首、生活の党の小沢一郎代表の野党5党首は国会内で会談し、「安保法制(=戦争法)の廃止」や国政選挙で最大限の協力を行うことなど4項目で合意しました。
会談では、戦争法を廃止する法案を国会に提出することを確認した上で、5野党として(1)安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とする(2)安倍政権の打倒を目指す(3)国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む(4)国会における対応や国政選挙などあらゆる場面でできる限りの協力を行う―の4点を確認しました。
その上で、4点の具体化については5野党の幹事長・書記局長間で早急に協議し、具体化をはかることを確認しました。
日本共産党の志位委員長は確認事項に全面的な賛同の意を表明した上で、日本共産党が提唱している「戦争法廃止の国民連合政府」の問題について「この場で他の野党に確認や合意を求めるということではありませんが」と断った上で次のように表明しました。
「わが党としては、安保法制=戦争法の廃止、集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回のためには、この二つの仕事を実行する政府――『国民連合政府』が必要だと主張してきました。今もその立場は変わりません。ただ、同時にこの問題については賛否さまざまだということも承知しています。そこで政権の問題については横において選挙協力の協議に入り、今後の協議のなかでわが党の主張をしていきたいと考えています」
志位氏は会談後の会見で、廃止法案の共同提案は「戦争法に怒りと不安をもつ多くの国民の声に応える重要な意義をもつものです」と強調。「国民の前で真剣に審議することを与党に強く求めたい」と表明しました。
また、国政選挙での選挙協力を確認し、具体化の協議に入ることを確認したことについて、「『野党は共闘』という多くの国民の声に応える極めて重要で画期的な確認です」と述べ、「わが党としては、誠実かつ真剣に協議に臨み、できるだけ速やかに合意を得るよう全力をあげたい」と表明しました。
さらに、「参院選の1人区の候補者調整については、安保法制=戦争法廃止、立憲主義回復という大義の実現のために、思い切った対応をしたい」と述べ、党首会談でもそのことを表明したことを明らかにしました。
・・・
5野党党首の合意によって、参議院山口選挙においても統一候補が実現することを願っています。
皆さんは、5野党党首の合意をどう受け止めておられますか。ご意見をお聞かせ下さい。
金時鐘さんの「朝鮮と日本に生きる-済州島から猪飼野へ」を読んでいます。
この本は、第42回大佛次郎賞を受賞した作品です。
金さんの波乱万丈の人生を振り返る自叙伝です。
私も過去に自叙伝を何冊か読んできましたが、現存する方で、これほどの激動の時代を経た方で、これだけのすばらしい日本語で書かれた作品は稀有なものだと痛感しました。
金さんは、日本統治下の済州島で育ちます。天皇を崇拝する典型的な皇国少年だったと金さんは幼少期を振り返ります。
1945年の「解放」を機に朝鮮人として1948年済州島4.3事件を経験し、来日し、猪飼野で生活する金さん。
日本統治下の朝鮮で、日本語の統制がどのように行われていたか、金さんの幼少期を綴った文章で明らかにされています。
ある朝、校長先生が、校庭に落ちていた縄跳び用の荒縄を指さし金さんに尋ねます。
「これはおまえが落としたんだろう?」
金さんは、「身の覚えのないことだったので、私は憶することなくはっきりと否定したのですが、その否定の仕方が習慣づいている自分の国の、言葉の仕組みでの答えだったです。」と書いています。
「『違います』と答えたんですが、とたんに目も眩むばかりのびんたを横っ面に喰らいまして、朝礼が始まるまで平手打ちは続きました。」と金さん。
読者の皆さんで、校長先生はどのような答えを求めていたのかお分かりでしょうか。
答えは「いいえ」です。
金さんは、校長先生のこの対応を「朝鮮の子どもたちを天皇陛下の赤子にすることがこの子どもたちを幸福にすることだ、朝鮮を良くすることだと心底思って」いた上での発言を分析しています。
また金さんは、「いいえ」という言葉について「日本人のよく練られた、対人関係をこなしてゆく生活の知恵であるように思います。」「日本人の思考秩序の特性の一つとも言えます。」とも述べています。
金さんは、別の個所で「げい恐ろしきは教育の力です。」と書いています。
この事件を真相を金さん自身の筆でここまで深く描写されれば、ただただ「教育の恐ろしさ」を思い知らされるばかりです。
朝鮮と日本の近代史を知る上での良作。
金さんの一言一言をしっかり噛みしめながらこの本を読んでいこうと思います。
金さんから現代を生きていくための教訓を一つでも多く学んでいこうと思います。
昨日、宇部市PTA連合会3学期理事会が行われました。
この中で、宇部市PTA連合会と宇部市教育委員会の合同で、小中学生に向けて「自転車乗車時のヘルメット着用」を推進するビラを作成することが確認されました。
平成27年度の宇部市内中学生の交通事故件数49件のうち、48件が自動車乗車中に起こっています。
交通事故総合分析センター2012年「交通事故分析レポート」によると、自転車乗員の死亡や重傷損傷のケースの64%が頭部外傷となっています。
同レポートでは、ヘルメットを正しく着用することで、頭部損傷による死者割合が約4分の1に低減するとされています。
道路交通法63条には、「13歳未満の小児が自転車を運転する際に、保護者はヘルメットを被らせるように努めなければならない」と定められていますが、小学生のヘルメット着用率はおおよそ90%で、更に徹底する必要があります。
中学生は、学校生活以外では、ヘルメットを着用していないのが現状です。
また、自転車利用時の交通事故としては、児童生徒が被害者ではなく加害者になるケースもあることから損害保険などに加入することも必要です。
