非暴力の人物伝③環境破壊とたたかった人びと「田中正造・ワンガリ・マータイ」を読み終えました。
今年最後のブログでは、「ワンガリ・マータイ」を取り上げたいと思います。
ワンガリは、ケニアの中央高原地帯の小さな村に生まれます。
ワンガリが生まれた村には、直径20メートルほどのイチジクの大木がありました。
その様子が次のように書かれてあります。
「イチジクの大木から水をくみ、森の恵みでくらしていました。その源水は、ケニア山から流れ出した地下水と、イチジクの根のまわりの土壌にたくわえられた水が合流してわき出たもので、大地にゆたかな養分をもたらしていたのです。」
ワンガリは、紆余曲折を経て、アメリカ中西部の「マウント・セント・スコラティカ大学」で生物学などを学びました。
その後、ワンガリは、ナイロビ大学で教鞭を取ります。
ワンガリは、農村部の環境が大きく様変わりしていることに気づきます。
ワンガリが故郷を再び訪ねた時の様子について次のように書かれてあります。
「自然のままだった豊かな森が、木材産業向けの外来種の植林地に変わっていたのです。表面の土が流れ込んだ川は濁っていました。ワンガリが子どものころには、木々や草でおおわれていた大地に、いまでは茶やコーヒーの木ばかりが植えられています。独立後のケニアはお金を中心とした経済に変わりました。それまで農家は、自分たちが食べるための作物を主に栽培していましたが、お金を稼ぐために、輸出用の茶やコーヒーなどの換金作物ばかり植えるようになっていたのです。」
ワンガリは、人種差別や女性差別と闘いながら、何度も投獄されながらも、諦めず、粘り強く、山に木を植える「グリーンベルト運動」を進めます。
その事が評価されて2004年、彼女は、アフリカ人女性初のノーベル平和賞を受賞します。
人物伝の最後に、彼女の次の言葉が記されています。
「わたしたちは木の苗と同じ。太陽と、よい土と豊かな雨があれば、わたしたちの未来の根っこは地中深くに根づき、希望の大樹は空高く伸びるでしょう。」
私も農村部で生まれ育ちました。
父の子どもの頃の話を聞いて、私の子どもの頃の自然との違いを感じました。
また、私の子どもの頃の自然と今の自然の違いも感じます。
私の実家の周りでは、圃場整備が完了して風景が変わりました。
その圃場整備された田のいくつか耕作放棄地となっています。
人々が自然と共存できる社会の維持・拡充のためには、大きなコストがかかるでしょう。
しかし、ケニアの例は、対岸の火事ではなく、日本で今起こっている問題だと痛感します。
「日本の未来の根っこを地中深く根づかせる」ために、今できることしなければならない事があると感じました。
私たちは、未来のために、もう一度、身近な山々に関心を示し、行動を起こしていくときだと感じました。
「ワンガリ・マータイ」さんからも引き続き、多くの事を学びたいと思いました。
「非暴力の人物伝」の第1巻から3巻まで読んできましたが、素晴らしい企画だと感服します。
次回の第4巻は、「人種差別にたちむかった人びと」がテーマで、取り上げられる人物は、キング牧師とネルソン・マンデラさんです。
次回もとても楽しみです。
第4巻の刊行は、来春になると思います。感想は本ブログに掲載したいと思います。
さて、2018年も今日で終わりです。
今年1年、本ブログをご愛顧していただきまことにありがとうございました。
今年は、まさに、ほぼ毎日、ブログを続けてこれました。
これも、皆さんのお陰だと感謝しています。
2019年は、勝負の年です。
再び山口県議会で皆さんの声を届けることが出来るよう、力を尽くしたいと思います。
来年も本ブログへのご支援をお願い申し上げます。
非暴力の人物伝③が手元に届き、環境破壊とたたかった人々「田中正造」「ワンガリ・マータイ」を読んでいます。
今日は、田中正造の感想を書きたいと思います。
田中正造さんの名前は知っていました。足尾銅山鉱毒事件の闘士であったことなども知っていました。
しかし、地元の農民の方々がこれほど、時の権力者から苦しめられていたとは、知りませんでした。
「富国強兵」「殖産興業」の政策の中、銅山の操業は続けられ、農地は荒はて、村人ばかりが犠牲を受けます。
特に、谷中村の人々の苦しみは筆舌に尽くしがたいものです。
政府は、足尾銅山の鉱毒調査委員会の報告を受け、「渡良瀬川のもっとも下流の谷中村を遊水地にする」と発表しました。
正造は、次の理由で反対します。
