昨日、山口市民会館で行われた前進座特別講演「如月の華─九條武子ものが たり-」を浄土真宗本願寺派宇部北祖の皆さんと一緒に観てきました。
武子は、浄土真宗本願寺派第21代宗主明如上人の次女として生まれ、仏教 者としては、仏教婦人会本部長を歴任します。
また、歌人として、与謝野晶子、柳原白蓮とともに、大正の三大女流歌人と も謳われた人物です。
大正期の三大美人の一人としても有名で、才色兼備な女性として有名でした。
武子が37歳の時に関東大震災が東京を襲います。
武子は、亡くなるまでの5年間。震災復興のために尽力します。
武子は、被災者の内、震災孤児を守るための施設である「六華園」を作り、あそか病院を作ります。
更に教育者としては、京都女子大学の設立を成し遂げます。
大正時代に、時代を開いた一人女性の生き様に感動しました。
これだけのことをなし得た武子でしたが、このような歌を残しています。
「おほひなる もののちからに ひかれゆく わかあしあとの おぼつか なしや」
今の私たちから見ると決して「おぼつかなしや」とは思えない確かな足跡を残した武子でした。
それでも「おぼつかなしや」と言わしめる武子には「おおいなるもののちからにひかれゆく」仏教者としての信念があったこのを知らされました。
武子を演じた今村文美さんが最初に舞台に登場した時、会場内から「ウオー」という声が出ました。
舞台は多くの仏教婦人会の皆さんがおられました。武子を尊敬している方々です。
その方々の目に今村さん演じる武子は適った瞬間だと思いました。
武子がベットで過ごすシーンがラストです。
劇の最後に、今村さんが観客の私たちにお礼を言われる場面で私は目頭が熱くなりました。
まさに、今村さんの姿は、病を押して観客の私たちにお礼を言う武子にしか見えなかったからです。
浄土真宗本願寺派のお寺のお世話をさせていただいた事で、この劇を見ることが出来ました。
いい縁を感じつつ、いい劇を見た余韻を感じています。
前進座の皆さん素晴らしい劇をありがとうございました。
今村さんの武子は最高の演技でした。
全国で観劇された皆さん感想をお聞かせ下さい。
沖縄県の翁長雄志知事は昨日、県庁で記者会見し、同県名護市辺野古の米軍新基地建設に伴う前知事による沿岸部の埋め立て承認を取り消したと発表しました。
日本共産党の志位委員長は、昨日、「翁長知事の決断を強く支持、沖縄に連帯するたたかいを-辺野古埋め立て承認取り消しにあたって」と題する以下の談話を発表しました。
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翁長知事の決断を強く支持、沖縄に連帯するたたかいを
――辺野古埋め立て承認取り消しにあたって
2015年10月13日 日本共産党幹部会委員長 志位 和夫
一、沖縄県の翁長雄志知事は13日、仲井眞弘多前知事がおこなった名護市辺野古の埋め立て承認を正式に取り消した。
翁長知事は、第三者委員会の検証結果を受け、「関係部局で承認内容を精査したところ、取り消すべき瑕疵が認められ、取り消しが相当であると判断した。今後も辺野古に新基地を造らせないという公約の実現に向け全力で取り組んでいきたい」とのべた。
翁長知事の決断は、名護市長選、県知事選、総選挙などで繰り返し示され、動かしがたいものになっている沖縄県民の「新基地建設ノー」の総意の実現にむけた英断である。日本共産党は、翁長知事の決断を強く支持する。
一、菅官房長官は、「政府としてはすでに行政判断が示されたと考えている。承認に際しての『法的瑕疵』はない」「埋め立て工事を進めていくことは当然だ」と県の対応を批判し、国土交通相へ承認取り消しの執行停止と無効を求める申し立てをおこなうなど、あくまで新基地建設を強行する考えを示した。
しかし、新基地建設反対は、沖縄県民の総意であり、最近の世論調査でも、県内移設反対が8割を超え、7割以上の人が翁長知事の「辺野古埋立承認」取り消しを支持し、新基地建設の作業をやめるべきとしている。
圧倒的な民意を一顧だにせず、辺野古移設が「唯一の解決策」などと強弁して新基地建設に突き進む安倍政権の暴走は絶対に認められない。むき出しの強権による強硬策しかないのは、安倍政権の深刻な行きづまりを示すものであり、この道に未来はない。
