かもがわ出版から「自衛官が共産党市議になった─憲法9条が結んだ縁─」がこの夏出版されました。
著者は日本共産党土浦市議の井上圭一さん。
井上さんは、陸上自衛隊の自衛官として、茨城県の霞ケ浦駐屯地の後方支援部隊で9年間勤務した経験をお持ちです。
井上さんは、「自衛官であることと日本共産党員であることは、憲法9条を大切に考える私にとては自然なことでした。ところが、その9条を踏みにじり『自衛隊を他国の戦争に参加させる』という集団的自衛権への動きが始まりました。なんとか食い止めたいと思い、昨年総選挙にも挑戦し訴えました。後輩の自衛官を接待に戦死させたくないという強い思いと、自衛官の『声なき声』と家族の思いを代弁するために、立ち上がったのです。」と著書の冒頭で書いています。
井上さんは、自衛官としての経験を基に「後方支援をなめんなよ」と題してこう語っています。
「後方支援とは戦争において重要な役割を果たし、戦闘行為と一体でなければ成り立たない性質のものです。ですからアメリカ軍は兵站に大変力を入れているのです。日本はこの重要な後方支援を担おうとしているのですが、そこには『戦闘行為が始まったら逃げ帰る』という、非現実的でちぐはぐなストーリーが描かれているのです。戦争のなんたるかをまったく知らない計画だと言わざるを得ないのです。」
安倍政権は、戦争法の具体化の手始めに、南スーダンPKO(国際平和維持活動)での「駆け付け警護」など、任務遂行のための武器使用に着手しています。
10日(土曜日)のしんぶん赤旗に、東京外国語大学大学院の伊勢崎教授が、戦争法で解除された「駆け付け警護」での自衛隊員のリスクについて次のように述べています。
「住民保護のために武力を使用するということは、自分の身に危険が及ばなくても、住民に銃を向け相手を殺傷するということです。その際、武装ゲリラと住民を見誤り、誤射してしまうリスクは必ずあります。」
「今まで、自衛隊は海外派兵で一発も撃たず、だれも殺してこなかったのは奇跡だと思っています。今度は必ず、事故が起こりますよ。」
9月に宇部市で講演された元防衛官僚の柳澤協二さんは、「自衛官が一発の弾を発射する前に、戦争法を廃止させよう」という趣旨の発言をされました。
日本共産党の志位委員長が9月19日に行った「戦争法廃止の国民連合政府の呼びかけ」には、「日本の平和と国民の命を危険にさらすこのような法律を、一刻たりとも放置するわけにはいきません。」
戦争法によって、第一に自衛官の命が危険にさらされています。
この危険を回避するために、戦争法を急いで廃止しなければなりません。
私もその立場で引き続き頑張りたいと思います。
井上さんもこの立場で、全国で話をされています。
私が事務局長を務めているうべ憲法共同センターでは、「自衛官が共産党市議になった」の著者井上圭一さんを来年の2月7日に、お呼びして宇部市で講演会を行う予定にしています。
詳細が決まりましたら本ブログで紹介しますので、多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
昨日から実家の稲刈りをしています。
小5の娘が撮影してくれました。今日終わりますように
昨日の早朝に雨が降り、作業は、午前11時ころから行いました。
品種を「ひのひかり」にしたために台風の影響もなく、稲もしっかり乾燥しており、順調に作業を行うことが出来ました。
しかし、スタートが遅かったので、一番大きな田を刈り終わったのが午後4時前。
実家の前の田を刈り終わったのが5時半になりました。
実家の下の田は、今日作業することにしました。
一人で作業される農家が多いですが、我が家では、私、母、妻、娘、上姉夫婦、上姉の娘、下姉の息子と8人での作業となりとても賑やかな中での作業となりました。
私の自宅周辺では、今朝も雨が少し降りました。
実家に先ほ電話すると、雨は降っていないようですが、露が降り、稲が濡れているようです。
