昨日、米軍の最新鋭ステルス戦闘機F35Bの岩国基地への配備計画について、村岡知事と福田岩国市長、米本和木町長、椎木周防大島町長が協議を行いました。
基地周辺3市町長がF35Bの受け入れを表明し、村岡知事は「基地周辺住民の生活環境が悪化する状況は生じないと判断する」と述べ「基地機能強化には当たらない」とF35Bの受け入れを表明しました。
今朝の毎日新聞に、「F35B配備反対市民集会実行委員会」の岡村委員長は、「知事は国の意向に沿って容認を表明しただけ。県民からいくら異論が出ても基地問題について思考停止させている。頭の上を飛ばされる県民に対し、行政として責任を果たせるといえるのか」とのコメントを寄せています。
昨日、「県及び関係市町の協議」の場で山口県岩国基地対策室が作成した「F-35Bの岩国基地への配備について(最終取りまとめ)」という文書が示されました。
県のホームページからダウンロードできますので、皆さんも参照してください。
この中に、「国への紹介に対する回答等」があります。
まず注目すべきは、岩国基地配備後のF-35Bの任務や役割です。
国は述べるF-35B配備の第一の意義はこうです。
「我が国を取り巻く安全保障環境が一層激しさを増す中、。在日米軍においては、緊急事態に迅速に機動的に対応できる態勢が平時からとられており、このような在日米軍のプレゼンスは米軍が有する核戦力や通常戦力と相まって、抑止力として機能しているものと考えています。」
「米軍が有する核戦力」に応える最新鋭戦闘機がF-35です。B61型の核弾頭を搭載できるのがF-35です。
非核三原則を堅持する日本が、米国の核戦力を含む戦力を「抑止力」として「日本及ぶアジア太平洋地域の安全に寄与するもの」として積極的に活用しようとする政府の姿勢についても大いなる疑義を持ちます。
その上で、アメリカの核戦力に寄与する最新鋭戦闘機が国内で初めて岩国基地に配備されるのに、「基地周辺住民の生活環境が悪化する状況は生じない」として基地機能強化に当たらないとする山口県の判断には重大な疑義を感じます。
F-35Bの環境レビューについて、政府は、「米側から、現時点において、行わないとの説明を受けている」と答えています。
2014年6月に発せ舌F-35Bの事故について、政府は、「当該不具合箇所については、米国防省F-35ジョイントプログラムオフィスから、既に技術的改善策が講じられている旨説明を受けており、政府としては、本件不具合がF-35Bの安全性に影響を及ぼすとは考えておりません。」と答えています。
F-35Bの訓練場所について、政府は、「その詳細はについては、米軍の運用に関わることであるため、承知しておりません。」と答えています。
F-35Bの試験飛行について、政府は、「国内で試験飛行を実施することは困難であると考えています。」と答えています。
以上の政府の回答から次の事が分かりました。
米軍は、国内で実施している環境レビューや試験飛行は日本では行わず、いきなるF-35Bを配備しようとしています。
F-35Bの事故への対応については、アメリカいいなりの回答を政府は行っています。
F-35Bの具体的な訓練場所などについて政府は、「米軍の運用に関わること」との常套句で明らかにしません。
この回答を受けて、山口県は、防衛省が市江下F-35Bの航空機騒音予測コンター図などを根拠に、「生活環境が悪化する状況は生じない」などとして「基地機能強化には当たらない」とF-35Bの配備を決めることに納得ができません。
結局、住民の安全よりも、「日米同盟の抑止力強化」を優先させた今回のF-35Bの配備容認と受け取らざるを得ません。
「抑止力」強化とは、戦闘機の戦闘能力の強化ということであり、基地機能強化は明確であり、山口県は、F-35Bの配備を容認するべきではないと思います。
「抑止力」強化は、敵から観れば、標的としての価値の強化であり、岩国基地が敵の標的としてのクラスがアップすることは明確です。
その点でも、岩国基地周辺住民の安全性が疎外されることになることは明白ではないでしょうか。
県と岩国基地周辺自治体がF-35Bの配備を容認しました。
皆さんは、このことをどうお考えですか。
7日の中国新聞は、一面で「特別養護老人ホーム(特養)に入所を申し込んでも入れない待機者が38道府県で約22万3千人と、2013年の約38万5千人に比べ42%減ったことが6日、共同通信の今年10月末の集計で分かった。」と報じました。
中国5県の減少幅は、広島42%、山口39%、島根44%、鳥取25%で、岡山は非公開。
