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長生炭鉱水没事故発生現場で収容した骨は人骨だったことが判明しました

 今朝のしんぶん赤旗日刊紙は、長生炭鉱の海底で発見された骨は人骨であったと次のように報じました。
 「戦時中に水没した山口県宇部市の長生炭鉱の坑道で25、26日に収容された複数の骨について、県警は27日、いずれも人の骨と判明したと発表しました。事故犠牲者の遺骨である可能性が高く、身元の確認や遺族への返還など日本政府の対応が急がれます。長生炭鉱では、強制動員された朝鮮人労働者を含む183人が犠牲になった水没事故について、市民団体『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』と水中探検家の伊佐治佳孝さんによる潜水調査が進められています。25、26両日、韓国『テック・コリア』所属のダイバーの2人が沖に突き出ているピーヤ(排気・排水塔)から坑道内の潜水調査を実施。25日には本坑道とみられる推進43メートル付近で3本の骨を、26日には同じ地点で頭蓋骨を発見し、県警が鑑定していました。県警の発表では、25日の3本は左大腿骨(太ももの骨)、左上腕骨(肩から肘の骨)、左橈骨(肘から手首の骨)で、26日のものは頭蓋骨と判明しました。『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』の井上洋子共同代表は『警察による鑑定結果が出たことは大きい』と話し、林官房長官が26日の記者会見で『県警の検査を見守る』と発言したことや遺骨収容を『見える遺骨』に限るとしてきた政府の姿勢に触れ、『日本政府が何らかの対応をせざるを得ない状況にきている』と訴えました。『この事故で無くなった方々は日本の戦争政策の犠牲者であり、朝鮮半島から強制連行された事実からも、(遺骨の収容・返還は)日本政府に責任がある』とし、『韓国のご遺族や政府に対して、まだたくさん眠っているご遺骨をそれぞれの故郷にお返ししようと訴えていきたい。これを機にDNAを提供される方も増えてほしい』と話しました。遺族からは同会に提供されているDNAは、朝鮮人犠牲者28人、日本人犠牲者3人です。韓国遺族会の楊玄(ヤン・ヒョン)会長は『炭鉱の構造物であるピーヤで収容した骨なら、当時80年余り前に水没事故で亡くなった方ですが、これを確認すること自体も申し訳ない限りです。その方々を日本政府が一日も早く収容して故郷の地で永眠できるようにお願いいたします』とメッセージを寄せました。井上代表からの電話に応じた遺族の常西朝彦さんは『83年前のご遺骨であることがはっきりした。国に対して強く要望を求めることができる』と語りました。」
 私は、刻む会の運営委員として、25日の午前中と26日の終日、潜水調査をサポートしました。収容された骨が人骨であったことは、重要です。
 26日付のしんぶん赤旗で、小池書記局長が指摘をしているように、政府は、「埋没位置、深度等が明らかでない」ので、調査できないと国会で答弁してきました。遺骨の位置が確定した今、政府は、遺骨を収容するための行動を始める時です。そして、遺族へのDNA鑑定、マッチングした場合、遺骨を遺族に返還することなどに、政府が責任を負う時です。私は、県議会議員として、以上のことを県が国に要請するよう求めたいと思います。
 長生炭鉱水没事故があった海底で収容された骨が人骨であることが判明しました。
 この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

