安倍首相が、裁量労働制の労働時間に関する国会答弁を撤回した問題で、厚生労働省が19日、答弁の根拠となった同省の調査データの検証結果を公表したました。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙の記事を元に問題を追います。
問題になったのは、厚生労働省の「2013年労働時間等総合実態調査」。
首相はこのデータをもとに一般労働者の労働時間は9時間37分、裁量労働制(企画業務型)の労働時間は9時間16分になっているとして、1月29日の衆議院予算委員会で「裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方に比べれば、一般労働者よりも短いというデータもある」と答弁しました。
その後、根拠データに対して野党側から次つぎと疑義が出され、14日に答弁を撤回、謝罪する事態に追い込まれました。
厚生労働省の検証結果によると、一般労働者の労働時間は1カ月のうち「一日で最も長い残業時間」にちて調査。これに対し、裁量労働制については、最も多くの労働者が属する1日の「労働時間の状況」などを調査しました。
一般労働者と裁量労働者についてまったく異なる調査方法だったことがはっきりしました。
長時間労働にならないとする裁量労働制の対象拡大の根拠が崩れただけにとどまらず、労働時間データの「ねつ造」に対する安倍内閣の責任が問われる重大事態になっています。
小池書記局長は、昨日の記者会見で「いままでの議論の土台が崩れた以上、裁量労働制を含む労働法制改悪案全体の提出を断念すべきだ」と主張しました。
安倍内閣が今国会に提出している「働き方改革」法案についての皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
昨日、厚南校区人権教育推進委員協議会主催の第42回厚南校区人権教育研修会に西宇部校区人権教育推進委員協議会会長として参加しました。
「外国人との共存社会に向けて」と題して、山口県国際交流員のヘマ・ガルベスさんが講演を行いました。
講演する山口県国際交流員のヘマ・ガルベスさん
ガルベスさんは、スペインのカナリア諸島出身です。
お父さんは、スペインで生まれ育った両親の元に生まれ、幼少期をカナダで過ごしました。
お父さんは幼少期英語を話していました。
お母さんは、スペインで生まれ育った両親の元に生まれ、ベネゼエラで幼少期を過ごしました。
お母さんは、ずっとスペイン語を話して育ちました。
カナダ生まれの父とベネゼエラ生まれの母。ガルベスさんは誰が「外国人」なのでしょうかと参加者に問いかけます。
ガルベスさんは、「生まれた国と本人の所属意識は相関しない」と語ります。
ガルベスさんは、「家とは愛情があるところ」という諺を紹介します。
ガルベスさんは、「人間は、愛情をもらえたところに所属意識を持つのではないか。そこに、共存の鍵があるのではないか。」と語ります。
山口県内に、在留外国人の方が昨年3月末時点で、1万4386人おられます。
県民の100人に一人は外国人であることに驚きました。
ガルベスさんは、外国人との共存社会に向けて、短期的施策として、通訳や翻訳や案内の充実が必要とし、長期的施策としては、多言語生活情報の提供や日本語教室の充実が必要と話しました。
ガルベスさんは、「マズローの欲求の5段階」により、外国人共存社会の発展構造を説明しました。
第一段階は、生理的欲求の充足です。
「安くおいしいものが食べたい」「アレルギーや宗教上の理由で食べられないものがあるので、食材を選びたい」
などの要望を叶えるケアが大切だとガルベスさん。
第二段階は、安全の欲求の充足です。
「災害時の対応を伝える情報提供」「病気になった時の情報提供」「法的な問題への情報提供」
などの要望を叶えるケアが大切だとガルベスさん。
2016年7月、山口県国際課が「外国人住民のための『防災ハンドブック』」を多言語で発行していることを知りました。
第三段階は、社会的欲求の充足です。
外国人に日本の習慣などを伝えることが大切だとガルベスさん。
第四段階は、承認欲求。
外国人一人一人を社会を支える大事な人と認識することが必要だとガルベスさん。
第五段階は、自己実現の欲求。
外国人の方にも街づくりに参画してもらうなど、わけ隔てなく人間同士が協力し合う社会の実現が大切だとガルベスさん。
