21日、日本共産党県議団は、ひめゆり平和祈念資料館などを訪ねました。
県議団は、ひめゆりの塔の前で献花を行い、資料館に入場しました。
ひめゆり平和祈念資料館入場を前に、ひめゆりの塔に献花する県議団(手前が私)
ひめゆり平和祈念資料館は、「私達は、私達の戦争体験を語り継ぎ、戦争の実相を訴えることで、再び戦争のあらしめないよように」との理念で、1989年に設立されました。
2021年には、2回目の展示改装が行われました。
新しい展示では、ひめゆり部隊が結成される前の沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校に通う生徒の日常が描かれていました。
同時に、彼女たちがなぜ戦争に動員させられたのかの背景も丁寧に展示されていました。
記念館で販売されているブックレットには「兵士となって国のために命を捧げ、靖国神社にまつられることは最高の栄誉とされる社会で、生徒たちは女学校でも戦争に勝つために国に尽くすべきだと考えていました。『勝利の日まで』などの軍歌を歌い、『鬼畜米兵』『打ちてし止まん』の標語で敵への憎しみをつのらせ、闘争心大きく」していったと書かれてあります。
陸軍病院に動員された「ひめゆり学徒隊」240名の内136人、その他の地域でも91人、学徒職員を入れて227人が亡くなりました。
1945年6月18日、「ひめゆり学徒隊」に解散命令が出されます。
多くの生徒が壕から出ることなく亡くなる者が増えました。
その背景には、「死んでも捕虜になるな」の軍人訓が、女生徒にも徹底されていたことがあることが、資料館の証言などで分かりました。
今日、沖縄県周辺の南西諸島に、自衛隊のミサイル基地が建設されるなど、軍靴の音が強まっています。
再び、戦争を起こしてはならない決意を、ひめゆり平和祈念資料館で新たにしました。
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