一番近くの本屋で偶然出会った樺沢紫苑さんの「アウトプット大全」は、私の人生を豊かにする一冊でした。
先ほど、「アウトプット大全」を読み終わりました。
アウトプットとは、「話す」「書く」「行動する」ことです。
それぞれの分野で、樺沢さんの体験や様々な研究成果に基づき、詳細に書かれています。
今日は、「行動する」から引用していきます。
「やってみる」という章で、樺沢さんはこう書いています。
「インタビューでよく『樺沢さんの人生で最大の失敗はなんですか?』と聞かれます。私の答えは決まっています。『私の人生で失敗したことは一度もありません』。『失敗したことがないなんて嘘だ』と思うかもしれませんが、実際に『失敗した』と後悔することはありません。何より、今『生きている』ということが、大きな失敗をしていない証拠です。『ゲームオーバー』ではない。今もゲームは継続中なのです。『エラー』というコインを10個集めると、次のステージに進むのは、実に簡単なことです。たくさんトライして、エラーのコインを稼げばいいだけ。」
樺沢さんは、精神科医として「アウトプット」の本を書いた理由を次のように書いています。
「ひとりでも多くの人に、仕事や学業によるストレスや人間関係の悩みから解放されてほしい。その重要な鍵が『アウトプット』だからです。アウトプットが当たり前の習慣になれば、過剰なストレスや悩みは激減するでしょう。結果として、メンタル疾患や身体疾患、病気になる人も間違いなく減るはずです。」
この本は、快適に生きていくためのヒントが満載されたものだと感じました。
これからも私は、話し、書き、行動し、日々「アウトプット」を続けていきます。
少しでも、快適に、話し、書き、行動できるように、本書を読み、フィードバックしたいと思います。
同世代の樺沢さんに著書を始めて読みました。これからも樺沢さんの著作に触れていきたいと思います。
樺沢ファンの皆さん、お勧めの本をお教え下さい。
数日前から精神科医・樺沢紫苑さんの「アウトプット大全」を読んでいます。
私は、日々、本ブログを書き、フェイスブックなどSNSを更新し、様々な所で挨拶をしています。
「書く」「話す」行為は、アウトプットです。
常日頃、アウトプットを支えるインプットが追い付かないことが悩みでした。
樺沢さんは、次のように書いています。
「たとえば『月3冊読んで3冊アウトプットする人』と『月10冊読んで1冊もアウトプットしない人』とでは、どちらが成長するでしょうか?間違いなく『3冊読んで3冊アウトプットする人』、つまりアウトプット量が多い人です。」
「約9割の人は読書したり、講義を受けたりしても、『わかったつもり』になっいぇいるだけで、実際は知識として記憶に定着していないのです。つまり、インプットはただの『自己満足』。『自己成長』はアウトプットの量に比例するのです。」
私は、一般の人よりアウトプットを求められる仕事をしていると思います。
それが「自己成長」に繋がっていることを実感しました。
人前でお話すること、毎日ブログを更新することは、「大変」に感じる時もあります。
しかし、「何を話そうかな」「何を書こうかな」と思う過程で、今まで読んで来たり、聞いたこと思い起こすのです。
今までのインプットをアウトプットする過程で「自己成長」していけるのでしょう。
その上で、樺沢さんは、アウトプットする上で大切なことをこの大全に網羅しています。
まさに、私は、話し、書き、行動すること(アウトプット)そのものが仕事なので、一つ一つの指摘が大変参考になります。
例えば、「話す」の中で、樺沢さんは、次のような指摘をしています。
「仕事の成功や、良好な人間関係を維持するためには、ポジティブな言葉がネガティブな言葉の3倍以上必要であるということ。『アウトプットしよう!』といった場合、ネガティブなアウトプットをしない。ポジティブなアウトプットを増やさない限り、成功や幸せにつながらないのです。」
私は、ブログで、映画や本の感想などを書く場合、ネガティブなことは書かないように心がけています。
しかし、「話す」場合、身近であるほど、ネガティブな言葉が増えてくることに気づかされました。
特に子どもたちに対しては、もっとポジティブな言葉で接するように心がけようと思いました。
この本は、日々「アウトプット」する仕事をしている私にとってバイブルとなる本となりました。
何度もこの本に立ち返り、ポジティブなアウトプットに努めていきたいと思います。
樺沢紫苑さんは、様々な本を出しておられます。樺沢ファンも多いと思います。
