昨日、小雨が降る中、西宇部小学校の運動会が行われました。
雨でいくつかの競技が中止になる中で、子どもたちは、一つ一つの演技に真剣に取り組んでいました。
5・6年生によるよさこい踊り、娘も頑張りました。
印象的だったのは、小学校低学年が行った校歌ダンスです。
校歌ダンスを披露してくれた1・2年生
36年前の開校当時、校歌に合わせたダンスがありました。
保護者になられた卒業生がダンスを復元し、子どもたちが踊りました。
当時の記録は、VHSなどに残されていましたが、伸びてみることが出来なかったそうです。
様々なドラマを経て、子どもたちは、校歌ダンスを立派に踊ってくれました。
今後は、デジタル化されたデータが残され、西宇部小学校の歴史に刻まれることでしょう。
午前中にリレーを終わらせ、昼食休憩に。開放した体育館は一杯になりました。
閉会式は、体育館で行われました。
私にとっても初めてだった体育館での閉会式
私は、「運動会が短くなった分。児童の熱気が凝縮された大会でした。」と挨拶しました。
小学校6年生の娘は、採点係を立派に務めきりました。
PTA会長として、私にとっても、娘にとっても、小学校最後の運動会は、思い出に残るものとなりました。
運動会の準備から様々にご協力いただいた皆様に感謝いたします。
原田マハ原作、大九明子監督の映画「でーれーガールズ」のDVDを視聴しました。
「でーれー」は、岡山弁の「凄い」。山口県の「ぶち」などと同じような使われ方をしている言葉でしょうか。
映画の中での岡山弁を聞くと知人の岡山の方々の言い回しを思い出し懐かしく暖かく感じました。
40代半ばの漫画家「小日向アユコ」(本名・佐々岡鮎子)の元に、自身の出身校である岡山白鷺女子高等学校の同窓会から記念講演の依頼が届きます。
鮎子は、高校時代のクラスメートの秋元武美との思い出を思い起こします。
山口百恵の曲が流れる高校時代の鮎子と武美。私も同じ時代を生きてきたので、私も高校時代にタイムスリップしたようでした。
二人のぶつかり合いに、思わず涙しました。
現代の鮎子と武美。武美は、母校の教師になっていますが、深刻な問題を抱えています。
そして迎える記念講演。
青春を描いた物語とだけでは解説できない、深く、悲しく、そして、観終わったらとても爽快になるすばらしい映画でした。
岡山に縁のある人には特にお勧めです。岡山弁に笑い、涙することでしょう。
岡山以外の地方出身者の皆さんに、そして、アラウンド50才の皆さんに、この映画をお勧めします。
高校時代を思い出し、笑い、涙することでしょう。
この映画を観て、高校時代の友人とじっくり話がしたくなりました。
「ぶち」泣いて笑った高校時代はかけがえのない、人生の宝物だったことを思い起こさせる作品でした。
原作者の原田マハさん、監督の大九明子さん素晴らしい作品をありがとうございました。
やっぱり映画はいいですね。
あなたのお勧めの映画をお教え下さい。
昨日、宇部市PTA連合会の総会が行われました。
私は、昨年度に引き続き会長を務めることになりました。
私が、昨日の総会の冒頭で行った挨拶の要旨は以下の通りです。
・・・
平成28年度宇部市PTA連合会定期総会にご参加の皆さんこんにちは。PTA連合会総会にあたり一言ご挨拶を申し上げます。
最初に、本日のPTA総会に、白石教育長をはじめ、宇部市教育委員会の皆さんにご参加いただいことに心から感謝を申し上げたいと思います。
今、NHKのドラマで、黒柳徹子さんがテレビに登場されたばかりの頃を描いた「トットてれび」という番組が放映されています。先週あたりから私が生まれた頃になりまして、とても懐かしい想いで、観ています。
黒柳さんと言えば、「窓ぎわのトットちゃん」ですね。公立の小学校1年生に退学になったトットちゃんは、トモエ学園に入学します。校長先生から「きみは、本当は、いい子なんだよ」と励まされ、トットちゃんは居場所を見つけます。
黒柳さんは、NHK専属テレビ女優の第一号になりますが、黒柳さんの個性が認めてもらえません。そんな中、劇作家の飯沢匡さんが、「そのままで、いてください。」と黒柳さんの個性を認めようとし、その後黒柳さんは個性派女優として開花します。
さて、先日、地元の人権学習会で15歳から34歳の自殺による死亡率が先進7ケ国の中で最も多いことを知りました。また、13歳あら29歳の若者を対象に日本を含めた意識調査で、自分自身に満足している割合が他の国は7割~8割が満足していると答えているのに、日本は、45.8%と大幅に低い結果が出ています。
今の日本の子どもたちにとって、黒柳さんにとっての校長先生や飯沢さんのような人格を認めてくれる存在が必要なのだと思います。
