昨日は、県議会議長会主催の学習会に参加し、今日は、政府ヒアリングです。
東京に居る時は、可能な限り東京新聞を読むようにしています。
今朝の東京新聞は、「桜を見る会」の問題を丁寧に詳細に報じていました。
その中で、目をひいたのが、先日、「ミサイル基地いらない県民大集会」で記念講演をされた半田滋さんの「私説 論説室から」でした。
表題は「町追い込む地上イージス」。
「日本海に面した山口県阿武町。白松博之さんの白菜畑は、防衛省が同県萩市に配備を計画する対地空迎撃システム『イージス・アショア』から約二百メートルのところにある。防衛省によると、レーダーから半径二百三十m以内は人体への影響があり、危険という。白松さんは『息子に白菜づくりを続けろと言えない。農業をやめるしかない』。
「阿武町には発射する迎撃ミサイルの第一弾ロケットが落下する危険さえある。防衛省の担当者は萩市議会で『絶対に陸上に落ちないとは言えないが、弾道ミサイルがわが国領域に直撃することと比較すると被害は比べものにならない』と発言した。多少の犠牲はやむを得ないというのだ。阿武町の住民を守れない防衛省に国民を守れるはずがない。」
半田さんが、最後に引用された防衛省の担当者の発言は、過去の学習会の中で、繰り返し聞いてきた言葉でした。
改めて、この言葉を噛みしめなければならないと半田さんの今朝の記事を読んで感じました。
「周辺住民は犠牲になっても構わない」と受け取れる防衛省の発言に対し、命ある住民がそこにいることをしっかり防衛省に届けていかなければならないことを実感しました。
今日の政府ヒアリングからしっかり住民の声を政府に届けたいと決意を新たにする半田さんの記事でした。
半田さんすばらしい記事をありがとうございました。
この記事を、地元の皆さんにも共有して、引き続き運動を強めていきたいと思います。
改めて、萩市に配備が計画されている陸上イージスに対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
私と、日本共産党の三好睦子美祢市議、同山下安憲美祢市委員(美祢市議会議員選挙予定候補)は、11日、西岡晃美祢市長に対し、「美祢市立2病院存続の申し入れ書」「県管理下の施設の管理運営についての申し入れ書」を手渡しました。
右側が西岡晃美祢市長、左から三人目が藤本
まず、美祢市立2病院存続についてです。厚生労働省は、「再編統合の議論が必要な医療機関」として山口県内で14病院を公表しました。その中に、美祢市立病院と美祢市立美東病院と美祢市立2病院が入っています。申し入れ書は「美祢市は2病院があることで市民の命と健康、さらに多くの雇用を守り地域経済にも大きく貢献している」とし、市長に対し「公立2病院の存続を県や厚労省に申し入れ」を要請しました。
この問題に関し、西岡美祢市長は「改革を進めながら、市内の公立2病院は存続していきたいと考えている。」と述べました。
次に、県管理下の施設についてです。県が行財政改革の一環として移管などの方針を出した12施設の内、3施設が美祢市内にあります。その内、秋吉台国際芸術村と秋吉台青少年自然の家は「廃止」を含めた方針が、美祢市に示されたと報じられています。申し入れ書では、市長に、県に対し、今まで通り県で管理するよう求めることを要請しています。
この問題に関し、西岡美祢市長は「近く提出予定の山口県知事への要望書の中に、県有施設の存続の問題を含めたいと考えている。」と述べました。
その後、3人は、美祢市内の公立2病院の関係者、秋吉台国際芸術村の関係者、秋吉台青少年自然の家の関係者らと懇談を行いました。
中山間地域に住み続けることができる環境を維持していくのが行政の役割だということを痛感する一日となりました。
美祢市で起きている様々な問題を始め、県政全般に対する皆さんのご意見を引き続き、藤本にお寄せください。
昨日、「あの日のオルガン」を観るやまぐちの会主催の映画「あの日のオルガン」上映会に参加しました。
久保つぎこ著「あの日のオルガン 疎開保育園物語」を読んでいましたので、楽しみ一杯で観劇しました。
原作を読んだ映画は、期待外れの作品が皆無ではありませんが、この作品は、原作良し、映画はもっと良しでした。
