月別アーカイブ:2019年8月

人権ふれあいフェスティバルIN山口

 昨日、山口市民会館で行われた山口県などが主催した「人権ふれあいフェスティバルIN山口」に参加しました。

 オープニングステージは、県立山口高校書道部が「『望郷』~中原中也と故里山口~」と題してパフォーマンスを披露しました。

 オープニングセレモニーでは、人権に関する児童生徒のポスターの表彰が行われました。

 アトラクションでは、山口市立川西中学校有志合唱団が4曲を披露しました。

 私が印象に残ったのは、竹内まりあの「いのちの歌」という曲でした。

 「いつかは誰でも この星にさよならする時がくるけれど 命は繋がれていく 生まれてきたこと 育ててもらえたこと

 出会ったこと 笑ったこと そのすべてにありがとう この命にありがとう」

 中学生の歌声と歌詞の重さに思わず涙しました。

 午後からは講演会が行われました。講師は、ダイビーノン代表の飯田亮瑠さんです。演題は「性別で見る多様性と人権」です。

 飯田さんは、生物学的性別は女性として生まれましたが、性自認は男性であるというトランスジェンダーとしての生きづらさを次のように語りました。

 「『本当の自分』が脱げない着ぐるみに閉じ込められているみたいだった。」

 大学生の時に性の多様性について学んだ飯田さんは「社会・環境は変えられることを経験した」と語ります。

 飯田さんは、オリンピック憲章の定める権利及び自由について「人権、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」と書かれてあると説明しました。

 オリンピック憲章に性的指向による差別の禁止が明記されたのは2014年からです。来年オリンピックを開催する日本では、オリンピック憲章を活かす取り組みが更に求めらていると感じました。

 性の多様性について過去は、治療や指導の対象だったと話す飯田さんは、現代の認識について「自分の性を生きることは人権である」との認識になった」と語ります。

 飯田さんは私たちが偏見から抜け出すポイントとして三つ挙げました。

 第一は、選択してそうしているわけではない。

 第二は、わがままや反抗でしているわけではない。

 第三は、家族や育ちの環境によるわけではない。

 その上で、飯田さんは、「人権課題を知り、想像して、行動できる」ことが大切だと語ります。

 飯田さんは、日本でLGBTのいずれかの属性に該当すると感じている人の割合を7.6%=13人に一人だと説明しました。(2015年4月電通総研によるLGBTの調査)

 この数字は、日本人の苗字上位7位まで(佐藤、鈴木、高橋、田中、伊藤、渡辺、山本)の合計とほぼ一致するそうです。

 「LBGTの方々がマイノリティーとは言えない」と話した上で飯田さんは、「人それぞれに性があり、自分も多様性の中の一人である」と考えるべきではないかと語りました。

 展示ホールに、県内全ての市町の本人通知登録申請書が置かれていました。

 宇部市など多くの自治体では性別欄を無くしていました。

 飯田さんは、戸籍上の名前も変えておられます。しかし、昔の名前を書いていた当時「手がふるえた」と当時を振り返ります。

 「自分の性を生きることは人権である」と感じられる地域にしていくために、「知り、想像し、行動」していきたいと感じました。

 フェスティバルの最後は、ラッキー兄妹マウンテンマウスのコンサートが行われました。

 「おかえり」という曲に感動しました。

 この曲は更生保護を支援する歌です。

 「一人の周りには、たくさんの人の助けと支えがあって、みんなの想いが一つになって 初めて新しい未来へと踏み出せるのです さあ手をつなごう」

 素晴らしい歌詞でした。

 私は、西宇部校区の人権教育推進委員協議会の会長として、人権が大切にされる地域づくりを進めるために、昨日学んだことを少しづつ活かしていきたいと思いました。

 行事を開催された皆さんに感謝いたします。

 