一、辺野古の海を埋め立てて建設されようとしている米軍新基地は、普天間基地の「移設」などという生やさしい代物ではない。
2本の滑走路を持ち、強襲揚陸艦やタンカーも接岸できる巨大な軍港や広大な弾薬搭載エリアなどを備えた最新鋭の巨大基地であり、耐用年数200年という半永久的な基地である。新基地は、海兵隊がオスプレイなどの訓練をくりかえしているキャンプ・ハンセン、高江などの北部訓練場、伊江島飛行場などとも連動して、海兵隊の基地機能は飛躍的に強化され、巨大な出撃拠点に大改造されることになる。
これまで以上の重大な基地負担増を押しつける新基地建設は、沖縄県民にとって絶対に受け入れられないものである。
一、翁長知事は、今回の決定について、「日本の民主主義に対して国民全体が考えていただけるようなものになればいいと思っている」とのべた。
沖縄戦の戦火で甚大な犠牲を強いられ、戦後も長期にわたって基地の重圧に苦しめられてきた沖縄県民が、島ぐるみであげている「新基地建設ノー」の声を、一顧だにしない政治でいいのか。まさに問われているのは、日本の民主主義そのものである。
日本共産党は、安倍政権に対して、新基地建設の断念、普天間基地の無条件返還を求めるとともに、「基地のない沖縄」をめざす沖縄県民の決意に、日本国民全体がこたえ、沖縄に連帯するたたかいを全国で発展させることを、心から呼びかけるものである。
・・・
沖縄県の米軍普天間飛行場の移設計画を巡り、翁長沖縄県知事が移転先である名護市辺野古の埋め立て承認を取り消したことについて、福田岩国市長は「『普天間移設の見通しが立たないうちに、空母艦載機の移駐のみを切り離して進めることは認められない』というのが基本スタンスで、沖縄県の同k峰や国の対応を注視する」とのコメントを明らかにしました。
村岡知事も同様のコメントを明らかにしました。
志位委員長が「この道に未来はない」述べているように、政府は、辺野古移設を断念し、米軍再編を再検討すべきです。
山口県や岩国市も「空母艦載機の先行移駐は認められない」の立場から、国に、空母艦載機部隊移駐の中止を求めるべきです。
翁長知事が辺野古承認を取り消しました。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
かもがわ出版から「自衛官が共産党市議になった─憲法9条が結んだ縁─」がこの夏出版されました。
著者は日本共産党土浦市議の井上圭一さん。
井上さんは、陸上自衛隊の自衛官として、茨城県の霞ケ浦駐屯地の後方支援部隊で9年間勤務した経験をお持ちです。
井上さんは、「自衛官であることと日本共産党員であることは、憲法9条を大切に考える私にとては自然なことでした。ところが、その9条を踏みにじり『自衛隊を他国の戦争に参加させる』という集団的自衛権への動きが始まりました。なんとか食い止めたいと思い、昨年総選挙にも挑戦し訴えました。後輩の自衛官を接待に戦死させたくないという強い思いと、自衛官の『声なき声』と家族の思いを代弁するために、立ち上がったのです。」と著書の冒頭で書いています。
井上さんは、自衛官としての経験を基に「後方支援をなめんなよ」と題してこう語っています。
「後方支援とは戦争において重要な役割を果たし、戦闘行為と一体でなければ成り立たない性質のものです。ですからアメリカ軍は兵站に大変力を入れているのです。日本はこの重要な後方支援を担おうとしているのですが、そこには『戦闘行為が始まったら逃げ帰る』という、非現実的でちぐはぐなストーリーが描かれているのです。戦争のなんたるかをまったく知らない計画だと言わざるを得ないのです。」
安倍政権は、戦争法の具体化の手始めに、南スーダンPKO(国際平和維持活動)での「駆け付け警護」など、任務遂行のための武器使用に着手しています。
10日(土曜日)のしんぶん赤旗に、東京外国語大学大学院の伊勢崎教授が、戦争法で解除された「駆け付け警護」での自衛隊員のリスクについて次のように述べています。
