月別アーカイブ:2013年8月

総合支援学校で医療ケアを受けている子どもの校外活動の保障について

 県内の総合支援学校で学ぶ児童・生徒で医療的ケアが必要な子どもたちのために、看護師が配置されています。

 しかし、修学旅行などの校外活動を行う場合、山口県は、看護師の同伴を認めていません。

 保護者が同伴すれば、子どもたちは、郊外活動に参加できますが、保護者の都合が合わず、校外活動に参加できない子どもたちが多数生まれています。

 聞くところによると、全国的には、半数以上の都道府県では、看護師が子どもたちの校外活動に同伴している実態にあるようです。

 私は、先日、ある県民の方から以上の指摘を受け、本日、県教育庁特別支援教育推進室から説明を受けました。

 山口県が校外活動で看護師の同伴を認めていない理由として、推進室は「子どもの安全を第一に考えて」と説明しました。

 今後について推進室は「今のこところ、対応を改める考えはない」と説明しました。

 私は、「子どもたちの学ぶ機会を保障していくために、半数以上の自治体で取り組まれている校外活動への看護師の同伴が認めらられないのは納得できない」と指摘しました。

 皆さんは、この問題をどのようにお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい、

少年Hと半沢直樹シリーズ

 昨日、妹尾河童著「少年H」を読み終えました。

 H少年が、終戦前後に何を見て、何を感じたか克明に記録されています。

 中でも、新聞が真実を書かなかったことが具体的に書かれてある点は圧巻でした。

 戦前は、日本政府に協力し、戦後は、GHQに協力し、真実が書けない新聞の状態がリアルに書かれてあります。

 また、天皇の戦争責任についてもリアルに書かれてあります。

 二度と、この歴史を繰り返してならない。心から思わせる小説です。

 私を人生の原点に、戻してくれるような小説でした。

 これからも私の座右に置いて、繰り返し読みなおそうと思える小説でした。

 そして、今、読んでいるのが、池井戸潤著「オレたちバブル入行組」です。

 今、テレビドラマで高視聴率をあげている堺雅人主演の「半沢直樹」の原作本です。

 池井戸作品は、「空飛ぶタイヤ」や「鉄の骨」など読んでいます。

 巨大資本の裏側に主人公が立ち向かう姿を描けば右に出る人はいないでしょう。

 半沢直樹は、巨大銀行の裏側に立ち向かう物語です。

 池井戸さん自身は、私の1才上の方で、半沢も私と同世代の設定です。

 時代背景は私が生きた時代ですので、よく分かります。

 実は、ドラマは、面白そうだと思いながら、盆前まで、激務続きだったので、観ていません。

 ドラマの次回は、来週の日曜日。

 それまでに、シリーズ第一弾「オレたちバブル入行組」。第二弾「オレたち花のバブル組」を読み終えたいと思っています。

 ブラック企業が横行する中、企業内は益々理不尽さを極めているのではないでしょうか。

 このような時代に、「やられたら倍返し」と自分をしっかり主張する境演じる半沢直樹に注目が集まっているのでしょう。

 「半沢直樹」ファンの皆さん、感想をお聞かせ下さい。

 

7・28豪雨災害が激甚災害に指定される

 15日の閣議によって、県内で甚大な被害が発生した7月28日の大雨災害も含め、激甚災害に指定されることが決定しました。

 激甚災害(本激)の指定は、全国を対象として、次の措置が適用されます。

 ①農地等の災害復旧事業等に係る補助の特別措置

 ②農林水産共同利用施設災害復旧事業費の補助の特例

 ③小災害債に係る元利償還金の基準財政需要額への算入等

 激甚災害(局激)は、山口市旧阿東町が指定され、次の措置が適用されます。

 ①公共土木施設災害復旧事業等に関する特別財政援助

 ②小災害債に係る元利償還金の基準財政需要額への算入等

 山本知事は、激甚災害指定に対し「災害発生から2週間あまりでの正式決定という前例のない早さであり、安倍総理をはじめ、関係の皆様のご尽力に厚く感謝申し上げます。」とのコメントを発表しました。

 今回の災害を激甚災害に指定することについては、日本共産党県委員会と県議団が、山口県に求めていた要望の一つでした。

 また、日本共産党国会議員団も政府へ、今回の災害を激甚災害に指定するよう求めていました。

 また、県は、13日、山口市阿東地区に被災者生活支援法の適用を決めたと発表しました。

 このことについては、私が、12日に、被災者生活支援法を阿東地域にも適用するよう求めていました。

 引き続き7・28豪雨災害の被災地支援に取り組んでいきたいと思います。

 被災者支援に対する皆さんの要望をお聞かせ下さい。

 

 

