議員日誌

漱石のことば

 21日のしんぶん赤旗日刊紙に姜尚中さんのインタビュー記事が掲載されました。

 インタビューの中にあった姜さんの「漱石のことば」を読んでいます。

 「あなたは東京が初めてなら、まだ富士山を見た事がないでせう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。所が其富士山は天然自然に昔からあったもんだから仕方がない。我々が拵へたものぢやない』と云って又にやにや笑ってゐる。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢ふとは思ひも寄らなかった。どうも日本人ぢやない様な気がする。『然し是からは日本も段々発展するでせう』と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、『亡びるね』と云った。(三四郎より)」

 姜さんは、漱石のこの文章について赤旗でのインタビューで「彼は漱石の分身です。漱石は日本が欧米列強に追いつき追い越せで近代化への道を突っ走った19~20世紀の激変期に生き、第一次世界大戦中に死にます。日本の文明を(皮相上滑りの開化)と批判しながらも、隠遁的にも懐旧的にもならず現実を見つめ、そこで苦悩する人たちを描いて、人間がいかに良く生きるかを考え続けました。僕はこの姿勢を尊敬します。」と述べています。

 姜さんは、「漱石のことば」の中で、先ほど引用した三四郎の部分の解説として「時代に対して絶妙な距離感とさじ加減を持った作家だったと思います。それは、ある意味で一人の個人が取りうるリベラルなスタンツとも言えます。私も不穏な空気が漂う日本の政治の現実を睨みながら絶妙の距離感を保ちたいと思っています。」

 姜さんの「不穏な空気が漂う日本の政治の現実を睨んだ」発言にこれからも期待したいと思います。

 漱石の隠遁的にも懐旧的にもならず現実を見つめる眼を原作から学んでいきたいと思います。

 姜尚中さんや夏目漱石ファンの皆さん、お勧めの本をお教え下さい。

 

物語ること、生きること

 ここ数日は、上橋菜穂子さん原作の「精霊の守り人」のドラマを週一回観て、その間、原作を読む日々です。

 「守り人」シリーズは、今、シリーズ第二弾「闇の守り人」です。

 「闇の守り人」を読んでいると益々、ジグロに惚れてしまいます。

 ドラマでは、吉川晃司さんが好演されています。

 文庫の「闇の守り人」の解説で、アニメ作家の神山健治さんが、劇作家の寺山修司さんが「あしたのジョー」の力石徹の葬式を行ったことを例にとり、自分は、ジグロの葬式をしたいと書かれていますが、この物語を読んでいると神山さんの気持ちがよく分かります。

 さて、今日は、上橋菜穂子さんのエッセー集「物語ること、生きること」の感想をお伝えしたいと思います。

 上橋さんが何故、物語を紡ぐのかか書かれた本を読んで、上橋ファンタジーの今父的意義を再評価しました。

 「『わたし的には』の罠」には、文化人類学者としての上橋さんの持論が展開されています。

 「それぞれの価値を尊重した結果、埋めがたい溝が、溝のまま、法治されてしまう。それは、文化人類学で『相対主義の罠』と言われていたものに似ている気がします。」

 「国と国との戦いなら『戦争』と言ってもらえるけれど、国を失った人、国を持たせてもらえない人がそれをすると『テロリズム』と呼ばれます。テロリズムというのは、つまり、圧倒的な力の差があるとき、それでも自分たちは間違っていないということを証明するためには、他者を壊してもかまわないという論理です。」

 「確かに、時として、この世界は、強い者に有利な、ひとつの巨大なシステムとして機能しているように思えてきます。しかし、だからといって、恐怖を武器にして人を殺すことで、自分の正当性を証明しようとする考えかたは、やはり、どこか大きく間違っています。かつて日本が『奥にのために』と戦争に突き進んでいったように、何かを守ろうとすることは、時に他者を破壊することをよしとしてしまうほどの強さを持ちうるのです。だとしたら、そこには至らない別の道、境界線を越える別のやりかたを見つけるしかない。」

 上橋さんは「壁を超えていく力」の中でこう書いています。

 「私の好きな物語に、もし共通点のようなものがあるとしたら、それは背景の異なる者同士がいかにして境界線を越えていくかを描いているところかも知れません。」

 上橋さんは、境界線を越えていく世界の物語を読み、彼女自身が紡いだ物語の中で「境界線を超えていく」という別の道を描いてきたのだとこのエッセー集を読んで痛感しました。

 大国の横暴と一方でそれに抗する「テロリズム」が蔓延している世界の只中で、今こそ、上橋さんが描く物語が読まれる時だと感じました。

 「文化や伝統は守るべきもの、尊重すべきものという考え方を否定するつもりはありませんが、相手の中のよいところを見つけたら『自分の持っているものより、こっちのほうがいいような気がする』と思うことができる自由、かたくなに守らなくてもいい、捨てたっていい、どちらを選んでもいいんだという寛容さ、それこそが、本当の自由という気がするのです。」

