今日は、恒例の厚狭高同窓会に参加しました。
卒業して30年後に幹事が回ってきます。私たちは、あと3年後です。もうすぐです。
後輩たちはいろいろな分野ががんばっていました。
まず、生物部です。第11回日本水大賞でグランプリを受賞しました。
次に、総合家庭科です。全国高校生クリエイティヴコンテストで文部科学大臣賞を受賞しました。
その他、吹奏楽部や新聞部や陸上部が賞を受賞しています。
大いに頑張ってほしいと思います。
同窓会の中でも、南校舎を無くさないでという声が多数出ていました。
県教委はこれらの同窓会の方々の声にしっかり耳を傾けてほしいと思います。
吹奏楽部は山口県大会で銅賞を受賞しました
今日は、午前中、実家の草刈りを約2時間行いました。子どもたちは、母を手伝い墓掃除をしました。
草刈りは、家から離れた墓の周りです。刈ったり刈らなかったりする所なので、藪化してきています。
そこを刈るのは大変です。父が元気な時は、広範囲を刈っていたのですが、母だけでは大変です。
臨時議会やら選挙やらであっという間に盆になってしまいさすがに今日だけは手伝うことにしました。
今度は、選挙が終わる9月上旬に時間を作って草刈りを手伝うことにします。
草刈りは、保育園でも小学校でも率先して行うようにしています。
格好は長袖長ズボンの完全防備です。特に目の周りもガードしなければなりません。
それは、子どものころから農業災害の話を耳にしているからです。
草刈機で、手足や目を怪我した方は多数おられます。これらも気を付けて草刈り作業を行っていきたいと思います。
帰りに子どもたちとオープンしたばかりの楠こもれびの里に行きました。
ヌルヌルしていいお湯でした。お客さんが若干少ないのが気掛かりでした。
完全防備で草刈作業中です(次男が撮影しました)
本日、私と時田宇部市議は、日米FTA問題で、JA山口宇部の前田組合長、中戸常務理事と懇談しました。
私は、昨年、宇部市吉部で農業シンポジウムを開いたことや、日本共産党の農業再生プランや、志位委員長が行った「日米FTAにきっぱり反対する」との記者会見の内容を説明しました。
日米FTA問題について前田組合長は、「組合としても、明確に日米FTA反対を打ち出している」と話しました。
中戸常務理事は、昨日、農林水産団体などが主催し東京の日比谷野外音楽堂で行われた「日米FTA断固阻止緊急国民集会」に参加してきたと語り、「農業者だけでなく消費者団体が多数参加していたのが力強かった」と語りました。
私は、「農産物がただただ安いのがいいということで、日米FTAが締結されれば、日本農業は壊滅的な打撃を受けることになる」と語り、消費者を含めた国民的な運動の必要性を語りました。
前田組合長は、日本共産党のビラに書いてある「農業を基幹産業として発展させる」立場が重要だと語りました。
また、中戸常務は「民主党のマニュフェストに、日米FTA締結の文字があることに驚いた」と語りました。
私は、「今後とも農業を発展させるために、意見交換を続けましょう」と話しました。
前田組合長は、宇部市万倉の方です。私の父が万倉小学校に勤務していた時、PTA会長を務めておられたそうです。
そんな話も飛び出しながら、有意義な懇談となりました。
農業を守ることは国の安全保障に直結する問題です。
自立した国として日本が今後とも発展するためには、農業振興は不可欠です。
この立場で、日本が、諸外国同様、農業保護政策へ転換していくことは不可避です。
農産物の関税問題一つ取っても、EUは20%、アルゼンチンは33%、ブラジルは35%、メキシコは43%、タイは35%に対して日本は12%です。
今でも低い関税をなくそうとする日米FTAを締結すれば、農業の衰退は必至です。農業者だけではなく全国民的に大いに議論すべき問題です。
皆さんのご意見をお聞かせください。
日米FTA問題でJA組合長と対話する私
「レンガの子ども」が復刊された赤旗の本の紹介欄で知り、直ちに書店に注文しました。
「レンガの子ども」は、ヤジエセツルメント保育所の実践を綴った本であり、私は、ヤジエセツルメントに学生時代に所属をしていたのです。
1959年9月26日、伊勢湾台風が東海地方を襲いました。名古屋市の南区、港区、中川区を中心にすべて水没し、5千人余の死者、4万家屋の倒壊という被害が出ました。
名古屋市は、被災者のために応急仮設住宅を建てました。その一つが、南区弥次衛町に建てられました。その仮設住宅にに「ヤジエセツルメント保育所」が誕生しました。
