藤本かずのりサポーターズ はじめました

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「街の歌が聞こえる」

 昨晩、演劇で宇部を元気にする会の音楽劇「街の歌が聞こえる」を小学生の息子二人と観ました。私は、大学を卒業して宇部市に住みだして20年以上となりました。生まれた楠町も宇部市になりましたので、まさに、宇部市が私の古里です。原作を書かれた陣内大蔵さんは、私より年が一つ下ですから、私は、彼と同時代を生きてきました。宇部の中心街には、3ヶ月に1回程度、買い物に来る位だったのですが、中央大和前やダイエー前あたりは、大変な賑わいだったことを私も覚えています。まさに肩と肩とが触れ合う賑わいでした。

 陣内さんお父さんは、緑橋教会の牧師さん。今は教会は新しくなっていますが、当時は、古いままだったようです。私は残念ながら記憶がありません。陣内さんが中学1年の当時の教会が舞台です。教会にやってくる人々との出会い、結びつきで劇が進行しますが、その暖かさに後半は目頭が熱くなる場面がいくつかありました。

 出演者もほとんどが宇部市の方々。「演劇で宇部市を元気にする」という願いが実った劇となったのではないでしょうか。

 今後も市民の一人としてこのような企画は大歓迎です。今後、私の子どもの中から一人くらいは、演劇に関わるものも出るかもしれません。何せ4人ですから確率は高いのです。

 それはさておき、本当に心温まるひとときをありがとうございました。私に連れられていった感たっぷりの子どもたちも帰りの車の中では、はしゃぎながら感想を交互に言い合っていました。

 

岩国市長選挙の結果について

 私たちが、「住民投票を力にする会」と連携して支援してきた井原前市長が、1780票という僅差で落選しました。私は、告示後、三日間応援に岩国に行きましたが、悔しいというのが率直な感想です。これほど選挙結果に対して悔しいと思った選挙は過去なかったと思う程、悔しいです。

 この結果を受けて、岩国の世論は変わったと一部報道されていますが、私は変わってはいないと思います。朝日新聞は、「福田氏に投票した人のうち艦載機移転に賛成は3割」と報道していることがこのことを裏づけています。私たちは、この市長選挙で築かれた市民との共同を更に発展させ、艦載機移転をゆるさないたたかいを大きく前進させたいと思います。

 市民の暮らしの深刻さや地方切捨ては、自民党政治が作ったものですが、自民党国会議員としてそのことを進めた責任は、棚上げして福田氏は、あたかもそれは、井原市長の責任かのような論戦を行いました。この論戦の誤りが打ち破れなかったことが、もう一つ悔しい点です。

 福田氏は、「小中学校の耐震化を5年以内に実現する」「保育園料や児童の医療費や給食費の値下げまたは無料化」を進めるなどと公約しました。この公約が本当に実現できるのか今後注目しなければなりません。

 そして、何よりも、艦載機移転は、「国いいなりになるつもりはありません。」と公約しています。この公約が実現できるのかが今後の最大の課題ではないでしょうか。

 もし、この公約が実現できないのなら、岩国の新たなたたかいが始まるのだと思います。

中学生からのメッセージ

 本日、第10回西宇部校区人権教育推進大会が開かれました。私は、今年度から小学校PTA選出枠で校区人権推進委員を務めています。その関係で、この大会に初めて参加すると同時に駐車場係りとして準備も担当しました。

 本大会のメインは、「中学生からのメッセージ」です。厚南中の1年生2名、2年生3名、3年生3名、計8名が人権をテーマに各10分程度のスピーチを行いました。私は、どのスピーチからも感銘を受けました。どんな著名な講師の話しよりも、まさに、「中学生からのメッセージ」に打たれました。

 ある中学生は、「人間が人間を認めていない」状況が、戦争やいじめを引き起こすとして、「人権」の本質をズバリ言い当てるスピーチを行いました。

 高齢者・障害者・子どもを取り巻く人権問題の深刻さを真正面から論じるすばらしいスピーチが続きました。子どもたちは、人権が侵害される状況を肌身で感じているのです。一方で、このように中学生にメッセージさせてしまう環境を作ってしまった大人の責任を今一度考え直さなければならないと感じました。

