今朝のしんぶん赤旗「日刊紙」には、下関北九州道路の問題が掲載されています。
「無駄な大型公共事業への批判の高まりから2008年に凍結された全国6カ所の『海峡横断プロジェクト』のうち本州と九州を結ぶ関門海峡道路が、安倍政権のもとで『下関北九州道路』と名を変え事業化に向けた動きが強まっています。2000億円を超える巨額の整備費に厳しい目が向けられ、一度は中止に追い込まれた計画が『復活』した背景には何があるのか-。」
「下関北九州道路調査検討会が始まったのは2017年5月です。しかし、いまだに費用対効果の見通しすら示すことができていません。福岡県の担当者は『ルート、構造、整備手法の3点について議論を進めている。さまざまな指摘があり、まだスタートラインにも立てていない』と説明します。」
関門橋は設計時に予想された交通量1日7万2千台に対して半分の3万8千台(17年)しか通行しておらず、関門トンネルの交通量も減り続けています。
記事の中で、下関市の自民党関係者がこう話しています。
「九州経済連合会の会長は麻生太郎副総理の弟の泰(ゆたか)氏だ。自民党内の会議では、安倍・麻生の関係でスタートした計画だと言われている。それだけに総理・副総理の在任中に事業化させたという思いは両県の政治家に共通している。ここで動かなかったら経済界にも顔向けできない」
安倍首相は、「モリカケ」問題などで国政私物化が指摘されていますが、「安倍・麻生道路」も国政私物化の最たるものです。
国の借金は、関門海峡道路を中止した時より増えています。
関門海峡の交通量は、減り続けています。
それでも道路を作るということは、国民がどうなってもいい、自分たちだけが潤えばいいと思っているとしかいいようがありません。
「安倍・麻生道路」=「下関北九道路」はきっぱり中止すべきです。
下関北九州道路は国政の問題に留まらず、負担金や取り付け道路など県財政に関わる重大問題です。
私は山口県議会議員選挙の候補者として、下関北九州道路ストップの論戦を行っていく決意です。
下関北九州道路に関する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
横山秀夫さんの最新作「ノースライト」を読んでいます。
横山秀夫さんは、私の大好きな作家の一人で、ほとんどの作品を読んでいます。
最近は、刊行された作品の殆どが映像化されています。
直近の「64」も前後編で映画化されてヒットしました。
私が、映像化された横山作品で一番印象に残っているのは、「クライマーズハイ」です。NHKのドラマも映画も良かったです。
一人ひとりの人物を丁寧に温かく描く横山さんの筆致が私は大好きです。
1日の読売新聞の文化欄に横山さんインタビューが掲載されていました。
作品のストーリーがこう書かれてあります。
「バブル崩壊後に自らを見失い、家庭を壊した青瀬は、自らの持てる力を全て注ぎこんだ家に、施主の吉野が住んでいないことを知る。家の中には、戦前に日本美を再発見した建築家、ブルーノ・タウトの作品さしき一脚の椅子が遺されていた。わずかな手がかりから、青瀬は吉野を追い始める。」
私が読んでいるのは、青瀬が、吉野の家を訪ねるシーンです。
記事には、こんな横山の苦悩が書かれています。
「今作は2006年に雑誌連載を終えていたが、『一言でいえば小説になっていなかった』。心身の不調を乗り越えて、12年秋に渾身の大作『64』を刊行し、『ノースライト』を直す作業にも取り組んだが、その後も『後遺症』は続いた。主人公の名前さえも、時折、思い出せなくなる。文章が前後と呼応せず、何度も筆が止まった。編集者と毎月会っても、まずかな原稿しか渡せないこともあった。それでも『逃げると自分にはね返ってくる』と、家から出ずにパソコンに向かい、『脳内や体中の細胞、神経まで探るように』青瀬に迫って物語を再構築した。」