樺沢ファンの皆さん、樺沢さんの著作でお勧めの作品をお教え下さい。
今朝の毎日新聞は山口版で「陸上配備型迎撃ミサイルシステム『イージス・アショア』を萩市の陸上自衛隊むつみ演習場に配備する計画を巡り、藤道健二市長は、10日、配備に向けた防衛省の適地調査について『(配備受け入れを)判断する事実の一つ。住民の安全安心が確保できなければ反対することもあり得る』と述べた。同日の市議会後の取材に対し、調査結果だけでなく、住民の不安解消を判断基準とする考えを示した。」と報じました。
10月12日の萩市議会全員協議会で、日本共産党の宮内議員は、迎撃ミサイル発射後の、1段目ブースターや二段目、三段目のロケットの落下地点について質問しました。五味戦略企画課長は「2、3段目は基本的に海上に落ちる。絶対に陸上に落ちないかということは、色々な条件があるので必ずしも100%ではないということも考えられる」「イージス・アショアを使用するのは、ミサイルが飛来してくる状況。そういった場合に迎撃する。2、3段目が落ちる可能性はゼロではない。イージス・アショアに限ったものではなく、イージス艦でもそう。PAC3(パトリオット3)でも破片とか落ちてくる。ただ、そうであっても弾道ミサイルが我が国を直撃することに比べると、全然比べようにならないほど、可能性も低いですし被害の度合いも比べものにならない」と答えたとはぎ時事が報じています。
毎日新聞は、藤道市長の萩市議会での答弁について「発射した迎撃ミサイルから切り離されたブースターが、陸上に落ちる可能性を認めた同省の説明が『住民に寄り添っていない』と改めて批判していた。」と報じました。
毎日新聞は、藤道市長が萩市議会で「市民の安全安心の確保が判断の条件だ」と答弁したと報じました。
阿武町の花田町長は、しんぶん赤旗のインタビューに「私の大義は、町民の安全・安心の確保です。それを脅かすものを排除するのは町長の責務です。」ち述べています。
ここにきて、イージス・アショア配備計画地の二人の首長さんが、「住民の安全安心の確保が判断の条件」という立場で一致しました。
迎撃ミサイルから切り離されたブースターが陸上に落ちる可能性をゼロにするためには、イージス・アショアの配備を中止するしかないと私は考えます。
そのことが、何よりも住民の安全安心の確保につながると私は考えます。
藤道萩市長が、市議会で「市民の安全安心の確保が判断の条件だ」と発言しました。
イージス・アショアに対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
この土日も様々な会合で挨拶をしました。
次の文章は、第51回宇部民商婦人部定期総会に参加し挨拶した要旨です。
・・・
民商婦人部総会にお招きいただきましてありがとうございます。
来年は、4月7日が、県議会議員選挙の投票日です。今日が、12月8日ですから、残り4ヶ月の勝負です。必ず勝利する決意です。
安倍政権が来年10月からの消費税10%を強行しようとしています。
消費税が10%になれば、一世帯あたり年間8万円という負担増です。アベノミクスの6年間で、労働者の実質賃金は18万円も減り、暮らしはくるしくなるばかりです。安倍首相は、一部の食料品の税率の据え置きやキャッシュレス決裁でポイント還元、プレミアム商品券など、消費が落ち込まない対策を取るといっていますが、どれも焼け石に水です。中小業者と消費者には混乱と負担増を招くものばかりです。
安倍政権のもとで大企業に対する法人税は、37%から29.74%まで減税され、内部留保は史上最高の425・8兆円です。
日産のカルロス・ゴーン会長は、50億円もの巨額な奉秋は隠した疑いで逮捕されました。ゴーン氏は、国内の工場を閉鎖して2万人以上の大規模リストラを強行しました。
労働者や下請け企業を切り捨て、アベノミクスで大儲けをしている大企業・富裕層にこそ増税をすべきであり、消費税の増税は中止すべきです。
安倍首相が執念を燃やす憲法「改正」の自民党案を今国会に提出するたくらみは、憲法審査会が開かれず、不可能になりました。安倍首相を更に追い詰め、改憲そのものを断念させましょう。
しんぶん赤旗日曜版に登場した花田阿武町長は、イージス・アショアの配備に反対する理由について「町民の信託を受けて町長に就任した私の大義は、町民の信託を受けて町長に就任した私の大義は、町民の安心・安全の確保です。それを脅かすものを排除するのは町長の当然の責務です。」と述べました。花田町長は、「地方自治の本旨」を具現化しようとしています。一方、米軍岩国基地所属機が墜落したことを受けて、村岡県知事は、米軍に飛行停止を求める考えがないことを明らかにしました。村岡県知事の大義は県民の安心・安全なのかが問われています。県民の命を守る議席を宇部市から必ず奪還する決意です。
