2月に入った頃から、肩や首の回りの凝りに悩まされていました。
齢51歳ですので、まさに50肩でしょう。
事務局を担う行事が続いたこともあったでしょう。
少し目途が立ったので、書店に行って、肩凝りを直す本を探しました。
そして、ここ数日、実践しているのが「あべこべ体操」です。
北洞誠一先生が提唱されている体操で、短時間で効果が実感できるとインターネットの動画サイトでは、400万回以上の再生回数があったこともあったそうです。
最初に体操を実践した時は、あちこちが痛くてつらかったのですが、日に日に肩や首回りの痛みが取れてきました。
長年の姿勢の悪さなどで体に歪みが生じ、肩や首の痛みとなって表れます。
それを修正するのが、あべこべ体操です。
いつも動かす方向の反対も動かしてみるのがあべこべ体操です。
北洞先生の著書のあとがきに、「あべこべ」の語源が掲載されていました。
あべこべは「彼辺此辺(あべこべ)」「あちらべこちらべ」が転じて「あべこべ」になったとあります。
その上で北洞先生は、「あっちの世界(見えない世界)とこっちの世界(見える世界)の両方を意味することとなり、そこから想像を広げていくと、「あべこべ」とは、単に『反対』という意味だけではなく、十と一、男と女、陰と陽のように相反するものが融合して完全な世界を形成するという深遠な意味を含んだ言葉だと気づかされました。」と書かれています。
私は、「あべこべ」と聞くと、「あべこべ政治」を思い起こします。
安全保障法制といいながら戦争法を強行し、一億総活躍社会といいながら国民生活を切り捨てる政治を進める安倍政治は、まさに「あべこべ政治」だと言えます。
私としては、「あべこべ体操」で体の歪みを修正し、獲得した健康な体で、政治を歪める「あべこべ政治」を修正していきたいと思います。
首や肩の痛みでお悩みの同世代の皆さん。あべこべ体操を是非お勧めします。
「あべこべ体操」で検索してみて下さい。
実践されている皆さんは感想をお聞かせ下さい。
学生ら15人が亡くなった1月15日の軽井沢スキーバス転落事故から1カ月が経過しました。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙には、31年前に学生ら25人が死亡した日本福祉大学スキーバス転落事故で、長女結可(ゆか)さん(当時19歳)を亡くした山形弘喜さん(75)さん、孝子さん(75)夫婦のインタビューが掲載されていました。
31年前、知らせを受け、弘喜さんたちは友人の運転で現場に向かいました。棺に入った遺体はお寺の本堂に安置されていました。
「遺体はみんな凍っていたね。泣き崩れるほかなかったですよ」と弘喜さん。
「傷もないきれいな姿でした。即死でしょうね。私はその時は、涙も出なかった。子どもが先に逝くなんて・・・。代わってやれるならやりたいよね」と孝子さんはしんみりと話します。
本ブログで繰り返し告白してきたように、私は、1985年1月28日5時45分ごろ、国道19号を走行していた三重交通バスが、長野市の犀川(さいがわ)の大安寺橋付近で、水深4メートル、水温4度の極寒のダム湖に転落した日本福祉スキーバス転落事故の生き残りです。
バスは、体育科のスキー授業の一環で北志賀高原に向かっていました。バスは3台で連ねて走っており、3台目のバスが犀川に転落。
私は、2台目のバスに乗っており、一命をとりとめました。
山形さん夫妻が向かわれた「棺が安置されたお寺」での仮通夜には、私たち生存者の学生たちも参列しました。
石の階段の上にお寺はありました。参道の両側にマスコミがひしめき合い、フラッシュのたかれる中、本堂に向かった記憶が蘇ります。
本堂には、25個の棺が並べられています。本堂の中には、遺族の方々と生き残った私たち学生。
本堂の中と外を遮断するものは、障子しかありません。
一台のカメラが本堂内を撮影しようと障子を破りました。
その時、当時の私たちと同年代だったと思います。今思い起こせば、亡くなった学生の兄弟の方だったのでしょうか。
遺族と思われる若い男性が「カメラのレンズが覗く破れた障子」に向かって「おまえらそれでも人間か!」と叫ばれた言葉を昨日のように思い起こします。
1985年1月28日の夜、事故現場付近のお寺で営まれた仮通夜に、山形さん夫婦もいらしゃったのだと思うと、新聞を読む眼が潤みます。
山形さん夫婦は、結可さんが生前書いた文章を「結可19歳」という本にまとめます。
残念ながら、その本を私は持っていません。機会があれば、山形さんご夫婦に連絡を取ってみたたいとも思います。
孝子さは憤ります。
「30年もたつのに切なくてあの子の本をひろげられないんです。悪いのは2000年の規制緩和でしょう。安かろう悪かろうで、どんどん(バス会社が)参入してくる。国はまったく教訓をいかしていない」
