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「望まない異性介助」がなくなる社会を望みます

 5月15日、しんぶん赤旗日刊紙は、「望まない異性介助」と題する次の記事を掲載しました。
 「障害のある人が、排せつや入浴の介助を異性の職員から受けるー。『異性介助』は尊厳の傷つきや苦しみがあると、当事者は訴えます。現状と求められることは何か、DPI女性障害者ネットワークの学習会で報告がありました。『筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト女性ネットワーク』メンバーで、日本自立生活センターの岡山祐美さんの話から紹介します。『望まない異性介助』による尊厳の傷つきを訴える声は、特に女性から多くあがっています。異性介助は、全身の筋力が低下する筋ジストロフィー患者等の長期入院病棟、重症心身障害児・者の病棟や施設、高齢者介護では当たり前に行われています。当事者が拒否しても行われる場合もあり、意向確認が困難な場合はより配慮されていないのが実態です。筋ジス病棟に入院している当事者への実態調査では、『入浴介助に初めて男性が来たときは泣いた』『女性にしてほしいと要望しても聞き入れてもらえない』『男性スタッフからのわいせつ行為だったかもしれないという経験がある』との声があがっています。一般病院に入院した人からも、『同性介助の希望を訴えたにもかかわらず、人員不足を理由に異性に陰部洗浄をされた。声かけもなくおむつをはがされ、屈辱的な思いがした』などの声がありました。『いやだ』と感じながらも同性介助の希望を言い出せなかった経験、状況を受けいれざるえない苦難の声も寄せられています。厚生労働省は、同性介助の状況について、生活介護、障害者支援施設、短期入所、療養介護のそれぞれの事業所を調査しています。特に、筋ジス患者などが利用する療養介護では、女性利用者の排せつや入浴を『同性介護に限定している割合は2割前後と非常に低いです。『希望者には原則同性介助を実施』が一定割合ありますが、希望を言えない人も多いので、これは同性介助ができているととらえるべきではない、と考えます。背景には、医療や福祉現場の人手不足と認識不足があります。しかし、人手不足だから仕方ないのでしょうか。人手不足で疲弊しながらも現場を支え続ける看護師や介助者。それを受けて希望を制限され、言えなくてされる障害者。より弱いところへしわ寄せがいく、この構造を放置するのはおかしいと思います。そして、障害者だから仕方ないのでしょうか。適切な介助を得て、日常生活を送ることは人としての権利です。『世話になるのだから受け入れるべきだ』との考えは、障害者への差別であり虐待です。『プロとして真摯に介護している人に失礼だ』と言われることもありますが、性的な部分での尊厳の傷つきを感じた障害者の人権はどうなるのでしょうか。必要なのは、現場の人で不足の解消、障害者の人権の保障・権利擁護、法制度の整備です。『異性介助がいや』という話の裏には性暴力があるかもしれません。性被害の問題として対応する相談窓口も重要です。厚労省の『障害者虐待の防止と対応の手引き』は、『本人の意思に反した異性介助を繰り返す』ことを心理的虐待と定義しています。また、『性的虐待防止の取組』として『特に女性の障害者に対しては、利用者の意向を踏まえ、可能な限り同性介助ができる体制を整えること』を求めています。4月から適用の障害者福祉事業所に対する厚労省通知でも、介助にあたり『本人の意向を踏まえたサービス提供体制の確保に努めるべき』と明記されました。しかし、意思を言えない場合もあります。本心を示せる状態で、丁寧に意思や意向を聞くことを義務化してほしいと思います。知的障害などで意思のくみ取りが困難な場合も、できる限り検討・推定されるべきです。同時に、現状では心理的虐待とされる『望まない異性介助』は本来、性的虐待としても救済されるべきだと考えます。性的なな傷つきや苦しみを負うことは性的な侵害です。性的虐待を位置づけることで、『望まない異性介助』を早急に変革する原動力になると思います。」
 私は、子どもが同年代で、長年、PTA活動などを行ってきた、ご近所のご夫婦から「望まない異性介助」について相談を受けました。
 奥さんが病気で手足が不自由になられました。医療現場での介助ですが、奥さんの意向を夫が病院側に伝えますが、「体制がない」などの理由で受け入れてもらえないとの相談でした。
 私が、保健所を通じて、病院側に再度意向を伝えていただきました。
 結局、現在は、別の医療機関に転院されているようです。この新聞のコピーを昨日、その方に届けました。
 「望まない異性介助」について、障害者施設では、「虐待」と定義する手引きが厚労省から配布され、4月から「本人の意向を踏まえたサービス提供体制の確保に努める」ことが明記されたことは一歩前進だと思いますが、医療、介護、障害者などの各施設でのサービスを通じて、「望まない異性介助」を行わないような法整備と現場の人手不足を解消する抜本的な体制整備が必要です。
 「望まない異性介助」がなくなる社会の実現を願います。この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。