今日中に作業を終えられるといいのですが、機械の調子が持ってくれればいいのですが。
こればかりは分かりません。
今年は、収量が多いようです。
TPP交渉大筋合意のニュースの中での作業です。
私たちのような零細農家でも今後とも耕作が維持できることを切望します。
収穫の秋が喜びの秋になることを切望します。
とにもかくにも、稲刈りが今日、無事終わりますように。
農家の皆さん、収穫は順調ですか。お教え下さい。
昨日、宇部市内で、山口自治労連の第31回定期大会が行われました。
山口自治労連定期大会で挨拶する中野委員長
私は、日本共産党山口県委員会を代表して挨拶を行いました。
挨拶の要旨は以下の通りです。
・・・
山口自治労連の第31回定期大会おめでとうございます。
4月まで県議会議員をしていました地元の藤本です。
さて、安倍自公政権は、9月19日、戦争法の採決を強行しました。8月29日には、県下9カ所で安保法制の廃案を求める集会を1000人委員会の皆さんと一緒に行い、2200名の県民が集うなど、安倍首相の地元と言われる山口県でも大きな運動を展開してきました。様々な世論調査でも6割以上が「今国会での成立に反対」です。これら国民の声を無視して、憲法違反の戦争法を強行した安倍自公政権に満身の怒りを込めて抗議したいと思います。
日本共産党は、戦争法廃止の国民連合政府の呼びかけを行っています。戦争法は憲法で禁止する集団的自衛権を行使するものであり憲法違反です。安倍政権による戦争法の強行で、政治の土台である立憲主義が破壊されました。政権党がたとえ多数を持っていても、憲法の枠は絶対に守らなければなりません。政権が憲法を守らなくなったら、その国は無法国家になり、独裁政治への道を開くことになります。立憲主義を回復する課題は、あれこれの政策的課題とは次元を異にする、民主国家の根本問題です。
戦争法がもとらした日本の非常事態を一刻たりとも放置するわけにはいきません。戦争法を廃止する政府を実現するため、山口自治労連の皆さんのご協力を心からお願いいたします。
さて、安倍政権は、「新三本の矢」を掲げました。「GDP600兆」「出生率1.8」「介護離職ゼロ」が具体的目標です。
東京商工リサーチの集計では、今年1月~9月の介護事業所の倒産は、57件です、これは、介護保険法が施行された2000年以降、最多です。
これは、4月に実施された介護報酬削減などが主な理由です。介護報酬を下げ、介護事業所を倒産させておいて、介護離職ゼロを言う安倍政権に国民はもうだまされません。
1億総活躍社会といいながら、格差拡大の労働者派遣法を改悪する安倍政権は打倒するしかありません。
来るべき参議院選挙や総選挙で勝利し、戦争法廃止、国民の暮らしを擁護する政権を実現いたしましょう。その事を訴えて連帯の挨拶とします。
・・・
戦争法を始め安倍政権に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
昨日、美祢市秋芳町の広谷毘沙門堂と福王田観音堂の木喰仏を見学しました。
まず、広谷毘沙門堂です。
秋芳洞入口のバスターミナル近くにある毘沙門堂
地元在住の木島忠與さんの案内で毘沙門堂を訪ねました。
木喰上人は、7月7日から約2ケ月広谷に滞在して「毘沙門天立像」「大黒天半跏像」「木喰自身行脚立像」を作像します。
「自刻像」は、立像で蓮華台の上に刻まれています。他の自刻像は、ほとんどが座像で、蓮華台の上の像というのは珍しいものです。
また、県内の現存している木喰仏の中でも、自刻像は、珍しいものです。
表面が田炭化しているが微笑が顕著な自刻像
更に、この自刻像は頭巾を被っています。これも珍しいものです。
像の表面が炭化していますが、1923年(大正12年)6月25日未明の毘沙門堂の火災によるものです。
毘沙門堂は、秋芳洞入口のバスターミナル近くにあります。
