今日、わが西宇部小学校の第1回学校保健委員会が行われました。
この委員会の中で、栄養教諭の西村先生から「テレビを消して親子で楽しい食卓を!」というお話を聞きました。
その中で、現在の子ども達の食生活の特徴が話されました。
それを表現したのが、「にわとり症候群」です。
さまざまな「こ食」があるということです。
まず、孤食(一人きりで食事をすること)。次に、個食(家族それぞれが自分の好きなものを食べること)。
次に、固食(自分の好きなものしか食べないこと)。次に、小食(食欲がなく食べる量が少ないこと)。
次に、粉食(パンや麺類中心で粉を使った主食を好んで食べること)。次に濃食(調理済みの加工食品やマヨネーズ・ケチャップなどをかけて味を濃くしないと満足しない)。
最後に、コ食(コンビニ食)。
これら「こ食」をなぜ、にわとり症候群」と呼ぶのか。
孤食のコ。欠食のケ。個食のコ。固食のコ。
頭文字を繋げるとコケコッコで「にわとり症候群」と表現したのです。
わが西宇部小学校でも、子どもたちに「一人で食事をすることがありますか?」というアンケートを行ったことがあります。
その結果は、よくある1%、時々ある34%、ない64%です。つまり、西宇部小学校でも35%の子どもたちが孤食の経験があると答えているのです。
西村先生は、「家族の笑顔が一番のおかず」と話を結ばれました。
西宇部小学校で、孤食が少しでも減るように、社会と地域が変わるように頑張りたいと思います。
同時に、我が家でも、団らんの食事が増えるように努力したいと思いました。
本日、山口県腎友会(吉村隆理事長)、山口県社会保障推進協議会(磯野有秀代表幹事)、山口県保険医協会(高橋泰昭会長)の3団体合同で、福祉医療費助成制度の一部負担金導入反対の要請行動が行われ、私は、全ての行動に参加しました。
これら団体は、2月県議会に、それぞれが一部負担金導入の反対を求める請願署名を提出してます。その3団体が揃って、要請行動を行うことは初めてで画期的なことだと思います。
まず、知事には、「福祉医療制度への一部負担金導入をやめ、早期に元に戻すこと」を求める要請を行いました。
対応した藤井厚政課長は、「要望は知事に伝える」としながら「給付と負担のバランスを考え、持続可能な制度維持の観点から一部負担金を導入した」とする従来の答弁を繰り返しました。
私は、「県が一部負担金を導入したことによる国保国庫負担減額の緩和される金額はいくらか」質しました。担当者は、「担当課に伝える。担当する医務保険課から回答させる」と答えました。
私は、「この緩和分を福祉医療費助成制度の市町還元分に充てることは最低限の県の責務だ」と質しました。
藤井厚政課長らに、一部負担金をなくせと訴える
次に、山口県市長会・町村会に出向き「山口県に対して、従来の福祉医療費助成制度に戻すよう要請」してほしいと求めました。
これに対して、宮田山口県市町総合事務局長は「6月に、県制度並みにした自治体だけに制度を適用するという問題点など、福祉医療費助成制度に対する知事が示したセーフティネッの問題で市長会として知事に申し入れを行った」ことを明らかにしました。
宮田総合事務局長に要望書を提出する参加者
最後に、県議会に対して「福祉医療費助成制度に関わる請願の可決を求める要望」を行いました。請願を提出した団体代表は、6月議会での可決を強く求めました。
議会事務局長に要請文を渡す参加者
要請行動には、日本共産党から私と久米議員、社民党から佐々木議員、民主党から西嶋議員が参加しました。
要請行動に参加した団体参加者は、「福祉医療費助成制度の一部負担金を無くすために、引き続き、共同行動を続けていこう」と話し会いました。
今日は、太平洋戦争末期の悲惨な沖縄戦の犠牲者の冥福を祈る「沖縄慰霊の日」です。
最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁にある平和祈念公園で、沖縄県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が行われました。
仲井真知事、麻生首相があいさつを行いましたが、私の心に響いたのは、小学校6年生、比屋根憲太君の「平和のいのり」という詩でした。
明日の朝刊には原文が掲載されるかと思いますが、私がラジオで聞いた範囲で内容をお伝えします。
憲太君のおばあさんは、姉を沖縄戦で亡くしました。自らが負傷したので、防空壕から出て水場に行こうとしていた時に、防空壕が爆破され、姉は帰らぬ人になったそうです。
お姉さんの遺品は何もなく、おばあさんは、今でもお姉さんの墓石を抱いて泣いておられるそうです。
憲太君は、「沖縄のきれいな空に涙は似合わない」と言います。
