藤本かずのりサポーターズ はじめました

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山口昔ばなし大学スタート

 今日から、山口昔ばなし大学(基礎コース)が宇部市図書館を会場にスタートしました。妻と二人で受講しました。県内各地から集まった受講者が熱心に小澤俊夫先生の講義に耳を傾けました。

 男性受講者は二人でしたが、楽しい講義でした。女性パワーに感服もしました。

 一日目の今日は、朝10時30分から、16:00までの講義。東北や広島県への旅疲れで、午後は、睡魔とのたたかいでしたが、25年ぶりに大学生気分を満喫しました。

 今日は、開講の趣旨や、語りの文法の話しでした。小澤先生の大著「昔話の語法」をテキストに、作者から直接解説を受ける光栄を得ました。

 講義は、1回が土日で6時限。6回講義が行われます。終了は、再来年の6月です。丸2年間、小澤先生から昔話をしっかり吸収したいと思います。

 早速、明日は、他の行事に参加する関係で、通常の講義を受講することが出来ません。

 補講を申し込みました。補講を受けないと、次回以降の講義を受けることが出来ません。この緊張感は久しぶりです。

 昔話には単調とも言える文法があります。

 先生は、「子どもは、もう知っているものと出会いたがっている」と話されました。

 「子どもには未知の世界に入ることで成長するが、不安もある。」

 「その不安を解消するためにも、繰り返しの物語である昔話が必要。」

 「自らの存在と再会して、子どもは成長していく。」

 「子どもの魂が安定すれば、子どもは自然に成長していく。」

 先生の言葉の端々は、子育て真っ最中の私の心を揺さぶります。

 昔話の文法の話しは難しい部分がありましたが、この2年、一つでも多くの昔話を自ら読んで、先生の理論を学びたいと思います。

 親として少しでも成長して、子育てに生かしたいと思います。

 昨年、PTA連合会は、本の森の方々と共催で小澤先生の講演会を開催しました。

 その時のPTAの担当を務めた縁で、大学への受講を決意しました。

 その意味では、山口での大学を主催しておられる本の森の方々に感謝いたします。

 身近に受講仲間もいますので、妻と良い意味で競い合って、2年間挫折することなく続けていこうと思います。

 昔話の先輩の方々、いろいろご指導下さい。

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宇部市立図書館でスタートした山口昔ばなし大学

尾道、鞆の浦、西条を満喫

 日本共産党山口県委員会互助会の親睦旅行で、広島県を旅しました。

 尾道、鞆の浦、西条を散策しましたが、全てボランティアガイドの方に案内していただきました。

 昨日は、雨の中でしたが、尾道を散策しました。多くの寺を見学しましたが、浄土寺が一番印象的でした。

 堂内を巡りましたが、ほとんどが国宝や国の重要文化財で、日本の文化を満喫しました。

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 手前が重要文化財の阿弥陀堂で奥が国宝の多宝塔

 宿泊は、国民宿舎仙水島。平成いろは丸で島を往復しました。

 昨日のブログを訂正しなければなりません。

 いろは丸は、海援隊が調達した船でした。亀山社中ではありませんでした。お詫びして訂正します。

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 平成いろは丸は、竣工して2年の新しい船でした

 今日、午前中は、鞆の浦を散策。古い港の風景が残っていました。

 道路を建設する計画が進められていますが、鞆の歴史はしっかり残してほしいと思いました。

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  雁木といわれる工法で出来ている波止場

 今日の午後は、西条の酒蔵めぐりをしました。ここでも歴史を感じる蔵が多く残されていました。

 賀茂鶴酒造では、酒が出来る過程をじっくり学ぶことが出来ました。

 日本の米と酒を守っていきたいと思いました。

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  白牡丹酒造の酒蔵の白壁。試飲もしました

 ボランティア観光ガイドの方々は、どの方も60代以上の方でしたが、それぞれの地域を愛しておられ、丁寧に説明していただきました。

 身近な中国地方にもいい所がたくさんあることを知りました。自分たちの街を愛する大切さも学びました。

 観光ガイドの皆さんありがとうございました。これからもがんばってください。

 

鞆の浦に行ってきます。

 今日から、1泊二日で、日本共産党互助会の旅行に出発します。

 宿泊場所は、仙水島の国民宿舎です。

 鞆の浦から「いろは丸」という船で、渡ります。

 「いろは丸」とは坂本龍馬らが結成した亀山社中の船の名前で、ここ鞆の浦で転覆したものです。

 確かそうでしたよね。

 数年前に渡し船の「いろは丸」が新しい船となったことが報道されていました。

 2日間という短い旅ですが、のんびりしてこようと思います。

 英気を養い、いざ6月議会です。

村上春樹さんのスピーチとイタリアでの住民投票

 岩手県で災害ボランティアをしている最中、宿舎で、作家の村上春樹さんのスピーチを新聞で読みました。

 彼が「カタルーニャ国際賞」受賞した時のスピーチです。

 「福島第一原発事故は日本人が体験する2度目の大きな核の被害だが、今回は爆弾を落とされたわけではない。自らの手で過ちを犯した。」

 「日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原発に代わる有効なエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった。それが、広島、長崎の犠牲者に対する、集合的責任の取り方となったはずだ。」