県庁と6庁舎はJIS規格の点字ブロックではない 2庁舎は点字ブロックがない

 山口県の施設がJIS規格の点字ブロックになっているのか調査を行い、一部回答が返ってきましたので報告します。
 まず、県庁及び出先機関(8総合庁舎+1合同庁舎)についてです。
 JIS規格の点字ブロックが敷設してあるのは、宇部総合庁舎のみでした。
 JIS規格の点字ブロックではないものが敷設してあるのは、県庁、岩国、柳井、周南、山口、美祢、下関の庁舎でした。
 尚、防府、萩の庁舎には点字ブロックが敷設されていないとのことでした。
 今年度については、「破損に伴う補修箇所等があれば、JIS規格に適合するものに更新」するとしています。
 今後については、「点字ブロック敷設部分の改修等工事を行う際に、JIS規格に適合するものに更新する」としています。
 私は、県庁は優先して、JIS規格の点字ブロックに変更するすべきと考えます。また、点字ブロックのない防府、萩の庁舎については、早急に点字ブロックを敷設すべきと考えます。
 次に、県警が管理する交通安全施設についてです。
 県警では「聴覚障害者の利用頻度が高い施設の周辺で視覚障害者の需要が見込まれる横断歩道等に設置しているエスコートゾーンが県内に150か所ある」とのことです。
 今年3月の警察庁の「エスコートゾーンの設置に関する指針」に基づく突起体と基底面で構成されたブロックが敷設されているということです。
 よって、JIS規格にもとづく点字ブロックへ変更するなどの計画はないとのことでした。
 県警関係では、警察署などに点字ブロックが敷設されてあるか調査したいと思います。
 その他、教育関係や県道などの状況についても関係機関に照会していますので、回答が届き次第、報告していきたいと思います。
 点字ブロックの敷設について皆さんのご意見をお聞かせください。 

沖縄県が、中学校給食無償化する市町村に費用の2分の1補助を表明

 25日、しんぶん赤旗日刊紙は、沖縄県が、中学校給食を無償することを明らかにしたと次のように報じました。
 「沖縄県の玉城デニー知事は24日、県庁で会見し、学校給食の無償化を来年4月から段階的に実施すると表明しました。中学生のいる世帯に対し給食費を支援し、県は中学生の給食費を無償とする市町村に、費用の2分の1を補助します。学校給食費の無償化は、誰一人取り残さない沖縄らしい優しい社会の実現を掲げ、『子供の貧困』対策を県政の最重要課題とするデニー知事が2022年の知事選で掲げたものです。昨年11月の県議会一般質問で、日本共産党のとぐち修県議団長が給食費の無償化の早期実現を求め、今年1月にはデニー知事への24年度予算要望で、県議団は早期に無償化を段階的に実施するよう申し入れしました。2月の県議会代表質問でも、ニシメ純恵県議が段階的な無償化の早期実施を求めていました。デニー知事は、県教育庁が実施した実態調査で、給食費の無償化や軽減、平等な支援を希望する声が寄せられたほか、中学生の子どもを持つ家庭の教育費の負担感が大きいと分かったと指摘。『未来を担う子どもたちの健全育成は、県と市町村の共通課題だ』と述べ、全ての市町村で無償化が実施できるよう前向きな検討を求めました。また、今回の無償化の実施は『第一歩』だとして、国などの動向も注視しながら将来的に小学生にも無償化の対象を広げ、拡充していきたいと述べました。」

