岩国市と和木町を襲った8月6日の豪雨災害から、1ケ月以上が経過しました。
私は、8月9日に現地視察を行いました。
その後の広島市の土砂災害を経て、災害に強い山口県づくりに向け、来る9月議会ではしっかり発言したいと思っています。
9月6日の中国新聞は、岩国市と和木町の豪雨で、人家が被災した土石流と崖崩れは計32ケ所で発生したと報じました。
その内、31ケ所は土砂災害計画区域で砂防ダムや擁壁の設置はされていなかったとも報じています。
私は、29歳の青年が亡くなった新港地区を訪ねました。
青年が亡くなった東側には砂防ダムが設置されていませんでした。
青年が亡くなった場所は、土砂災害警戒区域であったようですが、土砂災害特別警戒区域にはされていませんでした。
死亡事案が発生した新港地区に限って言えば、①土砂災害警戒区域でありながら土砂を防止する擁壁等設置していなかった②特別警戒区域かどうかの調査が行わていなかったなどの行政の対応の不十分さがあったのではないかと思われます。
これらの問題を来る議会で指摘していきたいと思います。
県内で災害に強い県づくりへの県民の願いが切実なものとなっています。
これら問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
昨日、山口市内で「マツダ派遣切り裁判 和解・解決報告集会」が行われました。
マツダ派遣切り裁判は、2009年4月、山口地方裁判所にマツダ防府工場を派遣切りされた派遣労働者17名が「マツダの正社員としての地位確認」「賃金支払い」を求めて提訴しました。
2013年3月、山口地方裁判所での判決は、原告のうち、13名を「マツダの正社員としての地位」を認め、賃金支払を命じる画期的なものでした。
今年の7月に、職場復帰を伴わない金銭解決での和解が成立し、解決に至りました。
昨日は、マツダ共闘会議の藤永代表、マツダ訴訟弁護団の内山団長らがあいさつを行い、日本共産党からは仁比参議院議員が挨拶を行いました。
県内を始め、全国から支援者が集いました。
私は、県内の日本共産党を代表してスピーチを行いました。
スピーチの主旨は以下の通りです。
・・・
マツダ派遣切り裁判 和解・解決 報告集会にお招きいただきましてまことにありがとうございます。
まずは、5年3ケ月、戦い続けてこられた原告団の皆さんとそれを支えた弁護団、共闘会議の皆さんに心からのねぎらいの言葉を送りたいと思います。長い間、本当にお疲れ様でした。
山口地裁は、「マツダとの間で労働契約がある」ことを認めました。
この判決は、その後の裁判に大きな影響を与えたし、安倍政権がすすめる「生涯ハケン」「正社員ゼロ」社会への方向に、痛打を与える大きな価値のある戦いでした。皆さんの戦いに、心からの敬意と謝意を送りたいと思います。本当にありがとうございました。
さて、先日、原発で被災した福島県を視察してきました。視察中に、原発労働者の裁判を傍聴する機会がありました。
福島第一原発3号機で、3月24日、タービン建屋地下でのケーブル敷設作業中に、高い放射性物質を含む水たまりで原告は、被爆しました。
口頭弁論で、原告側は、東電の安全管理義務違反は当然と訴えました。驚いたのは、東電側の弁護士の発言です。「被爆したのは、下請け労働者。東電に安全管理義務違反はない」と述べたのです。
その後開かれた報告集会で、原告の労働者は、「一生懸命真面目に働いている原発労働者が報われる社会にしたいと思い勇気を出して原告になった」と語っていました。
福島県の芥川賞作家の玄侑宗久さんが「被爆地から問うこの国のかたち」(イースト新書)という本の中で、「アメリカのABC『ウェブニュース』や『ニューヨークタイムス』は、フィフティーヒーローズという言葉を使って、原発の危険のために命がけで働いている作業員を讃えようとしました。これに対して、日本の政府とマスコミは、ほとんど封殺する形で、彼らをヒーローにしない道を選んだ。」と書いています。
今、原発労働者だけではなく、全ての労働者が使い捨てにされようとしています。
皆さんの戦いを讃え、この戦いを今後に生かすことを私自身お誓いしたいと思います。この事を述べて私のあいさつといたします。
・・・
集会の最後で、原告団の皆さんからあいさつが行われました。
マツダ原告団の佐藤事務局長があいさつを行う
人間らしく働くことができる山口県の実現を誓う日となりました。
労働問題での皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
福島に移動する車中(飛行機・電車)の中で、沢山の本を読みました。
まず、高田都著「みをつくし料理帖シリーズ最終巻 天の梯」