長生炭鉱の犠牲者と思われる頭蓋骨が発見される 犠牲者の名誉と尊厳の回復に政府は責任を果たす時

 今朝のしんぶん赤旗日刊紙の「潮流」は、長生炭鉱の問題を取り上げました。
 「石炭を掘り出す場所はとても狭く、低い天井から落ちた石で死亡した人もいた。海底の坑道は水漏れがして空気が悪くコレラが流行した。一番危険な一番深い所に朝鮮人を優先的に行かせた▼戦時中、山口県宇部市の長生炭鉱に連れてこられた朝鮮人労働者の証言です。83年前、ここで坑道が水没する『水非常』が発生。183人が取り残され、うち136人が朝鮮半島出身者でした▼戦争の真っただ中で救出は行われず、坑口は事故直後にふさがれ、場所さえ忘れられてきました。しかし、市民団体『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』が中心となって、追悼碑の建立や遺骨の収集活動に立ち上がりました▼寄付を募って昨年は坑口を掘り起こし、潜水調査を継続。そして、今月25、26の両日に大腿骨や頭蓋骨とみられるものを見つけました。当初からかかわってきた水中探検家の伊佐治佳孝さんは『次のフェーズに入っていける』と▼現実的な困難として遺骨発掘を拒んできた日本政府に突き付けた歴史的な発見。本来ならば国がやるべきことなのに協力さえしない無責任な態度に、刻む会の井上洋子・共同代表は『誠意のかけらも持っていない』と非難します▼折しも韓国の季在明大統領が来日。志位議長は『被害者の名誉と尊厳の回復が何よりも大切で、そのために日本政府は誠意ある対応を行うことが重要』だと。日本の戦争政策のために動員され、いまだ冷たい海に沈む犠牲者、遺族の無念。それを放置したままで明るい未来は築けません。」
 私は、民青新聞に長生炭鉱の歴史と今の取組をまとめた記事の依頼を受け、今、日韓の歴史や事故当時の生存者の証言などを読んでいます。
 長生炭鉱で働いていた経験のある金景鳳(キム・ギョンボン)さんの証言です。
 「1941年、私が18歳の時に日本の巡査が突然、家(慶尚北道迎日郡(現在の韓国浦項市))にやってきて連行されました。オモニ(母)は巡査の足を引っ張り、ダメだ、ダメだって泣いて引き留めたのですが、巡査は私を引っ張って連れ出しました。(中略)(長生炭鉱の)寮は一人部屋に30人も容れられて、真ん中が通路でした。みんな通路側に足を向けて寝ました。寒い時は、二人で二人分の毛布を一緒にかけて寝ました。苦しい炭鉱の生活を抜け出すために三人で逃げました。しかし、長生海岸の砂浜で道に迷っているところを捕まりました。二人は30歳以上だったためか、殴られ殺されました。18歳の私は木の棒でしこたま殴られましたが、命は助かりました。しかし、今もその時の傷跡が頭の部分にあります。」
 金さんの証言で、強制連行・強制労働があった事実が分かります。また、炭鉱事故ではなく、逃走などを行った労働者が殺されるなどの事実があったことが分かります。戦前の炭鉱では、坑内での事故だけではなく、多くの労働者が殺された事実があることを知りました。
 先輩の党員の方から吉岡吉典著「『韓国併合』100年と日本」をお借りして読み始めました。
 日韓の歴史を知るためには、「韓国併合」について知る必要があることを学びました。
 この本には、「韓国併合」条約が、日本のどのような侵略的経過によって締結されたかが書かれています。
 1965年6月22日に日本と韓国が国交を正常化する日韓基本条約に署名して60年の年です。
 日韓基本条約には、1910年の「韓国併合条約」を「もはや無効」とするだけで、日本による植民地支配への反省や賠償に触れていないなどの問題点が当初から指摘されていました。
 日本政府は、これまでの姿勢を根底から改め、長生炭鉱水没事故の犠牲者を始め、全ての犠牲者の名誉と尊厳が回復されるよう政府の責任を果たすことが求められます。
 日韓の歴史を学びながら、長生炭鉱の遺骨が朝鮮半島の遺族の方々に早期に返還されるよう、刻む会の運営委員として、県議会会議員として大いに発言を強めていきたいと思います。
 長生炭鉱水没事故犠牲者のものと思われる人骨と思われる遺骨が回収されました。
 この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