 学校給食の無償化は、昨年7月末で、全国491自治体に広がっています。県内でも和木町、岩国市、萩市、阿武町、上関町、平生町、周防大島町、柳井市、長門市と9自治体に広がっています。

 東京都は、今年度から学校給食費の2分の1助成を行い、23区全域で小中学校の給食費無償化が実現する見通しです。
 青森県は、今年度、市町村の学校給食費の8割相当を支援する「学校給食費無償化等子育て支援市町村交付金」を創設しました。 和歌山県は、新年度、市町村が負担している学校給食費の経費の2分の1を補助する制度をスタートさせます。 群馬県高崎市が、来年度から小中学校の給食費無償化を行うことを明らかにし、群馬県では、全自治体で、小中学校の給食費無償化が実施される見通しとなりました。

 千葉県は、第3子以降の給食費を無償にしています。

 今や、県内でも全国でも学校給食無償化が大きな流れとなっています。

 山口県こども・子育て応援局こども家庭課が、今年3月に公表した「山口県子どもの生活実態調査報告書」では、現在の暮らしが「苦しい」と「大変苦しい」が27.1%あり、過去1年間に食料が買えなかった経験は、中央値の2分の1未満では、「よくあった」から「まれにあった」までの合計が46.0%となっています。

 山口県内でも子どもを持つ親の生活苦が広くあることが明らかです。

 山口県が、一日も早く、学校給食費を無償化する市町を支援する制度を段階的に導入することを求め、引き続き、発言を続けていきたいと思います。

 皆さんのご意見をお聞かせください。

 

就学前教育・保育施設整備交付金について、加藤担当相が「必要な予算確保に全力でとりくむ」と回答

 24日、しんぶん赤旗日刊紙は、子ども・子育て支援法案に関する井上哲士参院議員の質問について次のように報じました。
 「日本共産党の井上哲士議員は23日の参院内閣委員会で、子ども・子育て支援法案について、政府の子ども・子育て支援策が予算を含めて『実際やニーズに沿っているか』とただしました。保育園や認定こども園などの改築・改修費を国が2分の1補助するこども家庭庁の就学前教育・保育施設整備交付金は、各自治体が例年5回ほど国と申請協議をしています。井上氏は、金沢市が1回目の申請を2月に行って、3月に交付金の内示をうけ、幼稚園や保育園の改築・改修費を予算計上したにもかかわらず、3月末に国から『予算不足となり、2回目以降は協議はしない』と通告された問題を指摘。前年度より予算を減らした責任は大きいとして対応をただしました。加藤鮎子こども担当相は『事務的な進め方として反省すべき点があった。今後必要な予算確保に全力でとりくむ』と答えました。井上氏は、政府の子ども未来戦略『加速化プラン』が高等教育費の負担軽減などを掲げる一方、国立・私立問わず大学の学費を値上げする動きが広がり、政府の少子化対策に逆行すると追及。加藤氏は『教育費の負担が理想の子どもを持てない理由の一つ。課題意識を共有し文科省と連携を図る』と答えました。同法案は、共働き・子育て支援のために出生後休業支援給付などの創設を盛り込んでいますが、雇用保険に加入できない自営業者やフリーランスは給付の対象外です。井上氏は『支援金は徴収されるのに、給付は受けられないのはおかしい。フリーランスへの支援をただちに具体化すべきだ』と求めました。加藤氏は自営業者らは育児期間中、国民年金保険料の免除制度を設けると述べるにとどめました。」
 記事にある金沢市の例は、山口県内で起きた事例と符合します。井上議員の今回の質問にあたって、私から、日本共産党国会議員団に山口県の状況を伝えていました。

