石川拓治著「奇跡のリンゴ」を数日前から読んでいます。今、丁度半分程度読みました。
この本の副題は「『絶対不可能』を覆した農家 木村秋則の記録」です。
木村さんは、青森県のリンゴ農家。不可能と言われた無農薬によるリンゴ栽培に成功した人です。
私が読んだ前半は、木村さんの農園のリンゴが虫達によって全滅した光景です。
子どもたちの教育費にも困る極貧の木村家の暮らしぶりです。
ここから、どうやって、無農薬によるリンゴ栽培に成功したのか興味津々です。
文庫版の解説で、脳科学者の茂木健一郎さんは、「薬漬けの無菌状態で、栄養剤を補給されている。それは、私たちの文明人自身の姿ではないのか。木村さんが発見した「リンゴ本来の力」を引き出すノウハウは、私たちの生き方にもまっすぐにつながる。果たして、私たちは自らの内なる生命力をよみがえらすことができるのか?情報化の中で、ともすればやせ衰えていく私たちの生きる力。木村さんのリンゴが私たちに突きつける課題は大きい。」と述べています。
実に名文。茂木さんの文章は、木村さんの挑戦の意義を明確に説明しています。
表紙の木村さんの笑顔がたまりません。木村さんは、「死ぬぐらいなら、バカになればいい」と言いながら、無農薬リンゴへの挑戦を続けたそうです。
この笑顔の木村さんだから辿りつけた道だったのだと思わせます。
木村さんの物語が映画になります。
監督は、中村義洋さん。私が大好きな監督の一人です。
作家の伊坂幸太郎さん著作の映像化を数々手がけた監督です。
私の一押しは「ゴールデンスランバー」です。
木村さんを演じるのは、阿部サダヲさん。いい配役だと思います。
6月8日から封切り。私は、映画「奇跡のリンゴ」にも大いに期待しています。
私の究極の願いは、木村さんのお話を直接お聞きすることと、木村さんのリンゴを食べることです。
いい物語に出会えた喜びにひたる日々です。
今日、西宇部小学校の3年生を対象に、地域学習「新茶(小野茶)を味わう会」が行われました。
長女が3年生ということで保護者として参加しました。
JAの佐々木さんが、小野茶ができるまでの様子を画像を含めて説明しました。
その後、小野茶(新茶)を急須に入れて飲みました。
美味しいお茶の入れ方は次の通りです。
①急須に、一人前、茶さじ山盛り1杯のお茶の葉を入れます。
②沸かしたお湯をお茶碗に入れて、70℃~80℃に冷まします。
③お茶碗のお湯を急須に入れ、1分ほど待ってから、急須のお茶をお茶碗に戻します。
④複数、お茶碗が有る場合は、急須のお茶を少しづつ入れていきます。
丁寧に入れたお茶は、ほんのり甘味もあり、深い味わいでした。
お茶のカテキンは、生活習慣病を予防する作用や殺菌作用などがあるそうです。
また、ビタミンCやフッ素なども含まれているそうです。
子どもたちは、小野茶の茶畑も見学する予定です。
私の実家には、昔、茶畑があり、田植えが終わった、これからの時期、新茶を刈っていました。
その豊潤なお茶の香りを想い起こしました。
「そうだ、お茶を飲もう」と思いたち、学習会から帰って、自宅でさっそくお茶を飲みました。
宇部市は、県内で最大規模のお茶の産地です。
子どもたちには、少しでもお茶と親しむ生活を送ってほしいと思いました。
そのためにも、私たち保護者が、お茶のある生活を送らなければと思いました。
地域のためにも健康のためにもお茶を飲もうと思った学習会でした。
佐々木さんの「これから、暑い中、農家の方々は、一生懸命、お茶を刈っておられます。その姿を思い出してください。」
この言葉が私の心に届きましした。
学習会を準備して頂いた皆さんに感謝したいと思います。ありがとうございました。
山田洋次DVDマガジンVol.11「タウンタウンヒーローズ」を観ました。
この映画は、終戦直後の旧制松山高校を舞台にした物語です。
主演は、薬師丸ひろ子さんと中村橋之助さん。
薬師丸さんとは同じ年。88年の作品ですので、彼女24歳の時の作品です。
原作は、脚本家の早坂暁さん。彼の自伝的小説が原作です。
映画の中で、旧制山口高校と旧制松山高校が「インターハイ」を行う場面が出てきます。
マガジンの中で、「奇遇にも僕は、同時期に旧制山口高校の学生でした。当時、松山高校と山口高校は年に2度、野球の定期対抗戦を開催していました。」と語っています。
早坂さんの原作と山田監督の経験が、この映画の土台となっています。
私の父も、旧制高校に入学し、新制高校に移行した時期に学生生活を送っていたと生前私に話してくれました。