昨日、長生炭鉱の潜水調査で、遺骨と思われる骨が発見されました。

 本日のしんぶん赤旗日刊紙は、長生炭鉱で遺骨が発見されたと思われると次のように報じました。
 「戦時中に水没した山口県の長生炭鉱で25日、潜水調査が行われ、事故犠牲者の遺骨とみられる骨が見つかりました。発見したダイバーによると、坑道内に少なくとも4人分の骨とブーツがあり、そのうち3本の骨を持ち帰りました。長生炭鉱では、強制動員された朝鮮人労働者を含む183人が犠牲になった水没事故について、市民団体『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』と水中探検家の伊佐治佳孝さんによる潜水調査が進められています。昨年7月から6回目となるこの日の調査では、韓国『テック・コリア』所属のダイバーの金秀恩(キム・スウン)さんと金京洙(キム・ギョンス)さんが沖に突き出しているピーヤ(排気・排水筒)から水中の坑道に入り、呼吸用ガスのタンクを坑内に設置する作業を行っていました。ダイバーによると、今月8日に伊佐治さんが見つけた本坑道とみられる場所までたどり着いたところ、坑道の底にブーツを履いた状態の骨を発見。周囲を捜索したところ4人以上の骨を確認しました。持ち帰った骨は膝までの大腿骨(49センチ)、肩から肘までの上腕骨(29センチ)、肘から手首までの橈骨(23センチ)とみられ、いずれも宇部警察署に引き渡されました。今後、科学捜査研究所で人骨かどうかが鑑定されます。骨を手に持った同会の井上洋子共同代表は『長く待たせてごめんなさい』と涙ぐみ、『ダイバーの皆さんには感謝しかない』と述べました。けがのため潜水せずにダイバーへの指示や調整をした伊佐治さんは『1年かけて積み上げてきたものがここまで届いたことはうれしい。(遺骨収容という)目標を達成できたことは感慨深い。遺族の持つ悲しい思いを少しでも安らげることができたのでは』と話しました。26日は遺骨の捜索と測量などをする予定です。ー日本共産党の小池晃書記局長の話ー『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』のみなさんが、クラウドファンディングで資金を集め、遺骨の収容に全力をあげてこられました。そしてついに遺骨と思われる骨が発見されました。これまでの『刻む会』と関係者の必死の努力に心からの敬意を表します。私は2回現地を訪れ、国会では石破茂首相に『国として発掘調査を始めるべきだ』と求めましたが、首相は『埋没位置、深度等が明らかではない』として、遺骨発掘は『困難だ』と拒否しました。しかし、遺骨が発見された以上、この言い訳は通用しません。ただちに政府として全面的な発掘調査を開始し、83年間も冷たい海底に眠るご遺骨を、速やかにご遺族の元にお届けし、尊厳の回復を図るべきです。」
 私は、午前中まで、刻む会の運営委員の一人として、潜水調査のサポート活動を行っていました。午後は、党務のため、サポート活動に参加できず、遺骨と思われる骨が発見された瞬間に立ち会うことが叶いませんでしたが、記事にある井上共同代表の言葉の通り、ご遺族の対して「長く待たせてごめんなさい」という気持ちで一杯です。
 「長く待たせてごめんなさい」の気持ちを石破首相に共有していただきたいと思います。
 小池書記局長のコメントにある通り、遺骨の埋没位置、深度等が明らかになった今、政府は、全面的な遺骨発掘調査を開始すべきです。まずは、石破首相をはじめとする政府関係者が現地を訪ねるべきだと思います。
 県議会議員として、県に対し、知事の現地訪問と、遺骨収集の実施を国に求めることを要請したいと思います。また、ピーヤや坑口など遺構の保存についても県の役割の発揮を求めていきたいと思います。
 私は、今日と明日、刻む会の運営委員として、潜水調査のサポート活動に参加する予定です。
 長生炭鉱の遺骨調査に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

