6月26日付しんぶん赤旗「日曜版」の「ひと」のコーナーに俳優の桐谷健太さんが登場しました。
桐谷さんは、携帯電話のCMで浦島太郎にふんし、三線を弾き歌う「海の声」が大ヒットしています。
さらに、25日公開の映画「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」に出演し、劇中に登場する地獄図というロックバンドのドラム兼ボーカルを担当しています。
地獄図で「TOO YOUNG TO DIE」という楽曲を発表し、桐谷さんが実際にドラムを担当しています。
桐谷さんのここ数年の活躍は、若手俳優の中で特出するものだと思います。
そんな桐谷さんが、NHKドラマ「水族館ガール」で梶良平を演じています。
梶良平はイルカのトレーナー。松岡茉優さん演じる本社から水族館に赴任してきた嶋由香を目の敵にします。
桐谷さんはインタビューで「台本を読ませていただいたとき、ずっと怒鳴っているな、と思ったんですよ。何も心に傷があるんだろうなと、と。訳に血が通っていないと怒っているだけのキャラになってしまう。生きた人物として見せることを、すごく課題にしています。」と語ります。
ドラマの第一話を観ましたが、桐谷さんは、松岡さんを怒鳴ってばかりいました。このインタビューを読んだ今、だからこそ、これからの展開に興味をいだきます。
桐谷さんは、このドラマで「命のバトンをつないでいくことは私たちの使命」という言葉が出てくる、自らも家族を持ったことと重ねて、「いい言葉だな、と思いましたよ。今までは自分のことしか考えていなかったんです。『未来』っていう言葉が一人でいたときは違ったものになりましたね。きれいな海であったり、ちゃんとした自然を残したいと」とインタビューで語っています。
この記事を読んで、益々、俳優「桐谷健太」さんを注目していきたいと思いましたし、NHKドラマ「水族館ガール」を楽しんで観ていこうと思いました。
そして、木宮条太郎さんの原作「水族館ガール」を読みながら、ドラマを楽しみたいと思います。
原作もドラマも読み、観始めたばかりですが、早速、違いが出てきました。
原作の嶋は、市役所出身ですが、ドラマでは商社出身となっている点です。
このような違いを感じながら原作とドラマを見比べるもの私の楽しみの一つです。
今から、録画しているドラマ「水族館ガール」第二話を観ようと思います。
ドラマを観ておられる方感想をお聞かせ下さい。
昨日、宇部市内各所で日本共産党の街頭演説会が行われました。
興産前の早朝宣伝では、約20人がプラスターなどを持って宣伝を行い、松田一志比例候補が訴えました。
その後、私が司会を務めながら、松田候補が市内各所で街頭宣伝を行いました。
宇部興産前で街頭宣伝をする松田比例候補
午後3時からは、春名なおあき比例候補と仁比そうへい参議院議員も参加し街頭宣伝を行い、訳200名の市民が集まりました。
左から仁比参院議員、春名候補、松田候補
昨日は、心配された雨もあまり降らず街頭宣伝を終えることができました。
今日、私は、比例カーの主任弁士を務め、市内各所で街頭宣伝を行います。
近くを通られたら応援をよろしくお願いいたします。
「誰の子どもも殺させない」政治をつくるためにお父さん政治家は頑張ります。
昨日の中国新聞は、「中国電力は22日、上関原発建設予定地(山口県上関町)の公有水面埋め立て免許の免許期間を2019年7月までさらに1年1カ月間延長するよう山口県に申請した。」と報じました。
昨年6月、村岡知事は、「国のエネルギー政策における(上関原発の)位置づけが変わらないと見えるだけの説明が尽くされていない」として、7度目の説明を求め、中国電力は、回答期限の22日に、県に回答文書を郵送したものです。
中国電力は、福島第一原発事故に伴う工事中断を受け、12年10月に3年間、昨年5月には2年8カ月間の免許延長を申請していました。
中国電力の3度目の延長申請が認められば、当初の免許期間からほぼ9年延長されたことになります。
今朝の毎日新聞は、村岡知事は23日、中国電力から7度目の回答が届いたことに「国のエネルギー政策における上関原発の位置づけが変わらないか精査し、適切に判断する」と述べたと報じています。
日本共産党県議団が昨年11月原子力規制委員会などとの交渉で明らかにしたように、上関原発は、重要電源開発地点という「旧基準」によって位置づけられているだけで、「新しい規制基準」に対する審査は一切されていません。
二井元知事が整理をしたように、新たな基準での土地利用計画を出さなければいけない状況であることは明らかです。
中国電力の申請を一旦不許可にするのは当然です。
にも関わらず、公有水面埋め立てを中電だけ7年間もの延長を認めることは、村岡知事の裁量権濫用は明らかです。
村岡知事は、3度目の延長申請は認めず、不許可にすべきです。
中国電力が3度目の延長申請を行いました。みなさんはどうお考えですか。
昨日、参議院選山口選挙区野党統一候補のこうけつ厚候補の出陣式が山口市内で行われました。
日本共産党からは、山下副委員長が応援にかけつけ「市民と野党が力をあわせて政治をかえるチャンスだ」「こうけつさんや私たちの政策を県民に伝え抜き、勝利の扉をこじ開けよう」と呼びかけました。
こうけつ候補支援を訴える日本共産党山下副委員長
民進党からは菅直人元首相が応援にかけつけ「最高の候補者を市民と野党共闘の中で擁立できた。山口から日本を変える大きな一歩にしよう」と訴えました。
こうけつ候補支援を訴える菅直人元首相
