藤本かずのりサポーターズ はじめました

新着情報

「山口きらら博記念公園みらいビジョン」(素案)17日を期限で、パブリックコメント実施中です。

 1月5日、宇部日報は、きらら博記念公園の整備計画について次のように報じました。
 「県は、山口市阿知須のきらら博記念公園の整備計画『山口きらら博記念公園みらいビジョン』の素案を発表した。同公園を拠点とした県民の活力を創出・発信を掲げ、キャンプやグランピング施設に加え、温浴や宿泊施設を整備し、交流拠点化を進めていく。2001年の山口きらら博(21世紀未来博覧会に合わせて整備された同公園は、02年に『きららスポーツ交流公園』として使用を開始。面積130ヘクタールの色紙に多目的ドームや水泳プールを有している。利用者数は平均して年間60万人だったが、コロナ禍で10万人にまで減少。5類感染症に移行し、利用者数は回復傾向にあるが、施設の老朽化や少子高齢化、デジタル化といった課題へ対応し、さらなる利用拡大を促そうと再整備が進められている。素案では、整備方針として『県内外から幅広い世代の人が集う施設の導入』『アウトドアツーリズムの拠点』など10項目を提示。具体的にはフラワーガーデンや複合型アーバンスポーツ施設、サイクリングロード、温浴施設、合宿に使える宿泊施設、リモートワーク可能な屋内スペース、電動モビリティの整備、導入を目指している。県民や県外在住者、利用団体へのアンケート調査結果と宿泊利用やアーバンスポーツパーク導入に向けた実証実験で得られたニーズや課題も整理した。18歳以上の県民3000人を対象にしたアンケートでは、公園に期待する役割として『イベントによりにぎわいのある場』『子どもの遊び空間』『花やきれいな景色を楽しめる場』『やすらぎやくつろぎの場』が上位を占めた。月の海や森のステージ周辺で8~12月に実施したテントやキャンピングカーによる宿泊利用の実証実験では、キャンプ地の広さと海に面し、星空が美しい好立地が生かせる魅力を確認。一方、水場の遠さやキャンプ利用に際した車両の進入導線、バーベキュー後の炭を捨てる場所の確保など環境整備を求める声があった。ゾーニングや事業手法は年度末を目途に策定する最終案で示すとしている。素案に対するパブリックコメント(意見公募)を17日まで実施。県土木建築部山口きらら博記念公園交流拠点推進室へ郵送(〒753-8501山口市滝町1ー1)、ファックス(083-933-3749)、メール(kirara-pc@pref.yamaguchi.lg.jp)で提出する。」
 私は、22年11月県議会と23年2月県議会で、山口きらら博記念公園整備計画について質問を行ってきました。
 23年2月県議会では、「山口きらら博記念公園年間集客目標80万人、基金が40億円あることで、ターゲットを絞らず、税金を無駄遣いして箱物を創る時期ではない」と指摘しました。
 和田土木建築部長(当時)は、「コロナ禍で失われた人と人とのつながりは活力を取り戻し、元気で豊かな地域を創出するため、幅広い世代が集い、伸び伸びと活動する中で、山口の豊かさや住みよさを実感できる『交流拠点』として、また、県外の人に山口の魅力を感じて訪れてもらう『集客拠点』として、整備を進めることとしている。今後整備する施設については、その進め方も含め、来年度、基本構想を策定する中で、幅広く意見を聞きながら、検討することとしている」と答えました。
 部長答弁にある基本構想が「山口きらら博記念公園みらいビジョン」であり、この程、素案が示されたところです。
 素案は、ゾーニングや事業手法などについては、最終案で記載するとする一方、サウンディング調査について「アンケート調査の結果を踏まえ、民間のノウハウや創意工夫を踏まえた導入機能、実現性の高い事業手法等について、民間事業者との対話を通して意見や具体的な提案をヒヤアングするサウンディング調査を実施」するとしています。
 社団法人税金を使わないまちづくりの会」によると、サウンディング調査とは、「自治体のプロジェクトを構想段階で、市民や民間企業から市場性の有無やアイデアを求め、事業者がより参加しやすい公募条件の設定を把握する調査の事」です。
 同会は、「例えば自治体で土地の有効活用プロジェクトがあったとします。自治体は広くサウンディング型市場調査の公募を行います。そうすると、その地域ではない企業などが、それは素晴らしいアイデアを持ってきます。そこで何回か話し合いが持たれ、結局そのアイディアは採用しません。採用率は10%ぐらいではないでしょうか。(中略)地元にだってアイデアやノウハウを持っている企業は沢山います。まずは自分達から、その人達に意見を聞くべきです。絵空事のアイディアを募集するサウンディング型市場調査なんて、何回やっても税金の無駄です。」と指摘しています。
 更に、事業を行う手法として、PFI方式がその一つとされています。
 弁護士の尾林芳匡さんは、「議会と自治体」23年11月号で、PFIで発生した問題点について次の7つを挙げています。
 ①事業者の経営破たん
 ②事故と損失の分担
 ③乏しい経費節約効果
 ④事業者と行政との癒着
 ⑤住民や議会の立場の後退
 ⑥働き手は「官製ワーキングプア」
 ⑦「PFI神話」の崩壊
 山口県は、これらの問題点があるPFIを使って、山口きらら博記念公園を民間を参入して進めようとするのでしょうか。
 サウンディング型市場調査にも、先述したように様々な問題点がありそうです。
 記事にあるように、山口きらら博記念公園みらいビジョン(素案)が17日までの期限で、パブリックコメントが行われています。
 なぜ、民間を入れた公園整備が必要なのか、行政が関与して失敗した場合どうなるのか、等々、皆さんの様々なご意見を率直にお書きいただきたいと思います。

