4月28日、山口新聞は、青森県六ケ所村の放射性廃棄物の状況について次のように報じました。
「原発利用にともない生じる高レベル放射性廃棄物(核のごみ)が、青森県六ケ所村の一時貯蔵施設に持ち込まれてから今年で30年。貯蔵は最長で2045年までだが、搬出先となる最終処分場は場所も決まっていない。地質調査や造成など、処分場実現には20年以上がかかるとされ『既に時間切れでは』との声も。原子力政策の行き詰まりが、電力大消費地から遠く離れた青森にのしかかる。『青森県を最終処分地にしない』。最初の廃棄物が届いた1995年、県と国が交わした約束の文書だ。六ケ所村への搬入は30~50年間の(一時預かり)。この考え方は歴代知事が引き継ぎ、現職の宮下宗一郎知事も『国が前面に立ち、約束は守ってほしい』と強調する。あと20年となり、県内では差し迫った課題だとして『2045年問題』と呼ぶ声も聞かれる。極めて強い放射線を出す高レベル廃棄物は、原発の使用済み核燃料からプルトニウムなどを取り出す再処理で生じた廃液とガラスを混ぜたもの。『ガラス固化体』とも呼ばれ、六ケ所村の日本原燃貯蔵施設には、海外委託した再処理で出た固化体を入れた専用容器1830本が置かれている。2000年にできた最終処分法で、高レベル廃棄物は地下深く埋めて処分すると定められた。だが最終処分場の候補地探しは難航した。20年になってようやく北海道寿都町と神恵内村が、24年に佐賀県玄海町が、建設可否を調べる第一段階の調査を受け入れた。だが両道県の知事は建設に反対しており、今後も調査を続けるために必要な地元の同意を得られるのかは分からない。3段階ある調査だけで20年程度かかるとされ、建設も加味すると45年までの完成、搬入には疑問符が付く。今年3月の青森県議会では、『期限までの搬出は不可能だ』と切り捨てた。青森県内では、最終処分を拒否する条例を作るべきだとの声もある。ただ『国の確約で十分』などの理由から、県議会多数派や県当局は条例化に後ろ向きだ。他方、関係者の一人は地元の事情をこう読み解く。『いずれ国や電力業界と貯蔵の延長を巡る交渉になる。身動き取りやすい方がいい』。延長と地域振興策の駆け引きを見据えた静観だという。また県には高レベル廃棄物に対する核燃料税収があり、『出て行かれても困る部分もある』と明かす関係者もいる。県内では昨秋、使用済み燃料を一時預かりする中間貯蔵施設(むつ市)が操業。やはり貯蔵は最大50年間との約束だ。しかし搬出先となる再処理工場(六ケ所村)は完成が30年近く遅れており、ここでも不透明さが漂う事態となっている」
山口自治研通信(2025年4月14日)は、平生・周防大島町議会で、「放射性物質の持込等を拒否する条例』の制定を求める質問が行われたと次のように報じました。
「3月10日の平生町議会と18日の周防大島町議会では、町長に対して『放射性物質の持込と原子力施設の立地を拒否する条例』を検討するよう求める一般質問が行われました。議員側は、将来にわたって住民の安全・安心を担保するとともに、上関町の判断だけで建設計画が進みかねない事態に(意義を申し立てる)姿勢を鮮明にするためにも前向きに検討すべきと迫りましたが、両町長とも現在は立地可能性調査の団体にあることを盾に『検討以前の段階』などと消極的な答弁を繰り返しました。こうした条例は、最終処分場建設の調査を受け入れた北海道寿都町、神恵内村の周辺町村をはじめ全国36の自治体が制定しています。近くでは、島根県西ノ島町、高知県東洋町、鹿児島県南さつま市などが制定しており、条文構成はほぼ同じです。条例制定を現実のものとするためには、その必要性をどう具体的に示して住民の理解を得るかが課題となっています。」
北海道は、「北海道における特定放射性廃棄物に関する条例」を制定しています。条文には「特定放射性廃棄物の持込は慎重に対処すべきであり、受け入れ難いことを宣言する」とあります。
