今朝、8時からPTAの環境整備でした。草刈機を1時間動かしました。途中で、頭がクラクラくるような猛暑です。一人の怪我や事故もなく終えることができました。
今から、いじめ問題の学習会に参加してきます。福岡県で中学生がいじめで自殺しましたが、そのお母さんのお話で大変楽しみです。
夕方からは、中学校の同級生とバーベキューです。私たち家族ももちろん一緒です。
明日は、吉部地区の地区対抗ソフトボール大会に急遽出場することになりました。母と同居している甥(宇部高専2年生・姉の子)と一緒に参加します。胸をたたけるほどの実力のない私は、皆さんに迷惑がかからない程度の活躍が出来たらと思っています。
今日は、夕方から、猪よけの電気柵の取り付けを親戚の指導を受けながら行いました。去年は、8月末に、実際に猪の被害を受けて、急遽、電気柵を取り付けたそうです。(私は全く手伝っていません。)今年は、まだ被害はありませんが、取り付けることにしました。取り付けたのは、3つの田の内の一つで、それも完璧ではありません。一部、構造的に、柵が取り付けられない部分があり、そこから攻められれば被害は生じます。
先日は、これも生まれてはじめて、農薬の散布を手伝いました。機械のエンジンがかかりません。近所の親戚に見てもらい、プラグを変えたら一発でかかりました。農薬は、昔に比べれば随分軟らかいものになっているのでしょう。それほど苦しいものではりませんでしたが、機械から農薬を排出する量の調整など、初めての機械は大変です。
中産間地域で、米を収穫するまでには、様々な作業を必要なのですね。農業ビギナーの私は、その事に毎回驚いています。正直、農業は大変な仕事であることを実感します。
与えられた3つの田だけは、母と一緒に親戚の援助も得ながら耕作を続けていこうと思います。
農業ビギナーの私は、事故がないことを祈りながら、今日も愛用のつなぎに袖を通すのでした。
明日は、小学校環境整備の日です。明日も草刈機を回します。明日も事故がありませんように。
お互い熱中症には、くれぐれも気をつけましょう。
昨夜は、保育園の父母3家族で、バーベキューをしました。何と終了は、今日の4時頃になりました。一人のお父さんは、大工さん、もう一人のお父さんは医療関係、3人で大いに語りました。同世代を生きるものとして、様々な悩みや希望を語り合いました。
今日は、末娘だけが保育園。学童保育は明日からなので、男3人の子どもたちと一日を過ごしました。午前中は、庭の草引き。新聞の整理。午後は、3男の自転車の練習。兄二人も協力して、1時間程度やり、二足目が出るようになりましたが、手に怪我をしてしましいあえなく中断しました。「2回目の練習の時は、乗れるようになると思う。」と3男もやる気です。
夕方からは、次男と空手教室に行きます。次男は、初めての昇級試験直前で張り切っています。私の盆休みも今日までですが、しなければならいことをがほぼ出来ました。残ったのはこの部屋の掃除だけです。いったいいつになるのでしょうか。
昨日は、母と私たち家族全員で、県立博物館に行き、昭和展を観てきました。先日、観覧者が1万人を突破したということで、大変な賑わいでした。子どもたちは、昭和展以外の展示物も興味津々でした。今後も楽しい展示物で県民に親しまれる博物館になればと県議の一人としても願っています。
昭和展の物産店で子どもたちはおもちゃを買い、私は、西岸良平の漫画「3丁目の夕日傑作集1」を買いました。映画「ALWAYS3丁目夕日」は、ビデオを観て感動しました。原作がこの漫画です。近く第二弾の映画が封切られます。当時の映画館は、宇部市の記念館が使用されたということもあり、封切が楽しみです。
3丁目の夕日の舞台は、昭和30年代のはじめですから、今、団塊世代の方々が子どもの頃の情景でしょうか。戦争が終わって少したった頃で、未だに戦争が色濃く残っている頃です。「台風の夜」という作品には、その頃の事がよく描かれています。タバコ屋のおばあちゃん「大田キン」さんは、若くして夫に先立たれ、女手ひとつで苦労して育て上げた一人息子も戦争で亡くしたます。子どもたちから「アクマ先生」と呼ばれ、怖れられている名医のタクマ先生「宅間先生」は、終戦の年の大空襲で、妻・娘が行方不明になります。