中国新聞は、「15年4月から特養の入所条件が原則『要介護3以上』と厳しくなったことが主因」「数字上は待機者が大幅に減ったが、認知症や老老介護など要介護度が低くても自宅で暮らすのが難しい高齢者が門前払いされる例もある。行き場のない『介護難民』や家族の介護離職の増加が懸念されている。」と報じました。
7日の山口新聞は、中国新聞と同じ共同通信の記事を掲載する中で、市民福祉情報オフィス・ハスカップ主宰の小竹雅子さんの話を紹介しています。
小竹さんは、「特別養護老人ホーム(特養)の待機者が減少したのは見かけだけにすぎず、特養を必要とする人が減ったと捉えるべきではない。要介護1、2でも在宅生活が難しいなどの条件があれば入所できるが、実際には周知されておらず、門前払いされるケースがある。一定以上の所得があると介護サービスの事故負担が1割から2割になった影響で、費用を負担できず入所を諦めている人も少なくない。軽度でも徘徊の恐れなどがあり、家族の介護負担が重い人や経済的に余裕のない人もいる。実態を把握しないまま、介護サービスを利用する権利を安易に制限すべきではない。」とインタビューに答えています。
政府は、介護保険制度の見直しで、要介護1、2の生活援助や通所解除を保険給付から外すことを検討してきましたが、反対よどんにおされ今回は見送りました。しかし、厚生労働省は要介護1、2の「軽度者」の利用料の1割から2割以上への負担増などを提案し、来年の通常国会への法案提出を目指しています。
1日のしんぶん赤旗で、「軽度者」の利用料の1割から2割以上への負担増について全国老人福祉施設協議会在宅サービス委員長の武藤岳人さんは、「『軽度者の負担割合を2割以上に引き上げると広範な利用控えが出てくるでしょうね。財務省が求めているように生活援助が3割など『大幅』な負担増になるとお金のある人以外は、最低限の利用回数か、利用をやめることになるでしょう。」と述べています。
介護保険は、サービスの切り捨て、利用料の負担増で、「国家的詐欺」の様相が強まっています。
これら介護保険の大改悪に対しては、ヘルパー・ケアマネジャーの全国組織や福祉用具業界がこぞって反対を表明、政府の審議会でも日本医師会、介護事業者の団体、自治体関係者などから異論が噴出しています。
介護保険の大改悪を中止させ、特別養護老人ホームの軽度者締め出しなどを止めさせ、元の制度に戻す改善に取り組んでいきましょう。
介護保険の大改悪に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
重松清さんの「赤ヘル1975」を読んでいます。
1975年は、広島東洋カープが「赤ヘル」と呼ばれるユニホームにイメージチェンジを図った年です。
1975年は、広島市へ原爆が投下されて30年が経過した年です。
広島市民球場近くの中学校に東京からマナブが転校してきます。
マナブを取り巻く広島の中学生と広島東洋カープの軌跡を描いた物語です。
皆さんは、もうご承知の通り、1975年、広島東洋カープは、球団創立25年目で初めてのリーグ優勝を達成しました。
日本シリーズは阪急ブレーブスと対戦しています。
私は、1975年は、小学校6年生。赤い縁で赤いHのマークの付いた阪急ブレーブスの帽子を被って学校に行っていました。
阪急ブレーブスは上田監督。エースはアンダースローの山田。福本という足の速いバッターに憧れていました。
日本シリーズは、当時、平日でデイゲームだったように記憶しています。
学校から帰って、日本シリーズで阪急を応援していたあの頃を思い出します。
対戦相手が、広島カープだったんですね。
というように、この小説の主人公は、私とほぼ同世代で、野球少年だった私は、一気に、1975年の時代にタイムスリップしてしまいました。
今年は、広島東洋カープが25年ぶりにリーグ優勝し、日本シリーズは、日本ハムと激闘を繰り広げました。
広島の25年ぶりのリーグ優勝、黒田投手の引退。日本ハムの二刀流の大谷選手の活躍。
などなど今年の日本シリーズに話題は尽きません。スポーツの話題には敏感な中高生の息子たちも、今年の日本シリーズは興味深々。
家族で、今年の日本シリーズは殆ど観戦しました。
日本ハムが打撃で、広島を少し上回ったけ結果、日本ハムが日本一となりました。
申し合わせた訳ではありませんが、家族はみんな広島を応援していました。
さて、マナブと同じクラスの地元の酒屋の倅、ヤスの父親も原爆の後遺症で亡くなりました。
同じクラスの沢口さんのおじいさんも、原爆の後遺症に苦しんでいます。
「赤ヘル1975年」に以下の文章があります。
「確かに今年は1975年で、1945年の原爆投下からちょうど30年にあたる。それは広島に引っ越してくる前から知っていた。マナブ自身を基準にすれば、自分が生まれるずっと前の出来事ということになる。けれど、親まで含めると、原爆は勝征さん(マナブの父)が8歳の頃に落とされた計算になって、急にごく最近のことのように思えてくる。」