案内していただいた木島さんから昭和9年に毘沙門堂広場で広谷集落の方々が集まって「通夜祭」(田植泥落)を行った時の写真を見せていただきました。
昭和9年は、像の表面が炭化した後です。
木喰像の表面が炭化しても広谷集落の人々が木喰仏とともにあったことがこの写真に偲ばれます。
木島さんは「炭化した木喰仏だったから、盗難にも合わず、今日まで残ったのかも知れない」とも語っておられました。
木喰上人が広谷で作った句が残っています。
「夏旅や暑さをしのぐ広谷の人の心はいつもひろたに」
「木喰のかたみの姿眺むれば人の心もひろたにの里」
木喰上人が広谷の方々との心の交流をしていたことが伺われる句です。
広谷の人々は、この気持ちを今も持ち続け、毘沙門堂の木喰仏を大切にしていることが分かりました。
広谷には、80歳を超えた上人は高齢であり、集落の人々に火星をしてもらい「まわせえ、まわせえ」「どっちにでも回せえ」と言いながら刻んだという言い伝えが残っているとのことです。
次に福王田観音堂を地元の高木輝登さんの案内で見学しました。
美祢市秋芳町福王田の丘の上に観音堂はある。
福王田観音堂には、如意輪観音、不動明王、毘沙門天の木喰仏があります。
この三体の木喰仏は、赤や黒の彩色も残っており保存状況は良好です。
毘沙門天の背に書いた墨書銘に「日本千躰の内」の文字が私にも読めました。
福王田観音堂の毘沙門天。眉の黒など彩色鮮やか
木喰は、秋吉の地で千躰の仏像を作像することを発願したことが分かります。
木喰は80歳を過ぎて千躰仏を発願し、90歳の時に千躰の仏像を彫り終わりました。
NHK出版「NHK美の壺『円空と木喰』」に「木喰の容貌はというと180センチ近い体に髪を伸ばし、真っ白なひげをたくわえ、手には錫を持っていたという。まさしく仙人のようではあるまいか。」とあります。
木喰上人の事を調べれば調べるほど、卓越した人物に思えます。
木喰上人が60日間滞在した秋吉で木喰仏を見てそのことを実感するようです。
木喰上人は、8月15日に、美祢市美東町赤郷北河内に移動します。
今後、美祢市美東町北部の木喰仏を見学する計画です。
秋吉で木喰仏を大切にする住民の心の温かさに触れた一日でした。
案内していただいた方々に感謝いたします。
引き続き、木喰仏に関する情報をお聞かせ下さい。
宇部市PTA連合会は、今年度、スマホやゲーム機の使用は、小学生は午後9時まで、中学生は午後10時までとする「スマホやゲームの約束」を提唱し、各家庭でのルールづくりを推奨していましす。
宇部市教育委員会学校安心支援室はこの程、「スマホやゲームの約束」について調査結果を明らかにしました。
この調査は、今年7月市内小中学校の家庭に向けて行われ、約7割の回答がありました。
まず、スマホやゲーム機の保有状況ですが、小学校で84%、中学校で79%が保有しているとの結果でした。
次に「スマホやゲームの約束」を家庭で作ったかの問いに、作ったと答えたものが、小学校で69%、中学校で43%でした。
更に、作ったルールを守っているかの問いに、守っていると答えたものが、中学校で88%、中学校で76%でした。
以上の結果は、スマホなどが急激に子どもたちに広がる中、使用のルールづくりを提唱してことの重要性を再認識するものでした。
ルールを作れば、多くの子どもたちが守っていることも分かったので、引き続きルールづくりを提唱していこうと思います。
調査結果の詳細は、宇部市教育委員会学校安心支援室(0836)34-8630にお問い合せ下さい。
引き続き、「スマホやゲームの約束」に関するご意見をお聞かせ下さい。
シルバーウィークに島根県立石見美術館に出向き、山口県にある木喰仏を見学して以降、県内の木喰仏を巡ってみたいという気持ちにかられました。
先日、美祢市美東町大田にある地蔵院の責任役員を務めておられる河村力さんと話す機会があり、昨日、地蔵院の木喰仏を見学してきました。