今日は、戦後62年目の終戦記念日です。タバコ屋のおばあちゃんも宅間先生も、今、生きておられれば、100歳以上でしょう。戦争を実際に体験された方々も少なくなっていますが、当時、子どもだった団塊世代以上の方々から、その方の体験や、その方のご両親が受けた戦争の話しを聞く日にいたしましょう。
小泉元首相が、靖国神社に参拝しました。靖国派の方々は、あの戦争は正しかったといいますが、歴史をゆがめる者は歴史を繰り返す者です。私は、二度とあの戦争は繰り返さない立場に徹してこれからも頑張ろうと決意を新たにしています。タバコ屋のおばあちゃんや宅間先生の苦労は、繰り返してはなりませんから。
昨日、午前中は、父の初盆で実家に帰りました。父の兄弟、子ども、孫が勢揃いし、父をしのびました。酒が好きで、対立したことの多かった父でしたが、古里が、選挙区となって、父の偉大さを痛感する春でした。
夕方からは、高校時代のサッカー部の同級生二人と食事をしました。一人は、宮崎県で、運送会社で働いています。もう一人は、県内で、ピアノの調律師として働いています。気持ちだけは、高校時代にタイムスリップし爽快な一夜でした。「いっきは、議員らしくない。昔と変わらん。」これが、彼等からの最高のほめ言葉だと思いました。
合間合間に、図書館で借りてきた早乙女貢著「わが師山本周五郎」を読んでいます。周五郎さんは、「弱い」人間を好んで書いた。として早乙女さんは、次のように評論しています。
「もとよりそれは、単なる感傷でもなければ、通俗的な判官贔屓でもない。『弱さ』への共感こそが本当の人間であることの証であり、『強さ』を競い合うなかで己を築こうとする、英雄・豪傑の類が逆立ちしても窺い知ることのできない、人生の秘密がそこにある、と周五郎さんは考えているのだ。」
私も、「弱さ」へ共感できる人間として成長していきたいと思います。そして、もう少し山本周五郎を読み続けます。
昨夜、中田秀夫監督の「怪談」を観ました。尾上菊之助の新吉、黒木瞳の豊志賀の配役は的中したのではないでしょうか。特に、菊之助は、美しさとやさしさと悪さをもった新吉の表情をよく表現していました。私がもし監督をしても新吉は、菊之助と思わせるような演技でした。
原作の「真景累ヶ淵」は、文庫で450ページの長編です。映画では、前半部分が映像化されています。新吉が叔父さんの家に帰ったら豊志賀が来ている。駕篭で帰そうとすると豊志賀の訃報が。そんなことはないと駕篭を確かめると豊志賀の姿はない辺りは、映像によって話しがよく分かります。
映画で最終版にお賤が登場して、新吉が殺される辺りは、長編が割愛された弊害が出たようにも思います。映画のお賤は、ただの悪女としか描かれていませんが、原作では、お賤は、新吉の父の妾の子で、兄妹だったことが分かります。このように話しの因果は、その後も続く訳ですが、映画の都合上、新吉を原作にはなかった前半で殺ろす脚色に少し違和感を持ちました。
しかし、この辺りから新吉とお賤は、次々に人を殺める。新吉の悪さも極まります。登場人物も増え、因果の絡まりも深まりますから、映画にしずらかったのでしょう。映画は、豊志賀を中心にしてある。新吉が死んで、豊志賀の元に戻るという脚色でした。映画の結末の詳細は、劇場で。
文庫の解説に、「怪談」は、人間を表す手段だとありました。人情噺の場合以上に、自由に、一層、深刻に、奔放に人間性が摘出されるとありました。
新聞には、「怪談」以上の事件が踊っています。人間がこの世で一番恐ろしい存在であることは、昔以上に先鋭化している時代です。
「怪談」は、「因果ばなし」とも言われるそうですが、昔の人は、このような話から人間の恐ろしさを教え、自制することを教えたのではないかと思います。「因果応報」ではなく、今日的に、何故、人を殺してはいけないのかを私たちは、学ばなければなりません。
それには、命の大切さを教える教育と、人間を大切にする社会の実現が不可欠でしょう。