村岡知事の年末記者会見における中間貯蔵施設に関する発言を検証しました

 中間貯蔵施設について、年末の記者会見で踏み込んだ発言を行いました。
 先日、記者会見録が県のホームページにアップされましたので、私なりに検証したいと思います。
 昨年12月5日、木佐木県議が、上関原発の電源開発基本計画への組み入れの際に出された「知事意見」に関して、次の質問を行いました。
 ①「知事意見」は、使用済み核燃料を長期にわたって県内に貯蔵することは望ましくないというものだ。この考えに変わりないのか。
 ②国が「知事意見」に反する対応をした際は、上関原発計画の推進等について、「県が有する権限、事務、協力等を留保することもあり得る」という立場に変わりはないのか。
 鈴森産業労働部理事は、「これらの知事意見の内容について、変更はない」と答えました。
 昨年12月26日、知事記者会見が行われ、記者から「知事意見については、踏襲するのか」問われ、村岡知事は、「二井知事の知事意見というのは、かつて県として提出したものでありますので、それは、今も維持されているということであります。私も当然踏襲をする考えだ」と答えました。
 同趣旨の記者からの質問に村岡知事は「使用済み核燃料、それに類するというのが、そこに長期にあるということは望ましくないという考え方だと思いますので、それは今回の件についてもよく整理をする必要があると思う」と答えています。
 更に、村岡知事は、上関原発と中間貯蔵施設について、「山口県として、上関原発がありながら、別にその中間貯蔵施設のように、他の使用済み核燃料を受け入れているというそんな施設は全国にないわけです。私これは大きな負担だと思います。ですので、いずれにしてもそこについては、これから具体的計画が出されていく段階で、中国電力においてしっかりと考え方を確認していかなけれいけない大きな論点だと思う。」と述べています。この点は、今まで議会で質疑のなかった点であり、知事の新しい認識が表明されたものと思います。
 知事意見を修正するのかと記者から問われ、村岡知事は「今、時点で県としてはこういう形で出しますよというのは言えないと思う。当然、上関町がどう考えるとか、周辺市町がどう考えるとか、そうしたことの兼ね合いの中で県としてのスタンスというものを明らかにしていくことになると思いますので、そこの段階において、適切なやり方をしていくということになると思う」と答えました。
 総じて、知事は、年末の記者会見で、①使用済み核燃料が長期にあるということは望ましくないという知事意見は、踏襲する②上関原発がありながら、他の使用済み核燃料を受け入れる中間貯蔵施設を併設する原子力施設は全国になく、大きな負担である。中国電力に考え方を確認しなければならないーとの認識が示されたことは重要な点だと思います。
 引き続き、中間貯蔵施設に関する問題について皆さんのご意見をお聞かせください。