弘喜さんは「運転手が悪い、会社が悪いといたって一番悪いのは規制緩和をやった自公政権だ。60歳を過ぎた人を雇って安くあげようなんてとんでもない。遺族の親たちは40代でしょう。これから重い一生を背負うことになる」と訴えます。
軽井沢スキーバス転落事故から1カ月。
この事故を他人事として受け流すことが出来ません。
政府には、事故が二度と起きないよう抜本的な規制の強化強く求めたいと思います。
軽井沢スキーバス転落事故から1カ月。皆さんはこの事故をどのように思われますか。
ご意見をお聞かせ下さい。
昨日、2016宇部市新春のつどいが宇部市総合福祉会館で行われ、約200名の市民が集いました。
松田一志参議院山口選挙区予定候補は、「野党統一候補を必ず実現させ、戦争法廃止を求める候補を勝利させよう」と訴えました。
日本共産党参院山口選挙区候補の松田一志さん
二部では、総がかり行動うべ実行委員会から小畑事務局次長が2000万署名推進の訴えを行いました。
長州南蛮連がよさこい踊りを披露するなど、文化行事で大いに盛り上がりました。
長州南蛮連のよさこい踊りは盛り上がりました。
最後に、私が閉会の挨拶を行いました。
私の閉会挨拶の要旨は以下の通りです。
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今日は、西宇部校区人権教育推進大会で推進委員協議会副会長として閉会の挨拶を行ってきました。今日は二度目の閉会挨拶です。
さて、74年前に、床波の長生炭鉱で水没事故が起き、136名の朝鮮人労働者が亡くなる惨事を歴史に刻む会の運営委員となり、今年の追悼式で多くの遺族の方々と懇親を深めてきました。
韓国の文化を学ぼうと、先日、在日韓国人作家パク・キョンナムさんの「あなたが希望です」という作品を読みました。
この作品の宮本百合子の「播州平野」が引用されています。戦争が終わり、百合子は顕治の実家のある山口県に向かいます。
「8月15日の正午から午後1時まで、日本中が、森閑(しんかん)として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁(ページ)を音なくめくったのであった。」
パクさんは、「『敗戦』の歴史を進歩として受けとめ、『巨大な頁(ページ)を音なくめくった』と表現できた作家は、稀有(けう)だったと思います。」と百合子のこの時代認識を礼賛しています。
志位委員長は、党旗びらきの挨拶の冒頭で「昨年は、安倍政権によって戦後最悪の違憲立法-戦争法が強行されるという、日本の歴史に大きな汚点を刻む年となりました。同時に、大きな希望が見えてきた年ともなりました。」と述べました。
パクさんは、「命をかけても戦争に反対しようとした人たち、そういう人たちがいたことが、いまを生きる私たちに大いなる勇気と力、そして自負心を与えてくれなす。」と書いています。
戦争による多くの犠牲と命をかけて戦争に反対した人たちの力で、70年前に歴史のページがめくられ憲法9条が制定されました。
憲法9条を壊し歴史のページを元に戻すのか、「国民連合政府」という新しいページをめくるのか、この夏の参議院選挙は、大きな山場になります。
夏の参議院選挙で春名直章さんを国会に送りましょう。そして、定数1の山口選挙区選挙でも松田一志さんを国会に送りましょう。
宇部市の党と後援会の力で、参院選挙躍進することを参加者の皆さんと誓い合い新春の集いを閉じたいと思います。ありがとうございました。
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新春のつどいに参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
今日(14日付)の山口民報に、私が書いた「長生炭鉱水没事故74周年犠牲者追悼集会に参加して」と題するレポートが掲載されました。
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長生炭鉱水没事故74周年犠牲者追悼集会
長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会運営委員 藤本一規
1942年2月3日朝、長生炭鉱で水没事故が起き、136名の朝鮮人労働者が亡くなりました。1992年以来、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」は、韓国から遺族を招いて追悼式を開催してきました。74周年にあたる1月30日午前、追悼式が現場付近の追悼ひろばで行われました。私は、昨年から刻む会の運営委員となり、追悼式には運営スタッフとして参加しました。