元来宗教家ハ戦争ニ反対スベキモノデアル

 この夏、真宗大谷派圓光寺住職である大東仁さんの著作「元来宗教家ハ戦争ニ反対スベキモノデアル 反戦僧侶・植木撤誠の不退不転」を読みました。

 大東さんは、「はじめに」の中で、本書の意義を次のように書いています。

 「明治時代の日清・日露戦争。大正時代の第一次世界大戦。昭和時代の『満州事変』、日中戦争、アジア・太平洋戦争。真宗大谷派は仏教組織であるにもかかわらず、すべての戦争を肯定し、協力していました。昭和の戦争時代だけでも、大谷瑩潤・宮谷法含・武内了温などの本山職員。金子大栄・曽我量深・河崎顕了などの仏教学者。布教使としては暁烏敏など、戦争協力で名を馳せた僧侶はたくさんいます。彼らの『活躍』は教団にもたくさんの利益をもたらしました。ところが一方では、教団や国家を裏切り、仏教・浄土真宗の教えに従って戦争反対を訴え続けた真宗大谷派僧侶がいます。つまり、仏様の味方になり、僧侶の敵になったということです。それは和歌山の高木顕明(日露戦争)、岐阜県の竹中彰元、そして三重県の植木徹誠(本名・植木徹之助)の三人です。たった三人ですが真宗という『真実』を守り続けていたのです。この三人に共通していた価値観は『平和と平等』です。彼らの姿勢には、反戦と反差別が存在します。仏教に『平和と平等』が存在するのは当たり前のことです。しかし現実の仏教界には存在しませんでした。『仏教は机上の空論』、こんな批判も成り立ちます。しかし空論ではありません。現実世界に表すことができることを証明した僧侶がいたのです。」

