フェイスブックなどを始めて3週間が経過しました。
フェイスブックでは、この間に、友達になっていただいた方が50名を越えました。
空手教室でお世話になっている方々を始め、高校の同級生やPTAでお世話になっている方々など様々です。
フェイスブックで、自分の近況をアップすることと、友達の近況をチェックすることが私の日常となりました。
まだまだ、分からないことばかりですが、フェイスブックでは、順調に交流を深めることが出来ていると感じています。
ラインでも、ぼちぼち、友人と連絡を取り合っています。
しかし、ツイッターには苦戦しています。
全く交流が深まっておらず、そもそもやり方をよく理解していません。
ツイッターに詳しい方にじっくりご指導を受けることが一番だと思っています。
しかしながら、SNSとは無縁だった私でしたが、この3週間で、世界が広がっていることを実感しています。
この連休は、フェイスブックの理解を深めつつ、ツイッターを少しでも習得したいと思っています。
私のツイッターのアカウントは@1218Fujiです。ご連絡いただけると幸いです。
ツイッタービギナーの方大歓迎です。
昨日、山口県教育委員会会議が行われ、県内での体罰に関する調査結果が明らかにされました。
調査は、県立の公立小・中・高校・中等教育学校・特別支援学校を対象に行われました。
対象期間は、昨年4月1日~今年3月15日までとし、教職員による児童生徒に対する体罰の有無、有りの場合にはその内容を調査しました。
調査の結果、体罰と考えられる事案が53件報告されました。
内訳は、小学校13件、中学校32件、高校及び特別支援学校8件です。
状況は、授業中が16件、部活動中が15件でした。
態様は、素手で叩くが28件でした。2件に関しては傷害が有ったことが報告されています。
県教育委員会としては、今後、「体罰問題検討会議(仮称)」を創設し、体罰の未然防止や早期発見・早期対応の効果的な方策について意見を聴取するとしています。
更に、前述の会議の意見を踏まえ、体罰根絶に向けて、具体的な方策を検討し、市町教委などと連携しながら、取組を進めていくとしています。
県内で児童生徒への体罰が1年間に53件発生していることが明らかになりました。
この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
私は、皆さんのご意見を踏まえて、必要な発言を行っていくつもりです。
昨日、東京系のドラマで、「松本清張20周年特別企画 留守宅の事件」が放映されました。
夫が東北へ出張中の留守宅で、妻が殺害された。
夫は東北出張中に大学時代の友人と面会。
その友人の指紋が、留守宅に残されていた。
夫にも嫌疑がかかるが、妻の殺害は物理的に無理なようだ。
老刑事を演じる寺尾聰の演技が心に沁みるドラマでした。
原作「留守宅の事件」は、新潮文庫「水の肌」に収められています。
文庫本60ページの短編ですのですぐ読めます。
文庫本の解説で、尾崎秀樹さんは「月並みなできごとにも空想力を働かせ、いろいろ可能性をさぐろうとする作者の態度がうかがわれる」と書き、最後に「松本清張の人間的興味を基盤とした視野のひろがりと、その豊富な才能、長い作家活動をとおして養われた技法のたしかさなどをあらためて感じさせてくれる興味ぶかい作品である」と述べています。
松本清張原作のドラマはついつい興味を魅かれ原作も一緒にチェックしています。
最近では、高校一年になった長男が興味を示してくれています。
ゴールデンウィーク辺り、北九州市の松本清張記念館を再び訪ねてみたくなりました。
フェイスブックに出身の日本福祉大学を登録しています。
日本福祉大学をタッチすると、大学の詳細情報が出てきます。
その中に、「1985年-犀川スキーバス転落事故により学生22名、教員1名など25名が亡くなった」とあります。
「犀川スキーバス転落事故」と検索してみると、「ウィキペディア」に事故の様子が詳しく記載されていました。(以下、ウィキぺディアを参考にして記述します。)
1985年1月27日、夕方、体育の授業としてスキー教室のために、私は、3台のバスの2台目に乗り、愛知県美浜町の大学を出発しました。
28日午前5時45分、犀川にかけられた大安寺橋にさしかかる手前の左カーブで、バスはガードレールを破り推進4メートル、水温4度という極寒の犀川に転落しました。
私の乗った2号車と1号車は、大安寺橋を渡り、スキー場に向って走っていました。
夜が明け、3号車に事故があったことが分かります。
私たちの乗ったバスは、長野県警のパトカーの先導で、近くの警察署に到着しました。
付き添いの先生から事故の概要が説明され、二つの事が指示されました。
「生存者のために、服などを提供してほしい。自分が無事であることを家族に伝えること。」
私は、公衆電話の列に並んで、自宅に電話しました。
このスキー教室に山口県出身で参加していたのは、私を含めて二人だったと記憶しています。
母のところにも取材が来て、「息子から『元気だ』の電話が入った」という母のインタビュー記事が地元新聞に掲載されたと後日聞きました。
その後、バスの中のテレビで事故の様子を報道しているのを観ました。
事故現場近くの「正源寺」に遺体が安置され、私たちは仮通夜に参列しました。
マスコミによるカメラのフラッシュの間を抜けての参列だったことを昨日のように思い起こします。
1987年9月13日に、事故現場に慰霊碑が建立されました。正源寺では現在も遺族会などによって法要が行われているそうです。
慰霊碑と正源寺で手を合せることが私の残された人生での一つの課題です。
改めて、遺族の方々にお悔みを申しあげます。
妻の友人からコーヒーの小瓶いっぱいのひまわりの種を半年以上前にいただきました。
コーヒーが入っていた小瓶いっぱいのひまわりの種
最近、この事を思い出し小瓶を引き出しから引っ張り出したところ、我が家の小学生二人が、庭に植え始めました。
我が家の庭は、20坪切る面積です。その中に、桜、橙、杏、キウイ、ツツジなどの木が植えられています。その間の僅かな面積に、小学生たちが、せっせとひまわりの種を植えているのです。
昨日は、小6の三男が、今日は、小3の長女が。
小3の娘がひまわりの種を我が家の庭に植えています。
ひまわりが順調に成長した場合、我が家の庭はどうなるのでしょうか。
その様子は、本ブログで紹介していくことにいたしましょう。
小瓶の種は、まだまだ残っています。もう植える土地が我が家にはありません。
小学生はどうするのでしょうか。
吉部の実家に植えれば解決しますね。
我が家のひまわりが一つでも花を咲かせますように。
その事を今は願うばかりです。