戦争が終わって、民主主義が花開く時代に、自らの人生を花開かせようとした父世代の方々の青春時代。彼らの沸騰するような青春時代に憧れさえ抱きながら映画に見入りました。
マガジンで、文化評論家の切通理作さんが、「ダウンタウンヒーローズ」について「バブルの絶頂期に響かせた『飽食の時代」への警鐘」と題する文章を巻末に寄せています。
切通さんは、「すまけい演じる教師の最後の授業での、『欲するものが手に入る時は警戒せよ』という言葉にもつながってくる。この言葉は、バブルの絶頂期だった公開当時の1988年を貫通し、現代にまで届く。」と述べています。
戦後すぐに、自由を獲得し、未来をきり開こうとした青年群像があったことを知ることは、現代の危険を察知し、それを乗り越える必要を教えてくれます。
「ダウンタウンヒーローズ」。山田監督の熱いメッセージを皆さんにも受け止めていただきたいと思います。
次回は、「虹をつかむ男」です。とても楽しみです。
今日は、小雨が一日中降りしきる中、実家で田植えを行いました。
小6の三男が撮影してくれました。着膨れ気味です。
母と長姉と妻と小学生の子ども二人で行いました。
一番大きな田は順調に終えたのですが、田植え機を畦から上げるのに苦労しました。
雨の影響もあって、取り分け畦がぬかるんでいました。
二つ目の家の前の田に苗を植えていたのですが、どうも植えむらがあります。
昼前になったので、農協の機械の専門家の方に来ていただきました。
専門家曰く「右側のフロート部分(白長い舟のような部分)が曲がっている」とのことでした。
一番大きな田の畦から出る時に、曲がってしまったようです。
1時間程で、フロートの歪みはほぼ解消され、作業を再開。
家の前の田の残りと家の下の田に苗を植えました。
田植え機の背景に荒滝山。雨で霞んでいます。
畦から出るときは、田植え機のお尻から出た方がいいなどのアドバイスを生かしながら、それからの作業は順調でした。
全ての田に苗を植えたら、機械の洗浄です。
小雨が止まない中でしたが、小学生の子どもたちがよく手伝ってくれました。
子どもたちは、田植え機の洗浄などを手伝いました。
午後2時30分頃全ての作業が終了しました。
毎年、様々なドラマがありますが、今年も無事田植えを終えることが出来ました。
家族の協力に感謝・感謝の一日でした。
農家の皆さん、田植えは終わりましたか。塩梅はどうですか。お聞かせ下さい。
現在、山口県特別支援教育ビジョン第2期実行計画の見直し作業が行われています。
計画見直しのために、昨年度から「山口県特別支援教育ビジョン実行計画推進委員会」が設置され、2回委員会が開かれました。
5月30日、今年度第1回目の委員会が開かれました。
見直しの視点は、①総合支援学校における児童生徒の増加や障害の多様化に応じた質の高い教育の推進②幼・小・中・高等学校等における特別支援教育の実践力の向上と継続的な支援の推進③地域における自立・社会参加をめざした特別支援教育の理解促進の3点としています。
私は、過去の議会で、①美祢・長門地域への特別支援学校の設置②高等学校における特別支援学級の設置などを求めてきました。
5月30日の委員会資料の中に、「平成24年度第1回及び第2回山口県特別支援教育ビジョン実行計画推進委員会 意見の要約」があります。
この資料に、私が議会で指摘した二つの点が盛り込まれています。
見直し作業は、遅くとも今年度中には終了する見通しです。
私が指摘した点を含めて、子どもたち一人一人に光があたる実行計画になることを望んでいます。
今後の見直し作業をしっかり注視していきたいと思います。
山口県の特別支援教育に対する皆さんの意見をお聞かせ下さい。
「赤旗」日曜版6月2日号に、自民党の古賀誠元幹事長が登場。憲法改正の発議要件を緩和する安倍内閣の憲法96条改訂の動きについて「絶対にやるべきではない」とのべ、強い反対を表明しました。
古賀氏は、2歳の時に父親が「赤紙」1枚で招集され戦死した経験を語り、「2度と戦争を起こしてはならない」が私の政治の原点と語りました。
また、古賀氏は、憲法の平和主義は「世界遺産」だとも主張。最後に、古賀氏は「私に言わせると自民党と共産党こそが『二大政党』だと思っています。」と語りました。
このインタビューは、「毎日」「東京」「西日本新聞」や共同通信、時事通信、「日刊ゲンダイ」などが報道しました。
「毎日」(30日付)は「『赤旗』で古賀氏 発議要件緩和 絶対だめ」、「東京」(30日付)は「96条改憲『絶対反対』 古賀元幹事長、赤旗取材に」などと伝えています。
6月2日付「しんぶん赤旗」日曜版を読んでみたいと思われる方は、ご連絡下さい。