社民党からは、金子元衆議院議員が「山口が変われば日本は必ず変わる」と訴えました。
前山口大学副学長のこうけつ厚野党統一候補は「私は立憲主義を取り戻したい。大学を飛び出し、みなさんとともに取り戻す」と訴えました。
元気一杯に第一声を行うこうけつ厚選挙区候補
日本共産党の松田一志比例候補と連合山口の中繁会長も紹介されました。
私は、総がかり行動うべ実行委員会事務局長として宇部が変われば山口が変わるの決意で頑張りたいと思います。
こうけつ候補への想いをお教え下さい。
宇部市PTA連合会総会で私は、会長挨拶で、黒柳徹子さんをモデルにしたNHKテレビ「とっとテレビ」の話をしました。
昨日、宇部市PTA連合会理事会での挨拶の中身を考えている時に、「黒柳徹子さんが渥美清さんに『星の王子さま』ぐらい読みなさい」と諭すシーンを思い出し、星の王子さまの話をしようと思い、パラパラとページをめくっていました。
小説の後半、小さな王子さまは、キツネにバラに会いに行けと諭され、バラに会いに行き、再びキツネの所に戻ります。
小さな王子さまは、キツネに秘密を教えられます。
「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」
私が今回再読して、心に残ったのは次のくだりです。
「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」
私は昨日のPTA理事会での挨拶で、「バラをスマホに変えてみましょう」とお話ししました。
「きみのスマホをかけがえのないものにしたのは、きみが、スマホのために費やした時間だったんだ」
今日、子どもたちにも親たちにも当てはまる状況を示しています。
PTAとして、「バラを子どもに変えてみましょう」と自戒じつつお話ししました。
「きみの子どもをかけがえのないものにしたのは、きみが、子どものために費やした時間だったんだ」
スマホやコンピュターに向かう時間をもう少し子どもたちと過ごす時間にしたいと、「星の王子さま」のこのくだりを読んで感じました。
名作は、何度読んでも味わいがあることが分かりました。
時間といえば、ミヒャエル・エデンの「モモ」を思い出します。
岩波書店の大島かおりさん訳の「モモ」の訳者のあとがきの冒頭にこう書かれています。
「『時間がない』、『ひまがない』-こういうことばをわたしたちは毎日聞き、じぶんでも口にします。いそがしいおとなばかりではありません、子どもたちまでそうなのです。けれど、これほど足りなくなってしまった『時間』とは、いったいなになのでしょうか?機械的にはかることのできる時間が問題なのではありますまい。そうではなくて、自分の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がわたしたちからだんだんと失われてきたようなのです。このとらえどころのないような時間というものが、このふしぎなモモの物語の中心テーマなのです。」
このくだりを読むと、私が大学時代に学んだマルクスの「経済学哲学手稿」に出てくる「労働の疎外」と共通する概念を感じます。
サン=テグジュペリの「星の王子さま」が出版されたのが、1943年。
ミヒャエル・エデンの「モモ」が出版されたのが、1973年。
ミヒャエルは、「星の王子さま」からの影響も得て、「モモ」を書いたのではないでしょうか。
人間らしく生きる時間を持つにはどうしたらいいのかと、マルクスもサン=テグジュペリもミヒャエル・エデンも考えなさいと教えられていることを感じています。
「星の王子さま」は私の座右の書と一つになりました。
みなさん、「星の王子さま」で印象に残る言葉をお教えください。
昨日、浄土真宗本願寺派宇部北組総代会研修会で、防府市妙玄寺住職の神保先生のお話しを聞きました。
その中で、正岡子規の「病牀六尺」の事が出てきました。
正岡子規は、1867年に生まれ、1902年に亡くなった日本を代表する俳人の一人です。
子規は、亡くなる3年前からほぼ寝たきりで、寝がえりも打てないほどの生活を送ります。
その中で、新聞「日本」にエッセーを発表し続け、それをまとめたのが「病牀六尺」です。
文中に、麻酔剤を飲みながら文章を書いていることが出てきます。
また、高浜虚子、河東碧梧桐・伊藤佐千夫・長塚節らが訪ねて来る場面が度々出てきます。
外出など不可能で、病床に臥した状態でありながら、テーマは多岐に渡り、ユーモアを交えた文章に笑いも出てくるほどです。
子規は、「病牀六尺」の最終回を書いた翌日に亡くなります。
亡くなる数日前の文章には「足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。足あり、大磐石の如し。僅かに指頭を以ってこの脚頭に触れるば天地振動、草木号叫、女媧氏いまだこの足に断じ去って、五色の石を作らず。」と書いています。」と悲痛な病とのたたかいが綴られています。
神保先生は、「人間はあるがままに一人ひとりの役割を発揮して生きていくことが大切」と話されました。
ドキュメンタリー映画「不思議なクニの憲法」の中で、車椅子で生活を送るプアカウンセラーの安積遊歩さんが、「人間はハンディーを持って生まれハンディーを持って死ぬもの」という趣旨を発言しておられたことも思い出しました。
50代の私は、あるがままで、日々与えられた役割をしっかり発揮していきたいと思いました。
正岡子規のことについても少しづつ知っていこうと思いました。
子規について皆さんの好きな句や好きな言葉をお教え下さい。