藤本かずのりサポーターズ はじめました

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映画「華氏451」

 フランソワ・トリュフォー監督による1966年にイギリスで製作された長編SF映画「華氏451」をDVDで観ました。

 原作は、レイ・ブラッドベリのSF小説「華氏451度」です。華氏451度とは、約摂氏233度で紙が燃え始める温度を意味します。

 徹底した思想管理体制のもと、書物を読むことが禁じられた社会が舞台です。禁止されている書物の捜索と焼却を任務とする「ファイアマン」のモンターグは、ある時から、本の魅力に取りつかれます。妻の裏切りから、彼自身が管理体制から粛清を受け、最後は、殺人犯として追われます。

 この映画を観て、ブライアン・パーシヴァル監督の映画「やさしい本泥棒」を思い出しました。

 1938年。第二次世界大戦前夜のドイツ。ナチス統制下の中で、ついに読書まで禁止されます。更に、反ユダヤ主義による暴動で数多くの本が広場で焼かれるシーンは、壮絶です。

 この映画は、日本では上映されず、DVDの販売はされています。私も持っていますので、観たいという方はご連絡下さい。

 しんぶん赤旗日刊紙には、「統制された文化」と題するシリーズが掲載されています。

 21日付のしんぶん赤旗では、写真評論家の白山眞理さんが、第二次世界大戦中の日本での写真団体までもが翼賛体制に組み込まれてことを次のように書いています。

 「意気盛んな若きプロ写真家たちは、40年9月に『日本写真家協会』を結成した。同協会常任幹事であった土門拳は、写真雑誌に『僕達は云わばカメラを持った憂国の志士として起つ』と熱い思いを記した。同協会は41年12月に発展改組し、すでに統制対象であったフィルムはこうした国家に協力的な写真機関へ割り当てられた。」「44年3月、既存の写真団体は全て解散の上、プロ、アマ合同の報国写真集団『大日本写真報国会』に統合された。」

 今年の2月20日、小林多喜二没後84年を迎えました。19日のしんぶん赤旗日刊紙に文芸評論家の松木新さんは、多喜二の死について「天皇制ファシズムが海外侵略への道に踏み出した時代、多喜二は他民族に対する抑圧に毅然と対決する正義を貫いた。虐殺された直後に発表された『党生活者』の一本の柱が、軍需産業での臨時工の首切り反対・反戦のたたかいであることが何よりも物語っている。」と書いています。

 私たちは、第二次世界大戦中、ドイツで日本で、読書や文化が統制された時代があったことを忘れてはなりません。

 そして、日本で、先制政治・侵略戦争に反対する文章を書いた作家そものを虐殺した時代があったことを決して忘れてはならないと思います。

 安倍政権は、「共謀罪」を何が何でも国会に提出しようとしています。

 映画「華氏451」が描く世界の到来を許してはならないと思います。

 映画「華氏451」を観られた皆さん、感想をお聞かせ下さい。

2017宇部市民春闘共闘総決起集会

 昨日、2017宇部市民春闘共闘総決起集会が宇部市役所前で行われました。

 集会の後、市内をデモ行進しました。

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 左から藤永県労連議長、青木宇労連議長、私

 私の連帯挨拶の要旨は以下の通りです。

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 2017宇部市民春闘共闘総決起集会にご参加の皆さんご苦労様です。日本共産党山口3区予定候補の藤本一規です。

 今年の地域春闘のスローガンは「STOP!暴走政治、守ろういのちと平和、そして憲法 賃金の底上げと雇用の安定、地場産業振興で地域の活性化」です。その中でも主要な課題は、「賃金の底上げと雇用の安定」でしょう。

 4日のしんぶん赤旗日刊紙は、経団連会長と副会長が社長をつとめる17社のうち16社で月80時間の「過労死ライン」を超える3・6協定を結んでいることを報道しました。NTT東日本は、なんと月150時間までの認める協定でした。