この保育所の実践を綴った本が、「レンガの子ども」という本です。当時の保育士であった河本ふじ江さんと原田嘉美子さんの共著です。私がヤジエセツルメントの在籍した時代には伝説となっていましたが、絶版となっており、読むことができませんでした。
復刊により、私は、初めてこの本に触れることが出来ました。初めてですがとても懐かしい気持ちで一杯です。先輩の努力に頭が下がると同時に、私たちが通っていた当時のヤジエの街を思い出し目頭が熱くなります。
ヤジエセツルメント保育所は、1959年12月から1962年8月まで、二年八ヶ月しか存続しませんでしたが、保育所の実践が、「朝日ジャーナル」に掲載されました。
そして、東芝日曜劇場でドラマ化されました。ドラマでは、保育士役に、今も活躍されている渡辺美佐子さんと香川京子さん、セツラー(セツルメント活動を行う人の意味)役に、山本学さん、石坂浩二さんが出演されています。母親役に京塚昌子さんも出演されたと聞いています。
本の中にヤジエセツルメント保育所の大原則がこう書かれてあります。
「要求をとらえ組織する、要求を掘り起こす。そして話し合いをすすめ、全員で合意形成をしていく」
ヤジエセツルメント保育所は愛知の保育の原点と言われている所以は、この大原則にあると書かれてあります。
50年近くたってこの本が復刊された理由も、この大原則が今こそ求められているからだと思います。
この辺りを東海医療福祉専門学校の中村強士先生がこう書いておられます。
「今年2009年は子どもの権利条約が国連で採択されて20年目にあたります。あらためて子どもの権利について考えるときにも関わらず、『子どもの貧困』という問題が私たちに重くのしかかっています。
しかし、『こどもたちのために!』と努力を惜しまない保育者の姿を私はたくさんみてきました。私は、『レンガの子ども』を引き継ぐ一人として大きな責任を感じつつ、同じ思いをもつ多くの保育者たちといっしょに、これからも学んでいこうと思います。レンガを積み上げていくように・・・」
私も「レンガの子ども」を引き継ぐ一人であることを誇りに思います。直接保育の現場で働くものではありませんが、「住民のために!」努力を惜しまず力を尽くしていこうと思いました。
私は、押入れから「弥次衛セツルメント第90回定期総会―86年後期総括・87年前期基調方針(案)」を引っぱり出してきました。
この頃、私は、ヤジエセツルメント委員長を務めていました。この資料を作るために、何日も何日も議論した日々を思い出します。
この中に規約があります。「本セツルメントは1959年9月26日に起こった伊勢湾台風の救済活動をきっかけとして、1960年1月24日南区弥次衛町を対象として発足した」「本セツルメントは平和と民主主義を守り、地域住民の福祉向上と学生の自主的民主的学問研究のために活動する」懐かしい文字が躍っています。
保育所のスタートの直後に、セツルメント活動が正式に発足したのですね。それから25年以上後に私たちが弥次衛町に通っていたのです。そして、50年近くたった今も後輩の皆さんが弥次衛町に通っていることでしょう。
全国のセツラーだった皆さん。とりわけヤジエセツルメントの先輩。同期の皆さん。後輩の皆さん。近況をお知らせください。
地域のモウソウ・マメさん・ヒデ・ユキチャン・キョウミ・カオリ元気ですか。近況をお知らせください。
「レンガの子ども」には私の原点があります。これらもこの原点を忘れずに生きていきます。
同期の皆さん。そろそろ同期会やりましょうね。
県と市に豪雨対策に対する緊急要望書を提出
床上浸水被害者に支援を
藤本県議・宇部市議団が揃って提出
日本共産党北南地区委員会(五島博委員長)と日本共産党山口県議会議員団(藤本一規副団長)と日本共産党宇部市議会議員団(荒川憲幸団長)は、三日、久保田宇部市長と二井山口県知事に対して、「豪雨災害に対する緊急要望」を提出しました。
宇部市では、県下で三番目に多い床上浸水被害が発生しました。、日本共産党市議団と私が市民の方からお聞きした要望をそれぞれ十一項目にまとめ市長と知事に届けました。
要望項目の主なものは、①災害弔慰金は一部損壊世帯にも支給すること。②床上浸水被害世帯を支援する制度を創設すること。③急傾斜地崩壊防止事業は保全対象人家一戸から適応すること。です。
宇部市長宛の要望書を受け取った岩本副市長は、「盆までには文書で回答したい」と答えました。
県知事宛の要望書を受け取った倉重宇部県民局長は、「要望は、各担当課に伝えたい」と答えました。
私が代表して倉重県民局長に要望書を提出しました
厚狭地区の浸水解消求めて知事に要望書提出