上関町に中間貯蔵施設の可能性調査が終わり、中国電力が近く「適地」である宣言を行う可能性が高まっています。
山口県は、北海道と同様の条例を制定すべきだと考えます。皆さんのご意見をお聞かせください。
26日、山口新聞は、環境省の有機フッ素化合物(PFAS)の調査結果について次のように報じました。
「環境省は25日、2023年度に実施した全国の河川や地下水の水質測定の結果を公表した。発がん性が指摘される有機フッ素化合物(PFAS)は、回答が得られた39都道府県の約2千地点のうち、22都府県の242地点で国の暫定指針値を超えていた。最大値は大阪府摂津市の地下水で、520倍となる1㍑当たり2万6千ナノグラム(ナノは10億分の1)だった。242地点のうち新たに指針値が確認されたのは42地点で、9都府県にある。過去に超過が確認され、継続測定ちているのが97地点。過去の汚染範囲を特定するための調査が103地点。PFASは工場や米軍基地、自衛隊施設の周辺で検出される事例が多いが、同省は測定地点の詳細を明らかにしていない。汚染源を特定したと自治体が判断しているのは岡山県吉備中央町など4例だけ。飲み水にも使われていた場所では、既に取水源の切り替えや飲用制限などの対応が取られているという。環境中の水に関する暫定指針値は、代表物質PFOAとPFOSを合わせて1㍑当たり50ナノグラムで、水道水に関する暫定目標値と同じ。広島県東広島市の地下水で1万5千ナノグラム、京都府綾部市の河川で4600ナノグラム、沖縄県宜野湾市の地下水で2200ナノグラムなど、各地で高い値が確認された。水質汚濁防止法に基づく環境省調査と各自治体の独自調査を基にPFOSとPFOAの合計値を整理した。任意調査のため8県からは回答が得られなかった。前回22年度調査で指針値超えは16都府県111地点だったが、調査条件が異なるため単純比較はできない。環境省が2023年度に実施した水質調査では、全国の地下水や河川で暫定指針値を超える有機フッ素化合物(PFAS)が検出されたが、自治体が『排出元を特定できた』としているのはわずか4例だ。泡消火剤を使用していた米軍基地などが疑われているが、同省は『詳しい原因は分からない』と説明している。4例のうち、福島県会津若松市では工場排水からPFASが検出された。静岡市や京都府綾部市では、汚染地域の周辺にPFASを扱っていた事業所があった。岡山県吉備中央町では、PFAS除去に使った使用済み活性炭が山中に放置され、地下水を汚染したことが分かっている。22年度の調査で、排出元が工場と特定された大阪府摂津市と大分市も含め、環境省が把握しているのは6例だけだ。東京都立川市、広島県東広島市、沖縄県宜野湾市など米軍施設周辺でも高い数値が出ているが、汚染源は特定されていないという。水に溶けやすいPFASは、土壌に浸透し、地下水を通じて拡散するため、排出元と汚染地域が異なるケースも多い。環境省は『特定できた自治体の事例の知見を集約し共有したい』としている。」
環境省が4月25日に公表した結果を見ると、山口県内の調査地点が、防府市の佐波川水系の一カ所で、1㍑当たり0.8ナノグラムであったとのことです。
環境省の結果公表で、県内に国の暫定指針値を超えた地点がなかったことは幸いですが、県内での調査地点が1カ所だけであった理由について、県環境生活部に照会を行いました。
県環境生活部の担当者は「佐波川については、国が行った調査が反映されたものだ。新年度、県独自に、県下全域の河川や海域及び地下水に関するPFAS調査を行うことにしている。その調査結果が、今後の国の調査結果の公表に反映されるものと考える。」と回答しました。
今年度行われる県独自のPFAS調査結果を注目していきたいと思います。