「だれもが知る通り、雨は川となり、また山から流れ出て、里を通り海に行く、もし、とちゅうの低いところがあれば、たまった満ちて、また海に行く。けれど渡良瀬河には、とちゅうに低いところはないから、水は早く海にむかおうとする。これを止めているのは、川の分岐点にある関宿の石堤なのだ。」「洪水をふせぐためではなく、鉱毒水をためるために谷中村をつぶそうというのだ。谷中村に水をためても洪水はなくならない!」
正造は谷中村に移り住んで村人と生死をともにします。
政府は、土地収用法を適用し、谷中村の人たちの土地を収用します。
政府は、次々と谷中村の人々の家を壊していきます。
それでも、洪水は起きました。正造が言った通り、谷中村を貯水池にしても洪水はふせげなかったのです。
正造の考え方が次のように紹介してあります。
「人間は、まず思いあがりを捨てなければならない。人間は、自然の流れにそむかず、生き物をそこなわず、そして孤立しないで、自然と共生することが大事なのだ。ひおりよがりの考えや態度をすてて、すべての生き物や自然の中にある命をみとめて尊重し、それらと調和して生きるように心がければ、はじめて自分の命も大事にできるようになる」
正造の考え方は、今日の時代にも生かされるべきだと思います。
堤未果さんの「日本が売られる」は、最新の世界と日本の実態が赤裸々に語られています。
堤さんの本は、「自国民の生活の基礎を解体し、外国に売り払うこと」世界がリアルに描かれています。
堤さんは、「かつて経済学者たちが眉をひそめて問題視した『資本主義の社会的費用』は、今は取るに足らないことになった。」と指摘しています。
今日の資本主義が、自然との共生を投げ捨て「今だけ金だけ自分だけ」で突き進んいるのではなかと堤さんの本を読んで気づかされました。
資本主義が1800年代後半から1900年代前半の正造が生きた時代に似てきているのではないかと危惧します。
このような時代だからこそ、自然と共存する社会を唱える正造の思想が必要です。
そのことは正造が指摘をするように、「はじめて自分の命も大切にできる」ことに繋がります。
不破哲三さんは「マルクスと友だちになろう」の中で、地球温暖化の問題を取り上げ、「資本主義は、自分が21世紀に生き残る資格があるかどうかを試される最大の危機に直面している」と指摘しています。
資本主義が自然と共生できるかどうかが問われる瞬間を私たちは目の当たりにしているのだと思います。
こんな時代だからこそ、田中正造の思想を更に知りたいと思いました。
田中正造に対する皆さんの想いをお教え下さい。
堤未果さんの「日本が売られる」を読んでいます。
堤さんは、まえがきでこう書いています。
「多国籍企業群は民間商品だけでなく公共財産にも触手を伸ばし、土地や水道、空港に鉄道、森林や学校、病院、刑務所、福祉施設に老人ホームなどオークションにかけられ、最高値で落札した企業の手に落ちるようになった。企業は税金を使いながら利益を吸い上げ、トラブルがあったら、責任は自治体に負わさせ速やかに国外に撤退する。水源の枯渇や土壌汚染、ハゲ山や住民の健康被害や教育難民、技術の流出や労働者の賃金低下など、本来企業が支払うべき〈社会的コスト〉の請求書は、納税者に押しつけられるのだ。」
堤さんは、その上で、日本がそうなっていると次のように書いています。
「日本が、実は今猛スピードで内部から崩されていることに、いったいどれほどの人が気づいているだろうか。次々に売られてゆく大切なものは、絶え間なく届けられる派手なニュースにかき消され、流れてゆく日常に埋もれて、見えなくなってしまっている。」
堤さんは、日本が売られる第一に、「水が売られる」を取り上げています。
水道が民営化された結果、料金の高騰が起こったと堤さんは次のように書いています。
「民営化後の水道料金は、ボリビアが2年で35%、南アフリカが4年で140%、オーストラリアが4年で200%、フランスは24年で265%、イギリスは25年で300%上昇している。高騰した水道料金が払えずに、南アフリカでは1000万人が、イギリスでは数百万人が水道を止められ、フィリピンでは水企業群によって、水道代が払えない人に市民が水を分けることも禁じられた。」
世界37カ国235都市が、一度民営化した水道事業を、再び公営に戻していることを紹介し、堤さんはこう書いています。
「主な理由は、①水道料金の高騰、②財政の透明性欠如、③公営が民間企業を監視する難しさ、④劣悪な運営、⑤過度な人員削減によるサービス低下、などだ。」
