藤本かずのりサポーターズ はじめました

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沖縄県議選与党が大勝

 昨日投開票で沖縄県議選挙が行われました。

 定数48に対し、翁長県政指示が27で過半数の24を大きく上回る結果でした。

 前回より与党議席が4議席伸びる結果でした。

 日本共産党は、7名が立候補し、6名が当選するという結果でした。

 沖縄タイムズが3日に公表した起きな県内14市町村長に行った調査で、海兵隊の完全撤退と大幅削減を求める割合が57%でした。

 93%の市町村村長が日米地位協定の抜本的な改革をすべきと答えています。

 琉球新報などが行った世論調査へは、米軍事件・事故の再発防止策で最も多かったのが「沖縄からの全基地撤去」で42.9%でした。

 在沖海兵隊をどうするかについては「全面撤去すべきだ」は52.7%でした。

 米軍普天間基地の名護市辺野古への「移設」については、「国外移設」が31.5%、「すぐに閉鎖・撤去」が29.3%、「県外移設」が23.0%で、合せて83.8%が辺野古への「移設」に反対でした。

 元海兵隊員の軍属による女性遺体遺棄事件を受けて、沖縄県では、全基地撤去を求める声が4割を越え、辺野古移設に反対する声が8割を越える世論調査の結果が出ました。

 その上で、海兵隊の撤去と日米地位協定の抜本的見直しを求める声も強まっています。

 このような沖縄県民の声が、県議選挙で、翁長知事の与党を大きく押し上げる結果となったと思います。

 中谷元防衛大臣は、「負担間の危険性除去のため、国としては一日も早く辺野古に移設しなければならないと考えている」と、沖縄県知事選挙の結果にかかわらず、辺野古新基地建設を進める意向を今日の記者会見で述べたと、共同通信がインターネットで報じています。

 民主主義が分からない政権が、国民にとって必要なのかどうか、目前に迫った参議院選挙で決着をつける時だと沖縄県議選挙の結果と中谷大臣の発言を読んで感じました。

 沖縄県議会議員選挙の結果を皆さんはどう受け止めておられますか。

日本共産党と後援会のつどい

 日本共産党と後援会のつどいが宇部市上宇部地域で行われました。

 40名を超える市民が集いました。

 最初に、参議院選挙山口選挙区野党統一予定候補・こうけつ厚選挙対策本部から佐々木あけみ社民党県連代表が訴えを行いました。

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日本共産党と後援会のつどいで訴える佐々木さん

 次に、日本共産党参議院選挙比例代表候補の松田一志さんが訴えました。

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 日本共産党比例代表候補の松田一志さん

 最後に、私が、訴えを行いました。

 私が訴えた主旨は以下の通りです。

・・・

 日本共産党北南地区副委員長で、総がかり行動うべ実行委員会の事務局長をしています藤本です。私からは、選挙情勢を訴えたいと思います。
 さて、参議院選挙の日程が、6月22日公示、7月10日投票と決まりました。投票日まであと1月少しと参議院選挙目前に迫ってまいりました。選挙区はこうけつ厚さん、比例代表は日本共産党の輪を皆さんの周りに広げに広げていただくことを最初に心からお願いいたします。
 参議院選挙は、野党共闘を成功させ、日本共産党を躍進させる選挙です。
 野党共闘では、32の1人区のすべてで野党統一候補が実現しました。
 山口県においては、山口大学前副学長のこうけつ厚さんを国会に送り、山口から日本を変えるために、皆さんのお力を結集しましょう。
 総がかり行動うべ実行委員会では、病院・弁護士事務所などの訪問活動を行っており、これまでに70を越える市内の病院などにこうけつさんの資料を届けてきました。公示までに、今あるビラを全ての有権者に届けましょう。そして、お配りしています。県下連結アクション。県下10日箇所を6月18日、19日、こうけつ厚さんが駆け巡ります。宇部地区会場は、楠総合センタールネッサンスホールです。日弁連前副会長の内山新吾弁護士がゲストスピーカーとしてお訴えします。
 次に日本共産党を躍進させることです。
自民党は3日、参議院選挙公約を発表しました、この中に、「衆参両院の憲法審査会での議論を進め、憲法改正を目指す」と、憲法条文そのものを変える明文改憲推進を明記しています。
 こうけつ厚さんの近著に「逆走する安倍政治」があります。この本の中でこうけつさんは、「安倍政治は戦前へ逆走している」と指摘しています。「憲法で権力を縛る」のが日本国憲法。「憲法で国民を縛る」のが自民党改憲草案です。憲法を戦前に逆走させてはありません。
 安倍首相は、北朝鮮のミサイル問題などを持ち出して戦争法を正当化したうえで、「これを廃止しようとしているのが民進党と共産党だ」と攻撃しました。市民と野党共闘の力で、戦争法を廃止する国会を作りましょう。
 日本共産党の比例票を全国850万票以上獲得し、春名さんを含めた9人を当選させましょう。