引き続き、PFASについて発言を続けていきたいと思います。この問題に関する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
3月27日、NHK山口放送局は、台湾有事などを念頭に沖縄の1万人以上が山口に避難する計画を県が発表したと次のように報じました。
「いわゆる『台湾有事』などを念頭に、政府は、沖縄の離島からの避難計画を初めてまとめ公表しました。山口県は、石垣市の住民、およそ1万2600人を受け入れる想定です。政府がまとめた沖縄の先島諸島の5市町村からの避難計画では、自衛隊や海上保安庁の船舶や民間のフェリー、それに航空機を使って、すべての住民と観光客を加えたおよそ12万人を九州の7県と山口県に避難させるとしています。27日、政府が初めて公表しました。このうち山口県は、石垣市から1万2611人を受け入れる想定です。詳しく見ますと、下関市に6006人、宇部市に2129人、防府市に1193人、山陽小野田市に940人を受け入れる想定になっています。JR新山口駅前の『KDDI維新ホール』には、『避難先連絡所』が設けられ、避難してくる人たちは、航空機で福岡空港に到着したあと、新幹線などを利用して連絡所で受け付けなどを行い、その後、受け入れ先に向かう予定です。避難初期の受け入れ先はホテルや旅館を基本とし、地域のコミュニティーを維持できるように住んでいる地区や家族単位で割り振られます。政府は、高齢者や入院患者への支援策や避難が長期化した場合の対応などについてさらに検討し、再来年度、令和8年度に基本要領を作成する方針です。」
しんぶん赤旗日曜版(2025年4月27日・5月4日合併号)は、石破政権の避難計画について次のように報じました。
「沖縄戦から80年たった今、政府は沖縄の戦場化を想定した新たな避難計画を公表しています(3月27日)。『再び避難という名の事実上の疎開が持ち上がっている』(沖縄タイムズ、3月30日付社説)など批判の声があがっています。計画は、武力攻撃が予想される事態を想定し、先島諸島の5市区町村(宮古島市、石垣市、竹富町、与那国町、多良間村)の住民ら約12万人を九州・山口各県に避難させるもの。輸送を担う船舶には自衛隊が契約で活用する民間船舶(PFI船)も想定されています。防衛省は、沖縄などへの部隊輸送力強化のためPFI船を現在の2隻から6隻体制に強化する方針です。防衛省は、日本共産党の赤嶺政賢議員の国会質問に『部隊を展開して、帰りは空っぽになるわけですから、そこに住民を輸送し、避難させることは合理的』(木原稔防衛相=当時=昨年6月13日)と述べ、部隊輸送後の復路で住民を避難させる考えを表明。赤嶺氏は『対馬丸と同じ過ちを繰り返すことになる』と批判しました。赤嶺氏は今年4月10日の衆院安全保障委員会でも避難計画を取り上げ『台湾有事に介入する体制づくりを進めているから避難が必要になる。やるべきは戦争を起こさなせないため米中双方に緊張緩和と対話を働きかけることだ』と強調しました。」
80年前の沖縄戦が始まる1年前の1944年8月22日に米軍潜水艦の攻撃を受けて沈没した学童疎開船・対馬丸。氏名が判明している犠牲者は1500人近くに達しました。先ほど、引用したしんぶん赤旗日曜版に、沖縄国際大学非常勤講師の吉川由紀さんは、「現在、再び沖縄で同じような住民避難の計画をつくろうとしています。しかし戦争になれば、再び同じような被害が起きることは明らかです。対馬丸は単に疎開船が撃沈された悲劇ではありません。戦争が起きれば何が起きるのかを示す私たちへの大きな教訓です。」と語っています。
私は、先日、南西諸島の一つ宮古島を訪ね、自衛隊のミサイル基地を視察しました。南西諸島で自衛隊のミサイル基地を次々に建設する「南西シフト」を進めるから避難計画が必要になるのです。そうなれば、対馬丸と同じような被害を想定しなければならなくなる。