「そんな中、世界の流れと逆行し、今になって水道民営化を高らかに叫び出した国」が日本だと堤さんは松山市の例から次のように指摘します。
「民営化推進派はこの契約をいつものフレーズで礼賛した。〈公共サービスを民間企業に任せることで、無駄がなくなり水道料金は下がり、サービスの質は上がるだろう〉だがここに、見落としてはならない事実が一つある。複数の電力会社が一つの送電網を共有して電気を流す電力と違い、1本の水道管がつなぐ水道は、1地域につき1社独占になる。つまり水道おいうインフラには利用者を引きつけるためにサービスの質や価格の安さで勝負しなければと民間企業に思わせるための〈競争〉が存在しないのだ。」
堤さんは、今国会に提出された水道民営化を含む「水道法改正案」についてこう書いています。
「水道民営化を含む『水道法改正案』は、委員会で9時間、本会議ではわずか2日の審議を経て、衆議院本会議で可決された。だが大半の国民は、この重大な法律に全く気づかなかった。本来なら新聞の一面にデカデカと乗り、テレビで大きく取り上げられるはずのこのニュースが、紙面のどこにもなかったからだ。日本のマスコミは足並みを揃えたように、オウム真理教の浅原彰晃と幹部7人死刑執行の話題を一斉に流し、日本人のライフラインである水道が売られることへの危険について、取り上げることはなかった。」
改めて、先の臨時国会で強行された法案一つ一つを再度検証する必要性をこの本を読んで痛感しました。
「水道法改正案」などは、国民に知られたくないので、強行したとしか思えません。
改めて、水が売られていいのか、水道の民営化について考えたいと思います。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
年末年始、堤さんの「日本が売られる」からしっかり学びたいと思います。
今朝の読売新聞の山口版は、「村岡知事が初当選した2014年の知事選で、選挙運動費用として自身の後援会などから寄付を受けた1950万円のうち、選挙で余った約140万円の使途がわからない状態になっている。知事側は読売新聞の取材に、『後援会に返金した』と釈明したが、同年以降の後援会の政治資金収支報告書には記載がなかった。識者は『政治資金規正法に抵触する可能性がある』と指摘している。」「一連の選挙費用や後援会の会計について取材に応じた知事の事務所の担当者は、『余剰金は知事の意向を確認し、後援会へ寄付という形で返金した』と回答。『当時の担当者が公費負担分についての認識がなく、政治資金収支報告書に記載しなかったと思われる。事務処理上のミスで、意図的ではない』と主張し、後援会の収支報告書を訂正する意向を示した。だが、14年だけでなく、15~17年の収支報告書も、約140万円のきさいはない。収支報告書作成時に、翌年の繰越額と後援会の手持ちの資金に会計上の差異が生じたはずだが、読売新聞が今月中旬に指摘するまで、後援会側は誰も気づかなかったという。」などと報じました。
読売新聞の取材に対して、政治資金オンブズマン共同代表の上脇博之・神戸学院大学教授(憲法学)は「収支報告書の不記載にあたる可能性があり政治資金の管理としてあまりにもずさんだ」「こうした使途が不明瞭な金は裏金にもなりかねない。知事側はどのように処理したかを明確に説明する責任がある」と指摘しています。
村岡知事に対する今回の問題は政治資金規正法に抵触する可能性がある大問題です。
村岡知事自らが県民にまずきちんと説明すべきです。
村岡知事の政治資金に使途不明金があることが明らかになりました。
皆さんは、この問題をどのようにお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。
1959年6月30日に、アメリカ空軍のノースアメリカンF100Dジェット戦闘機が沖縄県石川市(現在はうるま市)にある宮森小学校に墜落する事故が起こりました。
事故当時の死者は17人(小学生11人、一般住民6人)、17年後に後遺症で一人が亡くなり、死者の数は、18人となっています。
この事故に関し「ウイキペディア」は「事故当時、学校には児童・教職員ら約1000人がいた。当時は2時間目終了後のミルク給食の時間で、ほぼ全児童が校舎内にいた。特に直撃を受けた2年生の教室の被害が最も大きく、火だるまになった子供たちは水飲み場まで走り、そのまま次々と息絶えたと伝えられている。」と書いています。
今日、「宮森小学校米軍機墜落事故」の事を取り上げたは、私が今読んでいる真藤順丈さんの「宝島」にこの事件が取り上げられいるからです。