小説「少年H」

 6月議会→参議院選挙→豪雨災害→臨時議会と激走を続けた日々でしたが、盆間はゆっくりした時間を過ごしています。

 実家の草刈りや家の草むしりや私の部屋の掃除などをしながら、残りの時間は、本を読んで過ごしています。

 読み途中になっている本が多く、あれこれ読みたい本が多いのですが、この休みは、妹尾河童さんの「少年H」に集中しています。

 今、下巻の中盤まで読みました。今日明日で読み終わろうと思います。

 講談社文庫版上巻の巻末に阿川佐和子さんの文章が掲載されています。

 河童さんは、佐川さんにこう語ったといいます。

 「戦争はね、ある日突然くるもんじゃない。小石がパラパラと落ちてきたりするていど。でも実はこれが、戦争が始まる兆候だったことを、後になってから知ることになるの」

 文庫版の上巻には、戦争に向う小石の話題がちりばめられています。

 キリスト教が一つの教団に統合される。隣組が出来る。防毒マスクが配られる。

 学校では、土日が亡くなり、夏休みがなくなり、授業がなくなり、そして戦争一色になっていく様子がよく分かります。

 文庫版下巻は、昭和19年、Hが中学生になった頃からの物語ですが、小石は、もはや巨大な石となり、Hの一家を襲います。

 そして、Hの家をも消滅させる神戸大空襲が襲います。

 空襲の数日間が克明に活写されています。

 今まで読んだどの戦争に関わる小説よりも説得力がありました。

 上巻を読んだ読者は、H一家に愛情を抱きます。そのH一家を焼失させた戦争への怒りが沸いてきます。

 非戦闘員を攻撃の対象にしてはいけないのが国際法の立場だったと思います。

 戦争は、無法で、残虐極まりないものであることを痛感します。

 下巻の巻末には、井上ひさしさんの文章が掲載されています。

 この文章の中に、戦中の標語が列挙されています。終戦の直前の標語は「人生25年」というものだったとあります。

 井上さんは、標語が言う政府の意図は「日本人の寿命はせいぜい25歳止まりなのだから、本土決戦で、たとえ20歳で死んでも、それは当然だと思え」ということだと解説しています。

 未来を拓く少年に、早く死ねと教えた70年前の歴史を忘れてはならないと思いました。

 子どもたちの時代に戦争の惨禍を繰り返さないために、私は、この小説を座右において、戦争に向う「小石」を取り除く仕事を続けたいと思います。

 小石は一人では取り除けません。

 一人でも多くの人と戦争への小石を取り除こうと決意を新たにしています。

 小説「少年H」の感想をお聞かせ下さい。

松林桂月展

 今日、小学3年生の娘と一緒に、山口県立美術館で開かれている没後50年「松林桂月展」を観てきました。

 前回の松田正平さんに続き、県内出身の画家の展覧会を満喫しました。

 桂月は、萩市に生まれた日本画家です。母校の小学校に絵を寄贈したとの展示がありました。

 当時は、まさに師について修業しながら絵を学んでいたのですね。

 展示されている作品の多くは、山水画でしたが、私は、花の絵に心を奪われました。

 デッサンと色の素晴らしさに魅了されました。

 娘も満足していたようです。

 県立美術館は、開館33年10ヶ月になり、先日、入館者600万人を突破したとの報道がありました。

 県立美術館では、これからも、今回の展示会のように、地元出身の作家をじっくり紹介する展示会を続けてほしいと思います。

 私も、今後とも県立美術館の応援団の一人として足を運び続けていこうと思います。

 特に、この2年は、県立美術館を所管する県議会総務企画委員会の委員としても美術館の運営に注目していきたいと思います。

 松林桂月展は、9月16日まで行われています。

 皆さんもぜひ、県立美術館に足をお運び下さい。

 問合せは、083-925-7788までお願いします。

映画「少年H」

 降旗康男監督の映画「少年H」を小3の娘と一緒に観ました。

 映画の後半は、涙が止まらなくなりました。

 この映画は、私にとって今年1番の映画になりました。

 少年Hが経験した神戸での戦争へ向かう日常を通して、「二度と同じ過ちを繰り返してはならない」気持ちが私のこころを覆います。

 妹尾家は、クリスチャンで、洋服店。神戸という土地柄もあり、多くの外国人との接触があります。

 日本に入国したユダヤ人の人たちのために、Hの父は、洋服の修復をしたこともありました。

 日本のシンドラーと言われた杉原領事がビザを発行してユダヤ人を逃がした事と繋がっている出来事です。

 そんなある日、父は、警察の取り調べを受けます。

 当たり前の日常に、戦争が深く忍び寄ってきます。

 そして、神戸大空襲。全てを焼き尽くしました。

 原作者の妹尾河童さんが映画のパンフレットに「過去の歴史は、未来への予言」という言葉を引用していました。

 妹尾さんは、「戦争の惨事へつながる道へ連れ込まれない用心だけでなく、『いま生きている』意味を奪われないように守ることも含めて、絶対に忘れてはいけない」と語っています。

 妹尾さんは、私の父と同世代。戦争を経て、平和憲法が制定され、日本が戦争に巻き込まれずに、約70年経過することが出来ました。

 そのバトンを私たち子ども世代が、私たちの子どもたちに手渡していかなければなりません。

 この映画は、家族みんなで観て頂ける映画です。

 一人でも多くの方に観て頂きたい作品です。そして、この作品によって、平和の伝承がそれぞれの家庭で話し合われたらと思います。

 妹尾さん、降旗監督ありがとうございました。皆さんのバトンは引き継いでまいります。