能登半島地震に対し、山口県は災害対策本部を設置していませんでした。

 私は、1月4日付で、県総務部に対して、①災害対策本部を設置した時期と根拠②災害対策本部を廃止した時期と今後について照会を行っていました。
 1月5日までに、防災危機管理課から①②に関して、「設置していない」との回答が届きました。
 山口県災害対策本部設置運営要項の7条に、「本部長は本部を設置したとき又は本部設置後において配備の規模を変更する必要が生じたときは、次の号に定めるところによりその規模を指定する」とあります。
 規模には、まず、第一非常体制です。津波では、特別警報が発表された時です。
 次に、第二非常体制です。震度5強の地震が発生したときや津波警報が発表された時などです。
 次に、緊急非常体制です。震度6弱以上の地震が発生したときなどです。
 気象庁は、1月1日16時22分に、大津波警報を石川県能登に、津波警報を山形県から兵庫県北部までの日本海沿岸に、津波注意報を北海道から長崎県までの日本海沿岸と北海道の太平洋沿岸の一部に発表しました。
 私が調べた範囲では、津波注意報が発表された都道府県で、島根、鳥取、佐賀、長崎、青森の各県で、災害対策本部などを設置しています。
 島根県が、1日、午後9時に、災害警戒本部を設置したとの報道があります。
 鳥取県が、2日、被災地支援本部会議を開催したとの報道があります。
 佐賀県のホームページに、1日、16時22分に、災害情報連絡室を設置したとあります。
 長崎県が、1日、16時22分に災害対策本部を設置したとの報道があります。
 青森県のホームページに、1日、16時10分に警戒本部を設置したとあります。
 山口県は、災害対策本部設置運営要項には、津波注意報では、災害対策本部を設置する災害ではなかったので、体制を取らなかったということなのでしょうが、日本海を抱える周辺の県が、災害対策本部などを設置している中で、山口県は災害対策本部を設置しなかったことは、今後、検証を行う必要があります。
 鳥取県と京都府は、災害支援対策本部を設置して、被災地へどのような支援を行うのか検討しています。
 今朝の新聞に、中国知事会で統一した被災者支援を行うことが協議されたとありますが、山口県として被災地支援対策本部を設置する体制整備が必要ではないかと思います。
 山口県が能登半島地震に対応した災害対策本部を設置していなかったことに対する皆さんのご意見をお聞かせください。

宇部日報に私の新年の挨拶が掲載されました。

 昨日の宇部日報に私の新年の挨拶が掲載されました。

 以下、紹介します。

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 あけましておめでとうございます。今年、私は還暦を迎えます。人生の半分以上、皆様には、市議・県議としてお世話になってきました。還暦を節目に、これまでの経験を皆様の暮らし向上のために生かしていく決意です。

 暮らしがかつてなく危機を迎える中での新年です。私は、年末の議会で、皆さんの暮らしを応援する質問を行い、成果を挙げることができました。

 一つは、新生児マススクリーニング検査の拡充です。同検査は、難病の早期発見に向けて新生児の血液を調べるもので、政府が補正予算に自治体で二つの難病検査を追加する経費を盛り込みました。私は、二つの難病の公費検査を行うべきだと質し、國吉健康福祉部長は「公費での実施に向けて取り組む」と回答しました。一日も早い公費検査実施に向け要望を続けます。