体系的にかつ、具体的に、外国人との共存社会をどうつくるのかガルベスさんから多くのことを学びました。
外国人との共存社会に向けて、皆さんのご意見をお聞かせください。
山本おさむさんのコミック漫画「赤狩り」に魅了され、ダルトン・トランボに関する本やハリウッドの「赤狩り」に関する本などを読んでいます。
コミック漫画「赤狩り」のオープニングは「猿の惑星」から始まります。
「猿の惑星」(1968年)、「エデンの東」(1954年)、「ローマの休日」(1953年)
「一見何の脈絡もないように見えるこの3本の映画には、実は目に見えない共通の水脈が隠されている。」
「それは1940~50年代にアメリカに起った『赤狩り』である。」
「この三作品には『赤狩り』にまつわる物語が水脈のように流れている。」
漫画「赤狩り」は、このような内容で始まり、現在、「ローマの休日」の撮影秘話が連載されています。
「ローマの休日」の脚本家は、アメリカ共産党員であったダルトン・トランボであったことは、私がこれまでに読んだ本全てに書いてあります。
先日、「ローマの休日」をDVDで見ましたが、クレジットにダルトン・トランボの文字が記されています。
しかし、現在の私の知識で、「赤狩り」と「猿の惑星」は結びつきません。「エデンの東」もです。
しかしながら、漫画「赤狩り」を楽しむためにも、「猿の惑星」を見ておこうと思い、DVDで視聴しました。
ケネディ宇宙センターから打ち上げられた飛行船は、4人の宇宙飛行士を乗せて宇宙旅行を続けています。
人工冬眠装置で飛行士たちは寝ていましたが、船はある惑星に不時着。気が付けば一人は冬眠装置の故障で、ミイラ化していました。3人は、宇宙船から脱出。
3人は移動を重ね、緑のある人間住むの村に辿り着く、しかし、そこは猿が支配している地域でした。
飛行士の内、一人は殺され、一人は捕らえられます。
飛行士のテイラーは気が付くと手術台へ。
その後、テイラーは、逃亡を重ね、有名なラストシーンに至ります。
海岸に胸から上の変わり果てた「自由の女神像」を目の当たりにしたテイラーは、慟哭します。
私は、「ローマの休日」よりも「猿の惑星」に政治的メッセージを感じました。
トランプ大統領が、新核戦略「核態勢見直し」を公表しました。
核戦力を全面的に強化し、使用対象を敵対国からの米国や同盟国に対する通常兵器による攻撃にも広げるというものです。
また、CO2の排出を制限しきれないなかで、地球温暖化による影響が深刻化しています。
テイラーの慟哭は、人類の慟哭です。
「赤狩り」と「猿の惑星」との水脈の謎は謎としつつ、私にとって、とても興味深い作品でした。
「猿の惑星」には、オリジナル・シリーズ、今にネーション、リブート・シリーズと合計9作品がラインナップされています。
残りの8作品を引き続き楽しみたいと思います。
「猿の惑星」及びシリーズの感想をお聞かせください。
黒澤明DVDコレクション③は「赤ひげ」です。
「用心棒」「七人の侍」もよかったですが、「赤ひげ」は、これまでの中で、私にとって心に残る作品でした
「赤ひげ」は、小石川養生所に見習いとして赴任した保本登の成長を描いた物語です。
極貧の患者に真正面から向き合う所長の新出去定(赤ひげ)。その姿を見て登は心を入れ替えていきます。
前半部分で、赤ひげが医者の役割についてこのように述べるシーンがあります。
「現在、われわれに出来ることは、貧困と無知に対するたたかいだ」「これまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか、人間を貧困と無知のままにして置いてはならなぬ、と云う法令が一度でも出たことがあるか」「貧困と無知さえなんとかできれば、病気の大半は起らずにすむんだ、いや、病気のかげには、何時も人間のおそろしい不幸がかくれている」
この言葉は、現代にも当てはまると思います。
一つ違うのは、今日、「人間を貧困と無知のままにして置いてはならぬ、と云う法令」が憲法に書かれてあるということです。
憲法25条「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
憲法26条「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべての国民は、法律の定めるところにより、その保障する子女に普通教育を享けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