しんぶん赤旗日刊紙の「主張」に「長生炭鉱朝鮮人犠牲」問題が取り上げられました。

 22日、しんぶん赤旗日刊紙は、主張で、長生炭鉱朝鮮人犠牲問題について次のように報じました。
 「山口県宇部市の海に、二つの赤茶けた大きな筒が見えます。海底炭鉱だった長生炭鉱の排気・排水筒(通称・ピーヤ)です。太平洋戦争開戦直後の1942年2月3日、海底の坑内が水没する事故が起きました。亡くなった137人の7割が朝鮮人労働者でした。国策での無理な増産指示と、植民地支配による強制労働の犠牲です。今年は日韓国交正常化69年の節目です。今も海底にある遺骨を韓国の遺族に戻そうとの声が、幾度も潜水調査を続ける市民運動と国会論戦によって大きなうねりとなっています。日本政府は静観するのではなく、国の責任で遺骨を韓国に返すべきです。日本は1910年、韓国併合条約により朝鮮を植民地とし、日本の統治下に置きました。朝鮮の人々は甘い言葉でつられたり、だまされたりして日本企業に動員され(強制連行)、厳しい監視の下、長時間働かされ(強制労働)、命を失う人もいました。石炭しかエネルギー資源がなかった日本は、朝鮮人労働者を危険な労働に投入しました。海底の地下の層にある石炭の採掘作業は危険で、宇部には多いときで1万人以上の朝鮮人が暮らしていたといわれます。長生炭鉱では、高さ3メートルほどの板と鉄条網で囲まれた監視付き・外出禁止の『寮』に入れられ、1日12時間の労働を強いられました。長生炭鉱は45年の敗戦で自然消滅し、歴史から消えかけましたが、91年に市民団体『長生炭鉱の水非常(水没事故のこと)を歴史に刻む会』(刻む会)が結成され、ピーヤの保存と追悼碑建設運動を始めました。毎年水没事故の日にあわせて、韓国から遺族らを招き追悼式を行い、2013年に『強制連行 韓国・朝鮮人犠牲者』追悼碑を完成させました。追悼碑完成後、刻む会は韓国にいる遺族との交流を深めながら、海底の遺骨等の引き揚げを活動の中心に据えています。日本共産党は、国会論戦などで連携・後押ししてきました。4月の政府との意見交換会で、刻む会は遺骨収集への技術的・財政的支援などを要請しました。同席した小池晃参院議員は、石破茂首相の『(刻む会が)勝手にやってくださいというわけにはいかない』との答弁(4月7日、参院予算委員会)を指摘し『現地視察をすべきだ』と迫りました。小池氏は参院厚生労働委員会(5月20日)で専門家のプロジェクトチームによる調査を提案。厚労省所管の人道調査室の予算が毎年ほとんど残っているとし、『政府が財政支援をすべきだ』と追及しました。福岡資麿厚労相は『選択肢はありうる』と答えました。刻む会は8月、政府要請し、調査経費約1千万円を補正予算に計上して『誠意を示せ』と訴えました。強制連行・強制労働という過去の過ちへの謝罪も込めて、遺骨の収容と韓国に住む遺族への返還は加害国・日本の政治的、道義的義務です。この官と民の共同作業は、日韓の明るい未来を切り開くことになるでしょう。」
 しんぶん赤旗日刊紙の「主張」で長生炭鉱がテーマになるのは、ほぼ初めてではないかと思います。
 日本共産党が、この問題の解決を重要視していることが分かります。
 今日から、潜水調査が3日間行われます。韓国からダイバーが来られます。
 私も可能な時間、刻む会の運営委員の一人として調査活動のサポートを行います。
 また、民青新聞に来月上旬が締め切りで、長生炭鉱の歴史をレポートする依頼を受けました。今月末、長生の歴史と向き合う日々です。遺骨の収容がされることを願いつつ、今日、午前中、サポートに力を尽くしたいと思います。
 長生炭鉱について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