 大東さんは、高木顕明と竹中彰元に関する評伝を書き上げ、そして、この程、「植木徹誠」に関する評伝を上梓したのです。

 昭和の爆笑王の一人である植木等さんの父親が植木徹誠です。

 植木等さんは「夢を食い続けた男 おやじ徹誠一代記」を書いています。

 この本は私の書棚にもあり、この本のことは本ブログでも紹介したことがあると思います。

 さて、撤誠は、1938年に逮捕されます。徹誠の「犯罪」は水平社の活動をしたこと、全国農民組合支部を結成したこと、社会大衆党支部を結成したことです。

 撤誠の言動を特高警察が、聞き取り「特高外事月報」として残されています。

 徹誠が、真宗僧侶として発言した部分を大東さんが本書に書いている部分を紹介します。

 「人間ハ世界中皆同ジ関係ニアルノヤデ、戦争ヲシテ殺シ合ヒスルト云フ様ナコトハ馬鹿ナコトデ、本当ニ人ガ人ヲ殺スト云フ様ナ事ハムゴタラシイ事ヤ。」

 「戦争トイウモノハ、人生ノ最悪ナコトダカラ、宗教的ニ考ヘテモ避ケネバナラヌ。」

 「宗教家ガ戦争ヲ弁護スルノハ矛盾シテヰル。宗教家ガ戦争ヲ弁護スルトハ恐入ッタ。元来宗教家ハ戦争ニ反対スベキモノデアル。」

 素晴らしい言葉だと思います。

 大東さんは、戦後の徹誠について次のように書いています。

 「1962年、徹誠は日本共産党に入党します。そして1963年から1968年に目黒民主商工会の会長を勤めました。」

 徹誠は、私にとって二つの大先輩でした。

 宗教上の大先輩であると同時に、党員としての大先輩でした。

 安倍政権の元で戦争する国づくりが強硬に進められています。

 このような時代だからこそ、「平和と平等」を貫いた植木徹誠から学ぶものは大きいと思います。

 大東さんの他の著作「戦争は罪悪である-反戦僧侶・竹中彰元の叛骨」「大逆の僧 高木顕明の真実-真宗僧侶と大逆事件」も読み進めていきたいと思います。

 これからも、平和な世が続くように仏教を少しづつ学んでいきたいと思います。

市内の県道・市道の改善要望

 この間、宇部市内の県道や市道の改善を要望してきましたので報告します。

 まず、県道からです。

 第一は、県道小野田美東線と県管理国道490号線の合流部に関する要望です。

 当該地域の県道及び国道の白線がほとんで消えた状態で、改善を求める要望が私に寄せられました。

 宇部土木建築事務所維持管理課に要望を伝えたところ「改善していきたい」との回答でした。

国道490号線

 道路の白線がほとんど消えている国道490号

 第二は、県道美祢・小郡線に関する要望です。

 猪が泥を掘り起こし、道路側溝が埋まってしまいました。

 その結果、雨水が道路に流れ込むようになり、改善してほしいという要望が私に寄せられました。

 宇部土木建築事務所に改善を求めたところ、「改善したい」との回答が寄せられました。

県道美祢・小郡線

 側溝が埋まり、雨水が道路に流れている県道

 次に市道に関する問題です。

 市道の第一は、県道小野田美東線と市道国近口ノ坪線との交差点に関する要望です。

 降雨時、通学路になっている道路に水たまりが出来ているので改善してほしいという要望が私に寄せれました。

 市道部分の水たまりが大きいということで、市道路整備課に改善を要望しました。

市道国近口ノ坪線

通学路に水たまりが出来ている市道

 担当者は、「現地を調査したい」と答えました。

 市道の第二は、市道里の尾線に関する要望です。

 視覚障害を持った方から、市道側溝に転落する危険を感じるとの要望が寄せられました。

 宇部市道路整備課に要望を伝え、この程、側溝を暗渠にする工事が行われました。

市道里の尾線

側溝に転落する危険があるとの要望が実現

 県道や市道に関する要望がありましたら、藤本にお寄せ下さい。

秋田県が保育園等の副食費助成事業を創設

 月刊「保育情報」No.513は、保育料等の「無償化」の一方、補助対象から外れる副食費について地方自治体の補助が広がる実態を次のように報じています。

 「『無償化』対象から外れ、新たに実費徴収化される2号認定こどもの副食(材)費については、徴収義務が付加される保育所にのみ責任を押し付ける問題点等を指摘してきました。この課題を解消するためにも、子どもに平等で豊かな食を保障する観点から、自治体が独自補助事業を創設し、副食(材)費を無償ないし軽減することが求められています。徐々にその動きが広まっているようです。」

 全国民間保育園経営研究懇話会のホームページは、保育園等の副食費への自治体の対応について、7月31日付けの新着情報で以下のように報じています。

 「国は、各施設が副食材費を実費徴収すると定めました。これに対し、独自の対策を検討している自治体も出てきました。兵庫県加西市では、保育所・認定こども園等で3~5歳児の副食費を実費徴収せず無料にします。明石市でも保育所・認定こども園の3~5歳児の副食費について、『明石市独自の補助を行い、無償化する』方針が示されています。県レベルでは、秋田県が市町村を実施主体とする、県の副食費助成事業を創設します。」

 秋田県では、6月県議会に副食費助成事業を提出しています。

 秋田県の資料によると、保育所(2号認定)の3歳~5歳児であり、世帯年収360万以上の子どもの副食費は、これまで保育料に含まれていましたが、「無償化」後、月額4500円実費徴収となります。

 また、幼稚園(1号認定)の3歳~5歳児であり、世帯年収の360万円以下の子どもの副食費は、これまで実費徴収でしたが、「無償化」後、全額無償化となります。

 秋田県は、県2分の1、市町2分の1の負担割合で、副食費助成制度を創設しました。

 対象は、保育所(2号認定)の3歳~5歳児であり、世帯年収360万円以上の子どもの副食費を月4500円を上限に補助するものです。

 幼稚園(1号認定)においても、3歳~5歳児であり、世帯年収360万円以上の子どもの副食費を保育園同様に補助するものです。

 山口県内で、同様の補助を行う自治体の有無について情報は得ていません。

 また、秋田県以外の都道府県で、同様の補助を行う自治体の有無についての情報は得ていません。

 しかしながら、子育て日本一を標榜する山口県は秋田県と同様の制度を創設すべきです。

 この問題は、引き続き、県内や全国の状況を注視し、しっかり調査を行いながら、県政に必要な発言を行う決意です。

 この問題に関する情報やご意見を藤本までお寄せ下さい。

防衛省のイージス・アショア再調査の問題点

 今朝の山口新聞は、防衛省のイージス・アショアの再調査について次のように報じました。

 「防衛省は、今月中にも業者の選定手続きを開始する予定。ずさんな調査で批判を浴びた反省から『スピードよりも正確性を重視』(同省関係者)し、慎重に進める。再調査では、新屋演習場を含め東北地方の20カ所の実地測定などを行う。むつみ演習場についても、標高データのずれが指摘された周辺の高台を実測する。」

