月別アーカイブ:2010年3月

札幌市の認知症高齢者グループホームの火災に伴う緊急立ち入り調査の結果

 今月13日、札幌市の認知症高齢者グループホームにおいて、死者7名を伴う火災が発生しました。

 この事故を受けて、山口県独自の緊急立ち入り調査が15日から26日までの期間で行われました。

 本日、結果が県から私に報告されましたのでお知らせします。

 県内に、認知症高齢者グループホームが141施設(146棟)あります。

 その内、6棟で違反がみつかりました。(以下、重複あり)

 内訳は、防火管理者の選任が行われていなかった棟が3、消防計画の作成がされていなかった棟が3、消防訓練の未実施が2、防炎物品の使用違反が2でした。

 今後の対応として県は、違反施設に対して各消防で早急な是正改善を指導中とのことでした。

 次に、消防法施行令の改正に伴う消防用設備の設置状況です。

 (以下、消火器は本年4月1日から、それ以外の設備は平成24年4月1日から適応されます。)

 自動火災報知装置の対象棟数は44、設置棟数は27、設置率は61.4%でした。

 火災通報装置の対象棟数は83、設置棟数は57、設置率は68.7%でした。

 スプリンクラーの設置対象棟数は103、設置棟数は61、設置率は59.2%でした。

 消火器は対象棟数1、設置棟数1で、設置率100%でした。

 今後の対応として県は、施設の関係者に対し、経過措置期間中であってもできる限り早期に設置すうよう促進するとのことでした。

 札幌市で火災を起こした施設でも自動火災報知施設、消防機関へ通報する火災報知施設設置の対象施設でありながら経過措置期間中ということで未設置でした。

 県内の施設の設置状況もおおむね6割程度に止まっています。

 県内の施設で、消防法施行令の改正に伴う消防用施設が早期に設置されるためには、国や県の援助も必要ではないでしょうか。

 札幌の悲劇が山口県をはじめ、全国で繰り返されないような対策が急がれます。

 皆さんのご意見をお聞かせください。

宇部駅前交番新年度改築へ

 新年度予算に宇部駅前交番の改築費用が計上されました。

 老朽化に加え、駐車スペースがあまりなく、地域住民は、交番の改築を長年要望してきました。

 私は、県議になった当時から交番改築を県警本部に求め続け、今回の改築予算の確保となりました。
 現在の宇部駅前交番は、二百八十㎡ですが、改築後は五百㎡になる予定です。

 改築後は、6台の駐車スペースが確保される見込みです。
 建設予定地は、現在建設されている場所の周辺が計画されています。

 引き続き、皆さんの要望をお寄せください。

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   改築されることが決まった宇部駅前交番

厚東川通信No274(2010年4月1日)

宇部原水協が「平和のつどい」行う

 

核兵器廃絶の声をNPTへ

 

李陽雨さんが平和の歌を熱唱

 

 三月二〇日、宇部原水協主催の「平和のつどい」が行われました。
 つどいでは、五月にニューヨークで行われるNPT(核不拡散条約)再検討会議に核廃絶の草の根の声を届けようと山口民医連から参加する四名が紹介されました。
 また、つどいの中で、藤本県議は、岩国基地の現状について報告しました。藤本県議は、「日米再編が見直されている中、空母艦載機部隊の岩国移転も再検討すべきだ」と訴えました。
 更に、李陽雨さんのコンサートも行われました。 李さんは、「あの日の広島になにより早く芽を吹いたその健気さに生きたいな」という歌詞が出てくる「どくだみ草」という平和の歌などを熱唱されました。その他、地域や職場の取組が報告されました。

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  原水協の「平和のつどい」で歌う李陽雨さん

 

宇部駅前交番新年度改築へ

 

 新年度予算に宇部駅前交番の改築費用が計上されました。老朽化に加え、駐車スペースがあまりなく、地域住民は、交番の改築を長年要望してきました。藤本県議は、県議になった当時から交番改築を県警本部に求め続け、今回の改築予算の確保となりました。
 現在の宇部駅前交番は、二百八十㎡ですが、改築後は五百㎡になる予定です。改築後は、6台の駐車スペースが確保される見込みです。
 建設予定地は、現在建設されている場所の周辺が計画されています。

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  改築されることが決まった宇部駅前交番


3月議会報告シリーズ②

 

療養病床廃止を中止せよ

 

 藤本県議は、強行すれば大量の介護難民が生まれる「療養病床廃止計画」の中止を要求。「医療及び介護療養病床九千五百二十四床のうち二千八百二十七床を介護施設へ転換するというが、転換は四百三床。残り二千八百八十床が介護療養病床として維持できるのは平成二十三年度末までであり、他方、特別養護老人ホームの待機者は七千八百九十八人にものぼり、計画強行は介護難民を生む」と、政府に廃止中止を求めるべきだと強調しました。
 今村健康福祉部長は、「療養病床の目標数、介護療養病床の廃止時期を国が見直し・検討中であり、国の動向を注視したい。国に注視を求める考えはない」とつっぱねました。

 

一気

 

