昨日、東京系のドラマで、「松本清張20周年特別企画 留守宅の事件」が放映されました。
夫が東北へ出張中の留守宅で、妻が殺害された。
夫は東北出張中に大学時代の友人と面会。
その友人の指紋が、留守宅に残されていた。
夫にも嫌疑がかかるが、妻の殺害は物理的に無理なようだ。
老刑事を演じる寺尾聰の演技が心に沁みるドラマでした。
原作「留守宅の事件」は、新潮文庫「水の肌」に収められています。
文庫本60ページの短編ですのですぐ読めます。
文庫本の解説で、尾崎秀樹さんは「月並みなできごとにも空想力を働かせ、いろいろ可能性をさぐろうとする作者の態度がうかがわれる」と書き、最後に「松本清張の人間的興味を基盤とした視野のひろがりと、その豊富な才能、長い作家活動をとおして養われた技法のたしかさなどをあらためて感じさせてくれる興味ぶかい作品である」と述べています。
松本清張原作のドラマはついつい興味を魅かれ原作も一緒にチェックしています。
最近では、高校一年になった長男が興味を示してくれています。
ゴールデンウィーク辺り、北九州市の松本清張記念館を再び訪ねてみたくなりました。
フェイスブックに出身の日本福祉大学を登録しています。
日本福祉大学をタッチすると、大学の詳細情報が出てきます。
その中に、「1985年-犀川スキーバス転落事故により学生22名、教員1名など25名が亡くなった」とあります。
「犀川スキーバス転落事故」と検索してみると、「ウィキペディア」に事故の様子が詳しく記載されていました。(以下、ウィキぺディアを参考にして記述します。)
1985年1月27日、夕方、体育の授業としてスキー教室のために、私は、3台のバスの2台目に乗り、愛知県美浜町の大学を出発しました。
28日午前5時45分、犀川にかけられた大安寺橋にさしかかる手前の左カーブで、バスはガードレールを破り推進4メートル、水温4度という極寒の犀川に転落しました。
私の乗った2号車と1号車は、大安寺橋を渡り、スキー場に向って走っていました。
夜が明け、3号車に事故があったことが分かります。
私たちの乗ったバスは、長野県警のパトカーの先導で、近くの警察署に到着しました。
付き添いの先生から事故の概要が説明され、二つの事が指示されました。
「生存者のために、服などを提供してほしい。自分が無事であることを家族に伝えること。」
私は、公衆電話の列に並んで、自宅に電話しました。
このスキー教室に山口県出身で参加していたのは、私を含めて二人だったと記憶しています。
母のところにも取材が来て、「息子から『元気だ』の電話が入った」という母のインタビュー記事が地元新聞に掲載されたと後日聞きました。
その後、バスの中のテレビで事故の様子を報道しているのを観ました。
事故現場近くの「正源寺」に遺体が安置され、私たちは仮通夜に参列しました。
マスコミによるカメラのフラッシュの間を抜けての参列だったことを昨日のように思い起こします。
1987年9月13日に、事故現場に慰霊碑が建立されました。正源寺では現在も遺族会などによって法要が行われているそうです。
慰霊碑と正源寺で手を合せることが私の残された人生での一つの課題です。
改めて、遺族の方々にお悔みを申しあげます。
妻の友人からコーヒーの小瓶いっぱいのひまわりの種を半年以上前にいただきました。
コーヒーが入っていた小瓶いっぱいのひまわりの種
最近、この事を思い出し小瓶を引き出しから引っ張り出したところ、我が家の小学生二人が、庭に植え始めました。
我が家の庭は、20坪切る面積です。その中に、桜、橙、杏、キウイ、ツツジなどの木が植えられています。その間の僅かな面積に、小学生たちが、せっせとひまわりの種を植えているのです。
昨日は、小6の三男が、今日は、小3の長女が。
小3の娘がひまわりの種を我が家の庭に植えています。
ひまわりが順調に成長した場合、我が家の庭はどうなるのでしょうか。
その様子は、本ブログで紹介していくことにいたしましょう。
小瓶の種は、まだまだ残っています。もう植える土地が我が家にはありません。
小学生はどうするのでしょうか。
吉部の実家に植えれば解決しますね。
我が家のひまわりが一つでも花を咲かせますように。
その事を今は願うばかりです。
ここ最近の重点は、当然、参議院補欠選挙の取組みが第一。
次に、始めたばかりのフェイスブックなどのSNSの更新作業。
その間に、2013年本屋大賞第一位、百田尚樹「海賊とよばれた男」を読んでいます。
今、上巻の270ページ辺りです。
この本は、出光興産の創業者・出光佐三をモデルにしたドキュメント小説。
今、第二章の「青春」を面白く読んでいます。
福岡から神戸高商に入学した鐡造。
卒業後、小麦を扱う小さな商店に就職。
その間にも父が破産するなどの出来事が。
その後、起業するが、様々な困難に阻まれます。
廃業を決意しますが、支援者に支えられながら活路を切り開いていきます。
とにかく諦めない鐡造の姿勢に頭が下がります。
そして、冒頭記述されいた終戦直後を表した第一章「朱夏」に、鐡造は、従業員を馘首しなかったとあります。
従業員を家族のように扱い続けた鐡造の姿に、今の経営者は学ぶべきだと痛感しました。
明治・大正・昭和、経営者として生き抜いた鐡造を活写した百田さんの筆致が冴えた本作。
グイグイ読み進んでいます。
「海賊とよばれた男」を読まれた皆さん感想をお聞かせ下さい。