  井上議員は、昨日の質疑の中で、「5月15日に金沢市長が古賀政務官に予算確保を緊急に要望しておりますし、山口県もそういう要望をされております。何でこんな事態が起きたのか、今後どのように対応するのか」と質しています。

 古賀友一郎大臣政務官は「特に優先すべき一定の案件を対象にして、予算執行残額の範囲内ではございますけれど、先週、第二次の協議をさせていただく旨、自治体にも通知をさせていただいたところであります。」と答えています。

 どのような通知が、山口県に届き、今後、国は、県内の自治体の要望にどう対応しようとしているのか、来週早々、県健康福祉部に照会をしたいと思います。

 先日のブログで紹介しましたが、県内での今回の状況を振り返ります。

 3月25日、中国四国厚生局健康福祉部健康福祉課は、令和6年度における就学前教育・保育施設整備交付金に係る協議について「令和6年度第1回目協議において協議申請額が予算の上限に達したため、第2回協議の募集は行わないことと」すると各県の担当者などに通知しました。
 この事態に対し、4月12日、村岡知事らは、就学前教育・保育施設整備交付金について「保育所等の計画的な整備に向け、令和6年度における所要額について、国において早急に予算を確保し、円滑な整備を推進すること」などを国に緊急要望しました。
 山口県における令和6年度の整備計画は22カ所6億4779万8千円です。その内、11カ所の3億4357万1千円の予算の内示を受けていません。
 内示を受けていない11カ所は、山口市2カ所、防府市7カ所、下松市1カ所、長門市1カ所です。
 井上議員が指摘するように、「前年度より予算を減らした」国の責任は重大です。
 その上で、加藤こども担当相が「実務的な進め方として反省すべき点があった。今後必要な予算確保に全力で取り組む」と答えたことは重大です。
 県内で内示を受けていない11カ所、3億4357万1千円の施設整備の予算が確保されるよう、今後の状況をしっかりチェックしていきたいと思います。
 今後とも、山口県民の声が国会に届き、県民の願いが実現できるよう、国会議員団とも連携していきたいと思います。
 引き続き、皆さんの願いを藤本にお届けください。