 「しかたがない。が一番いけない。」とある中学生が訴えました。これも澄んだ瞳ゆえの発言です。

 「人間が人間を認めない」状況を「しかたない」と放置しないで、出来ることから改めていく努力が、一人ひとりの大人に求められています。

 それにしても、「中学生からのメッセージ」から今晩の岩国での選択の結果を気にしないではいられない私が居ました。

「ぼく」は「ぼく」に

 ひとりはひとりのために

 結局

 何もできない と

 悔いに似たかなしみは

 横に置き

 一つの旅をはじめよう

 探索・希求・統合

 そしてまた希求の

 けっして終わることのない旅へ

 いつかみずからも

 美しい風景になりたい と

 ささやかな望みを持ちながら

 あふれる涙を小脇にかかえて

 ぼくらは走る

 たったひとりの

 ファンタジーから

 たくさんの人々の

 ファンタジーへ向かって

 夢みながら ぼくらは走る

 

 「ぼく」は「ぼく」に

 あくまでこだわりながら

 たくさんの「ぼく」と

 ネットワークする

 「ぼく」と

 共に生きる

 その繋がりの中で

 ぼくらは街を変える

 やがて見えるだろう

 今ある日本ではなく

 もう一つの日本を

 

 この詩は、鎌田實・高橋卓志著「行き方のコツ 死に方の選択」(集英社文庫)から引用しました。この詩は、著者のお二人が取り組んでおられる「全国ボランティア研究集会」プロローグメッセージです。

 私は、二日間、岩国市に滞在し、数百人の市民の方々と電話で対話しました。帰りの電車で読んだこの本のこの詩が、今の岩国にぴったりだと思い引用しました。

 「ぼく」が「ぼく」になれるかどうかの選択が明日の岩国の選択だと思います。

 昨日参加した集会で、元国立市長の上原さんは、「一部の人を犠牲にした幸せというのはあるのか」と参加者に問いかけました。「ぼく」を犠牲にするのかしないのかが明日の岩国の選択です。

 岩国が「ぼく」が「ぼく」になる選択をすれば、「今ある日本ではなく もう一つの日本を」作る大きな一歩になると確信します。

三男の手の腫れ

 一昨日、整形外科の夜間診療を受けた三男の手の腫れの続報です。当番医の先生にレントゲンを撮っていただきましたが、骨に異常はないということでした。昨日の朝は、当該部分の腫れは広がらなかったものの、反対の手の人差し指や小指が少々腫れています。

 保育園に子どもを送っていくと、朝の担当のN先生が、「これは、しもやけじゃないの。」と言われ、目から鱗が落ちる想いでした。大変誠実に診断していただいた整形外科の先生には感謝しつつ、原因が分からず、もやもやしていた気持ちが晴れました。

 子育てとは、いろんな人に支えられているものだということを実感しました。子育ては、回りの方に頼ったほうが、上手くいくことを10年目にして今更ながら実感しました。

 今日は、今から岩国です。明日いっぱいまで滞在します。以前のブログで、昨日と今日が岩国と書きましたが、訂正します。

 昨日は、PTAの役員会が午前中ありました。夕方は、次男と久しぶりに空手の道場に行きました。よかったことは、ここ数日の柔軟体操の成果が少し出てきたことです。少し体が柔らかくなっていました。大変だったことは、組手があったことです。白帯ですが、やはり20代以下の方とやるときは緊張します。3人の方と組手をやりましたが、無事に怪我もなく終えることができました。空手は組手で終わるといいますが、なかなか上手くいきません。更なる探求がいることを毎回痛感させられます。

 武道も子育てに通じるところがあるのかも知れません。いや、何事もそうなのかも知れません。やはり手抜きをせず、日々の誠実に努力する事が何事においても大切なのでしょうね。

 

 

曽我六郎さんからの手紙

 時実新子さんのパートナー曽我六郎さんから手紙が届きました。新しい会誌を発行したいというものでした。

 時実新子さんの「川柳大学」は、1996年2月号からスタートしました。昨年3月に時実さんが亡くなられ、07年8月号をもって終刊となりました。私は、02年2月に会員となり、一緒に歩んできました。

 川柳大学も終刊となり、私の川柳を作る心にぽっかり穴が開いたようになり、しばらく作句もせずにほうけていました。昨年末位から「もう一度、川柳に取り組もう」という気持ちが芽生え、今は、五平太川柳会とあかつき川柳会への投句を再開しています。

 曽我さんの手紙には「川柳家として拠るべき場を欲する方は、曽我六郎までハガキでご連絡ください。」とありました。とても嬉しい言葉です。やはり川柳を学び、高める場を自分自身が求めていたことがわかりハガキを書きました。

 「季刊あるいは隔月刊にて、この4月創刊をと考えております。」で手紙は結ばれています。新しい会誌が送られてくるのを今から楽しみにしています。