ドラマ「少年寅次郎」以来、私の涙腺は崩壊したままになっているのか、この映画は、最初から最後まで泣きっぱなしでした。
私が過去観た数百本の映画の中でも、最高に泣いた作品だと断言できます。
やはり、子どもたちの素のような演技に泣かされ続けでした。
疎開先に親たちが慰問に来て、久しぶりに出会うシーン。
東京の空襲で親たちが亡くなり、その事を子どもが受け止めるシーン。
涙腺崩壊です。
戸田恵梨香さん、大原櫻子さんの演技も良かったのですが、個人的には、佐久間由衣さんの演技が良かったです。
佐久間さん演じる好子の最期は、ネタバレになるので書かないようにします。これも涙です。
佐久間さんは、朝ドラ「ひよっこ」以来、注目していますが、演技がとても良くなっていると思いました。
これからも大いに応援していきたい女優さんの一人です。
疎開保育園の存在を通して、戦争の悲惨さを描き出した監督の平松恵美子さんに拍手を送りたいと思います。
山田洋次監督の「母べえ」「小さいおうち」「母と暮らせば」は、この映画と同じ戦争がテーマの一つですが、平松さんは、全て共同脚本を務めています。
山田監督の元で、平和について考え続けてきた平松恵美子さんの満を持した作品が「あの日のオルガン」だと思います。
一人でも多くの方にこの映画を観ていただきたいと思います。
映画の最後に流れたアン・サリーさんの「満月の夜(2018ver9)」がこれまた最高でした。
映画を観た帰り、彼女の声が脳裏から離れません。
彼女は、在日韓国3世であり、現役の医師でもある方です。
アン・サリーさんは、各地のお寺でもコンサートを開いておられます。
様々なご縁を感じました。
早速、「満月の夜(2018ver9)」も入った、最新アルバム「森の診療所chapter2」を注文しました。
彼女の歌声が聴けることを楽しみにしています。
近い将来、彼女のコンサートに行けることを楽しみにしています。
9月議会、決算特別委員会、会派視察と、大きな仕事が続いていましたが、久々に観た映画から多くの刺激を受けることが出来ました。
私にとって、映画を観る時間が至福のようです。そのことを確信する時間でした。
これから上映を楽しみにしている映画は、西京シネクラブ11月例会、11月30日(土)に上映予定の「工作 黒金星と呼ばれた男」です。
広告に「『タクシー運転手』『1987、ある闘いの真実』に続く衝撃作!」とあります。
今、韓国で、戦後史の真実に迫る秀作が相次いで上映されています。
「タクシー運転手」「1987、ある闘いの真実」両方を観た私は、「工作」を観ない訳にはいきません。
今月末の映画を観ることを楽しみに、今日は、美祢市、明日から東京と仕事に励みたいと思います。
皆さんがご覧になった最近の映画のお話をお聞かせください。
11月2日、第49回日本PTA中国ブロック研究大会広島市大会が開かれ、宇部市PTA連合会の皆さんとバスで参加しました。
記念講演は、戦場カメラマンの渡部洋一さんでした。テレビでお馴染みのゆっくりした語りの中から、平和を希求する確かなメッセージが伝わるいい講演でした。
渡部さんは、講演の中で、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの事を話しました。
私は、マララさんの顔が即座に浮かびましたが、マララさんの詳細については不理解のままでした。
渡部さんが語るマララさんの話に感動し、宇部市に帰り、大きな書店で、マララさんに関する本を探し購入したのが、「武器より一冊の本をください 少女マララ・ユスフザイの祈り」です。
この本は、イタリアのジャーナリスト、ヴィビイアナ・マッツァさんが書かれたマララさんの物語です。
本の背表紙にこの本の概要がこう書かれています。
「2012年10月9日。15歳の少女が通学途中に襲撃にあった。少女の名は、マララ・ユスフザイ。ただただ、勉強がしたいと願う少女だった。奇跡的に生き抜くことができた一人の少女が、今、全世界に訴える。『すべての人に平和と教育を。教育こそただ一つの解決策。」
パキスタンで生活するマララさんは、普通の15歳の少女。タリバンは、ついに女性の教育を受ける権利を奪います。
SNSで、教育を受ける権利を認めるよう求める主張をしていたマララさん。ついに、タリバンに特定され、マララさんは銃撃に会います。
