藤本かずのりサポーターズ はじめました

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国民にメダルが渡る結果にしよう。

 保育園に通う長女は、最近、折り紙に凝っています。

 今日は、メダルを作っていました。迎えに行くと4つもぶら下げてご機嫌でした。

 さて、いよいよ明日から総選挙の火ぶたが切って落とされます。

 前回の衆議院選挙は、「郵政民営化」が争点となり、小泉旋風が吹き荒れ自民党が圧勝しましたが、構造改革で国民生活は疲弊する結果となりました。

 今回の総選挙は、大企業を中心とした一部の人々にメダルが渡る前回の総選挙のような結果にしてはなりません。

 この国を支える一人一人の国民にメダルが渡る結果にしようではありません。

 自公政治を終わらせて、新しい政治を実現しましょう。

 新しい政治の中で、一人一人の国民を大切にする主張を行う日本共産党を大きく伸ばしていただきたいと思います。

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   4つもの折り紙のメダルを掛けてご機嫌の娘

今年も賑やかな焼肉となりました

 昨晩は、私たち兄妹と子どもたちが全員集まり実家で焼肉を囲みました。

 母と私の同級生も参加して総勢16名の賑やかな焼肉となりました。

 肉だけでなく、長門の姉が持って来てくれた直送のサザエも絶品でした。

 コンロは、ドラム缶を半分にした大きなものです。テーブルが付いているのでとっても便利です。

 父の残してくれた我が家の夏の必需品です。

 子どもたちは、上は今年東京の大学に入学した19才から我が家の5歳の娘までの8人です。

 子どもたちは、焼肉に飽きると花火に興じていました。

 私が急きょ、家の前にお墓に行って来るとボーナスをあげようと提案しました。

 実は、私が子どものころにやはり従兄たちが集まり、叔父たちの提案で同じような企画がありました。

 私は、本当に「怖がり」で、いくらお金を積まれてもダメな方でした。

 今回は二人一組というルールだったにせよ、5才の我が家の娘を含めて全員の子どもが難なくクリアーしたのには驚きました。

 おかげで私の小遣いが減ってしまいました。

 笑い声の絶えない我が家の盆となりました。

 皆さんのご家庭ではいかがだったでしょうか。平和がなによりですね。

県立厚狭高同窓会に参加しました。

 今日は、恒例の厚狭高同窓会に参加しました。

 卒業して30年後に幹事が回ってきます。私たちは、あと3年後です。もうすぐです。

 後輩たちはいろいろな分野ががんばっていました。

 まず、生物部です。第11回日本水大賞でグランプリを受賞しました。

 次に、総合家庭科です。全国高校生クリエイティヴコンテストで文部科学大臣賞を受賞しました。

 その他、吹奏楽部や新聞部や陸上部が賞を受賞しています。

 大いに頑張ってほしいと思います。

 同窓会の中でも、南校舎を無くさないでという声が多数出ていました。

 県教委はこれらの同窓会の方々の声にしっかり耳を傾けてほしいと思います。

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   吹奏楽部は山口県大会で銅賞を受賞しました

 

 

草刈りと楠こもれびの里

 今日は、午前中、実家の草刈りを約2時間行いました。子どもたちは、母を手伝い墓掃除をしました。

 草刈りは、家から離れた墓の周りです。刈ったり刈らなかったりする所なので、藪化してきています。

 そこを刈るのは大変です。父が元気な時は、広範囲を刈っていたのですが、母だけでは大変です。

 臨時議会やら選挙やらであっという間に盆になってしまいさすがに今日だけは手伝うことにしました。

 今度は、選挙が終わる9月上旬に時間を作って草刈りを手伝うことにします。

 草刈りは、保育園でも小学校でも率先して行うようにしています。

 格好は長袖長ズボンの完全防備です。特に目の周りもガードしなければなりません。

 それは、子どものころから農業災害の話を耳にしているからです。

 草刈機で、手足や目を怪我した方は多数おられます。これらも気を付けて草刈り作業を行っていきたいと思います。

 帰りに子どもたちとオープンしたばかりの楠こもれびの里に行きました。

 ヌルヌルしていいお湯でした。お客さんが若干少ないのが気掛かりでした。

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 完全防備で草刈作業中です(次男が撮影しました)

 

日米FTA問題で、JA山口宇部役員の方と懇談

 本日、私と時田宇部市議は、日米FTA問題で、JA山口宇部の前田組合長、中戸常務理事と懇談しました。

 私は、昨年、宇部市吉部で農業シンポジウムを開いたことや、日本共産党の農業再生プランや、志位委員長が行った「日米FTAにきっぱり反対する」との記者会見の内容を説明しました。

 日米FTA問題について前田組合長は、「組合としても、明確に日米FTA反対を打ち出している」と話しました。

 中戸常務理事は、昨日、農林水産団体などが主催し東京の日比谷野外音楽堂で行われた「日米FTA断固阻止緊急国民集会」に参加してきたと語り、「農業者だけでなく消費者団体が多数参加していたのが力強かった」と語りました。

 私は、「農産物がただただ安いのがいいということで、日米FTAが締結されれば、日本農業は壊滅的な打撃を受けることになる」と語り、消費者を含めた国民的な運動の必要性を語りました。