最終版になるにつれ、今までの思いが重なって涙なしには読めませんでした。
澪と野江の幸せを願わずにはおれません。
二冊目は、朝日新聞特別報道部著「プロメテウスの罠-100年先まで伝える!原発事故の真相 7」
朝日新聞に連載されているプロメテウスの罠シリーズの最新刊です。
原発事故直後の福島とその後の福島がリアルに描かれています。
金曜日から祝島の掲載が始まりました。引き続きプロメテウスの罠に注目していきたいと思います。
三冊目は、田村優之著「青い約束」です。
いわき市から郡山市を経由して福島市に向かう途中。
郡山市の駅の中の本屋さんで「ビジネスマンが泣いています。」の帯に目がいき、衝動的に手に取りました。
福島市に行く車中でこの本にはまってしまいました。
田村さんは、1961年生まれですので、少し先輩ですが同世代の方です。
高校時代の思い出のシーンや今の友人との関係など、胸にビシビシときます。
主人公は、半沢直樹のように骨太で、少しでもいい世の中にしたいというメッセージが伝わってきて共感できます。
そして、小説後半は「ビジネスマンが泣いています。」の理由がよくわかります。私も泣いてしまいました。
この作品は是非、映像化すべきです。関係者の皆さんよろしくお願いいたします。
田村優之さんの他の作品が読みたくなり、帰路の駅の書店で探しましたがありません。
山口宇部空港に到着するとすぐに宇部市内の書店に直行。
田村優之著「月の虹」を買い、今半分位読みました。
恋愛小説でありながら、日韓関係がテーマになっており、メッセージは骨太です。
この本の帯に「ラストが泣ける」とあったので、小説の後半に期待大です。
田村さんは、現役の新聞記者だそうです。
だからこその内容だとも思えます。
田村さんの次回作に大いに期待しています。
このような出会いがあるので、読書は楽しいですよね。
皆さんのおすすめの作品を教えて下さい。
日本共産党県議団の視察報告第二弾です。
昨日は、3日(水)の内容を報告しましたので、今日は、4日(木)・5日(金)の内容を報告します。
4日(木)は、福島県庁で、原発災害後の対策について説明を受けました。
福島県庁で原発災害後の対応などを調査しました。
福島県は、被災後の関連死を含め3581人が死亡し、現在でも12万人を超える人々が避難生活を送っています。原発の危険性は続き、災害対策本部を解除せず対応していました。
福島県は原発災害後「復興ビジョン」を策定し、「原子力に依存しない。安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」を掲げました。「再生可能エネルギービジョン」を改訂し「2040年頃までに県内エネルギー需要の100%に相当する量の再生可能エネルギーを生み出す」ことを明らかにしました。
5日(金)は、独立行政法人産業技術総合研究所が運営する福島再生可能エネルギー研究所を視察しましした。
福島再生可能エネルギー研究所を視察しました。
この研究所は、政府の復興の基本方針にある「再生可能エネルギー先駆けの地、福島」を具体化するため、今年4月に開所しました。太陽、風力、地熱に係る再生可能エネルギーに関する研究が進められていました。
「山口県に原発はいらない」「山口県を再生可能エネルギーの先進県に」このことを痛感する視察でした。
日本共産党県議団の福島県視察から先ほど帰ってきました。
私の50年近い人生に対するインパクトとしては、かなり大きなものでした。
3日は、福島原発の被災地を訪ね、原発労働者裁判を傍聴し、報告集会に参加しました。
4日は、福島県庁で、執行部から原発事故を受けての対応やエネルギー政策について説明を受けました。
今日は、独立行政法人産業技術総合研究所が福島県郡山市で立ち上げた福島再生可能エネルギー研究所を訪ねました。
密度の濃い視察だったので、今日は、3日までの視察について報告します。
明日は、4日・5日の視察内容を報告したいと思います。
2日(火)には、茨城県水戸市まで移動し、3日に、福島県いわき市に入り、まず、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也さんから「原発災害から3年4ケ月、福島はいま」と題し、1時間程度レクチャーを受けました。
伊東さんは、「福島第一原発の事故は、世界で3度目の過酷事故だが、地震を引き金に発生した『原発災害』となったのは世界ではじめである」として、①被害があまりにも深刻であること、②被害が極めて広範囲に広がっていること③被害額が極めて大きいこと、④地域の復旧・復興に極めて長い時間がかかることなどがはっきりいしていることから「日本史上 最大にして最悪の公害」だと説明しました。