憲太君は、車いす生活になった「祖母の祈りを引き継ぐ」と語ります。
憲太君は、「戦争のない平和な国を引き継ぐ」と語りました。私は、涙が滲んできました。
今日の赤旗新聞は、日米地位協定上も日本に負担義務のない在日米軍思いやり予算の内、1979年度から始まった基地建設費が、08年度までの30年間で2兆283億円に達すると報道しています。
その大半は沖縄に集中しています。岩国基地にも3515億円が支出されています。基地別では、岩国基地が最高となっています。
憲太君のおばあさんの涙を繰り返さない決意の日といたしましょう。
戦争のない平和な国を後世に引き継ぐために、基地のない平和な沖縄、岩国、日本をつくっていきましょう。
私は、この立場で、6月議会に臨んでいきたいと思います。
6月は、我が家は、誕生日会が続きます。6月21日が三男の誕生日。6月28日が長女の誕生日です。
昨日、私は、候補者カーを8時に降りて、急いで家に帰り、なんとか誕生日会に間に合いました。
夕飯は、誕生日を迎えた三男のリクエストに答えた「とんかつ」でした。
私からのプレゼントは、本にしており、土曜日、一緒に買いに行きました。
三男は、「世界の伝記 チンギスハン」を選びました。
妻からは、これも三男のリクエストで、ゲーム用の「カード」3枚がプレゼントされました。
最後に、子どもたちと妻が手作りしたケーキをみんなで食べました。
8つのろうそくが並んだケーキを三男は嬉しそうに吹き消していました。
来週は、長女の誕生日会です。さて、どのような料理とプレゼントとなりますやら。
8本のろうそくが並んだ手作りケーキ
本日は、市長選挙の出陣式に顔を出した後、全建総連建設山口宇部支部第42回定期大会に参加してあいさつをさせていただきました。
実は、全建総連の大会で私があいさつをするのは初めてでした。最初に、役員の方々にお礼を言いました。
私は、3つの事をお話しました。
第一は、福祉医療費助成制度の無料化を宇部市で実現する問題です。
宇部市は、県内で、唯一福祉医療費助成制度で有料化が導入された自治体となりました。私は、福祉に冷たい市政の転換を訴えました。
第二は、国保料の引き下げについてです。大会のスローガンの第一に、「国保料の未納をなくそう」とありました。
私は、「払いたくても払えない状況を無くすためにも、国・県・市が建設国保への助成を増やして、皆さんの国保料の値下げを実現させましょう」と訴えました。
第三は、住宅リフォーム助成制度についてです。厳しい状況の中でも、中小建設業の方々の営業を守るために、小さな仕事が業者にきめ細かに回るように、全国で広がっている「住宅リフォーム助成制度」を宇部市で実現させようと訴えました。
私は、あいさつをさせていただいた直後から、候補者カーに乗って、候補者と一緒に、政策を夜8時まで訴えて回りました。
NHKラジオの映画コーナーで、「愛を読むひと」が紹介されていました。この映画のことは薄々知ってはいましたが、「ナチス」のことが取り扱われているものだと知りました。
「ナチス」の問題を取り上げた映画では、私は過去「シンドラーのリスト」を観たことがあります。
この映画は、「シンドラーのリスト」とは全く視点を換えて、「ナチス」の残虐さ、戦争の悲惨さを描きだしています。
昔の恋人(ハンナ)が、ナチスの収容所の看守だったとして戦犯として裁かれます。彼(マイケル)は、法科大学学生としてその法廷を傍聴します。
ハンナは、教会に逃げ込んだ収容者を火事の中、外に出さなかった罪に問われます。
結局、ハンナは、その事を報告書として書いた張本人として無期懲役の重刑を受けます。
しかし、マイケルは、ハンナは首謀者ではなかったことを知っています。その続きは、是非映画館でお楽しみください。
法廷でハンナが裁判官に「あなたならどうしましたか?」と問う場面があります。
ハンナは、多くの収容者を殺した罪を背負いながら戦後を生きます。
マイケルも、恋人であったハンナがユダヤ人虐殺に加担していた事実やハンナの法廷で自分が知っている事実を伝えられなかった想いを戦後抱き暮らします。
「ナチス党」の一員としてユダヤ人を虐殺することに手を貸した人々が問われるのは当然ですが、そのことを拒否できなかった人々の苦悩がこの映画でよく分かりました。
そこが描かれていることで、より、戦争の悲惨さが私の胸に迫りました。
テーマとしてもストーリーとしても、最高の映画でした。これだから映画はやめられません。
少しづつナチスの問題を勉強していきたいと思います。この映画の原作であるベルンハルトの「朗読者」や小川洋子の「アンネフランクの記憶」を読もうと思っています。
映画「愛を読むひと」。皆さんはどのような感想をお持ちでしょうか。お聞かせください。