議員日誌

田中正造

 非暴力の人物伝③が手元に届き、環境破壊とたたかった人々「田中正造」「ワンガリ・マータイ」を読んでいます。

 今日は、田中正造の感想を書きたいと思います。

 田中正造さんの名前は知っていました。足尾銅山鉱毒事件の闘士であったことなども知っていました。

 しかし、地元の農民の方々がこれほど、時の権力者から苦しめられていたとは、知りませんでした。

 「富国強兵」「殖産興業」の政策の中、銅山の操業は続けられ、農地は荒はて、村人ばかりが犠牲を受けます。

 特に、谷中村の人々の苦しみは筆舌に尽くしがたいものです。

 政府は、足尾銅山の鉱毒調査委員会の報告を受け、「渡良瀬川のもっとも下流の谷中村を遊水地にする」と発表しました。

 正造は、次の理由で反対します。

 「だれもが知る通り、雨は川となり、また山から流れ出て、里を通り海に行く、もし、とちゅうの低いところがあれば、たまった満ちて、また海に行く。けれど渡良瀬河には、とちゅうに低いところはないから、水は早く海にむかおうとする。これを止めているのは、川の分岐点にある関宿の石堤なのだ。」「洪水をふせぐためではなく、鉱毒水をためるために谷中村をつぶそうというのだ。谷中村に水をためても洪水はなくならない!」

 正造は谷中村に移り住んで村人と生死をともにします。

 政府は、土地収用法を適用し、谷中村の人たちの土地を収用します。

 政府は、次々と谷中村の人々の家を壊していきます。

 それでも、洪水は起きました。正造が言った通り、谷中村を貯水池にしても洪水はふせげなかったのです。

 正造の考え方が次のように紹介してあります。

 「人間は、まず思いあがりを捨てなければならない。人間は、自然の流れにそむかず、生き物をそこなわず、そして孤立しないで、自然と共生することが大事なのだ。ひおりよがりの考えや態度をすてて、すべての生き物や自然の中にある命をみとめて尊重し、それらと調和して生きるように心がければ、はじめて自分の命も大事にできるようになる」

 正造の考え方は、今日の時代にも生かされるべきだと思います。

 堤未果さんの「日本が売られる」は、最新の世界と日本の実態が赤裸々に語られています。

 堤さんの本は、「自国民の生活の基礎を解体し、外国に売り払うこと」世界がリアルに描かれています。

 堤さんは、「かつて経済学者たちが眉をひそめて問題視した『資本主義の社会的費用』は、今は取るに足らないことになった。」と指摘しています。

 今日の資本主義が、自然との共生を投げ捨て「今だけ金だけ自分だけ」で突き進んいるのではなかと堤さんの本を読んで気づかされました。

 資本主義が1800年代後半から1900年代前半の正造が生きた時代に似てきているのではないかと危惧します。

 このような時代だからこそ、自然と共存する社会を唱える正造の思想が必要です。

 そのことは正造が指摘をするように、「はじめて自分の命も大切にできる」ことに繋がります。

 不破哲三さんは「マルクスと友だちになろう」の中で、地球温暖化の問題を取り上げ、「資本主義は、自分が21世紀に生き残る資格があるかどうかを試される最大の危機に直面している」と指摘しています。

 資本主義が自然と共生できるかどうかが問われる瞬間を私たちは目の当たりにしているのだと思います。

 こんな時代だからこそ、田中正造の思想を更に知りたいと思いました。

 田中正造に対する皆さんの想いをお教え下さい。

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