新年度の活動スローガンとして、「行きたい学校 帰りたい家庭 つながりたい地域」としていますが、まさに、子どもの人格を認める学校・家庭・地域を作っていくことが求められる時代だと思います。
昨年度は、「スマホやゲームの約束」の取り組みや自転車乗車時のヘルメット着用と損害賠償保険への加入促進を教育委員会とともに進めてまいりました。
「全ては、宇部市の子どもたちの笑顔のために」今年度も、更に活動を進めてまいりたいと思います。活発な討議をお願いして挨拶といたします。
・・・
「全ては、宇部市の子どもたちの笑顔のために」。引き続き力を尽くしてまいります。
PTA活動に対するご意見をお聞かせ下さい。
朝鮮学校などへの補助金を巡って、文部科学省が今年3月、関係する自治体に対し、公益性や教育振興上の効果を十分に検討するよう通知したことについて、昨日、各地の大学教授らでつくる研究者有志(賛同者882人)が撤回を求める声明を文科省に提出しました。
NHKは、「声明では、『民族教育への不当な介入だ』としたうえで、『排外主義を助長するだけでなく、結果的に(ヘイトスピーチ)と同じ影響を及ぼすことに懸念を表明せざるをえない』としている」と報じました。
毎日新聞は、「声明は『既に各地で動揺が広がっている』と指摘。政治的理由に基づく教育権の不当な侵害で『排外主義を助長する』としている。文科省で記者会見した鵜飼哲・一橋大大学院教授は『通知は自治体の補助金に対する政府の不当な介入で、自由な民族教育を疎外する』と訴えた。」と報じています。
2016年度予算に朝鮮学校への補助金を計上したのは18道府県。山口県を含む10都府県が計上していません。
毎日新聞は、「16年度予算に補助金を計上している18道府県のうち、引き続き支出すると答えたのは愛知県教委だけで、茨城、岐阜、三重、滋賀、和歌山の5県教委が通知を踏まえて今後の対応を『検討する』と答えた。」と過去の記事で報じています。
毎日新聞は「埼玉、東京、京都の3弁護士会は文部科学相通知を批判する会長声明を出した。東京弁護士会会長の声明は『生徒と無関係な外交問題を理由に補助金を停止することは憲法14条などが禁止する不当な差別に該当する疑いが高い』としている。中嶋哲彦・名古屋大学大学院教授(教育行政学)は通知について『内容が明確でなく、朝鮮学校には公益性があると判断して補助金を出してきた都道府県は何を言われているかわからないだろう。国内の少数民族や外国人の教育への配慮は十分ではなく、国は本来なら朝鮮学校を含めた外国人学校も通常の学校として扱い、十分な教育を保障するのが望ましい』と話している」と先述した記事で報じています。
政府は、研究者らの声明を重く受け止めて通知を撤回すべきです。
そして、山口県は、東京弁護士会会長が指摘するように、憲法14条などが禁止する「不当な差別」に該当する疑いのある朝鮮学校への補助金停止を撤回すべきです。
黒石・厚南・西宇部人権学習会~みなみかぜの集い~に西宇部校区人権教育推進委員協議会副会長として参加しました。
「あなたもゲートキーパー」と題して、宇部市の保健師の方からお話しをお聞きしました。
ゲートキーパーとは門番のことで、「悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人」のことです。
日本の自殺者数は、年間3万人を越えていた時期よりは減少しましたが、2万5千人にのぼります。
交通事故での死者数が4000人程度ですから、自殺者数は交通事故での死者数の約6倍となります。
15歳から39歳までの死因順位の第一位が自殺となっています。
先進7カ国の15歳から34歳までの自殺率を比較すると日本が第一となっています。
日本は、依然として、自殺大国と言われる状況だということが分かりました。
宇部市内でも年間30人~40人が自殺している状況だということも学びました。
後半は、自殺を考えている人にどう接していったらいいのかがテーマでした。
ゲートキーパーは①気づこう②耳を傾けよう③つなごう④見守ろうの役割があると話されました。
声かけは「はい、いいえ」で答えられない「オープンクエスチョン」を活用することが大切だとのことでした。
視線を合わせ、うなずき、相槌を打ち、体をあいてに向けるなどの聴く態度が重要だとのことでした。
相手の話を聞いて、諭したり、とがめたりせず、相手のペースにあわせることが大切だとのことでした。
まずは、これらがわが子に出来ているか問い直しました。
話を聞いたうえで専門機関につなぐことが大切だとのことでした。
最後に、ゲートキーパー自身のケアの大切さを話されました。
私の身近な人の中でも自殺された方が何人かおられます。