「逆分権化」を進める地方自治法の改悪法案は廃案に追い込もう

 全国商工新聞、5月20日号の「私たちの主張」は、「地方自治法『改正』案」について次のように述べています。
 「地方自治法『改正』案が国会で審議されています。国に広範な『指示権』を与え、自治体を従属させる仕組み作りが狙われています。『戦争する国』につながる悪法を断じて許すことはできません。改定案は『国民の安全に重大な影響を及ぼす事態が発生し、又は発生するおそれがある場合』に閣議決定で自治体に義務を課すことができます。災害や感染症を例示するものの『その他』『これに類する』など範囲は曖昧で、行政府の恣意的運用は可能です。岸田政権は、沖縄県の民意も、地方自治も無視して辺野古新基地建設を強行してきました。改定案が成立すれば、戦争への自治体動員が容易になります。戦前の中央集権的な体制の下で、自治体は戦争遂行の一翼を担わされました。その反省から憲法には『地方自治』が章立てされ、『団体自治』と『住民自治』が保障されました。ところが、改定案は国の指示・代執行などの強力な関与を『法定受託事務』で温存し、『自治事務』にも広げます。岸田政権は『台湾有事』を口実にして南西地域を中心に、空港・港湾の軍事利用拡大を進め、改定案は国の判断で、自衛隊の優先使用を指示できるようにします。改定案の根拠に『コロナ禍の教訓を踏まえた』ことを挙げていますが、自治体の首長たちからは、『国の指示を受けることなく感染拡大防止の知恵を出した』『感染拡大時も国からの指示がないために問題が起き、混乱した事実はない』との発言が相次いでいます。元旦に発生した能登半島地震の復旧や被災者支援が遅れている要因も、地方公務員を減らし、地方の財源を削ってきたからです。国による指示権の導入など誰も求めておらず、むしろ迅速な対応への権限や財源、人材育成を自治体に保障すべきです。国会では審議入りした直後から野党の批判が相次いでいます。『地方分権の流れを逆回転させる』(立民)、『国に求められていることをやらず、災害やコロナに乗じて、地方自治破壊の仕組みを導入する』(共産)と問題点を鮮明にしています。世論と運動で改正案を廃案に追い込み、『地方自治の本旨に基』づく住民の平和的生存権を保障する社会への展望を開きましょう。」
専修大の白藤博行名誉教授が21日の衆院総務委員会で、地方自治法改定案について行った意見陳述の要旨は次の通りです。
「 法案では『国民の安全に重大な影響を及ぼす事態における国と地方公共団体との関係等の特例』を新設しますが、『国民の安全に重大な影響を及ぼす事態』(非平時)とは一体何なのか、概念的な曖昧さが残ります。『個別法の規定では想定されていない事態』が念頭に置かれていますが、専門行政領域ごとの個別法でも想定できない事態であれば、地方自治法という一般法でも想定できるはずはありません。地方自治法において、およそ想定し得ない事態を想定して、その事態に対する権限を一般的・抽象的に行政権に授権することは、いわゆる『白紙委任』であり、行政の授権と統制の法として、できるだけ要件と効果を厳密に定めようとする行政法の世界では想定しがたいことです。地方制度調査会専門小委員会では『非平時』の範囲について、自然災害、感染症、武力攻撃が同時・並列的に議論されてきました。この議論にのっとれば、当然に『武力攻撃』等が『非平時』の範囲に含まれることになります。例えば『存立危機事態』(集団的自衛権行使の要件)に対処するための『事態対処法』などで想定されていない事態が起きれば、それは指示権の「発動要件」に該当するのではないでしょうか。『国民の安全に重大な影響を及ぼす事態』の範囲が『被害の程度』に着目した概念である限り、おのずと国の『指示権』発動の範囲も無限定に広がります。『国民の安全に重大な影響を及ぼす事態』というのは『発動要件』としては無内容な規定だと言わざるを得ません。また、国の関与を最大限抑制すべき『自治事務』と『法定受託事務』を一緒にしてしまっています。事務処理の適法・違法も問わず、関与の事前・事後の区別もありません。到底、『地方分権改革』の趣旨に合うものではありません。地方自治法の趣旨・目的に逆行する『逆分権化』の徴候が見られます。憲法及びその付属法であるとされる地方自治法を理念的・構造的・機能的に破壊する改定です。緊急事態においてこそ徹底した分権化を図り、むしろ自治体が司令塔になって第一義的に事態に対処すべきです。緊要なのは『危機管理の国化・集権化』ではなく『危機管理の現場化・地域化』です。」
 白藤先生の地方自治法の「逆分権化」を図るものとの指摘は重要です。
 地方自治法改悪を許さない運動をともに強めたいと思います。

