万倉で産廃施設建設の動き
自治会連合会で反対は合意済み
宇部市万倉で、産業廃棄物処理施設建設の動きが活発になっています。この計画は、楠地区自治会連合会で反対の意思がされているものです。
今、県内の産業廃棄物最終処分量は激減しています。県循環型社会形成推進基本計画は、その量を更に減少させる目標を掲げています。
宇部小野田地域の産業廃棄物の残余容量は、H十八年度末で、百六十六万立方メートルあります。更に、今年度後半に、受入容量七十三万立方メートルの東見初広域最終処分場が稼動します。一方、H十五年度の宇部小野田地域の産業廃棄物の最終処分量は、十九万トンです。この量で推移したとしたら、産業廃棄物処分場は、約十二年間維持できます。
産業廃棄物最終処分量激減の中、他地域より多い産業廃棄物処理施設の残余容量がある宇部小野田地域に新たな施設が必要でしょうか。
日本共産党は、産業廃棄物建設反対の住民の合意を応援します。
自治会連合会設置の看板
後期高齢者医療の中止を申し入れ
自民、公明政権が強行した後期高齢者医療制度が一日より、スタートしました。県内では、二十二万人に「保険証」が届けられました。
日本共産党山口県地方議員団は、三月二十七日、同制度を運営する広域連合に、中止・撤回と改善を求めて申し入れを行いました。
県広域連合へ申し入れ行う
2月県議会報告シリーズ②
道路特定財源問題について
藤本県議は、二月十八日に県と県道路利用者会議、道路整備促進期成同盟山口県地方協議会の三団体の主催で開かれた「道路の整備促進を求める山口県総決起大会」について質問しました。県土木建築部長は、主催した県以外の二団体の事務局が山口県のなかにあること、大会の運営にあたったスタッフのすべてが県職員であったことを明らかにしました。藤本県議は、「これは、県丸抱えの大会ではないか。」と質しました。二井知事は「決起集会は、それぞれが役割分担しながら対応した」と答えました。
藤本県議は、関門海峡道路が国土形成計画に盛り込まれなくても必要と思うかと質問しました。県土木建築部長は、「現在、国に対して、国土形成計画に位置づけられるよう、意見や提案を求めているところであり、国土形成計画に盛り込まれない場合について、現時点では想定していない。」と答えました。
一気
宇部市の農業委員さんに日本共産党が発表した「農業再生プラン」を届けて回りました▼「私が生まれた六〇年代は、八〇%あった食料自給率が今日四〇%を割っています。食料と農業を守る問題は、国を守る問題です。」「米一俵、一万七〇〇〇円以上の生産者価格を実現します。現在の米価との差額を埋める『不足払い制度』の創設を提案しています。」と私は、語りました。お会いできたどの農業委員さんも、私たちの提案への異論はありませんでした。異論があったのは、今の自民党農政です▼「品目横断対策などと言いながら、まったく私たちの実態を理解していない。」など一つ一つの言葉に頷くばかりでした▼私は、農業委員さんとの対話を通じて、価格保障による、暮らしていける農業の確立なくして、日本農業の再生はないことを痛感しました。
今日は、美祢市議選挙の応援で終日行動していました。そして、3時過ぎに「厚東川通信」を完成させるために、宇部に向かっていました。そうだ、太極拳教室の会場費を払おうと、宇部市野球場に向かっている途中、携帯電話が振動します。急いで車を停めて出てみると保育園からです。今日から、保育園を卒業した小学生が集まって合宿を行っており、我が家の男子三兄弟も参加していました。電話は、次男が骨折したというものでした。次男と言えば、先日は、喉に魚の骨が刺さり山大医学部で抜いてもらったばかりですが、今度は骨折です。手術するかも知れないので、親の同意が必要ということでした。
急いで、野球場で支払いを済ませ、次男が治療を受けている山陽小野田市のO整形外科に向かいました。渋滞に巻き込まれながら5時過ぎにようやく病院に到着しました。すると、神妙な次男の姿。「お父さんも、小学生の頃、ロケット飛びを失敗して、足にヒビが入ったことがあるよ。男の子はこんな事があるあるものだよ。」と元気づけました。
本日の手術はなく、念のために、明日、小野田労災病院で専門の先生を受診することになりました。
妻は転職したばかりで、今、研修中です。明日は、私が、次男に同行します。春休みが幸いしましたが、利き腕の右手首の骨折ですから、新学期も一時不自由でしょう。そうそう、次男は、今度の日曜日は、空手教室の昇級試験を受ける予定でした。可哀相ですが、無理のようです。次回の受験となりそうです。
次男を家に送り届け私は、事務所に向かい、ようやく4月1日付けの「厚東川通信」を完成させました。帰ってみると次男は寝息をたてていました。
今日も激動の一日でしたが、いいこともありました。そうです。今日で、我がブログ、アクセス数4万件突破です。本ブログに対する皆さんのご愛顧に心から感謝しつつ、今日のキーを打ち終えたいと思います。
新年度が音を立ててやってきました。今年は、特にその音が大きいようです。後期高齢者医療制度スタートの苦悩の音。穀物高騰の影響による様々な商品の値上げの悲鳴。そして、ガソリン値下げの喜びの声などなど、様々な声が聞こえてきます。いずれにしても、国民の暮らしの安定のために政治がしっかり働く春にしたいと決意を新たにしています。
