引き続いて重松清を読んでいます。彼のエッセーも読んでみようと思って「オヤジの細道」を手にしました。
彼は、1963年生まれ、私より一つお兄さん。私は、「まだまだ、アラフォーだから」「45歳といってもまだまだ」などと「オヤジ」である自分を避けていました。
シゲマツさんは潔い。「『オレはまだ若いぞ!』だって?『オヤジはオヤジでも、オレはチョイ悪だから、一緒にしないでくれ』だって?」
「僕のコラムは、そんな『ただのオヤジ』のあなたに捧げたものなのです」とシゲマツさんはこのエッセーをスタートさせています。
同世代だけに、出てくる話題が懐かしく共感できるものばかりです。ヤザワさんが出てきたり、NSPが出てきたり、音楽の話題も共感します。
そして、シゲマツさんは、小学校6年生から高校卒業まで山口県に住んでいたというではありませんか。一層、共感が沸きます。
私には兄はいませんが、今後は、シゲマツさんを兄と慕い、徐々に来る「オヤジ現象」にも笑顔で乗り切っていこうと思います。
「オヤジ世代」の皆さん、シゲマツさんの文章を読んで、オヤジを謳歌しましょう。
今日は、成人式です。県内では、1万4717人が今年成人式を迎えられました。
私が成人したのは、25年前でした。合併前でしたので、楠町で成人式に臨みました。
当時、町役場に小中学校で同級生だったK君が勤めていたので、確かK君の推薦もあって、私が成人代表で「答辞」を行っていたことを思い出しました。
その時の成人式の祝いでいただいたアルバムに「答辞」を貼っていたことも思い出し、本棚を探し、アルバムと答辞が見つかりました。
少し長いですが、その「答辞」をご披露します。
「答辞
本日は、町長さんをはじめ来賓の方々のご臨席を仰ぎ、こんなに盛大に成人式を挙行していただき、その上成人となった我々に数々の激励のお言葉をたまわり、真にありがとうございました。
我々はこれから成人として次代を背負っていくわけですが、これを期に、あらゆる困難を打開していく信条となるべきものをみつけだし、二十一世紀を創造する主体者となっていきたいと思います。
本日は、本当にありがとうございました。
昭和60年1月3日 成人者代表 藤本一規」
父に相談しながら書いたことを思い起こします。背伸びした文章ですが、今、読み返して気持ちが引き締まります。
成人の時の気持ちを大切にして、2度目の成人を過ぎましたので、今度は、3回目の成人、よりよき60歳を目指して歩んでいこうと思います。
成人式を迎えられた皆さん。
困難を打開していく信条を持って、21世紀を創造する主体者となるべく力を尽くしてください。おめでとうございます。
先日、ラジオから中島みゆきさんの「帰省」という歌が流れていました。
私は、中島みゆきさんのファンを自称していましたが、ここ5年位でしたので、この歌は初めて聴きました。
心に染み入る名曲です。やっぱり中島みゆきはすばらしいと実感しました。
特に次の詞がいいですね。
「機械たちを相手に言葉は要らない
決まりきった身振りで街は流れてゆく
人は多くなるほど 物に見えてくる
ころんだ人をよけて 交差点を渡る
けれど年に2回 8月と1月
人は振り向いて足をとめる 故郷からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる」
昨日のブログで紹介した、小池参議院議員と作家の重松清さんとの対談で、重松さんがこう語っています。
「人は誰かとつながっていなきゃだめなんだと思います」
重松清さんは、「働く人の貧困と孤立のゆくえ」というNHKの番組を通じて派遣村に通い派遣労働者だった青年と語った経験を語りました。
私は、大学時代に学んだ「労働の疎外」という言葉を思い出しました。
日本福祉大学の大木教授の「現代の労働と生活」を本棚から引っ張り出しました。
大木先生は、労働の疎外とは「人間に特有のもっとも人間的な行為であるはずの労働が、人間とはほんらい縁もゆかりもない、動物的な行動に変えられてしまうこと」
と定義しています。
今、働くルールが破壊され、労働の疎外が進行しているのではないでしょうか。
釣りバカ日誌の浜ちゃんに憧れるのも、職場で労働の疎外が広がっているからではないでしょうか。
人間らしく働けるルールを確立していくことは急務です。
そんなことを中島みゆみさんの「帰省」を聴いて、そして、重松さんの対談を読んで感じました。
1月10日付けのしんぶん赤旗日曜版で参議院議員の小池あきらさんと作家の重松清さんの対談が掲載されていました。
重松清さんは私の大好きな作家の一人です。彼の作品の中では「定年ゴジラ」に泣かされました。
急に彼の作品を読みたくなり、「くちぶえ番長」を読み始めました。