記事は、横山さんの次の言葉で締めくくられています。
「とことん力を尽くして、重いの全てをこめた作品であれば、もしかしたら残るかもしれない。それ以外のものは残るはずがないし、残る必要もない」
この作品は、横山さんの思いのこもった残る作品だと実感します。
同世代の青瀬の苦悩をしっかり受け止めたいと思います。
関係者の皆さん「ノースライト」の早期の映像化をお願いいたします。
横山さん今度も素晴らしい作品をありがとうございます。
横山秀夫ファンの皆さん、あなたの好きな作品をお教え下さい。
やっぱり、横山秀夫作品は最高ですね。
昨日のしんぶん赤旗日刊紙は、「米軍事企業に貢ぐ安倍政権」と題して特集記事を掲載しました。
この中で、「イージス・アショア」に関して次のように書いています。
「北朝鮮の弾道ミサイルを迎撃するためという説明で安倍政権が導入を狙うイージス・アショアは、米朝対話の進展で口実を失っています。配備候補地の秋田、山口両県で反対運動が広がっています。山口県阿武町では16の自治会長らが『配備計画の撤回を求める請願』を提出し、町議会は18年9月30日に全会一致で請願を採択しました。花田憲彦町長も「『まちづくり』がぶち壊しになる」(同年10月21日付『赤旗』日曜版)と反対を表明しました。秋田市の穂積志市長は小野寺五典防衛相(当時)に対して『質問事項』(同年6月22日)を提出。『国際情勢の変化に応じて配備計画を見直すべきではないか』『中国やロシアは両国への包囲網構築の一環などと反発している』と主張しました。小野寺防衛相は『万全の備えをする』『中国やロシアを含め、周辺諸国に脅威を与えるものではありません』(同年7月19日『回答』)などと釈明に追われました。他方で防衛省はイージス・アショアが必要な理由として『(北朝鮮の)他にも我が国を射程に収めるミサイルが多数存在』することを強調します。中国やロシアとの軍事的対立を想定していることをほのめかすものです。ロシアのラブロフ外相は2月5日、イージス・アショアは『巡航ミサイル(トマホーク)の発射に利用可能』で恋檄にも転用できると指摘し、安倍政権の配備方針を批判しました。」
イージス・アショアが巡航ミサイル発射に転用されれば、萩市のミサイルは、平壌を始め、中国内陸部へ到達します。
秋田市のミサイルは、ウラジオストクを始め、ロシアや中国内陸部へ到達します。
先日、TBS系の「報道特集」でイージス・アショアを特集していました。
自衛隊の元幹部がインタビューに答え「イージス・アショアは、北朝鮮の飽和攻撃に対抗出来ない。」と明言していました。
ある集会参加者が、「ミサイル基地建設は、中国の故事「矛盾」そのもの。」と発言していたことが印象に残りました。
秋田と萩へのミサイル基地建設は、日本と諸外国との軍事的「矛盾」を深めるなにものでもありません。
盾だけではなく矛になるミサイル基地の建設は行うべきではありません。
日朝会談のように、多国間の問題は、話し合いで解決することが最良の道です。
軍事的緊張を強化することは「矛盾」の深まりしか呼ばず、その先は「軍事的争い」=「戦争」への道です。
私は、県議会議員選挙をたたかう候補者の一人として、「萩市へのミサイル基地建設は認められない」の立場で残り1カ月訴えぬいてまいりたいと思います。
イージス・アショアに関する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
「落伍 昭和の名人極めつき」第4巻は、「立川談志」壱でした。
マガジンに寄席文字書家の橘左近さんが立川談志をこう書いています。
「独特の理論と型破りな芸風で、昭和の後半から平成の時代を疾風迅雷のごとく駆け抜けたのが立川談志」
実は、これまでじっくり立川談志の落語を聞くことはありませんでした。
ここに収められているのは、「道灌」と「桑名船」
「道灌」では、談志のマクラの凄まじさに感服しました。
