数日前から浅田次郎「終わらざる夏」を読んでいます。
先日の赤旗日刊紙のインタビュー記事を読んで、急いで書店に向いました。
浅田作品には幾度となく滂沱してきましたが、今度もそうなる予感がします。
今日までに読んだのは、まだ上巻の中ほどですが、戦争の理不尽さで胸が張り裂けそうです。
ここまでの主人公は、翻訳者の片岡直哉。兵役義務年限の45歳で初めて赤紙を受け取ります。
丁度、私と同じ年齢です。私は、今、45歳8ヶ月ですが、私が、65年前に生きていたなら、片岡と同じ境遇になっていたかも知れません。
「片岡の夢は、妻子とマンハッタンに住んで、祖国とアメリカが二度と愚かし戦争をしないようにお互いの美しい言葉を正確に訳し続けることでした。」
浅田さんが、赤旗のインタビューで片岡の事をこのように解説しています。
片岡は、兵役義務年限で招集され、更に、第二次世界大戦終結後の1945年8月18日、千島列島最北端の占守島に侵攻してきたソ連軍との戦いに臨みます。
片岡がこの戦いの中でどう想いどうなっていくのか。しっかり見届けたいと思います。
私の祖父は、生きていたら110歳。終戦が45歳です。父をはじめ6人の子どもを本土に残し、中国や南方など数度招集され兵役を経験しています。
祖父は、幸い生きて戦後を迎えましたが、艱難辛苦があったことでしょう。祖父は、私が生まれる3年前に亡くなっています。祖母も父も亡くなり、我が家の戦争の記憶は細くなりつつありますが、母に、この夏、我が家の戦争体験を今一度聞いてみたいと思います。
浅田さんは、赤旗のインタビューで「あの戦争で日本人だけで300万人もの人が亡くなった。僕らは今、この300万という数字からいったん離れて、それが一つひとつの命であり、生活であったというところまで考えなければならない時期にきていると思います。人の子であり親であり、愛する人もいれば将来の夢もある個人が否応なく戦争に巻き込まれ人生を奪われていった。戦争の実相を風化させてはならないという決意で、この小説を書きました。」と語っています。
今日は、広島に原爆が投下されて65年目の日です。9日、15日も目前です。
戦争の記憶が残る内に、「戦争の実相を風化させない」努力をそれぞれの家庭で、この夏、行うことが大切だと思います。
二度と戦争を繰り返さないために。皆さんの家庭に残る戦争体験をお教えください。
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