「勝征さんは昭和12年に生まれた。日本と中国が戦争を始めた年だ。『勝征』という名前にも、戦争がかかわっているのだろう。親や親戚の願いが込められているのかも知れない。」
私の母は、昭和12年生まれ、マナブの父と同じ年です。名前は「克子」といいます。私の母の名前も戦争に関わっているのでしょう。
母と同年代の父の弟は「勝正」といいます。戦時中に生まれた方々に「勝」や「克」のつく名前が多いことが私の周辺からだけでも分かります。
つまり、私たちの世代(50過ぎ)は、親の世代(80前後)が戦争を経験しています。
実際に起こった70年前の戦争をリアルに後世に伝えることが出来る最後の世代と言えます。
私の祖母の妹である石川みち枝が先日亡くなりました。
彼女はあらつちの同人で歌人でした。
本ブログでも何度か紹介していますが、彼女の次の句を紹介します。
「おくり火に亡き夫偲び大陸に埋め来し吾子の齢を数ふ」
終戦の時、満州にいた石川は、日本に帰れないまま、満州で、11月に女児を出産します。
わずか100日で、その子は亡くなります。
極寒の地、凍土は硬く、子どもの亡骸を十分に埋めることが出来なかったことを戦後、悔やみつづけてきた石川。
その思いを詠ったのが先ほどの歌です。
今年小学校6年生になった、長女は、修学旅行で広島を訪ねました。
しっかり学んで、平和を築く人材へと成長してほしいと思います。
平和のリレーを父や母から私たちは、しっかり引き継いでいこうと思います。
広島が25年ぶりにリーグ優勝したこの年に、原爆投下から30年後の1975年の広島とカープの活躍を描いた重松清さんの「赤ヘル1975」が一人でも多くの皆さんに読まれることを願っています。
少年時代に阪急ファンだった私は、日本シリーズの頃からいつの間にか広島カープファンになっていました。
そして、この小説を読んで、益々、カープが好きになりました。
来季も広島カープの活躍を大いに期待しています。
新海誠監督の劇場公開作品の3作目「秒速5センチメートル」を観ました。
高校でデザインを学んでいる次男は、繰り返し観ていました。
惹かれあっていた男女の時間と距離による変化を「桜花抄」、「コスモナウト」「秒速5センチメートル」という短編3話の短編で編成された「連作短編アニメーション」です。
「桜花抄」の舞台は、東京、主人公の高樹は小学生。惹かれあっていた明里は小学校卒業と同時に栃木に転校。今度は高樹が鹿児島へ転校することが決まる。高樹は明里に会いに行く。
「コスモナウト」の舞台は、種子島。主人公の高樹は、高校3年生。同級生の花苗は、高樹に想いを寄せる。高樹は東京の大学への進学を決める。花苗は、高樹に想いを告げようと決心する。
「秒速5センチメートル」の舞台は、東京。主人公の高樹は、サラリーマンになっている。高樹は、今も中学生の時、明里に合った雪の夜を引きずっている。
私自身、生きてきた半世紀を振り返り、高樹の切ない想いに共感しながら映像の世界に深く入っていきました。
「君の名は。」を大ヒットさせた新海誠監督は、10月20日、毎日新聞のインタビューにこう答えています。
「先日、テレビ番組に出演したときも、女子高生から『なんで40代のオジサンが私たちの気持ちが分かるの?』という若干失礼な質問を受けました(笑い)。若者を取材したわけではもなく、『本当のリアル』が描けてはいないと思います。しかし、僕は10代の頃苦しかったことは、濃度は薄れても今も苦しいし、強烈にあこがれたものは、手に入らずとも今もまぶしいものだと思います。『なんで?』と尋ねた彼女たちも、突然大人に切り替わるのではなく、グラデーションで私たちに続いている。世代や性別差より、一人一人の人間の違いが大きい。差を考えても仕方ないと思います。」
「君の名は。」「秒速5センチメートル」など新海誠監督の映画をいくつか観てきましたが、「相手は何を考えているのだろう」「相手に気持ちが伝わらないのは何故だろう」などの「若き悩み」にストレートに向き合うことがテーマになっているのではないかとうことに気付きました。
誰も経験し悩んできたことなので、新海作品を観た私たちは、深く共感できるのだと思いました。
「若き悩み」への向き合い方は半端なものではない真摯さがあるのでの、新海作品は、多くの観客に支持されるのではないかと思います。
そして、「秒速5センチメートル」を観ても痛感したのは、背景の美しさです。
背景の美しさが、新海作品が「君の名は。」に至るまで、でどんどん進化、深化していると思います。
「秒速5センチメートル」では、「コスモナウト」での種子島の風景描写が圧巻でした。
海とロケットと空と風。今でも私の脳裏に広がります。「秒速5センチメートル」を観られた方は共感していただけると思います。