「インド」の歴史などの博学ぶりにも感服しました。
「桑名船」では、談志の演じる講釈の場面に驚嘆しました。
談志特有の「あく」は、実力に裏付けられたものだったことに感じ入りました。
放送作家の和田尚久さんは、談志の時代の落語界の様子をこう書いています。
「当時の落語は、明らかに衰微していたということである。真打はもちろん、二ツ目までもが大ホールで独演会を開き、寄席にも観客が集まる現在と違い、当時の落語界では、定員300人の国立演芸場で月例独演会を開く談志が、いちばん客を呼ぶ落語家であった。それにしても、当日の夕方に演芸場に行けば、気軽に入場できた。志ん朝や小さんは独演会をめったに開かず、寄席は開いていた。1980年代のことだ。」
談志は、「伝統」と「現代」を繋げようと力を尽くしてきました。このことは、「道灌」のマクラで言葉を解説しながら話を進める姿勢にも官官ることができます。
しかし、談志とその時代の落語家の努力があったから、現在の落語の復興があったのだと思います。
落語の浮き沈みはこれまでも何度もあったのかも知れませんが、1980年代から落語を復興させた、談志は、落語の中興の祖と言えると思います。
談志は、多くの落語論を書いた人でもあります。談志の文章と何よりも落語で、談志の奥深い世界をこれから少しづつ知っていきたいと思いました。
移動中の車の中で、今は、立川談志を聴く、今日この頃です。
立川談志ファンの皆さん、皆さんのお勧めの一席、一冊をお教え下さい。
石炭火発中止求める
党宇部市議団と藤本前県議が要請
日本共産党宇部市議団(荒川憲幸団長)と藤本かずのり前県議は、20日、山口宇部パワー株式会社が市内に建設する石炭火力発電所計画の中止を求め、村岡嗣政知事と久保田后子市長あてに申し入れました。
同社は、出力60万キロワットの石炭火力発電所2基の2025年までの運転開始を予定し、環境影響評価の手続きを進めています。
同社は「環境影響評価準備書」を国に提出し、宇部市環境審議会が近く答申をまとめ宇部市長に提出する見込みです。
国連気候変動枠組条約第21回締約国会議は、(COP21)2015年12月に、工業化前(1850年ごろ)と比べて気温上昇を、今世紀末に2度を大きく下回るようにし、1・5度に抑える努力をするという新たな協定(パリ協定)を採択しました。
申し入れ書は、石炭火力発電所建設は温室効果ガス削減をめざす世界的な流れに逆行すると批判。同社の「計画段階環境配慮書」に対し、15年6月に環境大臣が国の二酸化炭素削減の目標・計画との整合性から「是認しがたい」と意見したことを挙げ、知事、市長とも同様の意見を述べるよう求めています。 宇部市長への申し入れ書は、藤崎宇部市生活環境部長に手渡しました。藤崎部長は、「申し入れ書の内容は、市長に伝える」と答えました。
山口県知事への申し入れ書は、県宇部環境保健所永山保健環境部副部長に手渡しました。永山副部長は、「申し入れ書の内容は、環境アセスの担当課に伝える」と答えました。
左から藤崎部長、藤本前県議、浅田市議予定候補
くすのきの集いに90名
日本共産党 藤本かずのり事務所が主催し、宇部市吉部ふれあいセンターで「春を呼ぶくすのきの集い」が開かれ90名が参加しました。藤本光昭荒滝自治会長とえんぴつ画家の岡本正和さんの挨拶に続き、藤本かずのり前県議が「不要不急の事業をやめ、暮らしと福祉優先の県政を実現したい」と訴えました。記念講演を行った仁比そうへい参議院議員は、安倍首相は農山村をいっそう疲弊させると指摘し「所得と価格補償で、食べていける農業、後継者が暮らしていけるふるさとにしよう」と農業・農村の展望を訴えました。
日本共産党 前山口県議会議員
藤本かずのりさんを囲む集い
日時 3月10日(日)午前10時~
場所 大森自治会館
宇部鴻城高校南・厚南中学校北西
※大平前衆院議員が応援に!!