・・・

 国会が閉幕し、いよいよ参議院選挙が本格的にスタートしました。

 投票日まであと1ケ月と少し、こうけつ厚と日本共産党への支援をお願いいたします。

映画「杉原千畝 スギハラチウネ」

 唐沢寿明さん主演の映画「杉原千畝 スギハラチウネ」をDVDで観ました。

 第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任した杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民らに対し、1940年7月から8月にかけて、大量のビザを発給しておよそ6000人の避難民を救ったとされています。

 杉原千畝は、日本のシンドラーとも呼ばれています。

 シンドラーを取り扱った映画「シンドラーのリスト」は映画館で観ました。

 ゲルニカ空爆同様、ナチスの暴虐を私たちは忘れてはなりません。

 同時に、ピカソ同様、シンドラー、杉原らこの流れに抗して動いた人物がいたことを忘れてはならないと思います。

 そして、平和を築くための行動に踏み出したいと思います。

 映画の中で、杉原が、「たかが紙切れ一枚のこと」とビザを発行する場面が出てきます。

 言葉とは裏腹の、命をかける覚悟を持ってビザを発行している杉原の姿を映画は映し出していました。

 今後も民衆の立場から戦争を残す映画が制作されることを望みます。

 「杉原千畝 スギハラチウネ」DVDレンタル開始されたばかりです。

 是非、多くの方に観ていただきたいと思います。

 この映画を観られた方は感想をお聞かせ下さい。

ゲルニカ爆撃

 原田マハさんの「暗幕のゲルニカ」を読んでいて、ゲルニカの事が知りたくなって図書館で借りてきた早乙女勝元編「ゲルニカ-ナチ爆撃のスペインの町」を読んでいます。

 ゲルニカは、スペイン北部バスク地方の小さな町です。1937年4月26日、フランコ反乱軍を支援するドイツ空軍の猛爆撃によって破壊され、市民多数が死亡しました。

 その爆撃の報道に衝撃を受けて描いたピカソの代表的絵画が、「ゲルニカ」です。

 早乙女勝元さんは、無差別爆撃は、日本軍が先鞭をつけているとこの本で述べています。

 「ナチのゲルニカ爆撃より6年前、1931年9月に、日中戦争の最初の導火線ともいうべき『満州事変』が勃発した。」

 「同年10月、日本陸軍航空隊は88式偵察機を主力にして、遼寧省の錦州を爆撃した。11機編隊が75発の爆弾を投下した。目標とした町に、中国側の東北防衛軍張学良の軍隊が結集していたのは事実だったが、投下の半分以上は兵営ではなく、市街地の病院や学校などに被弾し、市民を主に24名からの死傷者を出したことで、国際的な批難が日本に集中したのだった。」

 無差別爆撃のバトンは、日本からドイツへそして、今もアメリカ軍などによって中東諸国などを標的にして続けられています。

 小説「暗幕のゲルニカ」の中で、「ゲルニカ」が完成し、「ゲルニカ」の前で、ナチスの将校がピカソに「この絵を描いたのは貴様か」と問うシーンがあります。ピカソは、「いいや。この絵の作者は-あんたたちだ」と答えます。