三十一戸の床上浸水被害を起こした山陽小野田市厚狭地区の浸水解消のために、党北南地区委員会五島博委員長と党県議会議員団藤本一規副団長、党山陽小野田市議団中島好人団長、党山陽小野田市委員会厚狭地区災害対策本部下瀬俊夫本部長の連名で「豪雨災害に対する緊急要望」書を二井知事に提出しました。
要望項目は、東下津地区の排水ポンプの改善と処理能力を高めるとともに、大正川ポンプ場の排水ポンプをただちに3基まで増設することなどです。田中宇部土木建築事務所長が対応しました。
藤本県議が臨時議会総務委員会で質疑
七日、豪雨災害対策関連事業を計上した補正予算を審議する八月臨時議会が行われ、藤本県議は、総務政策委員会で質疑を行いました。
今回の補正予算の歳入に三五億円の県債が計上されています。これを含めて県債残高は、一兆二千億円を越えました。藤本県議は、財政の健全化のためにも、国庫補助金の嵩上げのある激甚災害の指定を受けるべきだと主張しました。激甚災害のハードルを低くするよう国に求めるべきだと質しました。岡田総務部長は、激甚災害の基準緩和を国に求めることには言及しませんでしたが、激甚災害の指定を引き続き国に求めていく姿勢であると答えました。
次に、藤本県議は、被災者への県税の災害減免について質問しました。藤本県議は、山口県で自動車税の災害減免規定を設けるべきだと主張しました。 金子税務課長は、他県の状況を調査すると答えました。
一気
日本中国友好協会山口県連合会は、一〇月十四日(水)から十七日(土)までの日程で、大連・旅順・瀋陽・撫順の旅を行います▼日本軍が中国で何を行ったのか見学するコースを設けました。旅順では、「万忠墓記念館」を訪ねます。一八九四年、日本軍は、日清戦争での時に、旅順を侵攻し、数日間で一万人以上の中国人を殺りくしました。瀋陽では、「九・一八歴史博物館」を訪ねます。満州事変が起こった一九三一年九月十八日奉天に向かう満鉄の急行列車が柳条湖付近を通過するときに、爆薬が爆発します。これをきっかけに関東軍と中国軍の戦闘が始まりました。日中戦争の起点に立つ記念館を訪ねます。 撫順では、平頂山を訪ねます。一九三二年関東軍は、住民三千人を虐殺しました。その現場を訪ねます▼観光コースでない満州の旅に多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
日米FTA(自由貿易協定)問題が総選挙の争点の一つになっています。
日米FTAを考える際の重要問題の一つは、全ての農業が日米FTAの中心課題となっているということです。
2007年にアーミテージ元米国務副長官らの超党派グループが発表した「日米同盟に関する報告書」で「米を含むすべての部門を交渉対象として、農業は米国と日本のFTAの中心になれるし、なるべきである」と、農業こそ日米FTAの中心だと述べています。
第二の問題は、日米FTAが締結されると、とりわけ米が壊滅的な打撃を受けることになるということです。
日米経済協議会の委託研究「日米EPA(経済連携協定) 効果と課題」と題するレポートが08年7月に出されましたが、この中にこう書かれています。「関税率が比較的大きく保護されてきた産業において、FTAによる自由化に伴う生産縮小が観察される。日本においては、コメ、穀物、肉類で生産減少が顕著である」。具体的な減少量として、米82・14%、穀物で48・03%、肉類で15・44%が減少するとしています。
志位委員長は、記者会見で「日本共産党は、日本農業の土台を支える米に壊滅的打撃を与える日米FTAに断固反対し、それを許さない防波堤としてがんばる」と語りました。
民主党はマニュフェストに「日米FTAの締結」と書いています。民主党は農業関係者の厳しい批判を受けて「締結」を「交渉を促進」に「文言修正」を行いました。
しかし、菅代表代行は、記者会見で「FTA交渉の推進は従来からの基本方針の中に入っている。基本方針が変わったということではまったくない」と述べました。
自民党は、民主党のマニュフェストに「日米FTAの締結」が掲げられたことを受けて「日本の農業、農村社会を崩壊に導くものだ」と批判しています。
しかし、自民党は、民主党を批判するのだったら日豪FTA交渉を中止すべきです。
北海道の試算では、日豪FTAをすすめた場合、農業への打撃は4500億円と関連産業の打撃で1兆3700億円に達し、失業者は農業で4万人、関連産業で4万6千人出ると予測しています。
私も農業従事者のはしくれとして、日米・日豪のFTA・EPA(経済連携協定)の動向は大変気になるところです。
自民と民主が、結局、自由化を競い合うような状況の中で、日本農業の再生は困難です。
FTA問題を解決していくためにも日本共産党の躍進が求められていると思います。