 昨年11月に経団連は会員企業に「過重労働防止徹底のお願い」をしたといいますが、会長・副会長企業が、月80時間を超える協定を改めないようじゃ、過重労働はなくなる訳はありません。まず、会長・副会長企業の過重労働をなくすべきです。

 14日の働き方改革実現会議で示された政府の時間外労働の上限は、月平均60時間までであり、何と繁忙期には、月100時間、2か月平均80時間を可能にするものだと報道されています。

 これでは、過労死容認法であり、電通で起きた過労自殺の悲劇はなくなりません。

 今、日本共産党、民進党、自由党、社民党の野党4党は、長時間労働規制法案を国会に提出しています。内容は、残業時間の上限規制などです。

 大企業が活躍しやすい社会ではなく、99%の労働者が活躍しやすい社会を市民と野党の共闘で実現いたしましょう。

 私は、山口3区の野党共闘候補を目指し、必ず勝利する決意です。春闘の勝利を祈念して、私の連帯のあいさつといたします。

・・・

 2017春闘で、大幅賃上げと長時間労働の規制を実現しましょう。

 春闘への皆さんの想いをお教え下さい。

辺野古訴訟・最高裁判決とは何だったのか

 山口県と岩国市は、岩国基地問題に対して「普天間基地移設の見通しが立つ前に、厚木から空母艦載機部隊のみを切り離して岩国に移駐することにはできない」とする基本スタンツを堅持しています。

 現在、空母艦載機部隊の一部であるE2Dが、岩国基地に配備されて訓練を始めるなどの「先行移駐」が始まる実態です。

 この間、空母艦載機部隊の移駐の説明のために来県した岸外務副大臣らは、「辺野古訴訟・最高裁判決」を根拠に、「普天間基地移設の見通しが立った」と説明しているようです。 

 「最高裁判決に従い、名護市辺野古沖への移設工事を進めていく」と安倍首相は、1月20日の施政方針演説で、沖縄県が米軍新基地建設に伴う名護市辺野古の埋立承認を取り消したのは違法だとした最高裁判決(昨年12月20日)を挙げて、新吉建設を正当化しました。

 2月5日付しんぶん赤旗日刊紙で、最高裁判決は何だったのか。早稲田大学大学院法務研究科教授(行政法)の岡田正則さんは、次のようにインタビューで答えています。

 質問:この判決は、新基地建設を進める国側にお墨付きを与えたといえるのでしょうか。

 岡田教授:そのような見方は、まず、判決の役目を誤解しています。今回の最高裁判決は、翁長知事が埋め立て承認取り消しを取り消さないことの「違法性」を確認しただけです。知事は昨年末、埋め立承認を取り消したことで判決に完全従ったと言えますし、辺野古新吉建設を進める国の方針に従う義務は一切ありません。次に、昨年3月の国と県との間の和解条項を根拠に、「最高裁判決が確定した以上、国の言い分に全面的に従うのが筋だ」というのもまったくの誤解です。今回の訴訟の前に、国交相は代執行訴訟を提起しました。翁長知事の代わりに承認取り消しを取り消すための訴訟です。しかし、国側敗訴の可能性があるということで昨年3月4日、国は裁判所の和解提案に応じて裁判を取り下げました。この若いは、国交相の是正指示に対して県知事が不服の訴訟を提起することを前提としていました。しかし、訴訟前の手続きである総務省の国地方係争処理委員会の審議において「円満解決のために、国は県とよく話し合って解決しなさい」という決定が出されました。沖縄県側はこれに従って国に協議を申し入れ、訴訟を起こしませんでしたが、国側が協議を拒否して今回の訴訟を起こしたのです。したがって、この時点で和解の前提は崩れ、和解条項の効力は失われたといえます。和解条項は、形式上も、そして内容の点でも、知事の権限行使を縛るものではないのです。