 私が村上さんのスピーチで印象的だったのは、以上の部分です。

 今朝は、イタリアで実施された原発復活計画の是非を問う国民投票の結果が各社の新聞で大きく報道されていました。

 投票率54.79%、原発復活に反対は有効投票数の94.05%でした。

 世界は、フクシマの事故から「原発ノー」を学ぼうとしています。

 さて、山口県議会では、本日、議会運営委員会が行われ、原発に対する意見書を上げていくことが確認されました。

 山口県議会として、フクシマの事故から教訓を学び、県民の期待に応える内容の意見書がまとまればと思います。

 私も会派代表の一人として、そのために汗を流そうと思います。

 皆さん、山口県議会で、原発問題に関してどのような意見書が求められると思いますが、ご意見をお寄せ下さい。

厚東川通信No303(2011年6月15日)

党県委員会大震災第二次救援隊が岩手県宮古市で活動

 

「自分の家が欲しい」と被災者

 

藤本・木佐木県議らが参加

 

 日本共産党山口県委員会「東日本大震災第二次被災者救援隊」として、藤本県議・木佐木県議・吉田県議団事務局長が岩手県宮古市で十一日、十二日、ボランティア活動を行いました。
 十一日は、避難所から仮設住宅に引っ越した被災者を訪ね、行政への要望や困り事を聞き、必要なものがあれば届ける仕事でした。藤本県議らは、宮古市役所に近い愛宕小学校に建てられた仮設住宅四十五戸の全戸を訪ねて回りました。「日本共産党のボランティアです。要望や困り事はありませんか。必要な物資があれば、お届けもします」と一軒一軒、声をかけて回りました。 四人の方から、食器やナベなどの要望が寄せられました。それ以外でも、「ないものと言えば、全部が足りない。家が欲しい。早く仮設を出て、自分が住める家が欲しい。」、「経営していたラーメン屋が全部、流されてしまった。義援金をもらったが、生活に不可欠な中古車と古いタイヤを交換したら、全部、なくなった。」、というお話しを伺うことができました。

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 愛宕小学校仮設住宅へ聞きとりに入る救援隊

 

県腎友会総会で藤本県議が挨拶

 

 五日、山口県腎友会第十二回定期大会が山口市で行われ、藤本県議が来賓として参加し挨拶を行いました。藤本県議は、「腎友会の皆さんが、取り組んでいる『福祉医療費助成制度を無料にする』運動に心から賛同しています」と挨拶しました。

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   山口県腎友会第12回定期大会の様子

 

中川改修促進協議会に藤本県議参加

 

城野団地の水路は今年度改修見込み

 

 五月三十日、「平成二十三年度中川広域基幹河川改修事業促進協議会総会」に藤本県議は、顧問として参加しました。
 中川は、宇部市の厚南地域を流れる延長約五キロの基幹河川です。厚南地域は、江戸時代から干拓によって開けた土地で、浸水被害が相次いでいました。 浸水解消のために、昭和五十四年から中川の拡幅と浚渫工事が行われてきました。現在、三、九キロのⅠ期区間の工事が行われ、これまでに、約一九五億円の事業費が費やされ、今年度でほぼ工事が完了します。
 今年度は、二億五千万円の予算で、藤本県議も改修を要望していた城野団地への水路改修が行われます。また、県道宇部船木線の中川橋の架け替えのため、仮橋の設置工事が行われます。来年度以降は、約一キロのⅡ期工事が行われます。また、河口付近に三台目のポンプ場も設置される見込みです。来年度以降の事業費は七三億の見込みです。

 

一気 

岩手県での災害ボランティアは、私の人生に大きなインパクトを与えました▼宮古市鍬ケ崎地区は、丈夫そうな郵便局や銀行、店舗なども大きく破壊されています。大きな水産加工場や冷凍冷蔵施設も骨組みを残すのみです。宮古市田老地区は、「万里の長城」のような堤防で、守られていたはずの地域です。大津波は、易々と堤防を越え、何もかもを押し流していました▼宮古市から国道四十五号線を、山田町、大槌町、釜石市へと南下しました。海岸の低地部はことごとく破壊されていました。印象的だったのは、町長が亡くなられたという大槌町です。町役場の建物には、多くの花がたむけられていました。町役場周辺は、見渡す限りの瓦礫で埋め尽くされていました▼震災から丁度三ヶ月目に訪ねた岩手県。まさに復興はこれからでした。震災が国難であることを実感しました。

岩手県での災害ボランティア活動を終え帰ってきました。

 5日ぶりのブログとなりました。無事に山口県に帰ってこれたことを喜んでいます。

 まずは、行程です。

 10日(木曜日)、午後6時30分に山口市の党県委員会を自動車で、出発しました。

 高速道路中国道の小郡インターから名神・北陸・常磐道を経由して、東北道を盛岡インターで下車し、国道106号を経由し、11日(金曜日)、午後4時過ぎに、党宮古地区事務所に到着しました。