 二つは、「きらめき道路サポート事業」支援額の引き上げです。自治会等が県が管理する国道や県道の草刈りをする場合、県が委託料を支払います。2020年度から活動経費の支援額は1㎡44円です。この間、全職種の労務単価が8.9%上昇している状況を受け、私は、支援額の引き上げを求めました。片山土木建築部長は「支援額については、労務単価等の上昇を踏まえ見直しを検討している」と答えした。

 全県的には、上関町に使用済み核燃料の中間貯蔵施設を建設する計画が浮上した課題が重要です。宇部市から「中間貯蔵施設はいらない」の声を県政にあげる先頭に立つ決意です。

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 引き続き、皆さんのご意見を藤本までお寄せください。

2024年能登半島地震災害募金に取り組みました。

 1月3日、日本共産党中央委員会は、以下の通り、「2024年能登半島地震災害募金」の協力を訴えました。 

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 1日に石川県能登地方を震源とする地震が発生し、広範囲にわたり強い揺れが生じました。余震はさらに続くと見込まれます。また、地震直後には津波も発生しています。

 犠牲になられた方々に心から哀悼の意を表します。被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。

 現在、必死の救命、救急の活動が行われていますが、今後も被害が拡大するとみられます。

 日本共産党は、志位和夫委員長を本部長、小池晃書記局長を本部長代理とする「2024年能登半島地震災害対策本部」をたちあげ、被災地の党組織、国会・地方議員が要望の聞き取り、調査・救援活動にとりくんでいます。また、今後も被災者のニーズに応じた活動をしていきます。

 そこで、全国のみなさんに災害救援募金へのご協力を訴えます。お預かりした救援募金は、日本共産党の政治活動のための資金と区別し、全額を被災者救援、被災自治体への義援金に充てます。

募金は、下記で受け付けています。

【郵便振替】
 口座番号  00170-9-140321
 加入者氏名 日本共産党災害募金係
*通信欄に「能登半島地震募金」とご記入ください。手数料はご負担願います。