自殺したいと思ったことのある人は23.4%。4人に一人です。
私も自身のケアをしながら、回りの方々に寄り添っていきたいと思いました。
最近の人権学習会は、今日的な様々なテーマが設定されています。
今回のゲートキーパーのお話しもとても大切な内容でした。
いい勉強が出来ました。
これからの人権教育推進委員としての活動に生かしていきたいと思います。
私は、山口県PTA連合会から選出され山口県自殺対策連絡協議会委員の委嘱を受けています。
まだ、会合には出席していませんが、県自殺対策連絡協議会委員として、これからもしっかり勉強していきたいと思います。
講師の先生、昨日は、ありがとうございました。
5月22日付しんぶん赤旗「日曜版」に作家の原田マハさんへのインタビュー記事が掲載されていました。
原田マハさんは、最近「暗幕のゲルニカ」という本を上梓しました。
戦争とファシズムへの怒りが表された、ピカソの名画「ゲルニカ」を軸にしたサスペンスです。
1930年代後半、ドイツ、イタリアのファシスト政権に呼応しスペインでフランコ将軍が蜂起。反乱軍と共和国軍との内戦になります。37年、スペイン北部の古都ゲルニカをヒトラーとムソリーニの空軍が空爆。世界に衝撃を与えます。スペインで生まれ、パリで活躍していたピカソはこの事件をもとに「ゲルニカ」を描きました。
21世紀のいま、なぜ「ゲルニカ」なのかの問いに原田マハさんは答えます。
「『ゲルニカ』のメッセージ性は、古びない。それは人類が愚かなたたかいを繰り返しているということが、残念ながら変わっていないからです。パリの連続テロ事件もありましたけれど、人間が人間を苦しめている。国益や富や『イデオロギー』のために殺し合う生物なんて、すべての種のなかで人間だけです。こんな愚かな人類を痛烈に批判しながら、ピカソは一方でこういう世の中が変わってほしいという願いをこの作品に込めたのだと思う。いまのこの不穏な世の中にあって、もう一度『ゲルニカ』の意味を見つめ直してもらいたいという思いがありました。自分たちの行為を反省し、反戦・平和についてしっかり考える。こんな時代だからこそ、『ゲルニカ』をもう一度。そんな思いで書きました。」
「ピカソは戦後、作品を通して反戦・平和を訴えることを続けました。自分の作品で訴えるべきときには訴えるということをやった人です。第二次世界大戦後には朝鮮戦争への批判を込めた作品も描いています。49年にパリで開かれた『国際平和擁護会議』では、白いハトのリトグラフ(版画)を作り、そのポスターがパリの街中にはられました。いま、ハトは平和のシンボルだといわれますが、それは実はピカソが起点になっているんです。鳥一羽で平和を象徴するなんて本当に天才的です。こういう人を、私は小説のなかで、自分の筆じゃなくキーボードですけど(笑い)。あこがれの人をついに、という感じですが、とても御せる相手ではなかった。一生かけて追いかける相手です。とにかくいったん、ここで書けてよかった」
私も10代の一時期は将来、絵に関わる仕事をしたいと考えていました。
当然、ピカソとその作品「ゲルニカ」は知っていました。
「ゲルニカ」についても漠然と反戦を訴える作品だろうことは知っていましたが、このインタビューを通じて、とてもピカソと原田マハさんの興味を持ちました。
書店で原田さんの名前は最近よく目にしていましたが、手に取ることはありませんでしたが、このインタビューを読んで、「暗幕のゲルニカ」を手にして、数日前から読んでいます。
物語は二段構え。ピカソの恋人・ドラの視点から描かれている20世紀のパリの話と、21世紀のアメリカでピカソ展の開催をめざす学芸員・瑤子の話が交互に展開します。
ピカソがどのような過程で「ゲルニカ」を制作したのか、ドラとともに現場に立ち会うように描かれ、名画の誕生と当時の反応が伝わります。
21世紀の章では、「9.11」のテロで夫を亡くした瑤子が、悲しみに打ちひしがれそうになりながらも「ピカソの戦争 ゲルニアによる抗議と抵抗」展の開催に尽力する姿が描かれます。
巻頭にピカソの言葉「芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ。」が書かれています。
この物語を読みながらピカソのこの言葉の意味を感じています。
時同じく、沖縄で米軍関係者が地元住民を暴行する事件が発生しました。
時同じく、オバマ米大統領が被爆地・広島を訪問します。
世界の平和が一歩づつでも構築されることを願うばかりです。
21世紀を生きる私たちは、ピカソの遺志を受け継き、平和を築くためにすべきことを考え実行していきましょう。
原田マハさん、すばらしい作品をありがとうございます。
マハファンの皆さん、お勧めの作品をお教え下さい。