以上のことから宇部市PTA連合会と教育委員会は、①自転車乗車時のヘルメット着用②損害保険への加入を推進していくために共同のビラを作成することとしました。
昨日の理事会でビラの作成が了承されたので、細部を調整した後、ビラを完成させたいと思っています。
進入進学の時期ですので、3月中に作成し、新年度に活用したいと考えています。
自転車乗車時のヘルメット着用の推進について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
2月に入った頃から、肩や首の回りの凝りに悩まされていました。
齢51歳ですので、まさに50肩でしょう。
事務局を担う行事が続いたこともあったでしょう。
少し目途が立ったので、書店に行って、肩凝りを直す本を探しました。
そして、ここ数日、実践しているのが「あべこべ体操」です。
北洞誠一先生が提唱されている体操で、短時間で効果が実感できるとインターネットの動画サイトでは、400万回以上の再生回数があったこともあったそうです。
最初に体操を実践した時は、あちこちが痛くてつらかったのですが、日に日に肩や首回りの痛みが取れてきました。
長年の姿勢の悪さなどで体に歪みが生じ、肩や首の痛みとなって表れます。
それを修正するのが、あべこべ体操です。
いつも動かす方向の反対も動かしてみるのがあべこべ体操です。
北洞先生の著書のあとがきに、「あべこべ」の語源が掲載されていました。
あべこべは「彼辺此辺(あべこべ)」「あちらべこちらべ」が転じて「あべこべ」になったとあります。
その上で北洞先生は、「あっちの世界(見えない世界)とこっちの世界(見える世界)の両方を意味することとなり、そこから想像を広げていくと、「あべこべ」とは、単に『反対』という意味だけではなく、十と一、男と女、陰と陽のように相反するものが融合して完全な世界を形成するという深遠な意味を含んだ言葉だと気づかされました。」と書かれています。
私は、「あべこべ」と聞くと、「あべこべ政治」を思い起こします。
安全保障法制といいながら戦争法を強行し、一億総活躍社会といいながら国民生活を切り捨てる政治を進める安倍政治は、まさに「あべこべ政治」だと言えます。
私としては、「あべこべ体操」で体の歪みを修正し、獲得した健康な体で、政治を歪める「あべこべ政治」を修正していきたいと思います。
首や肩の痛みでお悩みの同世代の皆さん。あべこべ体操を是非お勧めします。
「あべこべ体操」で検索してみて下さい。
実践されている皆さんは感想をお聞かせ下さい。
学生ら15人が亡くなった1月15日の軽井沢スキーバス転落事故から1カ月が経過しました。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙には、31年前に学生ら25人が死亡した日本福祉大学スキーバス転落事故で、長女結可(ゆか)さん(当時19歳)を亡くした山形弘喜さん(75)さん、孝子さん(75)夫婦のインタビューが掲載されていました。
31年前、知らせを受け、弘喜さんたちは友人の運転で現場に向かいました。棺に入った遺体はお寺の本堂に安置されていました。
「遺体はみんな凍っていたね。泣き崩れるほかなかったですよ」と弘喜さん。
「傷もないきれいな姿でした。即死でしょうね。私はその時は、涙も出なかった。子どもが先に逝くなんて・・・。代わってやれるならやりたいよね」と孝子さんはしんみりと話します。
本ブログで繰り返し告白してきたように、私は、1985年1月28日5時45分ごろ、国道19号を走行していた三重交通バスが、長野市の犀川(さいがわ)の大安寺橋付近で、水深4メートル、水温4度の極寒のダム湖に転落した日本福祉スキーバス転落事故の生き残りです。
バスは、体育科のスキー授業の一環で北志賀高原に向かっていました。バスは3台で連ねて走っており、3台目のバスが犀川に転落。
私は、2台目のバスに乗っており、一命をとりとめました。
山形さん夫妻が向かわれた「棺が安置されたお寺」での仮通夜には、私たち生存者の学生たちも参列しました。
石の階段の上にお寺はありました。参道の両側にマスコミがひしめき合い、フラッシュのたかれる中、本堂に向かった記憶が蘇ります。
本堂には、25個の棺が並べられています。本堂の中には、遺族の方々と生き残った私たち学生。
本堂の中と外を遮断するものは、障子しかありません。
一台のカメラが本堂内を撮影しようと障子を破りました。
その時、当時の私たちと同年代だったと思います。今思い起こせば、亡くなった学生の兄弟の方だったのでしょうか。
遺族と思われる若い男性が「カメラのレンズが覗く破れた障子」に向かって「おまえらそれでも人間か!」と叫ばれた言葉を昨日のように思い起こします。
1985年1月28日の夜、事故現場付近のお寺で営まれた仮通夜に、山形さん夫婦もいらしゃったのだと思うと、新聞を読む眼が潤みます。
山形さん夫婦は、結可さんが生前書いた文章を「結可19歳」という本にまとめます。
残念ながら、その本を私は持っていません。機会があれば、山形さんご夫婦に連絡を取ってみたたいとも思います。
孝子さは憤ります。
「30年もたつのに切なくてあの子の本をひろげられないんです。悪いのは2000年の規制緩和でしょう。安かろう悪かろうで、どんどん(バス会社が)参入してくる。国はまったく教訓をいかしていない」
弘喜さんは「運転手が悪い、会社が悪いといたって一番悪いのは規制緩和をやった自公政権だ。60歳を過ぎた人を雇って安くあげようなんてとんでもない。遺族の親たちは40代でしょう。これから重い一生を背負うことになる」と訴えます。
軽井沢スキーバス転落事故から1カ月。
この事故を他人事として受け流すことが出来ません。
政府には、事故が二度と起きないよう抜本的な規制の強化強く求めたいと思います。
軽井沢スキーバス転落事故から1カ月。皆さんはこの事故をどのように思われますか。
ご意見をお聞かせ下さい。