近年、政府は、社会保障や公教育の国の責任を放棄する方向に動いていると感じます。
その結果、日本の貧困は拡大しています。
具体例が、志位和夫委員長が指摘した貧困ラインの低下です。
所得順に全国民を並べたときに、真ん中にくる人の額(中央値)の2分の1が「貧困ライン」です。
1999年157万だったものが、2014年133万となっています。
国民の所得が減っている。つまり貧困が進化していることは明瞭です。
にも関わらず、安倍首相は、相対的貧困率の低下だけ見て、「貧困は悪化していない」とし、新年度予算で生活保護制度の生活扶助を5%切り下げようとしています。
今日の政治状況に対して赤ひげは再び「政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか」と叱責するでしょう。
憲法25条と26条を政治に生かすことが今もとめられており、その憲法を変えることをもってのほかだと「赤ひげ」を観て感じました。
登は、長崎で医学の勉強をして、幕府の医師になることを目指していました。
しかし、赤ひげの生き方を通して医師とは何かを考え続けた結果、映画のラストで、「養生所に残る」道を選びます。
3時間という、今日では二巻分の映画ですが、観終わったあと、爽快感が全身を満たしてくれる作品でした。
私は大学でセツルメント活動をしていました。「貧困問題」と格闘する大学生活でした。
その経験が私のその後の生き方を決めました。
私が歩んできた人生を振り返りながら、「赤ひげ」は、大いに励まされる作品でした。
これからもこの道を生きていこうと新たな気持ちにさせてくれる作品でした。
次回は、「椿三十郎」です。引き続き、黒澤作品から様々なことを学んでいきたいと思います。
皆さんの好きな黒澤作品をお教え下さい。
すっかり星野道夫さんに魅せられて、星野さんの「旅をする木」を読んでいます。
先週のNHKラジオ「すっぴん」の高橋源一郎さんの「源ちゃんの現代国語」のコーナーで「旅をする木」が取り上げられました。
高橋さんが自ら朗読したのが「ルース氷河」の章です。
原文を読んで改めてこの文章を意味を感じることが出来ました。
「ルース氷河」は、学生時代の仲間と共に、小学生から高校生までの11人の子どもをつれてルース氷河にやって来た時の話しです。
ルース氷河は、アラスカ山脈何面に延びる「ルース氷河源流」のことです。
星野さんは、夜のルース氷河を次のように紹介しています。
「最後まで残照を浴びていたマッキンレー山も、今は黒いシルエットとなり、ぐるりと取り巻く高山の連なりの中に沈んでいる。自然が作りあげた、雪と氷と壮大な円形劇場・・・月光が岩壁から垂れ下がる氷を青く浮かび上がらせて、プラネタリウムのような星空は、ここからそのまま飛び発ってゆけるような近さで迫っている。」
「進学校に通うT」「ガキ大将のK」様々なタイプの小中学生がルース氷河で夜空を見上げます。
この情景を見ながら、星野さんは、こう書いています。
「ルース氷河は、岩、氷、雪、星だけの、無機質な高山の世界である。あらゆる情報の海の中で暮らす日本の子どもたちにとって、それは全く逆の世界。しかし何もないかわりに、そこにはシーンとした宇宙の気配があった。氷河の上ですごす夜の静けさ、風の冷たさ、星の輝き・・・情報が少ないということはある力を秘めている。それは人間の何かを想像する機会を与えてくれるからだ。」
我が家でもふと見ると、子どもたちも妻もスマホの画面を見ている時間が子どもの成長とともに長くなってきたように思います。
私の子どもの頃は、テレビを囲んではいたが、もう少し家族同士が話をしていたように思います。
この文章が書かれたのは1993年の頃、今から25年前です。
この頃よりも、日本の今は「情報の海の中」の激しさを増しています。
だからこそ「情報が少ない」場所に身を置く時間を増やし、「何かを想像する機会」を増やす必要があるように感じます。
その事は、未来を担う子どもたちもそうであるし、私たち大人も同じだと思います。
星野さんは、この文章をこう結びます。
「子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつしか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。」