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 皆さんのご協力をお願いいたします。

 日本共産党北南地区委員会は、1月4日、フジグランうべ前で、能登半島地震の災害救援募金に取り組みました。

 私や、小選挙区1区予定候補のみふじ美智子候補らが、街頭から募金を訴えました。

 2024年能登半島地震災害救援募金に取り組みました。横断幕左側が私、右側がみふじ候補

 僅か40分の足らずの時間に、2万2000円の募金が集まりました。

 引き続き、能登半島地震の救済活動に取り組みます。皆さんのご協力をお願いいたします。

復活した小倉昭和館で映画を鑑賞してきました。

 朝日新聞が昨年の12月20日、小倉昭和館の復活について次のように報じました。
 「昨年8月に北九州市小倉北区の旦過市場一体で起きた大規模火災で全焼した老舗映画館『小倉昭和館』が19日、もとあった場所で営業を再開した。1年4か月ぶりの再開にファンらが駆け付け、樋口智巳館主が一人ひとりに、小倉昭和館と刻印されたまんじゅうを手渡し、感謝を伝えた。『小倉昭和館再建の思いと重なる』と、初上映作品に選んだのは、『ニュー・シネマ・パラダイス』。第2次世界大戦後のイタリアが舞台の、小さな村の映画館をめぐる物語だ。作中の映画館は焼け、支援を受けて再建を果たす。樋口館主は上映前、『おかげさまでこの劇場ができた。皆様と一緒に守ってずっと続けていきたい』とあいさつした。来場者の中には、76年前に小倉昭和館で撮影したという古い写真を持参した94歳と93歳の女性の姿も。現在は別の場所で暮らすが、昭和館の近くで育ったといい、当時をなつかしみ、『立派に再建出来てよかった』と感激していた。小倉昭和館は、復活を望む約1万7千筆の署名やクラウドファンディングなどの支援を受け、再建。1スクリーン134席で、交流スペースや飲食できる場所を新設した。」
 私は、小倉昭和館に何度も通い、多くの作品に触れてきました。
 一昨年の火災事故は衝撃で、小倉昭和館が復活というにニュースに喜ぶ一人でした。
 正月休みで、妻と復活した小倉昭和館に行ってきました。
 映画館に、樋口智巳著「映画館を再生します。小倉昭和館、火災から復活までの477日」があり、購入し、樋口さんのサインもいただきました。
 この本の中に、高倉健さんとの交流が描かれています。
 二代目館主のお父様がご病気になられ、2009年、小倉に帰ってきて三代目館主となります。
 この頃の高倉健さんとの交流を次のように触れています。
 「わたしが小倉にもどって、最初に仕掛けたのが、高倉健さんの特集上映でした。健さんは、福岡県中間市出身です。最後の出演作になった『あなたへ』のロケが、北九州の門司港であると聞いたので、昭和館でも同時期に、健さんの特集を組みました。エキストラの一般公募に申し込んで、映画『あなたへ』に出演させてもらいました。門司港のベンチで話している健さんと佐藤浩市さんの目の前を、夫とふたりで意気揚々と歩いたのです。幸いなことにカットされず、ほんの一瞬だけ、映画に残っています。この撮影後、高倉健さんにご挨拶したところ、『自分の映画を上映していただきありがとうございます』と、握手してくれたのです。昭和館を知ってくださっていた・・・。うれしくて、手紙を書きました。握手のお礼と、『昭和館を存続させるかどうか、迷っています』と、正直に打ち明けました。思いがけず、お返事をいただきました。健さんの手紙は、速達で届きました。何か失礼があったのではないかと、おそるおそる封をあけたのですが・・・。『熱のこもったお手紙、拝読させていただきました』と書いてあります。一文字ずつ、かみしめるように読みました。『映画館閉鎖のニュースは、数年前から頻繁に耳にするようになりました。日々進歩する技術、そして人々の嗜好の変化、そんな業界でもスクラップ・アンド・ビルドは世の常。その活性が進歩を促すのだと思います』甘い言葉ではありません。それでも健さんは映画館経営を励ましてくれたのです。『スクラップ』と『ビルド』は、切っても切れない関係にある。たとえ崩れたとしても、そこから生まれてくるものがある・・・。この手紙は宝物にして、昭和館に飾っていました。健さんの言葉には、続きがあります。『夢を見ているだけではどうにもならない現実問題。どうぞ、日々生かされている感謝を忘れずに、自分に嘘のない充実した時間を過ごされて下さい。ご健闘を祈念しております』感激しました。昭和館を守ろうと決意しました。
 健さんの最後の言葉は、この本のあとがきにも登場し、樋口さんが小倉昭和館を復活させる原動力となるものでした。
 私は、今年で還暦です。40年前の大学生の時に、学生22人を亡くすバスツアー事故の参加者の一人でした。
 そして、今年の元旦の能登地震。60名を超える方々が亡くなられました。
 少し気後れしながら、妻と小倉昭和館で、この本に出合い、私も高倉健さんの言葉に励まされました。
 「今を生かされている感謝を忘れずに」「自分に嘘のない充実した時間を過ごす」その事が、40年前に亡くなった多くの同級生と今回の災害で亡くなった方々への自分として報いとなると感じました。
 高倉健さんの言葉を原動力に、災害に強い山口県づくりを考えていこうと、樋口館主の本を読みながら、帰路につきました。
 これからの復活した小倉昭和館で、多くの映画に出合い、後半の我が人生を彩っていきたいと思います。
 樋口館主、素晴らしい本をありがとうございました。