 質問:知事の権限として埋め立て承認「撤回」への期待が高まっています。

 岡田教授:翁長知事が撤回に踏み切るためには、前知事が埋立承認をやったあとの事情の変化を挙げる必要があります。公有水面埋立法4条1項には埋め立て承認の要件が定められています。例えば、その1号要件である「国土利用上」の「適正・合理」性についていえば、そもそも沖縄県は加重な基地負担を強いられています。新たな基地を造ることは不合理としか言いようがありません。加えて、新基地で運用されるオスプレイが昨年末、名護市の浅瀬で墜落しました。危険性が明白になったことで埋め立て承認当時の事情の変化を説明することは可能です。

 翁長知事は、1月20日のシンポジウムで「今後も新基地建設を進める上では、政府はいくつもの許認可を県や名護市に申請しなければならない。しっかり対処する中、撤回も含めて視野にいれながら、新基地は絶対に造らせない」と述べています。

 政府は、沖縄県との和解協議の最中に自治体や住民が拒否している新基地建設を強行するために訴訟を起こしました。

 今回の最高裁判決は新基地建設をすすめる国にお墨付きを与えたものでは決してなく、知事に「撤回」の権限や許認可権限が残されているのです。

 総じて、国が山口県や岩国市が説明するように、今回の最高裁判決を根拠に「普天間基地移設の見通しが立った」と言える状況ではありません。

 であるならば、山口県や岩国市は、最高裁判決を根拠に、空母艦載機部隊を受け入る判断をすべきではありません。

 今でも、普天間基地移設の見通しは立っていない訳ですから、空母艦載機部隊のみを切り離した先行移駐は、受け入れるべきではありません。

 辺野古訴訟・最高裁判決とは何だったのか。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

 また、空母艦載機部隊の岩国移駐に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

F35配備1ヵ月

 18日、中国新聞は「米軍の最新鋭ステルス戦闘機F35Bが、岩国市の米海兵隊岩国基地に配備されて18日で1カ月。年内に配備予定の16機中、1月下旬までに10機が到着した。8月に残る6機が配備され、7月以降は米海兵隊厚木基地(神奈川県)から空母艦載機61機の移転も始まる。アジア太平洋地域を重視する米軍の戦略の中で、岩国基地の軍事的拠点性は高まるばかりだ。」と報じました。

 中国新聞は、「米軍機は中国山地の一部を訓練空域にしているため、広島県や島根県などの自治体や市民は低空飛行や事故を懸念する。『岩国基地の拡張・強化に反対する広島県西部住民の会』の坂本千尋事務局長は『低空飛行が増え、国の説明とは違い、騒音被害が起きる可能性がある』と指摘した。」とも報じました。

 昨日採決された第85回日本共産党山口県党会議「総合計画」は岩国基地問題についてこう書いています。

 「2017年は岩国基地強化反対のたたかいにとって正念場の年となります。住民投票で示された市民の意思を踏みにじり61機の空母艦載機の移駐が17年中にも強行されようとしています。米海軍と海兵隊が一体となって運用されれば、規模においても攻撃能力においても、東アジアで最大の基地になってしまい、旧岩国市民の10人に一人は基地関係者という異常な軍事都市に変貌することに市民の中では急速に不安が高まっています。」

 昨日の党会議で、岩国市から参加した代議員が「基地交付金は114億円に達し、岩国市の財政の15.4%となり、基地交付金依存の市財政になっている」などの問題を提起しました。

 今年行われようとしている岩国基地の東アジア最大の基地化は、「基地機能の強化」にあたることは明確です。

 山口県と岩国市は、県民・市民との公約を守り、F35Bの配備と空母艦載機部隊の移駐をきっぱり拒否すべきです。

 F35Bが岩国基地に配備され1カ月が経過しました。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

長生炭鉱水没事故75周年犠牲者追悼集会

 1942年2月3日早朝、宇部市西岐波にあった長生炭鉱で水没事故が発生し、183人もの人々が坑道に閉じ込められ亡くなりました、犠牲者の内、137名は、強制連行された朝鮮人の方々でした。