 防衛省が住民説明会のために作成した今年5月「各種調査の結果と防衛省の検討結果について」と題する資料を基に、防衛省の再調査の問題点を指摘したいと思います。

 第一は、西台の標高問題です。防衛省の資料では、69ページです。

 本ブログでも紹介したように、防衛省の資料では、576㍍となっています。

 しかし、昨年8月の防衛省資料では、571㍍と明記していました。

 防衛省はグーグルアースというソフトで標高を計算していましたが、国土地理院のデータは、574㍍となっています。

 防衛省は、西台については実測を行う再調査を行うと今朝の山口新聞は報じています。

 防衛省のむつみ演習場の再調査が西台の標高の実測だけでは極めて不十分です。

 防衛省が再調査しなければならないと私が考える第一の問題は、地下水についてです。

 防衛省の資料では、36ページに関わる点です。

 7月27日に行われた学術シンポの中で、君波山口大学名誉教授の指摘を本ブログでも紹介しましたが再度紹介します。

 「東台の下の地下水を北から南に流しているが、間違いだろう、逆向きの南から北が正解だと思う。」不透水層について「このエリアでボーリング調査がされていないのなら、なぜ、不透水層と言えるのか」

 防衛省の資料の地下水の流れの矢印は「イメージ」とも書いているが、イメージでも、分からないことは書くべきではなく、防衛省は、改めて地下水の調査をやり直す必要があると思います。不透水層の有無についても防衛省は再調査すべきです。

 防衛省は結論として「周辺の溜池には、地下水(演習場内の地中に浸透した雨水)が流れていないことが分かりました。」としていますが、君波先生は、「ボーリングが基盤まで到達していない」と指摘しています。防衛省は、ボーリング再調査を行うべきです。

 防衛省が再調査すべき第二の問題は、電波環境調査についてです。

 防衛省の資料は、7ページです。

 防衛省の資料では、「電波による周辺への影響はないことが分かりました。」と結論づけています。

 しかし、同じページの資料にあるように、レーダーは「中SAMレーダーによる実測値は、電波法令に基づく机上数値を大きく下回りました。」と防衛省が認めている通り、実際に設置される予定のLMSSRのレーダーをもとにした結果ではないのです。

 この点は、週刊新潮に掲載された軍事アナリスト豊田穣士さんの指摘を本ブログで紹介しましたが、再度紹介します。

 豊田さんは、LMSSRが製造中で完成は約5年後だろうと指摘した上で、「今回使用した中SAM用レーダーの探知距離は、一説によると数百キロ。一方、陸上イージス用のレーダーはその約10倍、数千キロ先の目標を探知できるとされている。」レーダー技術に詳しい専門家によれば『陸上イージス用レーダーの出力は、調査で使用した中SAM用レーダーの100倍は強いという。』」と書いています。

 更に、豊田さんは「防衛省は、実際に配備されるレーダーで調査せず、言い換えれば、実際に使用される電波の影響を現地で計測せずに『理論値』と『机上の計算』をもって『LMSSRの電波は安全』である旨、宣言しているのである」と指摘しています。

 防衛省は、中SAMレーダーを基に行った電波環境調査を実測調査とし、「電波による周辺への影響はないことが分かりました。」と結論づけましたが、この調査結果では、到底住民の理解を得ることは出来ません。

 防衛省は、電波環境調査についても再調査すべきです。

 防衛省の陸上自衛隊むつみ演習場での再調査は、西台の標高だけで終わりにさせてはなりません。

 以上指摘したように、地下水や電波に関しても再調査をすべきです。

 私は、来週行われる日本共産党中国ブロック主催の国会交渉に参加する予定です。

 イージス・アショアの問題も取り上げる予定です。防衛省の担当者に再調査項目を増やすよう直接質問していきたいと思います。

 イージス・アショアの問題について、引き続き、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

しんどい時は仏教で考える

 NHKETV100分DE名著「歎異抄」の講師を務めた相愛大学教授の釈徹宗さんは、私と同じ浄土真宗本願寺派の住職でもあり、最近の著作は、購入し、目を通す努力をしているところです。