県内の木喰仏に関しては、昭和46年に書かれた宇部市の新見亮助さんと片山徳五郎さんによる「山口県下の木喰仏」と昭和54年に書かれた山口市の内田伸さんによる「防長の微笑仏」に詳しく書かれてあります。
木喰上人の足跡は、「御宿帳」に詳しく記録されています。先に引用した二つの本は、「御宿帳」に基づき、木喰上人の県内での足跡が書かれてあります。
これによると、木喰上人は、寛政9年(1797年)6月24日に、九州から下関に入っています。御年80歳。
同年7月7日に、現在の美祢市秋芳町秋吉の広谷の毘沙門堂に到着しています。そして、8月15日まで滞在しています。この年は閏月があったので、60日以上滞在していたことになります。
この間に、現在の秋芳町の広谷の毘沙門堂に3体、福王田の観音堂に3体の像を作り、現在も残っています。(後日、見学に行く予定です。)
そして、美祢市美東町大田地蔵院の木喰仏もこの秋芳町広谷で彫られた仏像ではないかと指摘されています。
内田伸著「防長の頬笑仏」には、「寛永9年、地蔵院の住職が広谷に滞在して仏像を彫っていた木喰に依頼して、作ってもらったものと思われる。この像が広谷で作られたものでろう根拠は、梵字を周辺に散らして書かれたその背銘が、福王田の毘沙門天の背銘の書き方に、一番よく似ているということなどから考えられる。」とあります。
木喰上人は、ここ広谷で、本格的に仏像に取り組みはじめたと言える事実が指摘されています。
一つは、山口県に入った6月24日以降、広谷に入る7月7日まで、仏像が発見されていないことです。
二つ目は、福王田の毘沙門天に初めて「日本千体の内」の記述がみられることです。
内田伸さんは先述の著作の中で、「木喰が彫った仏像はいま、全国で五百余体残っているが、その内「日本千躰の内」という文字が記されているものは、この毘沙門天像が最初のものとなっている。これ以後の日付のある仏像には、ほとん7どみな「日本千躰の内」と書かれている。これにより木喰は秋吉にいた時、以後日本各地に千体の仏像をつくろうという考えをあらためてしたということがはっきりうかがえる。」と書いています。
木喰上人にとって秋吉広谷の土地はは意義深いところだと言えます。
さて、地蔵院の木喰仏についてです。
地蔵院の正式名称は、臨済宗東福寺派日照山地蔵禅院。開創は、永禄11年1568年。400年を超える歴史のある古寺です。
木喰仏は、本堂横の大師堂に安置されています。
一本の木に彫られた仏像です。
10体以上の弘法大師像が安置されている中の一つが木喰仏です。
木喰仏は、雲の上の亀跌の上に置かれていますが、木喰が作ったのは大師像だけです。
亀の像の上に弘法大師像は安置されています。
大師像全体は40センチ、像高35センチの小仏です。
左手には数珠。右手には五鈷杵を胸前で握っています。
平成16年に発行された「美東町史 通史編」には、背面の墨書銘としてこうあります。
心願日本千躰
梵字 ノ内
天下和順 日月清明 八宗一見
永当南無大師遍照金剛 日本廻国
国王国中 父母安楽 八十歳(花押)
梵字 正作
木喰五行
この像に、「日本千躰ノ内」と書かれているのは、秋吉広谷で、木喰上人が、千躰仏の立願をした後の作品だということが分かります。
「遍照金剛」や「父母安楽」などの文字が読めます。
仏像の表情は穏やかで、木喰仏の特徴である微笑を感じさせます。
80歳の木喰上人の熱が像から伝わってくるようでした。
また、200余年前の秋芳や美東の人々が木喰上人を敬愛していたことを覗わせます。
山口県内には、50体以上の木喰仏が確認されています。
実際に安置してある場所で、木喰仏を見るのは1体目です。
可能な限り、県内の木喰仏は見学し記録に残したいと思っています。
当面は、山口県内での木喰上人の足跡を辿る意味からも、秋吉、美東地区の木喰仏を見学し、レポートを残したいと思っています。
木喰仏の情報がありましたら引き続きお寄せ下さい。