DVDの特典映像に、「秒速5センチメートル」を作成した新海監督へのインタビューがありました。
インタビューの中で新海監督は、「桜花抄」に出てくる両毛線や「コスモナウト」に出てくる種子島には、監督とスタッフが足を運び丁寧な取材をしている事を語っています。
新海監督は、実際とは、違う色合いや距離感で背景を描いていることをインタビューで切々と語っています。
毎日新聞のインタビューで、新海監督は、「君の名は。」の中で、満足がいかないところがあったと語っています。
「技術的な部分、色彩設計などの作り込みです。できなかった理由は時間的制約だったり、先輩アニメーターを前にしての経験不足だったり。」
私は、この部分を読んで、新海監督への信頼が深まりました。
新海作品は、更に、進化、深化することでしょう。
これまで、宮崎駿作品の多くは劇場で観てきました。
これからは、新海誠作品を劇場で観続けていきたいと思います。
新海誠監督の次回作に大いに期待しています。
新海誠作品に対する皆さんの想いをお教え下さい。
共産、民心、自由、社民の4野党が抗議するなか、自民、公明と維新の3党は、昨日、衆院環太平洋連携協定(TPP)特別委員会で、TPP承認案・関連法案を強行採決しました。
明日付のしんぶん赤旗日曜版に、同志社大学教授の浜矩子さんは、TPPについて次のようなコメントを寄せています。
「安倍首相は『何が何でも今国会で成立を』と前のめり『丸出し』です。慎重審議を求める世論に耳を傾けようとか、真摯に納得を得ようとする姿勢は皆無です。安倍首相は『TPPは成長戦略の核となる』といいますが、国民生活は、安倍政権の成長戦略なるものの中で基本的に無視されています。世界一強い日本経済と世界一強い日本国の『総帥』たらんとする視点からしか物を考えないから、『成長戦略の核』とか『大きなチャンス』という言い方になる。TPPで被害を受ける国民生活はそもそも眼中にありません。安倍首相はTPPの『戦略的価値は驚異的』と発言しています。『21世紀型大東亜共栄圏づくり』を目指しているといえば言い過ぎかもしれませんが、どうしてもそういうイメージがチラつきます。」
昨日の朝日新聞は、「アベノミクス 誇大広告はもうやめよ」と題する社説を掲載しました。
「政権は、改善点ばかりを強調して『アベノミクスの加速を』と繰り返す。次は名目GDP600兆円といった目標ともスローガンともつかない数字が躍る。たんなる努力目標なら達成しなくても害は少ないが、そうしたシナリオを前提に、財政再建や社会保障政策の見直しが立てられている以上、将来大きなツケが回ることになりかねない。」
浜教授が指摘するように、安倍首相が言う「TPPは成長戦略の核となる」「戦略的価値は驚異的」との発言も「誇大広告」であることは明らかだと思います。
TPP批准が強行されれば、これも浜教授が指摘する安倍首相が進める「21世紀型大東亜共栄圏づくり」ばかりが優先され、「将来大きなツケが(国民に)回る」事態になることは必至ではないかと危惧します。
安倍首相は、「アベノミクスの加速」や「TPPの強行」は見直し、国民生活の現状に眼を向けた政策に転換すべきだと思います。
TPP「強行採決」という歴史的暴走を満身で糾弾するものです。
皆さんはTPP「強行採決」をどうお考えですか、ご意見をお聞かせ下さい。
私が柳ジョージを好きになったのは、高校時代に友人からの紹介です。
文化祭にサッカー部の仲間でバンドを組んで出演。私はボーカル。
「青い瞳のステラ 1962年夏・・・」「さらばミシシッピー」を唄いました。
それ以来、私のカラオケの18番は「青い瞳のステラ 1962年夏・・・」になりました。
30年以上、私にとってのNO1ソングです。
時々、無性に柳ジョージが聴きたくなり、ここ最近聴いています。
年を重ねるごとに、歌詞が心に響いてきます。
最近聴いていて、涙があふれてきたのが「コイン・ランドリー・ブルース」。
「俺たちは ただの魚さ 河の流れまでは 変えられない 流れてゆく 海もまたひとつだけ だから その日だけが俺たちの すべて」
人生の虚しさが心に響き、涙が込み上げてきました。でも、明日を信じて生きるのが人間なんですね。そして、また涙。
柳ジョージが亡くなって、10月10日に5回目の命日を迎えます。
この秋、2003年に東京で行われたライブがCDとして発売されました。
13年前の柳ジョージの唄を今聴いています。
「人間賛歌」ともいうべき柳ジョージの唄を噛みしめています。
出来れば、生のライブを聴きたかったと思いますが、叶いません。それも人生ですね。
柳ジョージに出遭えた人生に感謝します。柳ジョージを紹介してくれた高校時代の友人に感謝します。