「今週中に、中国電が、中間貯蔵施設の適地調査結果を上関町に報告か」との報道について

 22日、朝日新聞は、中国電力が、中間貯蔵施設の計画について、適地かどうかを調べた報告書を上関町に示す方向だと次のように報じました。
 「山口県上関町で使用済み核燃料の中間貯蔵施設建設を計画する中国電力は、施設の適地かを調べた調査の報告を、月内に同町などに示す方向で調整に入った。町などに対して『建設は技術的に可能』などと報告する。複数の関係者が明らかにした。中国電がその後、施設の規模や貯蔵機関などを盛り込んだ事業計画を詰めて町に示し、町側が建設の是非を判断することになる。中国電は2011年の東京電力の福島第一原発事故後、町内で計画していた原発建設の準備工事を中断している。再開のめどが立たない中、町側から『新たな地域振興策』を求められ、2023年8月に中間貯蔵施設の計画を提案していた。町が建設に向けた調査を受け入れたため、中国電はその後、過去の自然災害などを調べる文献調査に着手。建設予定地のボーリング調査も24年11月までに行い、適地かどうかの検討を社内で進めていた。ただ、町内外には、建設の安全性や核燃料の保管が長期に及ぶことへの懸念などから、建設反対の声がある。同様の施設は、青森県むつ市で24年11月に国内で初めて稼働を始めた。東京電力ホールディングスと日本原子力発電が共同で運営している。」
 6月25日に発行された、原発問題住民運動全国連絡センターの機関紙「げんぱつ 原発住民運動情報」第435号に次の記事があります。
 「青森県六ケ所村にある日本原燃の廃棄物管理施設に核のゴミの一時貯蔵が始まってから30年になる。核のゴミとは、全国の原発から出た使用済み核燃料を仏や英で再処理して返還された『ガラス固化体』である。青森県六ケ所村が日本原燃と結んだ協定で貯蔵期間は30年から50年として、流量後に電気事業者が搬出するとしている。貯蔵施設には1830本が貯蔵されている。政府は45年度末までに最終処分場に搬出することを法律で義務付けている。しかし、最終処分場の選定作業は難航している。政府は調査に20年程度、建設に10年程度かかるとしているので、処分場の完成までに30年必要である。一時貯蔵施設の貯蔵機関は残り20年なので、核のゴミ搬出は不可能な工程である。日本原燃の一時貯蔵施設には2880本の保管能力がある。再処理工場が稼働すれば年間最大400本の固化体が生じる。再処理工場が本格稼働したら10年足らずで満杯になる見込み。最終処分場の選定を巡っては、原子力発電環境整備機構(MUMO)は02年に候補地の公募を開始し、17年に『科学的特性マップ』を公表した。20年に北海道の寿都町と神恵内村、24年に佐賀県玄海町で第一段階の文献調査が始まった。寿都町、神恵内村では文献調査が完了し、報告書が公表され説明会等が行われている。原発問題全道連絡会などは白紙撤回を求めた意見書を提出している。青森県の宮下宗一郎知事も『期限内に搬出することは大前提だが、そのためにどんな時間軸で何を行うのかを国にしっかり説明してほしい。」
 私も青森県六ケ所村を訪ね、様々な核燃料処理施設を見学しました。六ケ所村には、核燃料サイクルシステムの脆弱性が端的に示されています。
 中間処理施設に貯蔵された使用済み核燃料は、六ケ所村の再処理工場が稼働すれば、日本原燃に貯蔵されている「ガラス固化体」に入れられ、最終処分場に運ばれる流れとなります。
 しかし、六ケ所村の再処理工場は稼働していません。最終処分場も稼働していません。
 私は、青森県むつ市の中間貯蔵施設建設現場も見学しました。使用済み核燃料を詰めたキャスクは、約50年、中間貯蔵施設に保管されることとなります。
 現状では、むつ市に運ばれた使用済み核燃料が再処理工場に運ばれる見通しはありません。仮に、再処理工場が稼働しても、最終処分場に運びこまれる見通しはありません。
 たとえ、上関町に中間貯蔵施設を建設しても、むつ市の中間貯蔵施設と同様の問題を抱えることになることは必至です。
 中間貯蔵施設の使用済み核燃料の保管が長期化するとの懸念が払しょくできない現状のまま、上関町に中間貯蔵施設の建設を進めるべきではありません。
 上関町は、中国電力の「適地報告」を受け入れるべきではありません。山口県は、「核燃料サイクルシステムの問題は、国の責任」と責任転嫁ばかりする行為を改め、核燃料サイクルシステムが稼働していない点を直視し、中間貯蔵施設に反対し、県の許認可権を行使すべきではありません。
 今週中に、中国電力が、上関町に対し中間貯蔵施設の適地調査の結果報告に出向くとの報道です。この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。

阿武風力発電設置事業者は、環境影響評価準備書を提出出来ていない。来年3月末までに書類が揃うのか。

 20日、阿武風力発電施設に関し、日本共産党衆議院議員辰巳孝太郎事務所を通じて、資源エネルギー庁の担当者からレクチャーを受けました。内容を地元関係者に伝えるメモの一部を紹介します。
・・・
3、経過
・阿武町で、風力発電事業を設置しようとするHSEは、再生エネ特措法に基づく新規認定申請に必要な書類を、本来の提出期限である2024年3月9日までに提出することが出来なかった。HSEは、資源エネルギー庁に対し、2026年3月30日までに必要書類を提出するとの誓約書を提出した。
・資源エネルギー庁は、HSEが期限までに必要な書類が提出できなかったことは事業者の責によらないやむを得ない理由があるとして、2026年3月30日まで書類の提出を待つ判断を行った。