 11日、12日とボランティア活動を行いました。

 帰りは、12日の間に、北上市まで移動しました。13日の朝に、東北道水沢インターから高速道に乗り、途中、名神の多賀サービスエリアにあるホテルで仮眠し、14日の午前11時過ぎに、山口市の党県委員会の事務所に到着しました。

 片道1500キロ。私と木佐木議員、吉田事務局長の3人が交替でハンドルを握りました。これだけ高速で移動したことは私の人生では初めての体験です。

 通過した県は、広島、岡山、兵庫、大阪、京都、滋賀、福井、石川、富山、新潟、福島、宮城、岩手となります。

 往復には大変苦労しましたが、私の今後の人生に大きな影響を与えるだろう大変貴重な経験をすることが出来ました。

 一言でいえば、津波の破壊力に度肝を抜かれました。

 震災から、丁度3ヶ月目の訪問でしたが、町の中に残された瓦礫も、集められた瓦礫も撤去は始まったばかりでした。

 宮古市では、田老地区、鍬ヶ先地区、築地地区に立ちましたが、一部のコンクリートの建物は残っていましたが、一般の民家のほとんどが根底から壊れていました。

 特に田老地区の巨大な防潮堤に圧倒されましたが、これを越えた津波の破壊力には声も出ませんでした。

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 田老地区の巨大防潮堤の内側は、瓦礫の原野。

 活動を終え、国道25号線を南下しながら、山田町、大槌町、釜石市の被災現場に立ちました。

 特に、町長さんが亡くならたという大槌町の役場に立ち、町長さんの冥福を祈り、手を合せました。

 役場の前にたむけられた多数の花に胸が詰まりました。

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 大槌町役場にたむけられた花束。誰の声もしません。

 大槌町役場から市街地を望むと、一面が瓦礫の原野でした。主要な道路以外は、瓦礫はそのままでした。

 この町の復興は何年かかるのだろうと考えさせられました。

 避難されている方々の状況も知る事ができました。

 宮古市の田老地区の方々は、グリーンピアという元レジャー施設で暮らしておられました。

 巨大な体育施設のフロアーに高さ1.2メートル程度の段ボールの仕切りの中で、今も多くの方々が避難生活を送っておられました。

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 田老地区の避難所であるグリーンピアの体育館

 3ヶ月経過して、施設の敷地の中には、仮設住宅群が建設され、引っ越しが始まっていました。

 また、この施設には仮設テントがあり、そこには、日用品を売る店がありました。

 その女性店主の方にお話しをお聞きしました。

 「私も田老地区で被災しました。今は、テントが店ですが、近く仮設の店舗が建設される見通しです。将来、津波は怖いけれど、田老地区には帰りたい。」と話されました。

 宮古市築地・鍬ヶ先地区の方々の避難所である愛宕小学校の仮設住宅を訪問して被災者の方々とお話できました。

 避難所となっている小学校の体育館は、12日で閉鎖されます。

 完成したばかりの仮設住宅は引っ越しラッシュでした。

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愛宕小学校のグランドに完成した仮設住宅

 ある70代の女性に、「何か欲しいものはありますか。」と訊ねてみました。

 その方は、「帰る家が欲しい。」と話されました。

 60代のラーメン店を経営していた男性は、津波で全てを失ったと私たちに語ります。

 「50万円の義援金で車を買った。今後の生活の見通しは立ちません。」と話します。

 仮設住宅も期限は2年。その後の生活保障や住居の確保が課題だと分かりました。

 津波が襲った土地に家を建てるのか、高台に土地を確保するのか、復興計画の策定が望まれています。

 役場の機能そのものが失われた自治体には、人的にも財政的にも国や県の援助が更に必要であることが分かりました。

 この地域は、水産県岩手を代表する地域です。鍬ヶ先地区で漁船が接岸し、漁が復活していることが分かりました。

 しかし、田老地区をはじめ、殆どの漁港では、復興はまさにこれからだという状況です。

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 鍬ヶ先地区で被災した市場。復興はこれから。

 瓦礫の撤去、船の修復、漁港の整備、建物の整備など、漁の再開に向けて課題は山積していることが分かりました。

 テレビなどで、何時間も被災地の映像を観てきましたが、百聞は一見にしかずとはこのことを言うのかと痛感しました。

 それでも、私が被災地に立ったのは、岩手県北部の一部の地域。

 被災地は、岩手県南部、宮城県、福島県と広がっていることを想像しました。

 私は、現地に立って東日本大震災が国難と言われる理由がようやく分かった気持ちです。

 出来るならば、もう一度、現地に行きたいと思いました。

 山口に帰った今も、被災地の事を考えながら生活しようと思います。

 私は、山口県議です。被災地で学んだ事実を県政に生かすための論戦をこの6月から始めたいと決意を新たにしました。

 被災地に行かれたみなさん、体験をお聞かせ下さい。

 被災地の教訓を山口県で生かしていくためには、何が必要だとお考えですか。ご意見をお聞かせください。

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鍬ヶ先地区の被災した水産施設に立つ3人。(左が私)