伊東さんは、県内全10基の廃炉は福島県再建の大前提とし、福島県は、再生可能エネルギーの県内エネルギー需給100%を目指していることを指摘しました。
その上で伊東さんは、「福島から原発をなくし、再生可能エネルギー先進県にすることは、福島の地に将来に向けた新しい日本社会への道しるべを打ち立てることになる」と語りました。
その後、「原発事故の完全賠償をさせる会」の佐藤さんの案内で、福島原発被災地を視察しました。
車は、いわき市の久ノ浜へ。津波の被害で、60名の方が亡くなられました。
浜風商店街は、仮設商店街として復活し、元気な女性で支えられていました。
いわき市久ノ浜の復興仮設商店街を見学しました。
車は、広野町へ。東電広野火力発電所に隣接した場所にある放射性廃棄物の仮置き場を見ました。
除染した土や様々な放射性廃棄物が黒ビニールに包まれ、土砂で覆われて保管されていました。
仮置き場は3年という政府の説明でしたが、3年以上が経過しました。
車は、避難指示解除準備区域の楢葉町に入ります。
Jビレッジというサッカー施設は、原発労働者の寮やバスの発着場になっていました。
車は、居住制限区域の富岡町へ。
途端に、人の姿がほとんど見えなくなりました。ほとんどの人が避難生活を送っている地域です。
津波の被害はない家屋も放射能被害で昼間しか帰宅できません。
富岡町側から福島第二原発を見ることができました。
富岡町から福島第二原発を臨みました。
富岡町内には、帰宅困難区域との境界(夜ノ森地区)まで行くことができました。
帰宅困難区域は、昼夜問わず、入ってはいけない地域です。
境界には警備員さんが立っておられるだけで、人の姿は全く確認できませんでした。
私は、3.11の発災後3ケ月を経た2011年6月中旬に、岩手県宮古市周辺に行く機会がありました。
津波の被害は甚大でしたが、土砂を撤去し、復興に向けての人々の生活を見ることができました。
原発災害の被災地は、家屋に大きな被害がなくても、近寄ることが出来いない場所があることが分かりました。
地震に津波にそして、原発事故の被害を受けた福島県の被災地の復興への困難さを実感しました。
夕方からは、原発事故発生直後に、第一原発の3号機のタービン建屋地下で被爆した原発労働者の裁判を傍聴しました。
原発労働者側の弘田弁護士らは、東電などの安全配慮義務違反があったと意見陳述を行いました。
東電側の弁護士は、「東電に安全配慮義務違反を問うなら過去の判例に照らして根拠を明確にすべき」と弁明しました。
原発労働者側の只野弁護士は「東電の敷地内での事故であり、安全配慮義務がそもそもなかったとの弁明はおかしい」と反論しました。
夜は、原発労働者の裁判を支援する報告集会が行われました。
ある原告の労働者は「まじめに一生懸命に働く原発労働者が報わる社会になるように裁判に勝利したい」と訴えました。
弁護団の広田弁護士は「第一原発を廃炉するためには、労働者の働く環境を整えることが不可欠の課題になる。この裁判は、国民的課題に応える意義のあるものだ」と述べました。
原発労働者裁判報告会で報告する広田弁護士
労働者裁判の傍聴と支援集会に参加できたことは大変意義あるものでした。
今日は、3日までの報告とします。4日以降は明日報告します。
それにしても、山口県に原発はいらないことを痛感する視察でした。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
県議会日本共産党会派の視察で、福島県を訪問します。
今日は、茨城県水戸市まで移動し、3日(水)は、福島原発事故の現場を視察します。
4日(木)は、福島県庁で行政の対応状況について視察します。
福島原発事故から3年半の現実を視察してきたいと思います。
福島原発事故に対して、汚染水が外部に流出していた問題で、未だに解決の見通しが立っていません。
福島県川俣町の女性が自殺した問題で、福島地裁は「自死と事故は相当の因果関係がある」と、東電に4900万円の賠償を命じました。
事故を忘れたかのように各地で原発の再稼働が進められようとしています。
山口県の村岡知事は上関原発のための中電の公有水面埋立免許の判断が保留したままにしています。
福島原発事故を受け、二井元知事が、公有水面の埋立の許可は出来ないと見解を示したにも関わらず。
福島原発事故の現実をしっかり学び、山口県政が上関原発にどう対処すべきかしっかり考えてきたいと思います。
視察の関係で、ブログの再開は、5日(金)になる予定です。ご理解をよろしくお願いいたします。
福島原発事故後の原発政策はどうあるべきか。上関原発はどうすべきか。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。