議員日誌

小説「鶴彬」

 30才になった頃、時実新子さんをラジオで知り、川柳と出会いました。そして、時実新子さんの本で、反戦川柳作家・鶴彬の存在を知りました。

 そして、澤地久枝さんが復刻された「鶴彬全集」をはじめ鶴に関する本は、手に入れ読んでいました。

 それでも、生きた鶴をこれまで感じることは出来ませんでした。

 この程読んだ、吉橋通夫著「小説鶴彬・暁を抱いて」は、悩み苦しみ喜ぶ鶴彬の姿が生き生きと描かれいました。

 これが、小説の力なのでしょうか。

 赤旗日刊紙のこの本の書評で、あかつき川柳会の岩佐ダン吉幹事長は、「やっと『生の彬』に会えた」と書いていますが、全く同感です。

 この小説には、これも私にとっては歴史上の人物でしかなかった萩市出身の井上剣花坊が登場します。剣花坊が豪快に笑い、生きているのです。

 更に、この小説には、吉川英治も登場します。彼は若い時「雉子郎」の柳名で、井上剣花坊が和尚を務める「柳樽寺川柳会」の一員であったことは有名です。

 剣花坊が亡くなり、妻の「井上信子を励ます会」であいさつをした吉川英治の姿が小説に登場するのです。

 鶴は、評論にも長けた人物でした。

 「川柳はすでに通俗的ユウモアの諷刺短詩ではなく、厳粛な現実批判の諷刺短詩である。その諷刺性は、わずか一呼吸の短い時間にうたい完了せねばならないといふ制約のために、もっとも短く鋭い、寸鉄殺人的諷刺であり得るであらう。何よりも印象的な簡潔さと発條(バネ)の如き圧搾的弾力をはらむ、手榴弾の詩であり、勤労大衆の胸に、おぼえられ易い言葉と音律をもってとび込んで行く寸劇詩であり得よう」

 鶴は、このような文章を戦争に向かう時代に、わずか26才(1935年)で発表しました。このような文章を発表したが故に、特高警察にねらわれ、その時の拷問が影響して、鶴彬は、それから3年後の1938年29才で永眠します。

 鶴彬の人生は、まさに川柳のように鋭く短いものでした。引用した鶴の評論も、ただ文章だけでは、十分な理解が出来ませんでしたが、小説の中で、生きた鶴が語る形で紹介されると、私の胸に彼の文章が撃ち込まれてきます。

 私はこの小説を読んで「今一度、鶴が人生を賭けて励んだ川柳を私も大切にして生きていこう」と決意を新たにしました。

 暁を抱いて闇にゐる蕾

 この句は、鶴彬の句の中で私が一番好きな句です。

 鶴彬生誕100年。没後70年。今を生きる私たちを励まし続ける鶴彬の句を一人でも多くの方に知っていただきたいと思います。

 小説「鶴彬」一人でも多くの方に読んでいただきたい作品です。

 小説「鶴彬」に続いて神山征二郎監督の映画「鶴彬」が完成しました。

 今度は、映像で鶴彬に会えます。山口県で上映会をやりたいですね。

 その時は、皆さんご参加ください。

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