私たちは、今、戦争を起こさないために、米中の対話を促進させる必要があります。そのために日本の外交努力が求められます。
山口県でも石垣市の避難計画が具体化されていますが、立ち止まって、戦争を起こさないためにどうすればいいのか考える時ではないかと思います。
先島諸島の避難計画について皆さんのご意見をお聞かせください。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙の読書欄は、前泊博盛沖縄国際大学教授が、望月衣塑子著「軍拡国家」について次の書評を寄せていました。
「今年は(戦後)80年の節目だが、本書は政府が猛烈な勢いで進める軍拡による新たな(戦前)の準備状況をリアルな取材で紹介している。憲法は前文と9条で非武装と非戦を誓っている。だが、安倍晋三元首相は自衛隊を『わが軍』と公然と呼び、歴代政権が守ってきた武器輸出禁止3原則を解禁し、軍事国家へと大きく舵を切り、『台湾有事は日本有事』と危機をあおり、南西諸島への自衛隊配備強化を加速した。安倍・菅義偉政権に続く岸田文雄内閣は安保関連3文書、防衛費対GDP(国内総生産)1%枠の撤廃、5年間で43兆円の『異次元の軍拡』を閣議決定し、防衛装備移転3原則の改定で殺傷能力のある武器の完成品の輸出を可能にした。そして石破茂内閣はアジア版NATO(北大西洋条約機構)の創設による集団的自衛権の拡大、核兵器の共有・配備という非核3原則の事実上の解禁に向けた議論を水面下で進めている。著者は10年前に『武器輸出と日本企業』で軍拡の動きに警鐘を鳴らした。それから10年、『軍拡』を加速する要人らの舞台裏の動きを、実名で告発している。事実をつかみ、証拠を押さえる。『裏どり』のためアポなし取材を試み、要人らに取材拒否に遭いながらも、突撃取材を繰り返す著者の取材手法に、読者は肝を冷やすであろう。『在野精神』を発揮した古き良き時代の新聞記者の取材活動の真骨頂をみる思いである。著者も昨年9月から内勤(デスク)となった。軍拡国家を形成する『軍産複合体』に、学術会議やメディアを組み込む『軍産学(報)』複合体制が構築され、軍拡の動きを伝える報道は姿を消しつつあると著者は指摘する。脅威である。軍拡による『新たな戦前』に歯止めをかける『政権に忖度しないメディア』をいかに取り戻すか。『同調圧力』『自壊するメディア』など著者のメディア論も併せて読み直したい。」
私が、事務局長を務めるうべ憲法共同センターは、2018年4月8日、望月衣塑子さんを講師に学習会を宇部市内で行いました。
その際に、望月さんに直接お会いして、パワフルな発言内容と親しみの持てる人柄に魅了されました。
それ以来、可能な限り望月さん著作や出演された映像は聴視するようにしてきました。
ブログで書いてきたように、私は、4月21日から沖縄県を視察しました。福岡空港に向かう24日の那覇空港の書店で望月さんの近著「軍拡国家」を手にし、飛行機と新幹線、電車の中で、この本を読みながら帰路につきました。
この本で、一番感銘したのは、第4章「要塞化が進む南の島々」です。ブログに書いたように、私は、22日、宮古島の新設された自衛隊のミサイル基地を視察したばかりでしたので、望月さんの文章で頭の中が整理できました。
特に「宮古島を訪ねて」の部分には、共感しました。
私が視察した、宮古島駐屯地(千代田地区)には、沖縄防衛局は「弾薬庫はつくらない。」と住民に繰り返し説明をしてきました。「ミサイル基地はいらない宮古島住民連絡会」の清水早子さんは、駐屯地の発足式が行われた2019年3月26日、沖縄防衛局の広報担当者に、基地内の「古墳状のものは弾薬庫なのではないんですか」と尋ねます。広報官は「小さい方は保管庫だが、もう一つは誘導弾などの弾薬を詰め盛り土をした弾薬庫です」と認めたとこの本に書かれています。
一連の経緯が2019年4月1日、東京新聞の朝刊1面に大きく掲載されました。