さて、新年度スタートの一日の締めくくりは、太極拳教室でした。今日は集まりもよく、楽しく真剣な教室となりました。
そして、私が代表をしている日本中国友好協会宇部支部が共催して中国語講座を5月からスタートさせることが決まりました。詳しくは、本ブログ、インフォメーションに書いたとおりです。太極拳教室の会員である上田さんのご尽力で月1回で教室を開きます。関心のある方はご参加ください。私も少しづつ学んでいこうと思います。
出会いが広がる春です。みなさんはいかがですか。
昨日、妻と子どもたちが妻の実家から帰ってきました。
今日、仕事から帰り、夕方は、まず、新入学の三男の教材を買いに行きました、仮入学の時は、最小限の教材購入にしたので、買い足しです。二度手間でした、反省しています。お道具セットの名前書きがこれからの私の仕事です。時間をみつけて早めにしましょう。
そして、次男の空手教室の送り迎えをしました。迎えに行った時、東岐波道場の責任者の方に話しかけられました。新年度から川上地域のある自治会館で、新しい教室がスタートすることになったという報告でした。会場の選定と交渉には私も関わったので、感謝されて私も嬉しい限りです。最近、自らの空手の鍛錬はさぼりがちですが、このような形で道場に協力できてよかったと思っています。
そして、家に帰ると、米の精米を頼まれました。我が家の米は、わが実家で作った米です。玄米で保管しているので、精米に行きます。幸い、歩いていける距離に精米所が出来たので、長女と三男と私と三人で、小雨の中、精米に行きました。
こうして、激動の我が家の日常が戻ってきました。
そうそう、ホームセンターで、「しょうが」と「みょうが」を買ってきました。庭の草を抜いたあと、畑に植えたいと思います。我が家の春が、ガタゴトと賑やかにやってきました。
我が家の庭には、前に住んでいた方が植えられ木が残されています。もちの木と柿と桜。この桜は、私が両手を広げた位の直径で、毎年りっぱな花を咲かせます。我が家の桜の蕾もようやくほころんできました。
桜は春の訪れを知らせてくれる「喜び」の象徴であると同時に、「別れ」の象徴でもあります。それは、桜が年度替わりの時期に咲く花だからでしょうか。春は出会いと別れの季節です。また、桜は、裸木からいきなり花を付ける大胆さとその花が全て散る潔さがある木です。その花が散る様子は、「別れ」そのものです。
ですから、桜を見ると、「喜び」と「悲しみ」が同時に去来します。
今日は、今からSさんの葬儀に参加します。Sさんは、私が24才で、市議会議員に立候補を決意して、厚南地域の日本共産党後援会を再構築した時の創立メンバーのお一人です。Sさんは、いつも飄々として、皆の議論をいつも傍らで見守り続けるような方でした。それでいて、酔うとシャンソンを歌われたり、詩を創作される、とても粋な方でした。細身の総髪で、いつまでも若々しかったSさんとお別れするのはとても残念です。
私も市議会議員に立候補を決意して、20年になります。あの当時から私を支えてくださった。Nさん、Tさんも天国に旅立たれました。そして、Sさん。だんだん淋しくなります。あれから20年と言っても私は、まだ40代。Sさん、この先も天国のNさん、Tさんと一緒に私を見守り続けてください。Sさん、この20年間、本当にありがとうございました。
Sさん、ほころんだ桜とともにお別れいたします。
今日、午前中は、残していた実家の田を耕しました。この田は、昨年の作業中に、トラクターが転倒したところで、かなり緊張しましたが、今日は、少々タイヤがはまったものの、無事に作業を終えることができました。
午後は、時田宇部市議と一緒に、宇部市の農業委員さんに日本共産党が発表した「農業再生プラン」を届けて回りました。
旧楠町の全ての農業委員さん宅を訪ねました。「私が生まれた1960年代は、80%あった食料自給率が今日40%を割っています。食料と農業を守る問題は、国を守る問題です。」「米一俵、1万7000円以上の生産者価格を実現します。現在の米価との差額を埋める『不足払い制度』の創設を提案しています。」と私は、語りました。
お会いできたどの農業委員さんも、私たちの提案への異論はありませんでした。異論があったのは、今の自民党農政です。「品目横断対策などと言いながら、まったく私たちの実態を理解していない。」「今のままの経営を応援する農政が必要だ。」「自動車を海外に売りつけるためのつけが私たちにきている。」「生活していける価格にしないと農業は継続しない。」などなど、一つ一つの言葉に私たちは頷くばかりでした。
「私たちの提案は、党派を超えた、これらの日本の国づくりにとって重要なものだと思います。」と、私は、自信を持って語りました。私は、今日の宇部市農業委員さんとの対話を通じて、誰が政権を取っても、価格保障による、暮らしていける農業の確立なくして、日本農業の再生はない、ひいては、食料自給率の向上はないことを痛感しました。
来月、4月1日、2日、3日は、美祢市の農業関係者の方々に、日本共産党の「農業再生プラン」を届けます。私も農家のはしくれとして、大いに、山口県の農業者の方々と農業の未来を語り合いたいと思います。