私は、荒滝山の麓で生まれ、秋吉台の近くで育ちました。
今でも荒滝山の山影を見ると心が穏やかになります。
また、大学生の頃、帰省する度に、秋吉台の草原の中から石灰岩がちらほら見える風景を眺めていました。
今でも、秋吉台を通る度に、10代後半から20代の頃の自分の気持ちを思い起こします。
誰にも心の風景があるのだと思います。
「宇宙の気配」を感じる体験はいくつになっても必要だとこの文章を読んで星野さんに教えられました。
ほぼ日手帳に、星野道夫さんの写真を表紙にしたものがあることを知りました。
今日、手元に届き、今日からこの手帳とともに毎日を過ごします。
写真は、「グリズリーの親子」です。
アラスカの緑豊かな草原に、グリズリー(ハイイログマ)の親子が同じ方向を向いて立っています。
口に草をくわえた子熊が、親熊の背中に、両前脚をちょこんとのせています。
星野さんの写真から「宇宙の気配」を少しづつ感じていきたいと思います。
皆さんの「心の風景」は何処ですか。お教え下さい。
今年は明治元年(1868年)から150年に当たります。
安倍首相は官邸主導で「明治150年」関連施策を推進しています。
14日毎日新聞「記者の目」での東京学芸部栗原記者の「『明治150年』を考える」は読みごたえがある記事でした。
栗原記者は頭で、「他の時代と同じく、明治には国民にとっていいこともあったし、良くないこともあった。しかも、後者はいまだに当事者たちを苦しめている。その反省と問題解決を後回しにしたまま、「150年」を祝うことに、私は反対する。」と明確に指摘しています。
問題解決を後回しにした例として栗原記者は、沖縄戦の被害者を挙げて次のように書いています。
「補償されない人たちが2012年、国に賠償を求めて那覇地裁に提訴した。しかし、16年に敗訴。福岡高裁那覇支部の控訴審でも昨年敗訴した。高い壁になったのが『国家無答責の法理』だ。国や公共団体の賠償責任を定めた法律(国家賠償法。47年施行)がなかったことから、国が戦争行為による被害の損害賠償責任を負わない、とする論理だ。明治憲法の論理が21世紀になってなお、何も罪もない戦争被害者を苦しめていることを、国のリーダーたちはどれほど知っているのか。」
安倍首相は1月22日の施政方針演説で山川健次郎の例を挙げました。戊辰戦争で会津反の白虎隊士として政府軍と戦った山川がその後、東京帝国大の総長になります。安倍首相は「明治市エフは、国の未来のため、彼の能力を生かし、活躍のチャンスを開きました」と述べました。
栗原記者は、このエピソードの暗部を次のように指摘します。
「安倍首相が紹介した元白虎隊士・山川のエピソードだけ聞くと、明治政府の柔軟かつ寛容な姿勢のみが前面に出てくる。しかしそこでは触れられなかったが、敗戦後の会津藩士とその家族約1万7000人余は、青森県下北半島に移転させられた。23万石、実情は40万石と言われた石高は3万石にまで削られた。事実上の流刑で寛容とは言い難い。これも明治の一面であり、忘れていい歴史ではない。」
11日のしんぶん赤旗日刊紙の主張で「明治150年」が取り上げられています。これを引用します。
安倍首相は、施政方針演説で「明治という新しい時代が育てたあまたの人材が、技術優位の欧米諸国が迫る『国難』とも呼びべき危機の中で、我が国が急速に近代化を遂げる原動力となりました。」と力説しました。
日本歴史学協会は、今年の「建国記念の日」に関し次のような声明を出しました。
「薩摩・長州出身者に代表される『維新』の当事者たちを実際以上に高く評価して『明治の精神』なるものを標榜し、日本の近代を特定の立場から一方的に明るい歴史として考えていこうとする政府の方針には強い違和感がある」
しんぶん赤旗「主張」は次のように書いています。
「『明治150年」の前半が侵略戦争と植民地支配という負の歴史をもっていたことはまぎれもない事実です。そうした歴史に目をふさぎ、戦前と戦後の違いを無視して『明治精神』『日本の強み』を一面的に強調するのは、時代錯誤の歴史観というほかありません。」
明治150年の暗部の歴史も振り返り、未来の糧にしなければなりません。
明治150年を振り返るなら、平和と民主主義を創造していくことこそが教訓とすべきことではないでしょう。
「明治150年」。皆さんはどうお考えですか。