望月さんは、本著で「弾薬がなければ、配備が予定されている最大800人規模のミサイル部隊は絵に描いた餅になる。防衛省が駐屯地から南東へ約15㎞離れた保良地区の採石場を用地として取得した。かつて旧日本軍の弾薬庫が置かれた場所だ。弾薬の島外撤去から半年後の19年10月から、3棟の弾薬庫を備えた新たな訓練場を建設しはじめた。」
この時から5年以上経過した今年4月の状況は、千代田地区の弾薬庫にも弾薬が貯蔵され、保良地区の弾薬庫は2棟が完成し、残る1棟が建設中でした。
千代田地区には、12式地対艦誘導弾を搭載できる重装車両がいくつも配備されている姿を遠くに見ることができました。
望月さんは、「オフショア・コントロール」について書いています。
望月さんは、海兵隊大佐だったトーマス・ハメス氏が12年に提唱した当たらアメリカの国防戦略の一つがオフショア・コントロールだと説明した上で、「オフショア・コントロール」について「東アジアで中国との緊張が高まった場合に、地政学上の利点を活かして中国の海上を封鎖、その上で経済的な消耗戦にもち込み、全面的な武力衝突を回避するというものだ」と指摘しています。
望月さんは、2016年、防衛事務次官の西正典氏に自衛隊の南西シフトについて「日本を守るためと言っていますけれども、実は、ハメス氏の戦略に乗っかる形で自衛隊員をどんどん南西諸島に配備して、いざ有事が起これば結局は自衛隊員やその家族、そして島民の方々が犠牲になるだけではないでしょうか。」と質問したと書いています。
望月さんが、2016年に防衛省幹部に行った質問の内容こそ、自衛隊の「南西シフト」の本質であることを気づかされました。
望月さんの本書には、日本共産党の山添参議院の質問が取り上げられています。
2023年6月1日に行われた参議院外交防衛委員会で、山添議員が、安保3文書の改定に向けて政府が設置した、国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議の第1回目の会議で、日本経済新聞社の喜多恒雄顧問が「長い間、日本は武器を輸出することを制限してきた。それが防衛企業の成長を妨げてきた。この制約をできる限り取り除くべきだ」と述べています。
山添議員は、日本経済新聞社の喜多顧問の言葉を引用した後で「現在の防衛装備移転三原則とその運用方針では殺傷能力のある武器は輸出の対象から除外されている。それはなぜか」と当時の浜田防衛相に質しました。浜田大臣は、運用指針で輸出の対象は、救難、輸送、警戒、監視、掃海に該当する場合に限られていると説明した上で、「予断を持ってお答えすることは困難」と答えました。
山添議員は、「いよいよ公然と殺傷能力のある兵器まで海外に売りさばこうとするなら、これは前回の参考人質疑でも指摘があった、死の商人国家への堕落と評価されるのも当然だ」と指摘しました。
この「前回の参考人質疑」とは、武器取引反対ネットワークの杉原浩司代表が、2日前に行われた参院外交防衛委員会の参考人質疑で「平和国家から死の商人国家への堕落」と指摘したことを指しています。
この一連のやり取りが、望月さんの本書で取り上げられています。
そして、望月さんは、防衛装備移転三原則の撤廃を日本経済新聞社の顧問である喜多恒雄氏が求めていることに注目しているのです。
この点が、赤旗の書評で前泊さんが「『軍産学(報)』複合体制が構築され、軍拡の動きを伝える報道は姿を消しつつあると著者は指摘する」としている部分です。
望月さんは、本書の「おわりに」で、「この混沌とした世界に希望を持つのは難しいかもしれない。でも、平和を維持するためには歴史に学び、現在の状況を客観的に判断し、声をあげていくしかない」と書いています。
これからも、望月さんの著作から声をあげていく勇気を学びたいと思います。望月さん、「軍拡国家」に声を上げるジャーナリストとして発言を続けてください。応援しています。