「住民保護のために武力を使用するということは、自分の身に危険が及ばなくても、住民に銃を向け相手を殺傷するということです。その際、武装ゲリラと住民を見誤り、誤射してしまうリスクは必ずあります。」
「今まで、自衛隊は海外派兵で一発も撃たず、だれも殺してこなかったのは奇跡だと思っています。今度は必ず、事故が起こりますよ。」
9月に宇部市で講演された元防衛官僚の柳澤協二さんは、「自衛官が一発の弾を発射する前に、戦争法を廃止させよう」という趣旨の発言をされました。
日本共産党の志位委員長が9月19日に行った「戦争法廃止の国民連合政府の呼びかけ」には、「日本の平和と国民の命を危険にさらすこのような法律を、一刻たりとも放置するわけにはいきません。」
戦争法によって、第一に自衛官の命が危険にさらされています。
この危険を回避するために、戦争法を急いで廃止しなければなりません。
私もその立場で引き続き頑張りたいと思います。
井上さんもこの立場で、全国で話をされています。
私が事務局長を務めているうべ憲法共同センターでは、「自衛官が共産党市議になった」の著者井上圭一さんを来年の2月7日に、お呼びして宇部市で講演会を行う予定にしています。
詳細が決まりましたら本ブログで紹介しますので、多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
昨日から実家の稲刈りをしています。
小5の娘が撮影してくれました。今日終わりますように
昨日の早朝に雨が降り、作業は、午前11時ころから行いました。
品種を「ひのひかり」にしたために台風の影響もなく、稲もしっかり乾燥しており、順調に作業を行うことが出来ました。
しかし、スタートが遅かったので、一番大きな田を刈り終わったのが午後4時前。
実家の前の田を刈り終わったのが5時半になりました。
実家の下の田は、今日作業することにしました。
一人で作業される農家が多いですが、我が家では、私、母、妻、娘、上姉夫婦、上姉の娘、下姉の息子と8人での作業となりとても賑やかな中での作業となりました。
私の自宅周辺では、今朝も雨が少し降りました。
実家に先ほ電話すると、雨は降っていないようですが、露が降り、稲が濡れているようです。
今日中に作業を終えられるといいのですが、機械の調子が持ってくれればいいのですが。
こればかりは分かりません。
今年は、収量が多いようです。
TPP交渉大筋合意のニュースの中での作業です。
私たちのような零細農家でも今後とも耕作が維持できることを切望します。
収穫の秋が喜びの秋になることを切望します。
とにもかくにも、稲刈りが今日、無事終わりますように。
農家の皆さん、収穫は順調ですか。お教え下さい。
昨日、宇部市内で、山口自治労連の第31回定期大会が行われました。
山口自治労連定期大会で挨拶する中野委員長
私は、日本共産党山口県委員会を代表して挨拶を行いました。
挨拶の要旨は以下の通りです。
・・・
山口自治労連の第31回定期大会おめでとうございます。
4月まで県議会議員をしていました地元の藤本です。
さて、安倍自公政権は、9月19日、戦争法の採決を強行しました。8月29日には、県下9カ所で安保法制の廃案を求める集会を1000人委員会の皆さんと一緒に行い、2200名の県民が集うなど、安倍首相の地元と言われる山口県でも大きな運動を展開してきました。様々な世論調査でも6割以上が「今国会での成立に反対」です。これら国民の声を無視して、憲法違反の戦争法を強行した安倍自公政権に満身の怒りを込めて抗議したいと思います。
日本共産党は、戦争法廃止の国民連合政府の呼びかけを行っています。戦争法は憲法で禁止する集団的自衛権を行使するものであり憲法違反です。安倍政権による戦争法の強行で、政治の土台である立憲主義が破壊されました。政権党がたとえ多数を持っていても、憲法の枠は絶対に守らなければなりません。政権が憲法を守らなくなったら、その国は無法国家になり、独裁政治への道を開くことになります。立憲主義を回復する課題は、あれこれの政策的課題とは次元を異にする、民主国家の根本問題です。
戦争法がもとらした日本の非常事態を一刻たりとも放置するわけにはいきません。戦争法を廃止する政府を実現するため、山口自治労連の皆さんのご協力を心からお願いいたします。
