島田雅彦さんの「カタストロフ・マニア」を読んでいます。
舞台は2036年。太陽の異変から、高エネルギーのプラズマが地球に到来し、電気系統が破壊されます。ライフラインの停止、原発の危機、さらに感染症の拡大が重なって人類は存亡の危機に。
主人公は、ゲームが好きな青年・シマダミロク。異変の前、高額報酬につられて治験のモニターに応募します。郊外の病院で、新薬を投与され体調をチェックされる生活を重ねます。やがて、長い眠りからさめたミロクは、施設が無人になっていることに気付きます。人影のない町をぬけ、都心をめざしたミロクが見たものは。
今日付のしんぶん赤旗日曜版に作者の島田雅彦さんがインタビューに応じています。
「これまでに、スターリンの大粛清など悪政や戦争でたくさんの人が死にました。日本の場合の大量死は、アジア・太平洋戦争です。それらをふまえ、ここでは政治とテクノロジーの暴走がカタストロフを加速させる世界を書きました」
「過去にもカタストロフものがはやりましたが、いまならどう描くか。この小説では、文明の崩壊と同時に資本主義も滅びる。むしろ希望はそこにあるのではないか、ということを示しました。市民同士が助け合う小規模な分業社会、原始共産制こそ生き残りには有利。人類の弱肉強食は滅びを加速させることにしかならない」
「設定は20年後ですが、現政権の行動を苦々しく思いながら書き進めていましたから、現在の問題とオーバーラップする部分はあると思います。非常事態になった時、政府は保身に走りやすい。権力の維持のため、逆に非常事態を政治利用します。カタストロフにたいして政府はどう対応をするかということを、特に後半に書き込みました」
島田さんは、安倍政権に対してこう述べています。
「小説より、現実の方が非常に悪質なスラップスティック(ドタバタ喜劇)のようになってきています。加計学園問題でも、政府がウソをついているのは明らかなのに、真実をのべている方がおとしめられる。そんな現状をみると、逆にSF的想像力や陰謀説の方にリアリティーを感じてしまうんです」
「安倍政権は、日本会議(改憲右翼団体)と共謀して愚策を続けているし、加計学園などに露骨な利益供与をして税金の私的乱用をおこなっている。共謀罪を強行するのではなく、本来ならこんな政権と日本会議の『共謀』こそ、取り締まるべき『犯罪』ですよ」
島田さんは、今日、投票の東京都議会選挙についてこう述べています。
「国会で、自民党と公明党が多数を占める状況は、変えなければなりません。問答無用で私利私欲を追求する連中を徹底追及する人を、ひとりでも多く議会に送り込まなければならない。それができるのが、今回の都議選です。これまで日本共産党に投票しなかった人も、この政治を変えるためには、ここは共産党に投票したらいいじゃないか。これまで一番厳しく自公政権を追及してきた政党に、投票したらいいじゃないかと思います」
島田さんは、ほぼ同世代の作家で、ずっと第一線を走ってきた作家の一人です。
島田さんの作品を読むのは、実は、本作が初めてですが、これから少しづつ島田さんの作品を読んでいこうと思います。
今、島田さん原作のドラマ「悪貨」を観ていますが、経済についても精通し、資本主義体制に限界を感じている島田さんの姿勢を感じることが出来る作品です。
さて、今日は、東京都議会議員選挙の投票日です。
私も3日間、応援に行きました。ですから、なおさら注目している選挙です。
「私利私欲を追求する連中を徹底追及する人をひとりでも多く議会に送りましょう」
一番厳しく自公政権を追求してきた日本共産党が大いに躍進する選挙になることことを私も心から願っています。
東京都議選に対する皆さんの想いをお聞かせ下さい。
米軍岩国基地への空母艦載機部隊移駐計画を巡り、村岡山口県知事は昨日の県議会本会議で「移駐を容認したい」と受け入れを表明しました。
今朝の読売新聞は村岡知事が「(関係する)全ての市町が移駐を容認するという、熟慮を重ねたうえでの最終判断を重く受け止める」と語ったと報じました。
私は、今、島田雅彦さんの最新刊「カタストロフ・マニア」を読んでいます。
2036年、世界は前代未聞の「大淘汰」に見舞われ人々はどう立ち向かうのかを描いた物語です。