主人公の一人である「ヤマコ」が苦難を乗り越え教員となり、病気療養中の先生の代替教員として石川市の小学校の仁先生の担任となります。
真藤さんは、小説で、事件当時の学校の内部をこう描写しています。
「校庭じゅうが砂煙で埋めつくされた。鉄棒や百葉箱がたちまち下敷きになる、窓の外でまた跳ねると、巨大な翼と機首がヤマコたちの校舎に覆いかぶさった。頭のてっぺんから足の爪先まで、激しい衝撃に呑みほされた。飛行機が跳び箱を跳びそこねて、いちばん上の段を崩しながら超えていったみたいだった。燃えさかる鉄の機体が、二重窓もトタン屋根も引き飛ばし、天井や壁を粉砕し、硝子のつぶてや火の雨を降らせながら、ヤマコたちの教室を通過していった。校舎を薙ぎはらった貪欲なえエネルギーのかたまりはそのうちに火を呑んでいく、燃える瀑布と間欠泉がせめぎあうような上下左右からの高熱に巻かれ、教室はたちまち火の海となった。」
事故当時の校舎の中にいるような臨場感がこの文章から伝わってきます。
普天間第二小学校に軍用ヘリコプターの窓枠が落下する事故が発生し1年が経過しました。
運動場の使用を開始した2月から約7カ月間で、学校の上空を軍用機が飛来し、児童が避難した回数は700回以上となっています。
宮森小学校米軍機墜落事故は終わっていないことを実感します。
志位委員長は、党創立96周年の記念講演で、普天間第二小学校の状況を「まるで戦時下の空襲警報です。体育の授業中に避難する学校などありえないことです。米軍機は事故を起こしても何事もなかったかのようにすぐに飛行を再開してしまう。ところが日本政府は米軍の言い分をうのみにして飛行再開を容認してきました。これで主権国家の政府と言えますか(「言えない」の声)。政府は、子どもたちに避難指示を出すのでなく、米軍に飛行中止を求めるべきであります。」と語りました。
沖縄の日本の縮図です。日本の主権が問われています。
引き続き、真藤さんの「宝島」から沖縄を学びたいと思います。
皆さんの沖縄への思いをお教え下さい。
真藤順丈さんの「宝島」を読んでいます。540ページを超える大作ですが、一気に今、160ページを読んでいます。
この作品は、第9回山田風太郎賞を受賞し、第160回直木賞候補に選ばれました。
書評家の大森望さんは、「宝島」についてこう書いています。
「『さあ、起きらんね。そろそろほんとうに生きるときがこた-』沖縄の戦後と真っ向勝負する真藤順丈の大作『宝島』は、こんな印象的な台詞で幕を開ける。発言の主は、弱冠20歳のゴザの英雄、オンちゃん。米軍施設から物資を盗み出す『戦果アギヤー』(戦果をあげる者)のリーダーだ。」
小林多喜二の「蟹工船」は、「おい地獄さ行ぐんだで」で始まりますが、私は、「宝島」の出だしを読んで「蟹工船」を想起しました。
野﨑助六さんは、日経新聞のこの本の書評で「この熱い息吹、この語りの身軽な舞いを堪能せよ。」と書きました。
まさに沖縄の戦後と真っ向勝負する「ナイーブで難しい時代」を描きながら、実に軽快に当時の時代を描き切っていると感じる作品でした。
オンちゃんと一緒に、「戦果アギヤー」をしていた仲間が、刑務所に収監されます。
そこに登場するのが、瀬長亀次郎です。刑務所の受刑者たちの処遇改善にために冷静に対応します。
真藤さんは、本書で戦中・戦後の沖縄の人々をこう描いています。
「渡るそばから崩れる桟橋のような世界を走りながら、ちっぽけなお頭には収めきれない人の死を目のあたりにした。幸福のひとかけらも知らない子どもが子どものままで事切れた。敗戦のあとも飢えやマラリアに苦しみ、動物のように所有されて、それでも命をとりとめた島民は、こうなったらなにがなんでもきてやる!と不屈のバイタリティを涵養させた。」
沖縄県名護市辺野古の海への土砂投入の映像を見た私たちは、沖縄に心を寄せています。
戦後の沖縄を描き切った本作から、沖縄のエネルギーを享受したいと思います。
いよいよ、本作は、ゴザ事件に突入します。
行方不明のオンちゃんの音信がどうなるのかも今後描かれるでしょう。
週刊新潮に加山二三郎さんが本書について「超弩級のエンタテイメント大作。読み逃すことなかれ」と書いています、
まさに、今年読んだ本の中でも、No1のエンタメ小説になりそうです。
年末の忙中の合間をぬって、この本と格闘します。
真藤さんには、本作で、是非、直木賞を受賞してほしいと思います。
「宝島」を読まれた皆さん、感想をお聞かせ下さい。
真藤ファンの皆さん、お勧めの作品をお教え下さい。