主催 日本共産党 藤本かずのり事務所
宇部市大小路3-1-46 ℡0836-39-6918
藤本かずのり携帯 090-3747-2855
藤本かずのり前県議会議員
一気
1943年の暮れに、国から船木鉄道に対し、吉部万倉間のレールを撤去して供出せよとの命令が下されました。吉部村民は直ちに「船木鉄道存置擁護期成同盟会」を結成し、一戸当たり3円の運動資金を集めました。陳情団が上京し国会議員に陳情しました▼「船鉄五十年史」に、陳情団は、2度上京していることが分かりました。第二陣についてこう書かれていました。「第二陣には由利庸夫の外に藤本一人、重枝弥三郎、田中康人、隣村の雄弁家藤村勝一が特別参加した一行五名に、会社から国吉省三取締役が同行した。」▼この文にある藤本一人は私の祖父です。当時、吉部村役場に勤めていました。私の「一規」の「一」は祖父の名前から取ったと父から聞いていました▼命令を拒否することは国賊と呼ばれた戦時中に、国の命令に対し、村民の声を政府に届けた村民の中に祖父の姿があったのです。祖父が住民と泣き笑いした姿が浮かびます。祖先と故郷に深い誇りを感じました。
2月26日、宇部市環境審議会(関根雅彦会長)は、久保田后子宇部市長に対して「『西沖の山発電所(仮称)新設計画 環境影響評価準備書』に関する意見について」答申しました。
宇部市環境審答申は、「本事業は、本市西沖の山地区に、総出力120万kW(60万kW✖2基)の石炭火力発電所を新設するものである。他の発電方式と比べて、地球温暖化をはじめとする環境への影響が大きいといわれている石炭火力発電所を設置することから、施設の稼働に伴い、二酸化炭素、大気汚染物質の排水による大気環境、水環境及び動植物への影響が懸念される。石炭火力発電所を巡っては、地球温暖化対策に逆行するとして、国内外はもとより本審議会や準備書に対する意見書等においても厳しい意見が相次いでいるが、事業者からは依然として納得のいく説明がなされていない。温室効果ガスを大量に排出する石炭火力発電所の新設について住民の理解を得るためには多くの課題がある。事業者にあっては、2016年にパリ協定が発効し、わが国でも2050年までに温室効果ガスを80パーセント削減する目標を掲げていることについて真剣に向き合うべきであり、それでも本事業において石炭を燃料として選択するのであれば、環境保全に係る諸課題に対して、その解決に向けた具体的な取組を明らかにするとともに、石炭のばいじんによる甚大な公害問題を宇部方式により克服し、国連環境計画からグローバル500賞を受賞した歴史を持つ宇部市に石炭火力発電所を建設する理由について真摯に説明する必要がある。」と前文で述べる厳しい内容となっています。
宇部市のホームページの中に、宇部市環境審答申の最後に触れられている、宇部市が「石炭のばいじんによる甚大な公害問題を宇部方式で克服した」歴史が「宇部方式の歩み」として次のように書かれてあります。
「1949年(昭和24年)に市議会で反ばいじんの動議が提案されると満場一致で可決され、市議会内に『宇部市降ばい対策委員会』が設置されました。『宇部市降ばい対策委員会』はさっそく、汚染の実態調査を開始しました。依頼を受けた野瀬善勝山口県立医科大序助教授は、各工場で消費する石炭の品質、数量、ボイラーの種類、集じん装置の有無などの発生源の実態調査とともに、市内10箇所の降下ばいじん量の測定を開始しました。これと同時に大気汚染と市民の健康への統計的な疫病調査も行われ、国内でも初めての組織的、系統的な大気汚染調査の始まりとなりました。その後、毎月の降下ばいじん量の調査結果や疫学的な調査データが地方紙に発表され、1951年(昭和26年)には降下ばいじん量がひと月1平方メートルあたり55.86トンを記録し、世界一灰のふる街と報じられるなど情報の公開とともに、ばいじん対策への市民意識が高まりました。また、成分調査結果からばいじんは、炭素分の少ない完全燃焼産物であり、その対策はそれまで国内で主流であった燃料方法の改善よりも、集じん装置の整備が必要なことが判明しました。そこで、『宇部市降ばい対策委員会』はこれらの科学的調査データを基に、1、対象工場では集じん装置の設置、2、街路の防じん用散水車の購入、3、防じんのために、道路に植樹する等市内の緑化を推進するなど、大作が市議会で決議されました。」
1951年「世界一灰のふる街」と報じられた宇部市が、「産・官・学・民」の橋梁による「宇部方式」でばいじん汚染の克服に取り組んできたのです。
その結果、1997年に宇部市は、UNEP(国連環境計画)から「環境保全に貢献のあった世界各国の21の団体の一つに選ばれ、グローバル500賞を受賞したのです。
宇部市が、「環境先進都市 うべ」として今後とも発展していくために、石炭火力発電所の建設を行うべきはありません。
山口宇部パワーは、石炭火力発電所の宇部市内への建設を断念すべきだと思います。
日本共産党宇部市議団と私は、山口宇部パワーの「環境影響評価準備書」に対して、村岡知事と宇部市長が「是認できない」旨の意見を表明することを求めました。
宇部市環境審議会の答申が出ました。宇部市に建設されようとしている石炭火力発電所について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。