太陽のプラズマ攻撃で、地球の電気関係、電波関係は、完全に破壊されました。
島田さんは、この状況をこう書いています。
「深刻だったのは原子力発電所です。もともと、海辺の原発は外部からの攻撃を受けやすいし、電源が使えなくなったら、すぐに危機的状況になることはわかっていました。なのに、政府は原子力利権を守ることを優先するあまり、危機管理を後回しにし続けました。安全保障を充実させるなら、真っ先に原発の運転停止と廃炉に取り組むべきでしたが、国防軍を増強し、海外派兵なんかに踏み切る愚策を取り、結果的にテロリストたちの格好の標的にされ、ますます日本を危機的な状況に追い込みました。」
岩国基地の周辺自治体の長及び村岡県知事の「空母艦載機部隊移駐受け入れ」の判断は、未来の県民・住民に莫大の危険を遺す負の遺産を生むものになるでしょう。
読売新聞は、議会答弁後村岡知事が「県民の安全で平穏な生活の確保に向け、全力を挙げる」と答えたと書かれてあります。
村岡知事が、本気で、県民の安全で平穏な生活の確保を求めるのなら、空母艦載機部隊の移駐を拒否すべきです。
原発も移駐も容認する村岡県政に対して、来る県知事選挙で県民の「ノー」の審判を下す事も重要です。
村岡知事が空母艦載機部隊の移駐を容認しました。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
7月1日付け「本願寺新報」のコラム「ニュースを読む」の筆者は、中国新聞社論説主幹の佐田尾信作さんです。
テーマは「太田昌秀氏の沖縄戦」でした。
佐田尾さんは、先日亡くなられた元沖縄昌秀さんが編著された「沖縄鉄血勤皇隊」を取り上げています。
この本の前書きで「義勇兵役法」の事が書かれてあるそうです。
佐田尾さんは、「わが国で、この法律が制定されたのは敗戦の年の6月22日だという。くしくも牛島満沖縄守備軍司令官らが自決し、沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日である。義勇兵役法は男子の場合は15歳から60歳まで、女子の場合は17歳から40歳までを戦闘要員として戦場に動員できる法律である。これができて初めて銃後の国民も動員できたはずだが、それより先に、沖縄では10代の男女の学徒が戦場に駆り出され、多数が犠牲になった。『それだけに痛恨の思いは消し難い』と太田さんは著書で述べていた。つまり、沖縄ではその義勇兵法の裏づけもないのに軍命だけで学徒が戦場に駆り出された。」と書いています。
当時の軍隊は法律を超える存在だったことが沖縄の実態から読み取れます。
自民党都議候補の集会で、「防衛省、自衛隊としてもお願いしたい」と発言した稲田防衛相、同氏をかばい続けている安倍首相の責任について、今朝のしんぶん赤旗日刊紙に、山大名誉教授の纐纈厚さんが、「稲田氏の発言は、第一に、国家の一組織である自衛隊を私物化するもので、到底許せません。」として次のように語っています。
「本来、自衛隊と民主主義が共存するために、文民統制はじめ幾重にも厳しい規制が敷かれています。旧軍部の暴走の歴史の教訓です。稲田氏は、その規則も歴史も全く視野に入っていません。」
戦後72年の「慰霊の日」を迎えた23日の「沖縄全戦没者追悼集会」で、沖縄県立宮古高校3年生の上原愛音さんは。「誓い~私達のおばあに寄せて」の中でこう語っています。
「爆音とともに この大空が淀んだあの日。おばあは昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を 友と歩いた砂利道を 裸足のまま走った。三線の音色を乗せていた島風に 鉄の匂いが混じっていたあの日。おじいはその風に 仲間の叫びを聞いた。」
稲田防衛大臣は72年前の沖縄で、法律にない軍令で、少年少女が戦場に駆り出された事実を知っておられるでしょうか。
知っておられたならば、都議選の演説であのような話は絶対にされないはずです。
昨日、野党4党は、「自衛隊を私物化し、政治利用するかのごとき発言」を行った稲田防衛大臣の罷免を求める要望書を安倍首相に提出しました。
稲田大臣は即刻辞任すべきです。安倍首相は、稲田大臣を罷免すべきです。