この本を読まれた皆さん、感想をお聞かせください。
子どもが暮らすイギリス・ロンドンを拠点に、パートナーと一緒に、4月上旬からヨーロッパを散策しました。4月10日から、パートナーの友人が住むドイツ西部のミュンスター近くのオーラフさん宅にホームステイしました。ドイツ・デュッセルドルフ空港に降り立ち、「ナチスの犠牲者追悼記念館」(以下、追悼記念館)を訪れました。
追悼記念館は、デュッセルドルフにおけるナチス党の歴史の研究、学習、保存の場として、1987年9月17日にオープンしました。1933年から1945年の間に、ナチス党によって迫害されたデュッセルドルフの人々の生涯に焦点をあてた展示が行われています。
私は注目したのは、「ナチス下のデュッセルドルの子どもと若者」の展示コーナーで紹介されたダウン症児のアリーです。
アリーは、1938年9月8日にデュッセルドルフで生まれました。彼女は、1943年6月2日、ヴァルドニアという施設で、致死性の薬物の過剰摂取によって死亡しました。アリーの人生は、わずか4年9カ月でナチスによって奪われました。追悼記念館には、アリーが殺害された際に使われた麻酔薬「ルミナ―ル」が展示されています。「アリーに3ユニットのルミナ―ルが投与されアリーが亡くなった」とあります。
ダウン症児・アリーの殺害に使われた麻酔薬(ルミナ―ル)が追悼記念館に展示されていました。
(記念館の学生員の許可を得て撮影しました。
彼女の医療記録に、死因は「麻疹による肺炎」とありましたが、彼女は麻疹に対する免疫は持っていました。つまり、彼女の死は、ナチスによる「隠ぺいされた暗殺」と言えます。
アリーの亡骸は、母のカロリンの意向により、1943年6月7日、デュッセルドルフ北墓地の子ども専用の墓地に埋葬されました。母の意向がなければ、施設の共同墓地に埋葬されていたでしょう。家族はアリーの埋葬費用46マルクを支払いました。展示版には、「ヴァルドニエルという施設では99人の子どもたちが殺害され、その多くが施設の共同墓地に匿名で埋葬された。1943年7月にこの施設が閉鎖されると、残っていた183人の子どもたちは、別の移設に移設された。デュッセルドルフの子どもたちの何人かは、カルメンホフに運ばれ、今度は精神科医のヘルマン・ヴェッセ博士によって殺された」とありました。
日本障害者協議会代表の藤井克徳さんの著作に「わたしで最後にして―ナチスの障害者虐殺と優生思想」(2018年・合同出版)があります。この中に、ナチスが行った障害者殺害作戦=「T4作戦」の詳細が記述されています。T4とは、作戦本部があった地名と番地を組み合わせたものです。藤井さんは「『障害者の殺害作戦』などとそのまま表すと、市民社会からの同情や反発が予想されます。計画をカモフラージュするために、意味を判らない記号表記にしたのです。実際は『価値なき者の抹殺を容認する作戦』と言い表したほうが正解でしょう。」と述べ、「第二次世界大戦中のドイツで虐殺された障害のある人の数は20万人、ドイツ占領下の欧州各国を含めると30万人を下回らないとされています。」と書いています。
ナチスの障害者殺害作戦で虐殺された20万人の内の一人が、デュッセルドルフに住んでいた4歳のダウン症児・アリーだったのです。
藤井さんは、ドイツによるT4作戦は、優生思想によるものだと指摘し「遺伝の領域と結びつく優生思想ですが、その基本は、『強い人だけが残り、劣る人や弱い人はいなくてもいい』という考え方です。この優生思想、けっして過去の話ではありません。私たちの日本社会にも深く潜み、いまもときどき頭をもたげるのです。」と書いています。
私は、これからの人生、アリーがなぜ殺されたのかを考え続け、「弱い人はいなくてもいい」という社会を繰り返さないために、力を尽くそうと決意を新たにしました。