4、HSEが書類の提出延期を申し立てた理由と今後の見通し
・HSEが、2024年4月12日に、経済産業大臣に、資料提出が遅れた理由について提出した資料の中に、延伸理由補足資料がある。この中の「今後の予定スケジュール」として、2024年11月に、「環境影響準備書の提出」。2026年2月に「環境影響評価確定通知」。2026年3月に「阿武町有地の賃貸借契約は、環境アセスメントの確定通知および開発許認可の進捗状況に応じた対応が必要となり、時間を要している」とあります。
・2025年8月時点で、環境影響評価準備書は提出されておらず、HSEが示した資料に対し9カ月遅延しています。HSEが資源エネルギー庁に提出した「阿武風力発電事業計画 土地使用権原取得工程」にあるように、環境影響評価確定通知とは、環境影響評価準備書の審査を経て大臣勧告が出された後に示されるものです。HSEが延伸理由補足資料で示しているように、環境影響評価準備書提出から環境影響評価確定通知までの間は、1年3カ月程度かかる予測することは妥当であると思われます。

5、レクチャーの中で、資源エネルギー庁のいくつかの発言
・HSEが資源エネルギー庁に提出した延伸理由補足資料の「FIT申請上の風車位置に隣接する土地が、事業認定取得後に保安林指定され、保安林解除および地元調整に時間を要している」の部分に関し、担当者は、「土地が隣接している場合、変更確認書の申請が必要だが、その書類が出ていない。隣接していない場所を事業区域とする場合は、新たに事業者が説明会を開催するなどの手続きが求められる」と答えました。
・2023年に保安林に指定された床波の二筆について、担当者は、「事業実施区域に隣接しているとは考えていない。この場所で、変更確認書が提出されても認定することは出来ない」と答えました。
・担当者は、「2024年4月以降もHSEと協議はしている。隣接している保安林がどこだとHSEが言っているのかなど、事業者の情報を公にすることはできない」と答えました。
・2026年3月30日、時点で、書類が揃わなかった場合について、担当者は「事業者に再々の延長を認めたケースについて、私は、経験したことがない。」と答えました。

6、私が今後の争点だと思ういくつかの点
・私は、今回のレクチャーで、4で書いた部分が重要だと感じました。事業実施区域内には、阿武町有地があり、資源エネルギー庁は、HSEから、町有地の賃貸借契約の書類提出は、必須だと言いました。HSEは、阿武町有地の賃貸借契約を結ぶためには、環境アセスメントの確定通知が必要だと書いています。4に書いたように、現時点で、環境影響評価準備書届出が行われていない状況の中、HSEが、来年2月に環境影響評価確定通知を受けることは困難な状況です。つまり、2026年3月30日の延長期限内に、HSEが、阿武町有地の賃貸借契約を阿武町と結び、その書類を資源エネルギー庁に提出することは困難な状況です。
・以上の前提として、阿武町が、町有地賃貸借契約等、使用権原を与える契約を結ぶ条件をHSEにどのように示しているのか、開示請求をする必要があると思います。公文書として、契約締結の条件として、環境アセスメント確定通知の提出を求めているかどうかを確認する必要があると思います。この点の調査を地元でお願いします。
・HSEが「FIT申請上の風車位置に隣接する土地が、事業認定取得後に保安林に指定され、保安林解除及び地元調整に時間がかかっている」と言っている点です。2023年に保安林に指定された床並2筆は、5で書いたように、資源エネルギー庁も隣接地ではないことを認め、この土地を事業区域とする場合は、新たな手続きが必要としています。一方、「隣接する土地が、事業認定取得後に保安林指定され」とHSEが書いているということは、2023年だけでなく、2022年、2021年4月以降、保安林に指定された土地があると言っているという点をチェックする必要があることも押さえておく必要があると考えます。
・私の名前で、県農林水産部に、HSEが風力発電を行う事業実施区域の隣接地において、どの地域が、いつ保安林に指定されたのか調査したいと思います。
・・・
 HSEが、来年3月30日の延長期限内に、資源エネルギー庁に必要な資料が提出できるかどうか微妙な状況だと思います。
 引き続き、調査を重ね、県議会でも必要な発言を行っていきたいと思います。
 この問題に対する皆さんの意見をお聞かせください。