ツヨシが小学校の頃を思い出す作品です。ツヨシが4年生の時、クラスにマコトが転入して再び転校していくまでの物語です。
私は、小規模校だったので、転校生は少なかったのですが、思い出はあります。
私の転校生の思い出はT君のことです。
T君は小学校2年生の時に私たちの学校から転出していきました。T君のお父さんが農作業中の事故で亡くなられたことが転出の理由だったと記憶しています。
T君とは、幼稚園1年と小学校1年の2年間だけの繋がりですが、様々な思いでがあります。
T君は背が高く、声が高い子どもでした。どちらかと言うといじめられっこに属していたのかも知れません。
冬に雪が降って雪合戦になった時、T君はいつも標的になっていたように思います。
幼稚園の時に、冬は、弁当を保温機に入れていました。ある日、その機械が壊れて、みんなの弁当が食べられなくなりました。
T君が戸を開けた時に、機械がボンと音を立てて壊れました。機械が壊れたのはT君のせいだとT君は責められました。
今でもT君の小学校1年生の頃の顔を思い浮かべます。そして、T君が責められている姿を思い浮かべます。
私は、T君が可哀そうだと思いながら、責める側には付かなかったけれど、守る側にも付かなかったように思います。
そして、45歳になったT君はどこで何をしているのだろうと思います。
そうそう、大学生の時に、私がT君の思い出を詞にして、先輩が曲をつけて一つの作品が出来たことを思いだしました。
「ひょうろりとした体に 不似合いの高い声」こんな書き出しでした。
これも懐かしい思い出です。
重松清さんの「くちぶえ番長」は、誰もが通過した小学生の時代に、皆さんを連れ戻してくれる名著です。
心がキュンとして暖かくなる作品です。今年は少し、重松清さんの作品も少しづつ読んでいきたいと思いました。
NHKの大河ドラマで龍馬伝が始まりました。
祖母が大河ドラマのファンで子どもの頃からよく観ていました。山口県が舞台の「花神」とか「黄金の日々」の頃、70年代後半によく観ていたようです。
私が小学校の高学年から中学生の頃ですね。
それから、最近まで観なくなり、98年の徳川慶喜、04年の新撰組!、08年の篤姫は良く観ました。
そして、今回の龍馬伝を含めて共通しているのは、維新物が好きだということです。
今回の龍馬伝も大いに期待しています。ドラマと同時に、今、津本陽の「龍馬」を読んでいます。
まだ一巻ですが、龍馬が高知でジョン万次郎と話し、江戸に出て千葉周作の道場で稽古し、佐久間象山の塾に通う様子が描かれています。
鎖国から開国へ、江戸から明治へ歴史が音を立てて動く時代に、龍馬が世界を掴んでいく様子が手に取るように分かり、読んでいて心躍ります。
龍馬伝に主演している福山雅治が、しんぶん赤旗のインタビューに、「龍馬は柔の人だったのではないか」と書いていますが、そうかも知れません。
それでも情報も交通も不自由だった時代に、日本の最先端の情報を自分のものにしていく能力はすばらしいものを持っていたと思います。
偏屈者の象山にも好かれるようなコミュニティー力を持っていたのだと思います。剛だけでは、薩長同盟をまとめることは出来なかったでしょう。
「柔よく剛を制す」このことを龍馬から学びたいと思います。
龍馬の生き方と維新の歴史をこの1年間、ドラマを見ながらしっかり学んでいこうと思います。
子どもたちは明日から3学期が始まります。冬休み中に釣りに行こうという約束をようやく今日果たしました。
我が家の男の子3人と二男の友だちのS君で、ホームグランドである長門市通に行きました。
ホームグランドの魚たちは私たちを優しく迎えてくれました。
10時前から釣りはじめ、約1時間と少しで、100匹を超える魚が釣れました。
次男がサビキ釣りで2匹をゲットしました
長男と三男が投げ釣り。カサゴが少々釣れました。私と二男とS君は、サビキ釣り。まさに入れ食い状況でした。
5つの針に2匹以上は当たり前。1匹だったらがっかりという感じでした。
車に戻り、冷え切った体を温め、カップヌードルで腹ごしらえをして、再び挑戦。
その後も順調で、午後も70匹以上の魚が釣れました。合計の詳細はよく分からない位ですが、180匹程度にはなりました。
餌も無くなり、寒さにも耐えきれなくなり、2時過ぎに、通を後にしました。
途中で、仙崎の食堂に入り、皆で食べたうどんは最高でした。
S君と魚を分けて、先程、我が家に辿りつきました。
今日は、アジとカサゴのフルコースです。数日食べるだけの量を確保しました。
釣りを始めて数年になりますが、最高の釣果となり、みんな笑顔、笑顔でした。
クーラー満杯のアジが釣れました