マララさんは一命をとりとめ、イギリスで復学し、教育を受ける権利と表現の自由を、以前にも増して訴えます。
マララさんが2013年に行った国連での演説がこの本に掲載されています。
「わたしは撃ったタリバン兵さえ憎んでいません。銃を持つわたしの目前に彼が立っていたとしても、わたしは撃たないでしょう。それこそわたしが慈悲深い預言者マホメット、イエス・キリスト、そしてお釈迦様から学んだ思いやりの心です。それこそわたしがマーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、ムハンマド・アリ・シンナーから受け継いだ変革の伝統です。それこそわたしがガンジー、バシャ・カーン、マザー・テレサから学んだ非暴力の哲学です。そしてそれこそ、わたしが父と母から学んだ寛容の心です。私の魂から『平和を愛し、万人を愛しなさい』という声が聞こえてきます。」
そして、スピーチで彼女は最後に、こう訴えます。
「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、何百万人もの人が貧困、不正、無知に苦しんでいることを忘れてはなりません。何百万人もの子どもたちが学校に通えない現実を忘れてはなりません。わたしたちの兄弟姉妹が、明るく平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはならないのです。ですから、本とペンを手に取り、全世界の無学、貧困、テロに立ち向かいましょう。それこそわたしたちにとって最も強力な武器だからです。一人の子ども、一人の教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えられるのです。教育以外に解決策はありません。教育こそ最優先です。」
この演説は、マララさんの16歳の時のものです。
信じられないほどすばらしい知性と確信です。
これからもマララさんからしっかり学んでいこうと思います。
私は、山口県議として、県内のこどもたちにゆきとどいた教育がいきわたるように、力を尽くしていきたいと決意を新たにしました。
マララさんへの皆さんの想いをお教えください。
イージス・アショアの問題などを学んだ秋田県視察の帰り、秋田空港の書籍コーナーで、キャロル・グラックコロンビア大学歴史学教授の「戦争の記憶 コロンビア大学特別講義-学生との対話-」を購入して、帰りの飛行機から興味深く読み進めています。
グラック教授が、様々な国籍の学生と「戦争の記憶」をキーワードに語り合う特集が「ニュースウィーク日本版」に掲載され、それをまとめたのが本書です。
対話の章の終わりにグラック教授の感想やコラムが書かれています。
「コラム2慰安婦が世界にもたらしたもの」は極めて印象に残る内容でした。
グラック教授は「法律、証言、権利、政治、そして責任-この5つの領域を変化させたという意味において、慰安婦の記憶は、アジア内にとどまらず世界中で影響を及ぼすようになった。」と述べています。
第一の法律に関し、グラック教授は、次のように述べています。
「1998年に採択された国際刑事裁判所のローマ規程をもって強姦を『人道に対する罪』と宣言した。そこに至るまでの議論では、法曹や法学者、人権活動家らが、20世紀の戦争につきまとう女性への性的暴力の例として『慰安婦』に頻繁に言及していた。」
第二の証言に関し、グラック教授は、次のように述べています。
「歴史家が長い間、歴史的事実を証明するために証拠として頼っていたのは記録文書だった。個人の記憶というのは不完全かつ主観的すぎて、歴史を描く上での確かな情報源にはなり得ないと考えられていた。」「日本の裁判所は元慰安婦が訴訟を起こすと繰り返し賠償請求を棄却してきたが、なかには、彼女たちの証言の内容は『反論の余地のない歴史的証拠』であると認めた裁判官もいる。慰安婦たちがひとたび長い沈黙を破ったとき、それは我々が過去を認識する方法を変える助けとなった。私的な物語が、公的な力を持ったのだ。」
第三の権利に関し、グラック教授は、次のように述べています。
「元慰安婦は記憶も人権の一つだと主張していた。この『記憶の権利』は、数十年前に南米で注目され、2006年に国連が『真実を知る権利』として主張した。」「自分たちの経験について若い世代に伝え、受け継いでいくことを求めた。この過程で、年老いた慰安婦たちは沈黙から主張へ、見えない存在から記憶の権利ある市民へと、歩み出した。」