追悼式には、韓国仏教宗団協議会から約60名の僧侶が参加されました。韓国仏教宗団協議会慈乗会長は「韓国仏教代表団は、傷ついた名誉を回復し、歴史の真実を伝えるために、そして、深い傷を完全に治すために、さらに邁進します。個人の犠牲が人類の教訓として残り(伝えられ)、二度とこのような悲劇が繰り返されないように、全ての生き物が安穏で平和な生活を享受できますように、宗教者としての責務を果たしてまいります。」と追慕の辞を述べました。
追慕の辞を述べる韓国仏教宗団協議会慈乗会長
午後から講演会がヒストリア宇部で行われました。強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会の殿平善彦共同代表が講演されました。
殿平さんは、今年9月、北海道内の朝鮮人強制労働犠牲者の遺骨115体を韓国に奉還する事業に取り組まれました。
北海道を出発した遺骨は、東京、大阪、広島を経由して、下関市の光明寺での追悼式を経て、韓国に到着。9月19日、ソウル市庁前広場で行われた葬儀には、約1000人の参拝者が集いました。115体の遺骨は玻州市ソウル市立墓地に納骨されました。
殿平さんは「私たちは政府や企業に代わって遺骨を届けたのではない。政府や企業は、むしろこの度の遺骨奉還を契機にして改めて自らの責任を自覚していただきたい。政府と企業の責任ある対応なしに遺骨問題の根本的な解決はあり得ない。」と述べました。
長生炭鉱の犠牲者の遺骨は海底に沈んだままです。政府などの責任を明らかにしつつ、遺族に遺骨を奉還する日まで粘り強く活動を続けていきたいと思いました。
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今朝の新聞赤旗日刊紙に、2012年に起きた中央自動車道・笹子トンネル天板崩落事故で、無くなった松本玲さん=当時(28歳)の両親が書かれた短歌が掲載されていました。
「ドイツ語に音響工学サックスと極めたことありし娘よ」
私も31年前に起こった犀川スキーバス連絡事故の生存者の一人として、いたたまれない想いでこの短歌を読みました。
74年前に亡くなった136名の朝鮮人労働者にも家族があり、未来がありました。
犠牲者の未来が断たれたことを嘆く遺族の想いは、万国共通です。
韓国の遺族に遺骨が奉還できるように、運営委員の一人として力を尽くしたいことを重ねて申し上げたいと思います。
レポートの感想をお聞かせ下さい。
2011年に、SMAP・草彅剛さんの翻訳で出版された韓国の小説家であるイ・チョルファンさん原作の「月の街 山の街」を読んでいます。
この作品は、2000年から韓国で刊行され、シリーズ累計360万部以上という異例のベストセラーとなった物語集「ヨンタンキキル(練炭の道)から抜粋して翻訳されたものです。
人と人が繋がる喜びを綴った短編は、私の心を鷲づかみにしました。
「オルガンの音」は、見知らぬ姉弟が食堂に入ってくるところから物語が始まります。
食堂の女将さんは、姉弟のお母さんをよく知っていると言って食事を振る舞います。
最後に珠玉の言葉で締めくくられています。
「傷つけずに愛するというのは、どれほど難しいことだろう。黙って痛みを包み込むのは、どれほど美しいことだろう。」
「花売りのおばさん」は、公営墓地で花屋を営む親子の会話を中心に物語が進行します。
花屋の近くで花を売るおばあさん。実は、墓に活けられた花をこっそり持ってきて売っています。
この短編のラストの言葉を紹介します。
「私たちは、一緒に生きていく人たちに助けられているのだと。私たちの人生が消えそうになるたびに私たちを救ってくれるのは、私たち自身ではなく、ほかの人の温かい気持ちなのだと。
「雪だるまの赤ちゃん」は、養護施設「天使園」での物語。
障がいを抱えたギョンホにソフィア先生は優しく接します。
この短編もラストも考えさせます。
「愛は、与える人の心の中に、より長く残るということを・・・。」
競走が益々激化し、争いが絶えない社会に思える今日です。
人間が忘れそうになることを思い出させてくれる言葉です。
そして、争いを鎮めてくれるような穏やかな言葉が綴られています。
原作者のイ・チョルファンさんと翻訳した草彅剛さんに感謝します。
最後のページまで、しっかり綴られたメッセージを受け止めたいと思います。
韓国の文学を少しづつ勉強したいと思っています。
お勧めの本をご紹介下さい。
宗教人と日本共産党との集いが昨年12月2日に山口市内で行われました。
昨年11月16日にさいたま市で行われた同様の懇談会と併せて、日本共産党中央委員会理論政治誌「前衛3月号」に「誌上再現」として、呼びかけ人の方々の発言と日本共産党を代表して参加した笠井亮衆議院議員の発言が掲載されました。