 「長生炭鉱水非常を歴史に刻む会」は、毎年、韓国の遺族の方々を招いて犠牲者追悼集会を開いてきました。2月18日に、75周年の長生炭鉱水没事故犠牲者追悼集会が長生炭鉱追悼ひろばで行われました。

 追悼集会の中で、犠牲者遺族会のキム ヒョンス会長は、「75年間実行できなかった遺骨の引き上げが今年は必ず実現できることを願ってやみません。」と挨拶しました。

 徐張恩駐広島大韓民国総領事は「総領事館は、昨年の慰霊祭以後、日本政府厚生労働大臣に会ってこの心痛む話を十分にお伝えしています。」と挨拶しました。

 今年の追悼式には、大韓仏教観音宗、日韓仏教交流協会、韓国仏教宗団協議会などの代表も出席し、追悼の言葉を述べました。

 特に、観音宗の関係者が200人以上が韓国から追悼集会にかけつけました。

 日本共産党からは、大平喜信衆議院議員、木佐木山口県議、時田宇部市議らが参加し、犠牲者に献花しました。

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右から2人目から徐領事、大平議員、遺族会会長

 私は、長生炭鉱水非常を歴史に刻む会の運営委員の一人として、追悼集会の運営に関わりました。

マチネの終わりに

 「空白を満たしなさい」で深く感動し、平野啓一郎さんの最新作「マチネの終わりに」を読んでいます。

 本作は、15万部を突破し、感動が日本中に広がっていることを嬉しく思います。

 平野さんは、本作について次のようなメッセージを書いています。

・・・

小説の中心的なテーマは「恋愛」ですが、
そこは僕の小説ですので、
文明と文化、喧噪と静寂、生と死、更には40代の困難、父と娘、
《ヴェニスに死す》症候群、リルケの詩、……といった、
硬軟、大小様々なテーマが折り重なって、重層的な作りになっています。
もちろん、全篇にわたって音楽の存在は重要です!
『透明な迷宮』以来、「ページをめくる手が止まらない」小説ではなく、
「ページをめくりたいけどめくりたくない、
ずっとその世界に浸りきっていたい」小説というのを考えてきました。
何かとくたびれる世の中ですが、
小説を読むことでしか得られない精神的なよろこびを、改めて、
追求したいと思っています。 

・・・

 私は、最近、平野啓一郎さんの作品を読み始めて、自分が「ページをめくる手が止まらない」小説ばかり読んできたことに気付きました。

 本作を読んでまさに「小説を読むことでしか得られない精神的なよろこび」を感じています。

 サスペンスでもミステリーでもないのだけれど、本作を読みながら、何度も「え」とか「あ」とか、声を出してしまう場面に出会います。

 それだけ、小説の世界に自分自身が入り込んでいたのでしょう。

 400ページの本ですが、今300ページあたりを読んでいます。

 本の帯に、「ずっと余韻に浸っていたくて他の本に手がつきません」という読者の感想がありましたが、この本を読んだ後は、「マチネの終わりに」ロスになりそうな気持は、ここまで読んだだけでよく分かります。

 この小説は、「ここにあるのは、蒔野聡史と小峰洋子という二人の人間の物語である。」で始まります。

 小説の終わりで、二人はどのようなラストを迎えるのでしょうか。

 こうなってほしいという期待は私の中にあるけれど、本当にどうなるのか分かりません。

 それこそが、小説を読むことでしか得られない精神的なよろこびでしょう。

 実は、昨日、書店で、平野啓一郎さんの小説「ドーン」を注文しました。

 平野啓一郎作品を少しづつ読み進めるのが、私の最近の生き甲斐となっています。

 平野啓一郎ファンの皆さん、好きな作品をご紹介下さい。