稲田大臣の発言を皆さんはどうお考えですか。お教え下さい。
山口民報の最新号に山口県障がい児の教育を進める会会長の山本祐三さんの「障害のある子らとみてきた風景」(第6回)が掲載されています。
山本さんは、総合支援学校などで長年、障がい児教育に携われてきました。
私も、県議会議員の時に、多くの事を教えていだき、質問にも反映したことが数多くあります。
私は、日本福祉大学で障害者福祉を学び、「発達保障」をライフワークのように学んでいるつもりなので、このシリーズは、興味深く読んでいます。
今回のテーマは「障害は個性か?」です。
現在、私は、西宇部校区人権教育推進協議会会長として、人権も学ぶ学習会に参加をすると「障害は個性です。」と断言される子講師の方がおられ違和感を感じてきました。
山本さんは次のように書いています。
「『障害』は個性ではないけれど異常でもありません。『障害=異常』というとらえ方は、人間の多様性を否定する能力主義一辺倒の人間観と深くつながっています。障害者を排除してきた政策や政治、人間観への反発から『障害を個性』と思いたい気持ちには深く共感します。しかし、障害にともなう生活上の様々な支障や不自由さの『事実』を見落とさないようにしなければなりません。」「一見魅力的な障害個性論は、私たちを『人と人との関係性』の世界に閉じ込めてしまいかねません。そこにヒューマニティはありすが、権利保障はありません。重要なのは、『人と社会との関係性」です。障害の事実を否定するのではなく、障害によって生じる社会生活上のバリア(障害)をどのように取り除くのか、その社会的責任を明らかにすることです。そして、社会保障、雇用や労働条件、障害者福祉等、すべての人々の社会参加に必要な制度・政策の社会的責任を免責させないことです。」
山本さんは、国連・障害者の権利条約の中から「合理的配慮」の部分を引用しています。
「合理的配慮とは、障害のある人が他の者との平等を基礎としてすべての人権及び基本的自由を享有し又は行使することを確保するための必要かつ適切な変更及び長生があって、特定の場合に必要とされるものであり、かつ、不釣り合いな又は過重な負担を課されないものをいう。」
先日、車いすの方が、空港で、上肢だけで階段を下りるように航空会社の方から言われたという出来事がありました。
障害が個性では済まされない、障がいを持っておられる方への合理的配慮は当然必要だと言えます。
障害者の方々には、権利があり、国などは、権利を保障するためにバリアを取り除く社会的責任があるのだと山本さんは書いています。全く共感いたします。
私は、大学で、発達保障論を学びました。
人間が発達する上で、個人と集団と社会の3つの系で考える理論です。
Aさんの発達を保障するために、Aさんを取り巻く集団や社会を変えていく必要があるという理論です。
Aさんは、権利を持った一人の人間である。Aさんを取り巻く集団や社会がAさんの発達を保障するものになるようにする。
こう考えてくると、問題は、障害者問題だけではなく、LGBTや女性や子どもや高齢者の問題も同じように考えることが出来ます。
これぞれの問題は「個性」だけでは片づけられない。
「個性」論は「自己責任論」に通じます。
一人一人には権利があり、それを保障する社会的責務が、それぞれの自治体や国にあるのです。
障害者も女性も高齢者も子ども笑顔で暮らせる社会と繋がってきます。
山本さんには、私の積年の疑問に答えていただきました。ありがとうございました。
そして、私が大学時代、障害者問題を通じて「発達保障論」に出会った原点に立ち返ることが出来ました。
一人一人が笑顔で暮らせる社会を目指して、今私に与えられている仕事の中で、精一杯、役割を発揮していきたいと思いました。
障害者問題について、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
6月25日のしんぶん赤旗日曜版に作家の佐藤愛子さんが、東京都議選での日本共産党の躍進を願うメッセージを寄せています。