読んでみたいという方は、本ブログのトップページの「問い合せ」をクリックしていただいて、私までご連絡下さい。
私は、懇談会では呼びかけ人の一人として司会を務めました。
「全国宗教人・日本共産党を支持する会」から懇談会の様子を紹介するレポートを求められ、以下の文章を書いてみました。
参考になれば幸いです。
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「山口県で行われた『宗教人と日本共産党との懇談会』を開催して学んだこと」
浄土真宗本願寺派常光寺総代長(責任役員)藤本一規
私は、山口県宇部市吉部で生まれました。我が家に遺る「藤本家法名累記帖」の最初に「延宝4年俗名四朗右門」とあります。我が家は、340年前の江戸時代初期から浄土真宗の門徒としてこの地で生活していたことが分かります。
このような家に生まれた私は、物心ついた頃から「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて」で始まる「領解文」を祖母と一緒に仏壇の前で唱えて育ちました。
私がちょうど50歳になった昨年、門徒である「常光寺」の総代長(責任役員)になりました。そして、昨年11月には、山口別院で帰敬式を受け「釋諦観」の法名を頂きました。
更に、真宗門徒として、「念仏者9条の会」と「非戦平和を願う真宗門徒の会」の会員として戦争法の廃止を求め活動を行っています。
さて、昨年12月2日「宗教人と日本共産党との懇談会」(以下懇談会)を行うにあたり私は呼びかけ人の一人として名を列ねました。
懇談会を開催するに当たって、昨年9月から呼びかけ人が数回集まって準備を行ってきました。懇談会は呼びかけ人が主催し、日本共産党と宗教者が対等に懇談できる場にしていくことなどを話し合いました。
日本共産党から、笠井亮衆議院議員に参加していただくことが決まり、チラシも完成し
昨年の11月には、私が住む宇部市内の宗教法人百数十施設を懇談会の案内で回りました。
浄土真宗本願寺派の寺院では、同じ宗門として大いに対話になりました。市内でも最大規模の真言宗のお寺の住職は「志位委員長の発言に注目しています」と話され励まされました。
懇談会当日、私は呼びかけ人の一人として司会を務めました。呼びかけ人として発言していただいた方は4人。その内の日本キリスト教団宇部緑橋教会の小畑牧師がお話しの中で引用されたティン・ニーメラー牧師の「夢の話」は心に残りました。ヒットラーが神の前で裁かれる夢を見る。責めを問われたヒットラーは「誰もそれをおかしいと言ってくれなかったんだ」と詭弁を述べた。小畑牧師は、「安倍さんに対して同じことを想う」と語っておられます。宗教者としての深い言葉だと感銘をしました。
浄土真宗本願寺派布教師の田熊さんの仏説無量寿経の中に「兵戈無用」という言葉があることり、ブッダが「人を殺さない、殺されない、殺させない」と言っているというお話しにも勇気を頂きました。
笠井衆議院議員は韓国の月精寺の住職の「資本主義社会というのは自分の利益が何より大事だということで、他人を犠牲にしても自分の利益を得ようとする。そうではなくて、人と人が協力し合って、共に生きる、仏教の世界でいうと韓国では相生=人と人が協力し合って共に生きる相生こそ本当の社会だ」との言葉を紹介されました。この言葉こそ、宗教人と日本共産党が共に未来社会を考える一致点になると思いました。
私が住む宇部市では74年前、海底炭坑の落盤事故で朝鮮人労働者136名が亡くなりました。私は、この事故の歴史を残す「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の運営委員を務めています。2月3日に行われた追悼式には、韓国仏教宗団協議会から60名の僧侶が来られました。慈乗会長は「個人の犠牲が人類の教訓として残り(伝えられ)、二度とこのような悲劇が繰り返されないように、全ての生きものが安穏で平和な生活を享受できますように宗教者としての責務を果たしてまいります」と追慕の辞を述べられました。
「全ての生きものが安穏で平和な生活を享受できるように」私も宗教人の一人としての責務を果たしてまいりたいと思います。
「宗教人と日本共産党との懇談会」を開催するに当たり多くの事を学びました。数年後に懇談会が開催出来るよう期待しています。
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宗教人の皆さん、今の政治について今後とも大いに語り合いましょう。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。