この夏、真宗大谷派圓光寺住職である大東仁さんの著作「元来宗教家ハ戦争ニ反対スベキモノデアル 反戦僧侶・植木撤誠の不退不転」を読みました。
大東さんは、「はじめに」の中で、本書の意義を次のように書いています。
「明治時代の日清・日露戦争。大正時代の第一次世界大戦。昭和時代の『満州事変』、日中戦争、アジア・太平洋戦争。真宗大谷派は仏教組織であるにもかかわらず、すべての戦争を肯定し、協力していました。昭和の戦争時代だけでも、大谷瑩潤・宮谷法含・武内了温などの本山職員。金子大栄・曽我量深・河崎顕了などの仏教学者。布教使としては暁烏敏など、戦争協力で名を馳せた僧侶はたくさんいます。彼らの『活躍』は教団にもたくさんの利益をもたらしました。ところが一方では、教団や国家を裏切り、仏教・浄土真宗の教えに従って戦争反対を訴え続けた真宗大谷派僧侶がいます。つまり、仏様の味方になり、僧侶の敵になったということです。それは和歌山の高木顕明(日露戦争)、岐阜県の竹中彰元、そして三重県の植木徹誠(本名・植木徹之助)の三人です。たった三人ですが真宗という『真実』を守り続けていたのです。この三人に共通していた価値観は『平和と平等』です。彼らの姿勢には、反戦と反差別が存在します。仏教に『平和と平等』が存在するのは当たり前のことです。しかし現実の仏教界には存在しませんでした。『仏教は机上の空論』、こんな批判も成り立ちます。しかし空論ではありません。現実世界に表すことができることを証明した僧侶がいたのです。」
大東さんは、高木顕明と竹中彰元に関する評伝を書き上げ、そして、この程、「植木徹誠」に関する評伝を上梓したのです。
昭和の爆笑王の一人である植木等さんの父親が植木徹誠です。
植木等さんは「夢を食い続けた男 おやじ徹誠一代記」を書いています。
この本は私の書棚にもあり、この本のことは本ブログでも紹介したことがあると思います。
さて、撤誠は、1938年に逮捕されます。徹誠の「犯罪」は水平社の活動をしたこと、全国農民組合支部を結成したこと、社会大衆党支部を結成したことです。
撤誠の言動を特高警察が、聞き取り「特高外事月報」として残されています。
徹誠が、真宗僧侶として発言した部分を大東さんが本書に書いている部分を紹介します。
「人間ハ世界中皆同ジ関係ニアルノヤデ、戦争ヲシテ殺シ合ヒスルト云フ様ナコトハ馬鹿ナコトデ、本当ニ人ガ人ヲ殺スト云フ様ナ事ハムゴタラシイ事ヤ。」
「戦争トイウモノハ、人生ノ最悪ナコトダカラ、宗教的ニ考ヘテモ避ケネバナラヌ。」
「宗教家ガ戦争ヲ弁護スルノハ矛盾シテヰル。宗教家ガ戦争ヲ弁護スルトハ恐入ッタ。元来宗教家ハ戦争ニ反対スベキモノデアル。」
素晴らしい言葉だと思います。
大東さんは、戦後の徹誠について次のように書いています。
「1962年、徹誠は日本共産党に入党します。そして1963年から1968年に目黒民主商工会の会長を勤めました。」
徹誠は、私にとって二つの大先輩でした。
宗教上の大先輩であると同時に、党員としての大先輩でした。
安倍政権の元で戦争する国づくりが強硬に進められています。
このような時代だからこそ、「平和と平等」を貫いた植木徹誠から学ぶものは大きいと思います。
大東さんの他の著作「戦争は罪悪である-反戦僧侶・竹中彰元の叛骨」「大逆の僧 高木顕明の真実-真宗僧侶と大逆事件」も読み進めていきたいと思います。
これからも、平和な世が続くように仏教を少しづつ学んでいきたいと思います。
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