 釈さんの新著が上梓されました。題名は「みんな、忙しすぎませんかね?しんどい時は仏教で考える。」

 なんと、お笑いコンビ「笑い飯」の哲夫さんとの共著です。

 笑い飯・哲夫さんが仏教の本を出しておられるのは、どこかで聞いたことがあるのですが、直接、哲夫さんの発言や文章にふれるのは初めてでした。

 哲夫さんは、関西学院大哲学科卒業という経歴もあり、深く仏教を理解して発言されていることがよく分かりました。

 私は、この本の中で、釈さんの二つの文章が心に残りました。

 一つは、「苦手なこと」をテーマにした一文です。

 「苦手を克服した時に大きな喜びがあることは確かですが、注意しなければならないポイントがあります。先ほど『できないことができるようになる成功体験』と述べました。ここに落とし穴があります。成功体験というのは、しばしば私たちの判断を誤らせるのです。成功体験は、その背後にある無数の失敗体験を見えなくさせてしまいがちです。成功はいくつかの要素の組み合わせで、たまたま起こったひとつの現象に過ぎません。しかし、その成功体験が喜びと充実感をもたらすがために、私たちはそれを、『正しいこと』として心身に刻印してしまうのです。ですから、多様な側面が見えなくなります。何がいいたいかといえば、『苦手を克服しない人を軽蔑したり非難したりしない』ということです。苦手を克服した経験は、つい『あいつは苦手を克服する努力をしない』などと考えてしまいがちです。そして自分の成功体験を押しつけてしまうことになります。しかし、その成功体験は決して、『唯一の正しい道』ではないのです。苦手が克服できない人だってたくさんいます。自分が克服できたのだって、たまたまかもしれません。仏教を学んでいると、『自分が正しいと思った瞬間から見えなくなるもの』に気づくようになりますよ。仏教のすごいところです。そして現代人がよく学ばなければならないところです。」

 私にとって、最近起きた最大の成功体験は、県議選で再選出来たことです。「有頂天」になっている自分を感じる時があります。

 この体験は、私一人で出来たことではありません。多くの皆さんのまさにお陰です。

 この文章を読んで、そんな、今だからこそ、周りの皆さんに温かく接する努力が必要だと感じました。

 中国の古い言葉に「得意淡然、失意泰然」があります。

 釈さんの言葉は、この四字熟語に通じるとも感じました。

 釈さんの言葉は、子育てにも通じるものだと感じました。

 二つ目は、「苦手な人」をテーマにした一文です。

 「最初期の仏典『スッタニパータ』には、『四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独りで歩め』とあります。私、この言葉、好きなんです。つらく苦しい時、この言葉を口にすると、ふつふつと体の奥底からわき上がってくるものがあります。インドでは、二つの比喩に『牛の角』を使い、一つの比喩に『犀の角』を使うことがあるようです。アフリカの犀と違って、インドの犀には角が一つですからね。仏教はとてもクールな宗教ですので、『つきつめれば、人は独りで生きて、独りで死んでいかなければならない』ことを強調します。このことを本当にしっかり自覚することができれば、むしろイヤな人や嫌いな人ともつき合えるわけです。だって、所詮独りだ、と理解しているのですから。この理解の上で、おつき合いするのです。ということは、好きな人とおつき合いする時も同じになってきます。どれほど好きな人がいても、『つきつめれば独り』なんですね。『愛別離苦』です。これも避けることはできません。」

 私も50代半ばとなり、人生の後半戦を実感する日々です。

 これからお会いする方は限られているだろうし、別れざるを得ない方が増えてくるだろうと思います。

 そう思えば、一期一会、和顔愛語で日々を過ごしたいものだと思います。

 人間、日々悩みます。判断に迫られ、最後に頼れるのは自分です。

 自分が判断したことに、たして、どんな結果が出ても堂々として生きていきたいと思います。

 「犀の角のようにただ独りで歩め」

 ブッダのこの言葉に励まされるのは、釈さんだけではありません。

 私自身、この言葉を口にするとふつふつとわき上がってくるものを感じます。

 これからも釈先生から仏教について大いに学んでいきたいと思います。

 釈徹宗さんや笑い飯・哲夫さん著作で感じたことがあればお教え下さい。