定数5の宇部市から市民の暮らしを守る議席を県議会に送って下さい。
・・・
藤本を囲む会を引き続き各地で開催しています。
開催希望の方は、トップページから私に連絡下さい。
師走と来年の選挙が間近に迫り、慌ただしい毎日です。
行事と行事の間、空いた時間は、本屋に居ます。
思わず手に取ったのが渡辺一史著「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」です。
私は、母校・日本福祉大学のゼミで障害者福祉を学びました。
今年一番衝撃を受けた本は藤井克徳著「わたしを最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想」でした。
この本も筋ジストロフィー症を抱えた鹿野靖明さんと鹿野さんを支えたボランティアの物語です。
この本の解説で脚本家の山田太一さんが、原作者である渡辺一史さんが尊厳死について語った次の言葉を紹介しています。
「尊厳死を認める社会的な背景には『自分のことが自分で出来ないような生き方には、尊厳がない』とか『家族に迷惑をかけたくない』とか『ウンチやオシッコを人にとってもらうなんて情けない』とか、そういう些細な価値観に支配されている部分がとても大きいと思うんです。でも『人に迷惑をかけない生き方』が、じゃあ尊厳のある生き方なのかというと、ぼくは鹿野さんを見ていたからでしょうけど、とてもそうは言い切れないという気がするんです。」
私は、この解説を読んで、この本を持ってレジに向かいました。
鹿野さんは、介助ノートにこう書いています。「今の世の中は、人間関係がものすごく希薄です。みんな自分本位です。そんな中、障害者を助けることやボランティアという行為は人類が生き残るための最後の手段だと思います。人に助けを求めるのは少しも悪いことじゃないのです。私はどんなことをしても生きたい、また生きていくことでしょう。日本の福祉を変えたいんです。」
私は、この文章を読んで、山際寿一さんの「ゴリラからの警告 人間社会、ここがおかしい」を想起しました。
「けんかの種となる食物を分け合い、仲よく向かい合って食べるなんて、サルから見たらとんでもない行為である。なぜこんなことに人間はわざわざ時間をかけるるのだろう。それは、相手と競合しそうな食物をあえて間に置き、けんかをせずに平和な関係であることを前提にして、食べる行為を同調させることが大切なのだ。同じ物をいっしょに食べることによって、ともに生きようとする実感がわいてくる。それが信頼する気持ち、ともに歩もうとする気持ちを生みだすのだと思う。ところが、近年の技術はこのような人間的な食事の時間を短縮させ、個食を増加させて社会関係の構築を妨げているように見える。自分の好きなものを好きな時間と場所で好きなように食べるには、むしろ相手がいないほうがいい。そう考える人が増えているのではないだろうか。でも、それは私たちがこれまで食事によって育んできた共感能力や連帯能力を低下させる。個人の利益だけを追求する気持ちが強まり、仲間のために何かをしてあげたいという心が弱くなる。勝ち負けが気になり、勝ち馬に乗ろうとする傾向が強まって、自分に都合のいい仲間を求めるようになる。つまり、現代の私たちはサルの社会に似た閉鎖的な個人主義社会をつくろうとしているように見えるのだ。」
山際さんと同じ疑問を鹿野さんは抱き、変えようとして発言しているのだと感じました。
鹿野さんの周りにいは、福祉や医療系の学生がボランティアとして集まっていました。
渡辺さんはこう書いています。
「鹿野がきびきびした声で、自分のカラダと医療的ケアの注意点について解説を始める。たまたまこのときの研修には、看護学校生や医大生、福祉系学生と、専門家の卵が多かったのだ、彼らにしてみれば、まさに鹿野に無料で教わる、という形になるわけだ。むしろ感謝されるのは、鹿野の方だということになる。そのことに、うまく言えないが、小さな衝撃を受けていた。つまり、この場所では、鹿野はまったく『弱者』ではないことになる。このときが、『~できない』と『~できる』をめぐり、なんというか、頭の中がねじれるようなややこしさを覚えた、最初の体験だったのである。」
実に興味深い文章です。