さて、安倍政権は、「新三本の矢」を掲げました。「GDP600兆」「出生率1.8」「介護離職ゼロ」が具体的目標です。
東京商工リサーチの集計では、今年1月~9月の介護事業所の倒産は、57件です、これは、介護保険法が施行された2000年以降、最多です。
これは、4月に実施された介護報酬削減などが主な理由です。介護報酬を下げ、介護事業所を倒産させておいて、介護離職ゼロを言う安倍政権に国民はもうだまされません。
1億総活躍社会といいながら、格差拡大の労働者派遣法を改悪する安倍政権は打倒するしかありません。
来るべき参議院選挙や総選挙で勝利し、戦争法廃止、国民の暮らしを擁護する政権を実現いたしましょう。その事を訴えて連帯の挨拶とします。
・・・
戦争法を始め安倍政権に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
昨日、美祢市秋芳町の広谷毘沙門堂と福王田観音堂の木喰仏を見学しました。
まず、広谷毘沙門堂です。
秋芳洞入口のバスターミナル近くにある毘沙門堂
地元在住の木島忠與さんの案内で毘沙門堂を訪ねました。
木喰上人は、7月7日から約2ケ月広谷に滞在して「毘沙門天立像」「大黒天半跏像」「木喰自身行脚立像」を作像します。
「自刻像」は、立像で蓮華台の上に刻まれています。他の自刻像は、ほとんどが座像で、蓮華台の上の像というのは珍しいものです。
また、県内の現存している木喰仏の中でも、自刻像は、珍しいものです。
表面が田炭化しているが微笑が顕著な自刻像
更に、この自刻像は頭巾を被っています。これも珍しいものです。
像の表面が炭化していますが、1923年(大正12年)6月25日未明の毘沙門堂の火災によるものです。
毘沙門堂は、秋芳洞入口のバスターミナル近くにあります。
案内していただいた木島さんから昭和9年に毘沙門堂広場で広谷集落の方々が集まって「通夜祭」(田植泥落)を行った時の写真を見せていただきました。
昭和9年は、像の表面が炭化した後です。
木喰像の表面が炭化しても広谷集落の人々が木喰仏とともにあったことがこの写真に偲ばれます。
木島さんは「炭化した木喰仏だったから、盗難にも合わず、今日まで残ったのかも知れない」とも語っておられました。
木喰上人が広谷で作った句が残っています。
「夏旅や暑さをしのぐ広谷の人の心はいつもひろたに」
「木喰のかたみの姿眺むれば人の心もひろたにの里」
木喰上人が広谷の方々との心の交流をしていたことが伺われる句です。
広谷の人々は、この気持ちを今も持ち続け、毘沙門堂の木喰仏を大切にしていることが分かりました。
広谷には、80歳を超えた上人は高齢であり、集落の人々に火星をしてもらい「まわせえ、まわせえ」「どっちにでも回せえ」と言いながら刻んだという言い伝えが残っているとのことです。
次に福王田観音堂を地元の高木輝登さんの案内で見学しました。
美祢市秋芳町福王田の丘の上に観音堂はある。
福王田観音堂には、如意輪観音、不動明王、毘沙門天の木喰仏があります。
この三体の木喰仏は、赤や黒の彩色も残っており保存状況は良好です。
毘沙門天の背に書いた墨書銘に「日本千躰の内」の文字が私にも読めました。
福王田観音堂の毘沙門天。眉の黒など彩色鮮やか
木喰は、秋吉の地で千躰の仏像を作像することを発願したことが分かります。
木喰は80歳を過ぎて千躰仏を発願し、90歳の時に千躰の仏像を彫り終わりました。
NHK出版「NHK美の壺『円空と木喰』」に「木喰の容貌はというと180センチ近い体に髪を伸ばし、真っ白なひげをたくわえ、手には錫を持っていたという。まさしく仙人のようではあるまいか。」とあります。
木喰上人の事を調べれば調べるほど、卓越した人物に思えます。
木喰上人が60日間滞在した秋吉で木喰仏を見てそのことを実感するようです。
木喰上人は、8月15日に、美祢市美東町赤郷北河内に移動します。
今後、美祢市美東町北部の木喰仏を見学する計画です。
秋吉で木喰仏を大切にする住民の心の温かさに触れた一日でした。
案内していただいた方々に感謝いたします。
引き続き、木喰仏に関する情報をお聞かせ下さい。