「私はいつも、共産党に投票しています。主張が分かりやすく、スッキリしているからです。共産党のすべての政策に賛成なわけではありませんが、私利私欲がなく、まじめなところに好感を持っています。自民党んど他の政党は、口で良さそうなことを言っていても、本心が分からないですから。その点、共産党は言っていることとやっていることに裏表がなく、信用できます。」
佐藤愛子さんの「九十歳。何がめでたい」は今年上半期の売上げが第一で、90万部を突破したそうです。
この本は、佐藤さんの「女性セブン」のエッセーを集めたものです。
「来るか?日本人総アホ時代」では、スマホに依存した国民をタクシーの運転手さんと佐藤さんがバッサリ斬ります。
「そんなものが行き渡ると、人間はみなバカになるわ。調べたり、考えたり記憶したり、努力しなくてもすぐ答えが出てくるんだも」
「まったく日本総アホの時代がくるね!」
そして佐藤さんがこの章の最後にこう語っています。
「『文明の進歩』は我々の暮らしを豊かにしたかもしれないが、それと引き替えにかつて我々の中にあった謙虚さや我慢などの精神力を摩滅させて行く。もっと便利に、もっと早く、もっと長く、もっときれいに、もっとおいしいものを、もっともっともっと・・・。もう『進歩』はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。」
90歳を越えた佐藤さんの言葉は潔く心地よいです。
そして、ユーモアたっぷりで思わず笑ってしまう場面がしばしば登場します。
この辺りがベストセラーとなった要因でしょう。何事も笑い飛ばす佐藤さんの筆です。
先日、ある僧侶の方が、「生老病死」を食い止めることはできない。それを知り、それを救うために仏教が生まれた。「生老病死」をどう救うかは仏教の基礎中の基礎だというお話しをされていました。
佐藤さんは、「生老病死」について、しなやかに筆致で語っています。だから、潔く心地よいのだと思います。
佐藤さんの本を少しづつこれからも読んでいきたいと思います。
佐藤愛子ファンの皆さんのお薦めの本をご紹介下さい。
TBS系情報番組「王様のブランチ」の本の紹介コーナーで宮内悠介さんの「おとは野となれ大和撫子」が紹介されていました。
本作は、第157回直木賞候補作です。
宮内さんは、「カブールの園」で芥川賞候補にもなっており、宮内さんは、直木賞・芥川賞ダブルノミネートで現在大注目の若手作家の一人です。
1979年生まれの38歳。これからも大いに期待されます。
夕刊「フジ」のインタビューで本作について、宮内さんはこう語っています。
「本作は国政を担う男たちが紛争で逃げてしまって、そして女性たちが立ち上がって頑張るという話で、突飛なところもあります。が、私なりに理想や現実を見据えて考えた一種のポリティカルフィクションでもあります。年齢・性別にかかわらず、『何物をも拒まないこと』を目指して書いていますので、どうぞよろしくお願いします」
「何者をも拒まない」という姿勢はあっぱれです。
フジの記事からあらすじを引用します。
「中央アジアの小国アラルスタンの後宮は独特で、高等教育機関であり、将来有望な少女たちが暮らしていた。両親を紛争で亡くした日本人少女ナツキもいた。ある日、少女たちの暮らしは大統領が暗殺され激変する。国の中枢にいた男たちが国外に逃亡したのだ。リーダー・アイシャを大統領代行に立ち上げ、ナツキは国防大臣を務めることになった。一方、イスラム原理主義勢力との内戦まで勃発して・・・。息をつかせぬエンタテイメント小説。」
私が今、読んでいるのは、アラルスタンの大統領が暗殺され、アイシャが大統領代行になり、ナツキが国防大臣を務めることになったところです。
奇想天外な設定ですが、世界が抱えている深刻な問題を私たちに物語を通じて考えさせてくれる作品です。
ナツキたちの活躍が注目されます。
アラルスタンとは架空の国ではありますが、中央アジアのアラル海は、ソビエト連邦時代の大規模な灌漑事業などで、大幅に水量を減らしていった歴史を元にしたフィクションとなっています。
世界史の縮図のような地域から世界が学びことは多々ありそうです。
引き続き、「あとは野となれ大和撫子」を読み、感想を紹介していきたと思います。
宮内悠介さんファンの皆さん、感想をお聞かせ下さい。