 上橋さんの「『わたし的には』の罠」に書かれたこの言葉を世界が噛みしめたいものだと思います。

 これからも、年齢的には、一つだけお姉さんの上橋さんから多くのことを学んでいきたいと思います。

 それでは、「闇の守り人」を読み進めることにします。

 上橋ファンの皆さん、印象に残った登場人物の言葉などお教え下さい。

 

戦争法施行

 戦争法=安保法制が29日午前0時に施行されました。昨年9月、圧倒的な国民世論を踏みにじり、自民・公明などの数の力で成立した同法は数多くの問題点を抱えたままです。戦争法は施行に値しない戦後最悪の違憲立法であり、同法の廃止は急務です。

 うべ憲法共同センターは、今日、戦争法の施行に抗議し、恩田交差点付近で宣伝行動を行いました。

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戦争法施行に抗議する憲法共同センターの行動

 25日参議院予算委員会で、仁比参議院議員は、安倍政権が安保法制=戦争法と同時進行で、有事の際に民間船員と船舶を動員する計画をすすめている事実を明らかにし、その撤回と戦争法の廃止をつとく迫りました。

 防衛省は、11日、特別目的会社「高速マリン・トランスポート」と2025年までの事業計画を締結しました。

 仁比参院議員は「商業輸送を行いつつ、自衛隊の任務遂行に必要な場合には優先的に船舶を確保するのだ」と指摘。

 弾丸、ロケット、洗車まで運ばせることを明らかにし、「民間フェリーで兵たんを行うもので、攻撃の対象にされることになる」と強調しました。

 仁比参院議員は、民間フェリーに乗り込む船員を予備自衛官として確保するため、海上自衛隊が4月に一般社会人や学生を予備自衛官補として採用する制度を導入することをあげ、全日本海員組合が「事実上の徴用だ」と抗議するのは当然だと指摘しました。

 仁比参院議員は、政府は「志願」というあ、教育訓練終了後に、予備自衛官に任用されれば、防衛召集された際に自衛官となり、出頭を拒否すれば3年以下の懲役・禁錮が科せられると強調しました。

 仁比参院議員は、昨年4月に合意した「日英軍事協力の指針(ガイドライン)」が「民間が有する能力を適切に活用する」と明記していることを取り上げ、「重要影響事態や存立危機事態で米軍の人員や物資の輸送を行うのではないか」とただすと、中谷防衛相は「そういう事態は排除せきない」と認めました。

 戦争法施行に合わせ、民間船舶を有事の場合に動員する体制が整備されようとしています。

 皆さんはどうお考えですか。

 戦争法施行についてどうお考えですか。お教え下さい。

制服向上委員会

 上関原発を建てさせない山口県民大集会のゲストとして出演した制服向上委員会のメッセージは私の心を鷲づかみにしました。

 会場で、制服向上委員会の42枚目のアルバム「戦争と平和」を購入して、移動中の車内で聴いています。

 表題曲の「戦争と平和」の歌詞は実にストレートです。

 「人と人が殺し合う 戦争はいらない 国と国が争い合う 戦争を止めよう」

 「経済優先 危険な 原発はいらない 便利な社会にさようなら 原発を止めよう」

 この歌の中は、日本共産党の小池晃副委員長(参議院議員)がボーカルの一人として参加しています。

 制服向上委員会は「社会問題に果敢に取り組み女性グループ」なのです。

 私がこのアルバムの中で、一番共感したのは、「カヤポ」という曲です。

 「日の出には 歌い 笑い 踊り 祈る いくらかの恵みい感謝して 陽が沈み 森が闇を包む中で 静かに宇宙と ひとつになる」

 カヤポとは、南アメリカ・アマゾンに住む先住民族のことのようです。

 この曲に魅かれるのは、今、上橋菜穂子さん原作の「精霊の守り人」の本を読み、ドラマを見ているからかも知れません。

 上橋さんは、オーストラリアの先住民族オオリジニの研究者。

 「精霊の守り人」は、異世界ファンタジーですが、上橋さんは、自然と共存して生きていく術を私たちに説いているのではないかと感じています。

 制服向上委員会の「カヤポ」は歌います。

 「みんなが生まれる前からある 太古の森 湧き出る水 みんなが生まれる前からある 小さな生命と 星をみつめ」

 私は、山口県の山村で生まれ育ちました。

 生まれた時には、土間があって、かまどでご飯を炊いていました。

 この50年で山口県の農村の暮らしとは劇的に変わりました。

 しかし、私たちが生まれる前からある森や水を大切にしたいと想い、ささやかながら母と一緒に先祖から伝わっている農地を耕しています。

 このような私の思いが、この歌ととけあいます。

 この歌は、「独占ではなく 分けあう心で 今も生きる」とも歌っています。

 人間だけの地球ではない。

 この事を人類は考えなければならない事は確かなようです。

 制服向上委員会ではう「SKI基金」を作り、熱帯森林保護団体に寄付をする活動などを行っているそうです。

 制服向上委員会に出会ったばかりの私ですが、グループの活動に賛同します。

 これからも応援していきたいと思います。

 制服向上委員会のファンの皆さん、お勧めの曲をお教え下さい。

 