 ピカソの遺志を受けたわたしたちが、ゲルニカ爆撃の惨禍を二度と許さない決意で行動を続ける時だと感じました。

 無差別爆撃について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

カフーを待ちわびて

 原田マハ原作、中井庸友監督の映画「カフーを待ちわびて」をDVDで観ました。

 本作は、2006年、第1回ラブストーリー大賞を受賞した原作が映画化されたものです。

 もちろん、ラブストーリーとしても秀作ですが、それを凌駕する世界観が私を魅了しました。

 舞台は、沖縄県与那喜島。

 雑貨店を営みながら暮らす友寄明青の元に、幸という女性から一通の手紙が届きます。

 明青は、数か月前、旅先の神社で、「嫁に来ないか」と書いた絵馬を書いていた。 

 幸は、その絵馬を頼りに、与那喜島にやって来る。

 表題の「カフー」とは幸せの意味。

 幸は、明青にとっての「カフー」とはと訊ねます。

 明青は「周りのみんなが幸せな事」と答えます。

 この言葉が私の胸に突き刺さり、今の私の心で叫び続けています。

 離島に開発の波が押し寄せて、これにどう対応するのか。

 などなど、社会的なテーマも根底に流れています。

 人間にとって幸せとは何かを考えさせてくれるガードボイルドな映画でもあります。

 映画のラストで、胸をなでおろし爽快感の湧く映画です。

 ラブストーリーとしても最高の作品です。

 心の渇きを癒すには最良の映画ではないでしょうか。

 原田マハさん、中井監督、すばらしい作品をありがとうございました。

「暗幕のゲルニカ事件」が伝えたもの

 原田マハさんは、新潮社「波」のインタビューで「暗幕のゲルニカ」を書くきっかけについて問われ次のように述べています。

 「『ゲルニカ』には、油彩と同じモチーフ、同じ大きさのタペストリーが世界に3点だけ存在します。ピカソ本人が指示して作らせたもので、このうち一点はもともとニューヨークの国連本部の会見場に飾られていました(ちなみに1点はフランスの美術館に、もう一点は高崎の群馬県立近代美術館に入っています)。しかし事件は2003年2月に起こります。イラク空爆線や、当時のアメリカ国務長官コリン・パウエルが記者会見を行った際、そこにあるはずのタペストリーが暗幕で隠されていたのです。私はそれを、テレビのニュースで知りました。(中略)結局、誰が暗幕をかけたのかは未だにわかりません。アメリカがイラクに軍を向ける、その演説にそぐわないと考えた何者かでしょう。けれど、その何者かは『ゲルニカ』に暗幕をかけることで、作品の持つ強いメッセージを図らずも世界中に伝えることになったのです。」

 小説の中で、パウエル長官は、パワー長官となり、このように書かれてあります。

 「空爆を仕掛けると発表する場合の背景として、人類史上初となったゲルニカ無差別空爆を非難する絵はあまりにも不似合いだ。いいや、不似合いを通り越して、逆説的ですらある。世界の平和と秩序のために、悪の枢軸国家=テロリストと闘うアメリカが、一般市民を巻き込む無差別攻撃を行ったナチスと、まるで同じことをしようとしているかのようではないか。」

 原田さんの筆が「ゲルニカ」を通して叫びます。

 冒頭引用したインタビューに戻ります。

 「同じ年(2003年)の六月、スイスのバーゼルで行われた印象派の展覧会を訪ねたところ、会場のロビーにそのタペストリーが飾られていたのです!横には、暗幕の前でパウエル国務長官が演説をしている写真と、展覧会の主催者として大コレクター、エルンスト・バイエラー氏のメッセージがありました。『誰が(ゲルニカ)に暗幕をかけたかはわからない。しかし彼らはピカソのメッセージそのものを覆い隠そうとした。私たちはこの事件を忘れない』と。」

 更に、原田マハさんのインタビューの掲載します。

 「実際は、美術が戦争を直接止めることはできないかもしれません。それは小説も同じでしょう。けれど『止められるかもしれない』と思い続けることが大事なんです。人が傷ついたりおびえたりしている時に、力ではなく違う方法でそれに抗うことはできる。どんな形でもクリエイターが発信していくことをやめない限り、それがメッセージになり、人の心に火を灯す。そんな世界を、私はずっと希求していきます。」

 原田さんのこの考えに共感します。

 原田さんの「暗幕のゲルニカ」を読みながら、何度も表紙のゲルニカを観てパワーをもらっています。

 一人の政治家として、一人の川柳作家として、一人の人間として、平和を築くために何ができるのか考えていきたいと思います。

 私たちは「暗幕のゲルニカ事件」を決して忘れてはいけません。

 「暗幕のゲルニカ」は、50代の今の私に最もインパクトを与えた一冊になりました。

 原田さんすばらしい作品をありがとうございます。これからも、原田マハさんを応援していきたいと思います。