第四の政治について、グラック教授は、次のように述べています。
「第二次世界大戦が終結して以降、記憶の政治に変化が起こり、そこで新たに生まれた規範や期待によって、私が呼ぶところの『世界的な記憶の文化』が形成された。元慰安婦も、今やこの文化の一部である。認知、補償、そして謝罪は現在、世界的な記憶の政治において一般的な要求となっている。」「慰安婦は東アジアだけではなく、世界のあちこちで政治問題化した。ヨーロッパ・アメリカの指導者たちは日本政府に対し、かつて慰安婦に行った不当行為を認めるよう求め、慰安婦像は北米、ヨーロッパ、中国などの各地で繁殖し続けている。」
第五の責任に関し、グラック教授は、次のように述べています。
「当初、戦争責任を問われたのはヒトラーのような邪悪な指導者だった。ところが後になって、『上官の命令に従っただけだ』と主張する人々にも『組織的な罪』が割り当てられるようになった。さらに時を経て、一般の人々でさえも、当時の政治の流れに逆らわないよう何もしなかっただけだとしても、責任があるとされるようになった。」「慰安婦の問題についてわれわれ市民に課せられた責任、それは、女性の人権を守るために、また現在において女性に対する性的暴力を防ぐために、過去から学ぶ点である。この責任はなにも日本に限ったことではない。慰安婦の記憶と同様、女性に対する責任も世界に共通のものとなっている。」
グラック教授は、このコラムをこう締めくくっています。
「元慰安婦は、経済的に貧しく力を持たない年老いた女性であることが多く、アジア各地に散らばっており、同じ国に住んでいるわけでも、お互いに知っているわけでもなかった。だが彼女たちは、声を上げる勇気をもっていた。そして多くの支援者の助けを得ながら、女性の権利、性的暴力、戦時・平時の両方において市民に課せられた責任について、法的、社会的、政治的、道徳的な理解を変えることに寄与した。これが、慰安婦が世界にもたらした変化だ。」
慰安婦問題の意義をこれだけ掘り下げ世界的な変化と位置付けた文章を私は初めて読みました。
慰安婦問題が、世界を変え、民主主義を発展させているとのグラック教授の論説に勇気が湧いてきました。
一つ一つの問題を掘り下げていく重要性を痛感しました。
引き続き、。グラック教授から多くのことを学びたいと思います。
グラック教授に対する皆さんの想いをお教えください。
GLAYの最新アルバム「NO DEMOCRACY」を聴いています。
「反省ノ色ナシ」「戦禍の子」「元号」
社会的メッセージに心を打たれました。
「反省ノ色ナシ」
「ご指名をいただきました 元秘書の亀田と申します 先生は何も知りません 私が全部かりました 後悔しているんだろう? 前ほど威勢がないな 人として生きてゆくなら 真実を今語るんだよ」
辞任した大臣らのことを彷彿させます。
「戦禍の子」
「国を奪われ家族とはぐれ 国境を目指す民に 機関銃 愛という字の真ん中に 心を置いた者が言う 愛は心を捨てたんだ 心はとうに死んだんだ」
先日、日本PTA中国ブロック研究大会広島市大会の記念講演で戦場カメラマンの渡部陽一さんのお話をお聞きしました。
渡部さんは「世界を知る事は 家族を守る事、子どもたちを守る事」とおしゃっていました。
渡部さんの戦場での子どもたちの写真がこの曲を聴きながら脳裏に浮かびました。
「元号」
「民衆が口にする絆はどれだけ強いというのだろう? 弱い者達を見捨てた時の苦味は今も淀みのようだ 心から憎むもの そのすべてをあなたが取り去ったとしても その後でまた僕らはどこからか弱者を探し出し弾く」
「かつて僕たちは人生の舵を預けていました 放棄していました 誰も誰かの人としてあるべき尊厳を 奪えはしないのだ 新しい元号の下で」
民主主義の花開く時代を開こうとのGLAYの叫びがひしひし伝わる作品です。
「時代」を歌うアーティストが少なくなった中、GLAYの存在は大きいものがあると感じます。
GLAY25周年を契機に、GLAYに注目していこうと思うアルバム「NO DEMOCRACY」でした。
GLAYファンの皆さん 好きな楽曲をお教えください。