この本は、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞しました。
そして、12月28日から、この本を原作にした映画が全国で上映されます。
鹿野さんは、北海道札幌市で生活した方です。
舞台が北海道なら主演は大泉洋さんで決まりです。
鹿野さんの役を大泉さんが演じます。
北海道が舞台で大泉洋さんが主演の映画と言えば、シリーズ化されている「探偵はバーにいる」が有名です。
真逆と言っていい役を大泉さんが演じます。
いや真逆ではないかも知れませんね。破天荒な主人公は共通しているのかも知れません。
宇部市でも上映されます。是非、観に行きたいと思います。
原作も引き続き、読み進めたいと思います。
「こんな夜更けにバナナかよ」を読まれた皆さん、感想をお聞かせ下さい。
9日付しんぶん赤旗「日曜版」に、宇部市の長生炭鉱の水没事故で100人以上の朝鮮人の方々が亡くなった歴史が「歴史に向き合う」という特集で取り上げられました。
「日中戦争のさなかの1939年9月、日本政府は財界の要請にこたえ、『募集』による朝鮮人の日本への移入を閣議決定しました。戦争に駆り出された国内労働力の不足を補うためです。長生炭鉱には同年10月から42年2月までに朝鮮人1258人が強制動員されました。当時、長生炭鉱の鉱務課が作成した『集団渡航鮮人有付(ありつけ)記録』には、40年10月17日に到着したした82人が2日後の入所式までに逃亡。その後の教習機関の4日間で8人の減員が記録されています。市民らでつくる『庁瀬炭鉱の水非常を歴史に刻む会』の井上洋子共同代表(68)は言います。『作業も始まっていないのに1週間で21人も消えた。本人の意思で来たのではないということです。このような実態を知ることが必要です。』強制動員された朝鮮人の『合宿寮』は3メートル以上の板塀に囲まれ、門は常に監視されて外出も許されず、収容所のようでした。41年、18歳で強制動員された金景鳳(キム・ギョンボン)さんは証言しています。『母が日本の巡査の足を引っ張り、泣いて引き止めたが連行された。苦しい炭鉱生活を抜け出すため3人で逃げたが捕まった。2人は殴り殺された。私は木の棒でしこたま殴られ、いまでも頭に傷が残っている』42年2月3日午後9時ごろ、海岸の坑口から約1キロ沖合の海底坑道で天盤が崩落し、坑内に海水が一気に流れ込みました。朝鮮人136人と日本人47人が閉じ込められ、遺体はいまも海の底に残されたままです。」
「会の山内弘恵さん(51)は活動を通じ、事故で父を失った遺族の苦痛を知りました。『申しわけなく、何かしなければと思った。遺族と交流し、事実に向き合うことの大事さを知った』会は2013年に追悼碑を建立。その年の追悼集会で韓国の遺族会会長は『日本の皆さんが大きな声で日本政府に遺骨収集を要求してください』と発言。遺族会事務局長は『犠牲者と遺族に謝罪の意味での心的物質的補償を日本政府に求めていく』と訴えました。91年の発足から、追悼碑建立を主要目標に活動してきた『刻む会』。急区会の遺骨返還の願いに応えるため、今年2月からは政府交渉を始めました。課題の一つがピーヤの保存と説明板の設置。宇部市が用意している説明文は『石炭は・・・国のエネルギー政策を支えてきました。私たちは先人たちの命をかけた炭鉱への思いを未来に継承していかなければいけません』と書いています。そのため会は、市側と説明文の修正の協議を続けています。会の小畑太作事務局長(51)は指摘します。『犠牲者を勝手に日本国の協力者にした内容は、強制動員・強制労働の事実を隠し、犠牲者と遺族の尊厳を傷つける。かえって問題を悪化させる。政府も重大な人権侵害を認め、遺骨返還と謝罪、賠償をすべきです』」
9日付のしんぶん赤旗日曜版が読みたいという方は私にご連絡下さい。
私も、数年前から、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の運営委員として、毎年の「追悼集会」の運営に参加しています。
「刻む会」に協力したいという方は、私にご連絡下さい。
植民地支配下の元徴用工ら強制動員被害者への賠償を日本企業に命じる勧告大法院による判決が相次いでいます。
宇部市では、長生炭鉱だけではなく宇部興産などでも多くの外国人労働者が強制動員された事実があります。
これら事実をしっかり掘り起こし、政府へ賠償などを求めて力を尽くしていきたいと思います。
外国人への強制労働・強制動員に関する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。