上関原発を建てさせない山口県民大集会

 昨日、山口市維新公園・野外音楽堂で、中国電力による上関原発建設計画の白紙撤回を求める「上関原発を建てさせない山口県民大集会」が行われ、県内外から2000名が参加しました。

 集会の最初に、制服向上委員会が歌を披露しました。

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 原発をなくそうと歌う制服向上委員会のメンバー

 共同代表である児童文学者の那須正幹さんは、中電による埋め立て免許延長申請の可否判断を引き延ばす県を批判し「臭いものはもとから絶たないといけない。それは安倍政権をぶっつぶすことで、参院選で山口から原発ノーを掲げる議員を出すことが第一歩になる」と話しました。

 共同代表である上関原発を建てさせない祝島島民の会代表の清水敏保さんは、「中国電力も県も諦めていない。34年となる祝島のたたかいは高齢化で容易ではないが、今日を契機に計画をなくすまで頑張りたい」と挨拶しました。

 共同代表である田川章次弁護士は、「先日、大津地裁で高浜原発の運転差し止めの判決を下した裁判長は、直前まで山口地裁におられた山本裁判官。大津地裁判決の山口県民の運動が反映したもの。県内で行われている住民訴訟などでも画期的な判決を勝ち取ろうではないか。」と訴えました。

 福島県飯館村の酪農家・長谷川健一さんは、福島県内で160人の子どもたちが甲状腺がんだと診断されたことを報告し、「放射能災害は全てをバラバラに破壊する。山口県の人にわれわれのような思いをしてほしくない。反対の声を上げ続けよう。」と訴えました。

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 福島の苦しみを繰り返すなと訴える長谷川さん

 集会では、「村岡知事、どうか山口県民をはじめ、日本各地や全国から寄せられる『上関原発はいらない』との声を聞き、奇跡の海といわれる田の浦の埋め立てを不許可にしてください。そして今を生きる世代だけでなく、将来の山口県を担う子どもたちのためにも、上関原発建設計画を白紙撤回してください。」との集会宣言を採択しました。

 集会では最後に参加者一同で、上関原発ノーの意思を示す「NON」の紙を掲げました。

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 参加者全員で「NON」の紙を掲げました。

 その後、参加者は、会場周辺をパレードしました。

 

 私は、山陽小野田・宇部実行委員会の事務局メンバーの一人として直行バスに乗り参加しました。

 当日はとてもいい天気でした。この青空を子どもたちに残そうと決意を新たにする日でした。

 制服向上委員会のメッセージには感動しました。

 制服向上委員会のことについては明日以降のブログで紹介することにします。

 参加された皆さん、感想をお聞かせ下さい。

 上関原発建設計画に対する皆さんのご意見もお聞かせ下さい。

はじめての親鸞

 先日、浄土真宗本願寺派山口教区宇部北組門徒総代会が行われ、私は総代会会長に選ばれました。

 同時に開かれた宇部北組臨時組会におきまして、教区会議員に推薦されました。

 このような時に、五木寛之さんの「はじめての親鸞」を手にし、一気に読了しました。

 五木寛之さんは、私が一番多く読んでいる作家さんの一人ではないかと思います。

 小説では、「青春の門」「親鸞」

 「日本人のこころ」や「百寺巡礼」のシリーズ。

 岩波新書の「蓮如」も私の心に沁み込んできます。

 この度読んだ「はじめての親鸞」も平易な言葉で親鸞の魅力が深く広く語られた作品だと思います。

 私が印象に残った点を紹介します。

 金子みすずさんの「大漁」が紹介されています。

 山口県に住む私たちにはなじみのある詩です。

 「浜は祭りの ようだけど 海の中では 何万の 鰯のとむらい するだろう」

 もう一人幕末の頃に活躍した福井の橘曙覧という学者の言葉が紹介されています。

 「たのしみは まれに魚烹て 児等皆が うましうましと いひて食う時」

 五木さんはこの2人の言葉を引用して親鸞の「悪人正機」の意味を解説します。

 「親鸞のいう悪人とは、人すべて悪人であるという意味での悪人であり、いい人と悪い人がいるという意味ではない。人間は全部同じ条件を背後にせおって、そして悪人として日々生きているのだ、そのことを自覚せよ、と。」

 「私たちは半分金子みすずであり、半分は橘曙覧であるということです。魚を食べておいしいと喜ぶことを生の喜びとして片方では受け入れつつ、片方では海の底では鰯が葬式をしているだろうと考える。その両方の気持ちを併せ持って、生きていかなければならない。非常に難しい、あわいのところで生きている人間という存在を考えざるを得ないのです。」

 私の心に沁みる五木さんによる親鸞聖人の「悪人正機」の解説です。

 五木さんは、昭和7年生まれの83歳。私の父と同じ世代です。

 親鸞は90歳まで生きた人です。

 親鸞は80歳を過ぎて沢山の和讃を書いています。

 五木寛之さんには今後とも親鸞聖人の教えを分かりやすく私たちに伝えていただきたいと思います。

 五木さんには、小説としての作品を今後も期待しています。

 五木さんのご講演を直接聞きたいと思います。今後その機会に恵まれますように。

 五木さん心に残る作品をありがとうございました。