 前田組合長は、日本共産党のビラに書いてある「農業を基幹産業として発展させる」立場が重要だと語りました。

 また、中戸常務は「民主党のマニュフェストに、日米FTA締結の文字があることに驚いた」と語りました。

 私は、「今後とも農業を発展させるために、意見交換を続けましょう」と話しました。

 前田組合長は、宇部市万倉の方です。私の父が万倉小学校に勤務していた時、PTA会長を務めておられたそうです。

 そんな話も飛び出しながら、有意義な懇談となりました。

 農業を守ることは国の安全保障に直結する問題です。

 自立した国として日本が今後とも発展するためには、農業振興は不可欠です。

 この立場で、日本が、諸外国同様、農業保護政策へ転換していくことは不可避です。

 農産物の関税問題一つ取っても、EUは20%、アルゼンチンは33%、ブラジルは35%、メキシコは43%、タイは35%に対して日本は12%です。

 今でも低い関税をなくそうとする日米FTAを締結すれば、農業の衰退は必至です。農業者だけではなく全国民的に大いに議論すべき問題です。

 皆さんのご意見をお聞かせください。

 

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   日米FTA問題でJA組合長と対話する私

レンガの子ども

 「レンガの子ども」が復刊された赤旗の本の紹介欄で知り、直ちに書店に注文しました。

 「レンガの子ども」は、ヤジエセツルメント保育所の実践を綴った本であり、私は、ヤジエセツルメントに学生時代に所属をしていたのです。

 1959年9月26日、伊勢湾台風が東海地方を襲いました。名古屋市の南区、港区、中川区を中心にすべて水没し、5千人余の死者、4万家屋の倒壊という被害が出ました。

 名古屋市は、被災者のために応急仮設住宅を建てました。その一つが、南区弥次衛町に建てられました。その仮設住宅にに「ヤジエセツルメント保育所」が誕生しました。

 この保育所の実践を綴った本が、「レンガの子ども」という本です。当時の保育士であった河本ふじ江さんと原田嘉美子さんの共著です。私がヤジエセツルメントの在籍した時代には伝説となっていましたが、絶版となっており、読むことができませんでした。

 復刊により、私は、初めてこの本に触れることが出来ました。初めてですがとても懐かしい気持ちで一杯です。先輩の努力に頭が下がると同時に、私たちが通っていた当時のヤジエの街を思い出し目頭が熱くなります。

 ヤジエセツルメント保育所は、1959年12月から1962年8月まで、二年八ヶ月しか存続しませんでしたが、保育所の実践が、「朝日ジャーナル」に掲載されました。

 そして、東芝日曜劇場でドラマ化されました。ドラマでは、保育士役に、今も活躍されている渡辺美佐子さんと香川京子さん、セツラー(セツルメント活動を行う人の意味)役に、山本学さん、石坂浩二さんが出演されています。母親役に京塚昌子さんも出演されたと聞いています。

 本の中にヤジエセツルメント保育所の大原則がこう書かれてあります。

 「要求をとらえ組織する、要求を掘り起こす。そして話し合いをすすめ、全員で合意形成をしていく」

 ヤジエセツルメント保育所は愛知の保育の原点と言われている所以は、この大原則にあると書かれてあります。

 50年近くたってこの本が復刊された理由も、この大原則が今こそ求められているからだと思います。

 この辺りを東海医療福祉専門学校の中村強士先生がこう書いておられます。

 「今年2009年は子どもの権利条約が国連で採択されて20年目にあたります。あらためて子どもの権利について考えるときにも関わらず、『子どもの貧困』という問題が私たちに重くのしかかっています。

 しかし、『こどもたちのために!』と努力を惜しまない保育者の姿を私はたくさんみてきました。私は、『レンガの子ども』を引き継ぐ一人として大きな責任を感じつつ、同じ思いをもつ多くの保育者たちといっしょに、これからも学んでいこうと思います。レンガを積み上げていくように・・・」

 私も「レンガの子ども」を引き継ぐ一人であることを誇りに思います。直接保育の現場で働くものではありませんが、「住民のために!」努力を惜しまず力を尽くしていこうと思いました。

 私は、押入れから「弥次衛セツルメント第90回定期総会―86年後期総括・87年前期基調方針(案)」を引っぱり出してきました。

 この頃、私は、ヤジエセツルメント委員長を務めていました。この資料を作るために、何日も何日も議論した日々を思い出します。

 この中に規約があります。「本セツルメントは1959年9月26日に起こった伊勢湾台風の救済活動をきっかけとして、1960年1月24日南区弥次衛町を対象として発足した」「本セツルメントは平和と民主主義を守り、地域住民の福祉向上と学生の自主的民主的学問研究のために活動する」懐かしい文字が躍っています。

 保育所のスタートの直後に、セツルメント活動が正式に発足したのですね。それから25年以上後に私たちが弥次衛町に通っていたのです。そして、50年近くたった今も後輩の皆さんが弥次衛町に通っていることでしょう。

 全国のセツラーだった皆さん。とりわけヤジエセツルメントの先輩。同期の皆さん。後輩の皆さん。近況をお知らせください。

 地域のモウソウ・マメさん・ヒデ・ユキチャン・キョウミ・カオリ元気ですか。近況をお知らせください。

 「レンガの子ども」には私の原点があります。これらもこの原点を忘れずに生きていきます。

 同期の皆さん。そろそろ同期会やりましょうね。