映画「花のあと」を観ました。藤沢周平原作の映画は二〇〇二年「たそがれ清兵衛」、二〇〇四年「隠し剣 鬼の爪」、二〇〇五年「蝉しぐれ」、二〇〇六年「武士の一分」、二〇〇八年「山桜」とありますが、全部観ています。 どの作品も、私の心に灯りをともし続けています。今回の「花のあと」もそんな作品の一つになりました▼ 藤沢周平は、不正を許さない正義感を貫く主人公の凛とした姿を時代小説を通して描き出す天才でしょう。 そのために主人公は不利で危険な道を歩むことになるのですが、その潔さを読む者は佳しとします。監督が違っても、藤沢周平のこのメッセージが、映像化されたどの作品にも貫かれていいます▼この映画では、 様々な困難を乗り越えて、夫婦として歩く二人が写るラストシーンにジーンときました。 これからも藤沢作品の映像化は大歓迎です。

ゲゲゲの女房

 数年前に、書店で武良布枝著「ゲゲゲの女房」を手にして読んでいましたので、今日はめでたい一日でした。

 そうです、今日からNHK連続ドラマ「ゲゲゲの女房」が始まったのです。

 丁度、今日から、宇部市サンきわ後援会が行われている早朝宣伝に参加する日で、朝は見れませんでした。

 午後から、山口市で、共同募金会の理事会がありましたので、その前に、県議会控室に立ち寄り、弁当を食べながら、昼の再放送を観ることが出来ました。

 第一回目は布枝さんが小学生の頃の話しでした。小学校2年の時、実家から数時間かかる港街に嫁いだ叔母さんに会いに行って、夜になって帰ったというエピソードは、原作にも出てくる話しです。

 これから、茂さんとお見合いをして、東京に出たのはいいが、極貧の暮らしが待っています。この辺りがどのようなドラマになるのか今から楽しみです。

 これから半年、楽しみが一つ増えました。

 そうです。来週は、子どもたちと堺港に行くのです。水木しげるロードと水木しげる記念館に行ってきます。

 きっと「ゲゲゲの女房」の話題も堺港では持ち切りだと思います。「ゲゲゲの女房」にまつわる情報もキャッチしてきたいと思います。

 そして、明日は、これもNHKですが、角田光代原作のドラマ「八日目の蝉」が始まります。

 主演は檀れいさんです。このドラマもとても楽しみにしています。

 皆さん「ゲゲゲの女房」「八日目の蝉」の感想をお聞かせください。

天地明察

 3月28日号のしんぶん赤旗日曜版の文化欄に、「天地明察」を書いた沖方丁さんの記事がありました。

 「天地明察」は、吉川英治文学新人賞を受賞し、本屋大賞の候補作でもあります。

 早速、購入し、妻も子どもも妻の実家に行っておりますので、昨日からじっくり「天地明察」を読んでいます。

 主人公の渋谷春海は、17世紀に実在した碁打ちにして数学者です。

 私は根っからの文系で、小説に出てくる数学や天文のことは全くの門外漢ですが、彼の熱情には心打たれ、スラスラとページをめくっています。

 本の帯に、日経新聞の書評が出ていました。

 「最近聴かなくなった『ロマン』という言葉を思い起こさせる、痛快な青春立志伝である」まさにこのような痛快さを感じます。

 時代小説は、情景が浮かびにくい物もありますが、この小説は、春海の姿や取り巻く人物が私の目に飛び込んでくる勢いを感じます。

 作者の沖方丁さんは、33才。この本を書いてようやく名刺に「作家」と入れたと赤旗のインタビューにありました。

 これからも「沖方丁」さんんに注目していきたいと思います。

 これまでは、ライトノベルが中心ですが、彼のこれまでの作品も読んでみようと思います。

 さて、2010年本屋大賞の発表は4月20日です。

 ノミネート作品の中で読んだのは三浦しをん作「神去なあなあ日常」と、「天地明察」です。

 これから読んでみたいのは小川洋子作「猫を抱いて象と泳ぐ」です。

 「神去なあなあ日常」はテーマが林業でもありぜひ大賞を取っていただきたい。

 「天地明察」は、今読んでいるので一押しです。

 やはり、巨匠村上春樹なのでしょうか。皆さんは、どの作品を読み、どんな感想をお持ちですか。お聞かせください。

シベリアに抑留されたUさん

 本日、映画「嗚呼 満蒙開拓団」の紹介に、宇部市内に在住のUさんを訪ねました。

 Uさんは、80代後半の方でした。肺を患い、戦地には赴かずに済んでいましたが、終戦間際に、満州のソ連国境付近に派遣されました。

 その直後に、ソ連の侵攻が行われ、Uさんは、国境独立守備隊の一員として応戦します。

 「ソ連の戦車を見たら、いかに日本の兵力が劣っているかは歴然だった」とUさんは語ります。

 8月15日になり、日本の敗戦が決まり、Uさんはソ連の捕虜となりシベリアに抑留されました。

 満州で、多くの日本人の親子が引き揚げようとしている姿を見たとUさんは話されます。

 5年後にようやく日本に帰ることが出来たそうです。

 戦後は、シベリア抑留者の会や満蒙開拓団に行っていた方の会などの参加したUさん。今は、高齢化し会合も行われていないということでした。

 Uさんは、「なぜ、肺を患っていた私のような者が、戦場に出向かなければならなかったのか、今でも疑問。」と話されました。

 私は「二度とこのような悲劇を繰り返してはならないので多くの方にこの映画を観てほしい」と映画の内容を紹介しました。

 Uさんは、「年はとったが、映画上映のために可能な協力はします」と話されました。

 あの戦争の真実を知る世代は、70代以上となりました。私たちがしっかり語り継いでいかなけれならないことを痛感しました。

 そのためにも、映画「嗚呼 満蒙開拓団」を一人でも多くの方に観ていただきたいと思いました。