暉峻淑子著「承認をひらく」を読んでいます。

 暉峻淑子著「承認をひらく」について、11日、毎日新聞は、伊藤亜紗東京工業大学教授の書評を次のように報じました。
 「承認がやんでいる。一方には『いいね』など共感を可視化して承認欲求をかきたてるSNSの仕組み。他方には『モリ・カケ・サクラ』事件や日本学術会議任命拒否など政治権力による恣意的な承認/不承認。言うまでもなく、社会的な生き物である人間にとって、承認はなくてはならないものだ。他者という鏡に映すことで自分を知り、生きていることの意味を自覚できる。承認の病は鏡の歪みであり、鏡の歪みは社会の歪みである。承認の本質は相互承認である、と著者は言う。これは『先生が生徒を褒める』ような承認とは違う。褒めることは確かに生徒のやる気を引き出すかもしれないが、それは教師が求める生徒を成型することになりかねないからだ。承認にとって重要なのはむしろ、生徒が出来てもまつり上げないし、出来なかったとしても不満な顔をしないような先生だ。暴力や不登校などの課題を抱えている生徒に対しても、決めつけずに『何かあったの?』と声をかけるような先生。つまり相互承認を支えているのは、承認基準の変更可能性である。自分がいることによって相手の承認基準が更新されたと感じるとき、人は初めてひとりの人間として承認されたという実感を持つことができる。それゆえ、人間らしい暮らしのためには再分配だけでは足りない、と著者は言う。資本主義は弱者を貧困に突き落とすだけでなく社会的に排除する。貧困の改善については、特に第二次世界大戦以降、放置すべきではないという社会的合意が高まり、再分配は民主主義福祉国家の正義だと認識されるようになった(といっても日本の低所得世帯に対する生活保護の捕捉率は二割前後にすぎず、近年では再配分も衰退しつつあるが)。しかし社会的排除についてはどうだろう。既存の承認基準に合致しないために、孤立している人や差別されている人が存在するが、彼らを包摂しようとする公的な議論はあまりにも弱い。人権の概念は人と人の関係性を軽視している、と著者は言う。他者から承認されず、社会参加の機会が与えられないならば、もはや我々の社会は民主主義国家と言えない。戦争を経験した世代である著者の議論は、このように要約してしまうと、現実味のない高らかな理想と映るかもしれない。しかし著者には、地元の東京・練馬で10年以上、関心のあるテーマについて市民が話し合う対話型研究会を継続してきた手応えがある。地域の課題や政治、子育てや生き方などについて話すなかで、承認基準が更新される瞬間を目にしてきたのだろう。承認は、自分の判断が独断ではないか、他方で付和雷同ではないか、自分と社会に問いながら判断していく行為である。その価値判断は、人間と人間の関係に媒介されることによってしか構築されない、と著者は言う。社会参加を通じて対話や学習の経験が積み上げられ、連帯が生まれ、普遍的なものになっていく発展の過程。重要なのは、人間関係とは関係ない『世論』を変えることではなく、それに根差した『承認基準』を変えていくことである。足元から立ち上がる力強い宣言に、身が引き締まる思いがした。」
 今、暉峻淑子著「承認をひらく」を読んでいます。
 私は、この本を読みながら「戦争と平和」の事を考えました。
 一つは、ベトナム帰還兵のアレル・ネルソンさんのことです。
 ネルソンさんは、著書「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」の中で、海兵隊の訓練で、「おまえたちのしたいことはなんだ?」と教官に問われ、「殺す!」と答える訓練を受けたと述べています。
 アメリカ兵は、ベトナム人のことを「グークス」と呼び差別します。ネルソンさんは、ベトナム人を殺した後「彼らは、グークスであり、人間ではない」と考えたと書いています。
 アジア太平洋戦争中の日本も、朝鮮・中国人を差別し、アメリカに対しても「鬼畜」と呼び差別します。
 敵兵を人間ではないものと捉え、戦争を遂行したのは、当時の日本もベトナムでのアメリカも同じだと感じました。
 そこに、人間同士の「承認」はないのが戦争だとこの本を読みながら思いました。
 二つは、日本共産党の志位議長が行った「東アジアの平和構築への提言――ASEANと協力して」の講演です。
 ASEANは、紛争を戦争にさせないように、何度も何度も協議を行うことが書かれてあります。
 ここに、国同士相互の「承認」の関係があると思います。
 人間同士相互の「承認」を築く関係を構築していくことが、人権尊重の人間関係を生む未来がある。
 国同士相互の「承認」を築く関係を構築していくことが、平和構築の世界をつくる未来がある。
 この本を読んで、「承認」という言葉を通して、平和と人権が尊重される明るい未来への展望を感じることができました。
 引き続き、暉峻淑子さんの本から学んでいきたいと思います。
 この本を読まれた方は、感想をお聞かせください。